●264.水星の魔女を見た2023/7/28 |
水星の魔女を一気見したので何もやる気が出ない。こういう熱中させられる作品に触れると呆然としてしまっていけませんね。まあ、昔からだな。作品に触れている時間は至福の心地が味わえて、現実に帰って至福が失われて死にたくなる。いつもいつものことです。私はどこへ行けばいいのかわからないし、どこにも行く場所なんてない。一人取り残されて悲しい。そう感じるだけです。 嫉妬しかありません。せめて私も何かつくることができればいいのですけど、何も作れません。ああ、悲しい悲しい。 しかしまあ世の中にはすごいもの作る人がいるものですね。すごいものに簡単に触れられる時代と思えば、いい時代なのでしょうか。そんなものが世の中に存在することすら知らずにいられた時代なら、死にたくならずに済んだでしょうか。よくわかりませんね。まあ、幸せなんてものはなろうと思うものではないでしょう。苦しみだけが人生だ。苦しみだけ、はちょっと辛いな。苦しみを味わってこそ人生だ、くらいにしときましょう。 私は完結してから一気見したのですけど、いつもながらリアルタイムで作品を支えてくれた人たちには感謝しなければいけません。グッズ買ったりとかも、私はしませんから。私も多少は世間のリアルタイムの波に乗るようにすればいいのですけどね。 こういういい作品に触れると、どうしても今年の大河ドラマについて考えてしまいます。今年の大河のことはずっと考えています。ある意味ファンなんじゃないかと思います。いや、つまり今年の大河についてはネガティブなイメージしかないのですよ。なんであんなひどい作品が生まれてしまったのだろうと、ずっと考えているのです。いかんな、悪口の方が饒舌になってしまう。 アニメーション業界が強くなりすぎているのでしょうかね。なんかそんな論説も目にしました。動画サイトでは日本のアニメは多く買われているのに、ドラマは全然からきしだとか。ドラマにせよアニメにせよ私はあまり見ていないので論評する資格はないのですが、乏しい視聴体験からの感想で言えば、両者のレベルは隔絶しているように感じます。アニメはちょっと強すぎる。面白いかどうかはともかく、映像美やカメラワークなど、技術的な部分が非常に洗練されていますね。面白さは技術的なものが全てではないと思いますが、面白さに直結するものであるとは思うので、やっぱりそうした部分に差があると集合としては大きな差がつきます。映像に制約がないので、例えば舞台を自由に設定できるなど、シナリオもより自由にできることも強みでしょう。 個性という意味では、制作体制が小さくて済む漫画の方が強いものが作りやすいのでしょうね。そういう意味では、小説には大きな可能性がまだまだあるでしょう。私は最近小説読んでないので、よくわかりませんけどね。今の制作ツールの発展を考えると、エンタテインメントを志す人間が漫画でなく小説を選ぶのはちょっと理解しがたいですけどね。量産するなら小説の方がいいか。漫画の方が圧倒的に読みやすい=ユーザビリティが高いと思うのですけどね。まあ、尖ったものを作るのなら小説はありでしょう。 ドラマはよくわかりませんね。インディーズならわかります。昔に比べて映像を撮影するハードルは大きく下がりましたから、アニメーションを作るよりもはるかに容易です。潤沢な予算がある組織が実写ドラマを作るのは何故なのでしょうかね。特にCGを使うのならアニメーションでいけない理由が私にはわかりません。アニメーションの方がはるかに制約が少ないでしょう。強いていうなら、俳優の個性を期待することくらいでしょうか。監督の思惑を超える演技のできる俳優なら、確かに使ってみたくもなるでしょう。そんな俳優が何人いるでしょうか。ドラマ業界はそういう俳優を優遇しているでしょうか。逆に言えば、アニメーションや漫画なら監督や漫画家一人のレベルが高ければ登場人物全員が同じレベルの演技をすることができるということなのですよね。その気になれば脇役にまで監督の求める演技をさせることができる(意味はあまりないでしょうが)。個人の力量によって作品のレベルが左右されるというのは、良いことなんでしょうかね。まあ、今のアニメ業界は全体的にレベルが高いと思うんだよな。 これで私がアニメファンじゃないのがよくわからないところです。話題になったアニメを見るくらいで、普段あまり視聴しないんですよね。自分のことをオタクだと言えないのは、ちょっとだけコンプレックスなのです。 |
●263.とりあえず思っていることでも書こう2023/7/21 |
どうも人生の目標を見失っている。なにをどうすればよいのかわからない。自分が何をしたくて、なにをすればよいのかわからない。自分には何もないし、なにもできないのだとしか思えない。 今のまま十年たった様子を想像して、その時後悔していることを考えてみる、という思考法があります。私は十年前にそれを行って絵を描き始めました。今、十年後のことを考えても何を後悔しているのかわかりません。後悔することのない日々を今生きている? そうかもしれません。しかしおそらくそうではなく、今現在の私が何をしても十年後実を結ぶことがないだろう、と思っているせいだと思われます。そうか、私は私を信頼していないのですね。今現在、私は何をしてよいのかわからないし、何もできないのです。 あまり考えたくないことですが、私は絵が描けなくなってきました。巧拙ではありません。元々壊滅的な拙さです。上手い下手ではなくて、キャンバスの前でペンをもって長い時間描くことができなくなってきたようです。描き始めてもすぐに別のことがしたいと思ってしまいますし、そもそも描き始めることができません。白いキャンバスを前にすることが怖いです。下書きを描き始めるのが怖いです。下書きを線にしていくことが怖いです。なにが怖いのでしょう。よくわかりません。よくわかりませんが、とにかく嫌悪感を生じるのです。絵を描くことが嫌で嫌で仕方がないのです。 うまく描けないのがいけないのでしょう。自分の中に理想があって、そこにかすりもできないことが嫌なのでしょう。どう描けばよいのかわからなくてもがくのは苦痛です。ウェブを立ち上げれば何か楽しそうなことがそこで行われているじゃあないですか。どうして誰も評価してくれない苦しみを苦しみ続けなければいけないのか。 とはいえ実際にはウェブには何もなく、未来のことを想像すれば、少しでもマシなものを作ることのできる自分になりたいという思いしか浮かびません。ウェブの中にある情報には私自身の未来はないのです。描くしかないのです。しかし描けないのです。 まああれか、高望みしすぎなのかもしれませんね。拙くて何が悪いと開き直るしかないのでしょう。描けないものを描かなくてはならないときは、うーん、どうしましょう。描かなくていいか。背景とか。背景だけじゃなくて、色々な者が描けない。描かなくていいか。絵なんて美少女の左目だけ描いてりゃいいんですよ。左目だけ。それはそれで面白くないか。 しかし世の中にとても上手い絵がゴロゴロしているのは何とかなりませんかね。自己嫌悪が加速する加速する。 まあそうか。描くしかないか。今更自分の人生に人並みの生活なんて望んでも仕方ないものな。私自身は人並みの生活なんて望んでないし。描いて、ちょっとでもマシなものが描けるようにしていくしかないですね。 |
●262.ぐだぐだ2023/5/5 |
なんかもう色んな事がぐだぐだです。なにやっていいか全然わからない。 とりあえず放置してたふたりの呼び方編を完成させました。なんというか、勢いでとりあえず始めてみるのは良くないのかもしれない。その10までの予定だったけどその7で終わり。さっさと切り上げたかったのではなく、その方がしまりがいいと思ったからです。多分。その7の最初のコマに後日ってナレーション入るはずだったんだけど忘れていた。修正するのは難しいからこのままで。なんというか、ちゃんと見直しとかしてから上げればいいのだけど、もうその気力がないんですよね。勢いで完成させないとどうにもならない。 まあ適当に完結させたつもりはなく、今描けるものをちゃんと描いたつもりです。ううむ、正直に言うともっと評価されたいのだけど、まあこれが正当な評価なのでしょう。もうどうしていいかわからない。人に評価されるために描くのは止めたほうがいいですね。 これから何をすべきなのかよくわかりません。自分にできることがあるのかどうかがわかりません。私に価値があるとは思えません。実際にそうなのかもしれません。頑張ってもどうしようもないので、人から評価されるために生きるのはやめたほうがいいでしょう。自分のために生きるって、そりゃずっとそうだったのですけど、自分が何をしたいのかもよくわかりません。自分自身が評価できるように生きるしかないのですけど、それができるとは思えません。絵も話も何もかも、自分自身いい評価を下すことができないからです。なんでみんなあんなに上手くて面白いもの作れるんですか。 まあ頑張るしかないでしょうね。自分自身が評価できるように生きられればいいんですけどね。もう適当にゲームしたり本読んだりしてこの世に何のアウトプットすることもなく生きるのもいいかもしれないと思ったりもします。それで満足できるんならそれもいいかもしれないですね。もうよくわかりません。人生やり直せるんなら…いや結局一緒なんでしょうね。10年後から帰ってきたと思って、今からでもできる努力をしていくしかないのでしょう。うーん、ぐだぐだ。というよりグチャグチャか。 |
●261.修正ミス2023/3/26 |
「篠の待つ家」販売開始されていたのですが、ちょっと問題がありました。黒塗り修正していたのですが、修正が甘かったらしくDLsite様が追加修正してくださっていました。それはいいのですが、アニメーションする部分があったので、黒塗りがちょっと暴れてしまっていましたね。えーと、特に問題があったのが、静止している状態の女の子の、目の光を2枚の絵を使って動かしていたのですが、その二枚の黒塗りの場所が微妙に違っていたので、一瞬ごとに黒塗りが動いてしまってかなり目障りな状態になっていたんですね。 これはちょっと問題がある、と思ったので、自分で修正して差替申請を行いました。無事差替えできればよいのですが。 悲しいことですが、まだ誰も購入していなかったのが不幸中の幸いです。いやあ、誰の目に触れることもなくて良かった。半日以上たっているんですけど、全く売れていませんねえ。うーん、悲しい。 そもそもカラーでは黒塗りは推奨されていなかったみたいです。よく見ていませんでした。なので差し替え分ではモザイク処理にしました。これから気を付けないとなあ。 まあしかし処理のためにちょっと疲れました。なかなか、物を売るというのは大変なものです。全く売れていないのにね! |
●260.篠の待つ家登録申請2023/3/24 |
『お触り漫画「篠の待つ家」』DLsite様へ申請しました。ようやく一つ作ることができました。作ってみたいと思っていたお触り漫画です。女の子をクリックで触れる漫画です。 小品でもとにかくひとつ売りたいと思っていたので、やっとそうすることができました。小品だからと思っても、申請するのは色々と覚悟がいりますね。不具合がないのかは、もうよくわかりません。誤字脱字とかバグチェックとか、どこまでできているかはもう神のみぞ知ってください。ある程度はちゃんとやったつもりです。 結局前に作った小品は販売できていません。販売申請する前段階になって、なんとなくする気になれなくなりました。売っていいのかこれ、と思ってしまったんですね。無料配布とかできればそうしてもいいかなと思ったりもしたけど、DLSite様では無料作品は受け付けていないみたいで、どうしようかなあという感じです。やっぱり販売すればいいかなとも考えています。100円だから許してください、ということで。 なんにせよ一つできたのは良かったです。ちょっと解放されました。 どれくらい売れるんでしょうね。そんなに多少は売れてほしいけど、まああんまり期待はできないですね。もっと精進したいです。 次は、漫画ではないかと思います。「篠の待つ家」を作っていて、必ずしも漫画である必要はないのではないかと思うことがありました。クリックして画像が変わる、という感じですかね。クリックすると差分が表示されるCG集というところでしょうか。そういうゲームも、昔いくつか遊んだなあ。 とはいえちょっと遊びたいです。販売することを考えずにするお絵描きもしたいです。しばらくは気楽に次作を考えたいですね。 |
●259.お久しぶりに2022/11/2 |
久しぶりにここを書きます。もういつ以来だ、と思ったのですが、まだ半年くらいしか経ってないのですね。一年以上書いていない気がしていました。 この間、ビッグローブ様のファイル転送ソフトが使用停止になったのもあって、試験的にこれを更新してみます。ちゃんと更新できるでしょうか。 HPを更新しようと思ったのも、新しい作品を作ったからです。更新していない間も色々ありましたが、とりあえず小品を作っていこうと思いました。『もっとアマレナちゃん~』以降一年くらい作っていたものは、いったん凍結しました。ちょっと完成が見えなかったのですね。 なんとか小品を完成させられましたので、またHPに体験版的なものをアップして、んで製品をDLSite様で売りたいなと思っています。正直、人様に届けても良いものなのかどうか全く自信がないのですが、でもそうしたいと思ったから仕方ないのですね。多少なりとも面白いとかエロいとか思ってくれればありがたいなと思います。 まあ色々精進したいですね。精進したいのもあって、小品でもコンスタントに作っていきたいです。 |
●258.筋トレ2022/4/27 |
筋トレまだ続けていますが、初めてやった時の身体が変わったという実感はもうなくなりました。鏡見てもまだ貧相だなという感想の方が先に来ます。何もしていない状態よりはよほどいいのですけどね。つべで見させてもらっている筋トレの人の筋肉と比べると、ただのガリガリ君です。比べるものではないのですが。 筋トレというものはマゾヒスティックな感覚を刺激するものですね。少なくとも30秒キープとかやっているときは苦痛との戦いです。苦痛といかに付き合うかが耐えられるかどうかを決めます。「俺は出来る!」とかの、ポジティブなものであっても思考はあまりしない方がいいような気がします。思考してしまうと思考の場所が刺激されて、「やっぱりやめてしまおう」なんて弱気なこともよぎったりしてしまいますから。出来るならただ無になって時間が過ぎるのを待つのが良いと思います。 きついトレーニングは終わった直後は二度とやるかと思うものですけど、しばらくしたらあの苦痛を求める感覚も芽生えてきます。マゾヒスティックな感覚ですね。ただの痛みではなく、怪我は多分しないだろうという安心感のある痛みですから。多分人間は苦痛を感じるとき、苦痛に耐えるためにちょっとした快楽物質を発生させるのでしょう。マゾヒスティックな嗜好は、その快楽物質を得たいという感覚なのではないかと思います。 マゾは筋トレすればいいんじゃないでしょうか。私は自分がマゾヒストとはあまり思いませんけど、体幹は欲しいです。 |
●257.陽気2022/4/25 |
痔の経過を診てもらいに行きました。ちゃんと小さくなっていっているらしいです。下半身を露出してお尻を見てもらわなくてはならないのですが、お医者様が陽気なのは助かります。恥ずかしいのですけど、カラカラと対応してくれるので、何も変なことではないのだなと思わせてくれます。恥ずかしい場面に限らず、陽気な人間というのは接していていい気分になるものですね。見習いたいと言いたいところですが、根からの陰性の私にはとても無理なことです。無理と決めつけずにやるべきなのですけどね。うーん、無理そうですね。 陰にこもって沈思する人間を目指します。色々な人間がいたっていいじゃないですか。 |
●256.継続2022/4/24 |
最近トレーニングの方法を変えました。前は筋トレではなかったのだけど、今度は筋トレです。色々なところが筋肉痛になったのですけど、筋肉痛はいいですね。ちゃんと鍛えられているのだと分かりますし、いかにそれまで筋肉を使えていなかったのかもわかります。苦痛な痛みでなければ痛みもまた良いものです。多くの人間はマゾヒスティックなところがあると思います。 問題はいかに継続するかです。なるべく短い時間にしているのですけど、それでも腕体幹脚となるべくバランスよく鍛えようと思ったらそれなりの時間になります。10分強くらいですけどね。10分は切りたいような気もします。毎日全部鍛えようと思うのではなく、一つとか二つをローテーションしていくとかでしょうか。筋肉を休める時間も必要だと思うので、それがいいかもしれませんね。 とにかく大事なのは続けることだと思うので、無理のないようにします。あんまり休みすぎるのも返って続かなくなるのですけどね。 |
●255.睡眠時間2022/4/23 |
眠いです。昨日の睡眠時間は6時間を切っています。私は6時間未満では眠くなります。大体ゴールデンカムイのせいです。最新まで読了しました。駆け足で読みましたけど、そういうのは作品に失礼な態度ですね。わかっています。わかっていますが、エンタテインメントを楽しむとき肩ひじ張ってしまうと楽しくなくなるものでもあると思います。30巻程度なら、いつか買うかもしれません。面白いです。 起きなければいけない時間から逆算して、5時間台になるなと思っても、まあ別にいいかと思えるようになってきました。もう少し以前の私なら、8時間未満になることさえ怖がっていました。そういう色々がプレッシャーになって返って寝られなくなるということも、あったかもしれません。今は最悪寝られなくても、チオビタ飲めばなんとかなるかな、くらいの気持ちでいます。寝なきゃいけないと焦燥したり、やりたいことがあるのに寝る時間を確保しなければならないとストレスを溜めるのよりは、もしかしたら健康的かもしれません。生きていられる時間は短いですねえ。 ちゃんと時間を確保して快眠できるのならそれが絶対にいいですけどね。今でも基本的には7時間程度は寝るようにしています。 |
●254.みじめ2022/4/21 |
私は内向的な人間で人と話すのが苦手なのですが、昨日は少し考えさせられることがありました。私にも気さくに話しかけてくれる人がいるのですが、その人も交えて数人で話す時、私は全然話しません。その人は相手のことを考えて色々話題を膨らませていきます。私も一応その場に入るのでその話題についてなにか思ったりはするのですが、そこで気づいたことは、私は私のことばかり考えているということです。話題について、私ならどうかな、ということばかり考えていました。私の仲のいいその人は、ちゃんと相手がどうかということを考えながら話題を盛り上げているのです。 やっぱりコミュニケーションというものは、人に興味を持つところから成り立つものなのでしょう。私は自分のことばかりで、人に興味を持たないから人と話すことが苦手なのだと思います。難しいですね。私は自分のことは嫌いですが、他人のことも嫌いです。あまり他人に興味を持てません。面白いとは思うのですけどね、他人も。 私の中の良い人のように、人とよく話す人って、憧れる気持ちはあります。そういう人が他人にとって非常にポジティブな人間であるということも思います。でも自分が無理をしてまでそうなりたいかといえばどうでしょう。自分を押し殺して明るくふるまっても、いつか無理になります。もうやめてしまおうと思う時が来ます。 無理のない範囲で他人に興味を持てばよいのですけど、どうすればよいのでしょうね。せめてなるべく人の良い面に目を向けるようにしましょうか。難しいですけどね。 |
●253.怒ってばっかり2022/4/20 |
普段色々考えているはずなのですけど、いざ何か書こうと思うと忘れてしまって出てこないものですね。なんだっけ。 昨日は怒ってばかりいました。外には出さなかったのですけど、内心で怒ってました。仕事でちょっと納得できないことがあったのです。他人に攻撃的になるのは、自分に余裕がないからなのでしょうね。自分に自信がないからこそ、そのモヤモヤを他人のせいにしたがる。他人に何かを期待するのが間違っているのでしょう。人間と思わず、猿か何かだと思えば怒りも湧いてこないかもしれません。いや、猿が上司なのが腹が立つのですけどね。 駄目だな。人間ができていない。だいぶ歳取ったなあといつも思っているのですけど、歳をとるばかりで人間性は改善されません。どうにもならないです。変に悟って諦めるのも嫌なので、もうしばらくとげとげしています。 |
●252.朝起きる2022/4/19 |
なるべく朝型にする生活をしようと思っていたのですけど、徐々に起床時間が後ろに行ってしまっています。多分ゴールデンカムイのせいです。駆け足で読んでますけど、最後まで読むのは無理かもしれませんね。仕事もあるし。 完結するから全話無料ってすごいですね。確かに繰り返し読むために購入させるだけのクオリティはあると思います。実際どういうマーケティング戦略なのかは知りませんけど。駆け足で読むにはもったいない感じはします。30巻くらいまでなら、集める気力も湧いてくるかもしれません。私が購入するかはわかりませんけど。 いいものにはちゃんとお金を出すべきなのでしょうけど、私もお金ないですからね。私がお金持ちなのなら、いくらでも出すべきだと思いますけど、貧乏人は、貧乏らしく身の丈に合ったお金の使い方をしなければなりません。いいものが世の中に溢れていて、何もかも買うわけにはいかないということもあります。 |
●251.筋肉を休める2022/4/18 |
先日トレーニングを三日ほど休んだのですけど、その後のトレーニングはより効果が出ている気がします。休んだ直後は身体がちょっとしぼんだ気がしたのですけど、今はまたちょっと膨らんだような気がします。気がする、程度ですけど。毎日同じことの繰り返しで、身体もメンタルも、ちょっと疲弊していたので、良いリフレッシュになったと思います。二勤一休とかは休みすぎかなと思うのですけど、筋肉が疲れているなと思ったら休ませた方がいいのかもしれません。身体も心も、メリハリをつけたほうが健康的なのでしょうね。 |
●250.法事2022/4/17 |
今日は私は法事に行きました。親戚の集まりとか、行きたくないんですよね。顔を合わせても何を話していいのかわかりません。要するに今の自分の境遇に引け目を感じているから人と会いたくないのでしょう。過去というものは現在が作るものなのだと思います。親戚と会ってもいいと思っていた時期って、ないなあ。つまり私は大体いつも現在に引け目を感じているということです。みんないい人なんですけどね。 まあでも仕方がないので行きました。仕事も休みだったので仕方がない。不義理ばかりしていると益々行きにくくなるばかりなので、仕方がないのです。まあ私はよくやりましたよ。誰も褒めてくれないので、自分で自分を褒めます。よくやりました。 であんまり寝れてないのですけど、あんまり寝れてない割には元気です。寝れてない日はチオビタを飲むのですけど、なんかチオビタを飲むと目が覚めて元気が出てくる気がします。元気なのがチオビタのおかげなのか、そもそも私にはそれほど睡眠が必要ないのかはわかりません。若いころはなるべく睡眠はとるようにしていたのですけど、もう少し無理をしていればよかったな、と思います。もう少し、活動できる時間があればそれに越したことは無かったです。でも今それなりに健康なのは若いころに無理をしなかったからかもしれないので、なんとも言えないのですけどね。これからは少し睡眠時間的には無理をしていきたいと思います。 |
●249.人は誰でもうんこをする2022/4/16 |
痔になってからはいつうんこをしたくなるかヒヤヒヤしているのですが、私はあまりうんこをしない性質らしいです。一日一回ではないですね。二日か三日に一度くらいでしょうか。そんなのだから痔になるのかもしれません。軟膏を注入した後うんこするわけにはいかないのです。 うんこをするときはなんとなく情けないような格好悪い気持ちになるのがいいですね。私は元々格好悪いので何も変わりませんが、世の中のイケメンやかわいい子もうんこをしなければならないというのが良いです。その時くらいは彼らもなんとなく格好悪い感じになるはずです。イケメンやかわいい子のうんこは別の意味が出て切る可能性があるのでまだいいとして、偉そうな政治家や怖いヤの人なんかもうんこをしなければならないというのが素晴らしいです。快便ならともかく、固いうんこでいきったり柔らかいうんこに悶えたりすることがあるだろうことは、いいですね。うんこの前ではみな平等です。そうでしょうか。 カエサルもうんこしていたんだろうけど、あまりイメージが崩れる感じはないですね。豊臣秀吉とか、ああいう元からユーモラスなイメージのある人は強いですね。崩れない。でも人はみなうんこをするというのはいいですよ。良いことです。 |
●248.早く寝る2022/4/15 |
やっぱり早く寝られた日はちょっと起きてからが長く感じます。なんとなく寝るのを渋って意味のない時間を過ごすことが多いのですが、ちゃんとメリハリの利いた行動をする方が良い時間の使い方ができるということでしょう。朝ちゃんと起きて日光を浴びましょう、というのと同じような話です。 そういえば最近ちゃんと日光浴びてないな。冬でしたからね。パンデミックで外出を控えているというのもあります。ちょっとは光合成しないと調子が悪くなりますね。酸素は作れませんけどね。 |
●247.生きることは焦ること2022/4/14 |
昨日の夜は眠かったのでさっさと寝てさっさと起きたかったのですが、ついつい寝過ごしてしまいました。なかなか毎日を思うように過ごすことができません。一日が短すぎて嫌になります。自分を完全にコントロールできればいいのですが、どうにもできませんね。色々な「嫌だ」や「やりたくない」ばかりの人生です。 焦りばかりあります。諦めてしまえば楽に生きられるのでしょうけど、諦めた人生なんて死んでいるのと同じじゃないですか。いつもイライラしているのですけど、それでも死んでいるのよりはマシでしょう。いや、人生なんてだから辛いことばかりなのですけど、それでも生きている以上は生きていなきゃ仕方ないじゃないですか。いつもイライラして周囲や自分に対して攻撃的になるのも、生きることの業のようなものです。仕方ないのです。 |
●246.独裁2022/4/13 |
相変わらずおしりが痛いです。薬のおかげか、だいぶ痛みが和らいできたようには思いますけど。 最近デスノートを気ままに再読しました。やっぱりあれは面白いですね。月さんは新世界の神とやらになろうとして失敗するのですけど、仮に月さんが勝った世界でも人間の歴史に大した影響はなかったのではないかと思ったりします。月さんはある種の独裁を目指していたわけですけど、彼が独裁を続けることができるのも彼の寿命が尽きるまで、せいぜいが50年くらいでしかありません。50年、全世界に影響を及ぼす形での独裁が成立したことは無いと思いますので、それはそれで空前のことではありますけど、独裁者が消えれば元に戻ってしまうだけの影響でしかありません。反動で月さんがいなくなってしばらくは暴力的な混乱が続くことも考えられますね。 なんにせよ50年程度の影響力で神と称するのはなんとも視野の狭い話だと思います。これは月さんがそう思っていただけの話であり、そういう独裁者も歴史上には(多分)存在していたわけで、物語として破綻しているということではないですよ。 とはいえ死んでなお影響力を誇るということも考えられますので、それはそれで神と呼んでよい存在なのかもしれません。むしろ本編のように世間に人格的に認知されずに死んだ方が神格化されてより神に近づいたと言えるようにも思います。まあでも死んで神格化されるというのは月さんの望んでいた形ではないですよね。 いずれにせよ人間史における政治的な影響は50年程度の独裁ではそれほど大きくはならなかったのではないかと思います。それでも全世界的に50年もの間影響を誇るというのはすごいことではないかといわれればそれはそうだというしかありません。私の好きなローマ帝国なんかでも全史をひっくるめてもそれほどの影響力はなかっただろうと思います。 |
●245.痔と戦う2022/4/12 |
痔の痛みと戦う日々です。動かないと痛くないのですが、肛門付近に力を込める動きをすると痛みます。立ったり座ったりするのがつらいです。仕事できるかなあ。 意外とちょっとした動きでも肛門に力を込めるものだと驚きます。例えば寝返りなんかでも痛みます。こういう、体の不調があるときは、体の構造について新しい発見があるのでちょっと面白いです。不調なんてないほうがいいに決まってますけどね。健康のありがたさを実感できるのも、逆説的な不調の良い点でしょう。早く腫れが小さくなってほしいものです。 あと、どうも少し腰が痛んでいます。肛門の痛みも、最初は腰の痛みがおしりに移ったのかなと思っていたくらいです。ちょっと腰を曲げるとちょっとピキッと痛みが走るときがあります。重いものはなるべく持たないようにした方がいいみたいです。いい具合に体がガタついてきているようです。全く歳はとりたくないものです。 体の衰えを緩和するためにトレーニングをするのですが、まあ今は出来なくて仕方がないです。上半身はいつものをやっておきますが、下半身は難しいですね。というか元々下半身はあまり鍛えられていなかったんですね。ランを取り入れなきゃと思っていたのはそのためもあります。 ただ、いつものトレーニングもちょっと負担になってきていたんですよね。疲れてしまうし、毎日のことでうんざりしてしまって。量は決して多いわけではないので、なんというか、身体のことを考えるならもっと増やしたいと思っていたし、うんざりする気持ちからすれば止めてしまいたいとという、両方の気持ちがありました。なかなか、上手くやるというのは難しいものです。 |
●244.おしりが痛い2022/4/11 |
副反応も癒えて外走りも再開しようかなと考えていたところに、おしりの痛みが発生しました。痔です。ぷっくりとしたできものがあります。外痔らしいです。腫物なので怖い病気だったら怖かったのですが、怖い病気ではないようで、そこは安心です。ちょっとしばらく運動は出来そうにないですね。 さっさと病院に行ったのですけど、病院で待っているときって不安になりますね。この程度で受診しても良かったのかと考えてしまいます。世の中にはもっとひどい症状でも我慢しながら生活している人もいるのになあと、問診票の問いを見ていると思ってしまいますね。初期症状のうちに治した方が絶対にいいので、考えすぎないようにしています。たいしたことないならそれに越したことは無いじゃないですか。症状もないのに受診するのは迷惑でしょうけど。 薬で注入剤が出てましたけど、上手く注入できるでしょうか。肛門の場所、よくわかりません。 |
●243.引き締める2022/4/10 |
概ね唇周りがだらんとしているように感じたので、その辺りを意識して力を込めてみると、案の定すぐ引きつってきて、なんとなく神経が通っていくような感覚があるわけです。他の箇所の筋肉でもしばらく運動していなかったあとトレーニングをするとその箇所が活性化していく感覚がありますが、顔周りでも同じことが起こるようです。表情筋も筋肉なので当たり前ですね。あまり顔が若返っているような気はしませんが、顔を動かすのが楽になってきたようには感じます。 まあねえ、今更イケメンにはなれませんね。そんなものは目指しても仕方がない。神経が五体の隅々にまで通っているに越したことはないと思うので、表情トレを続けていきたいとは思います。 トレーニングで体が変わっていくという感覚を経験するのは楽しいですね。怠け者ではありますが、トレーニングは継続的にやっていきたいです。どうすれば続けられるか、どうして人間は継続していたものをやめてしまうのか、考えることもまた一興です。多分飽きが来た時に一度やめてしまうとずっとやめてしまうものかと思います。 休日には一度走りたいですね。なんか身体のバランスが悪いです。下半身の踏ん張りがきかない。汗もかきたいです。 体重を増やしたいですけど、あまり食べられないですね。少食という程ではないと思うのですけど、食べられる方でもないです。健康に支障が出るほどの痩せでもないからいいのですけど、どちらかといえば痩せ型で、もう少しがっしりした体型になりたいです。なりたいですが、内臓との兼ね合いもあるので、なかなか難しいです。 |
●242.猫背2022/4/9 |
パソコンの前に座っているときは前かがみになってしまうのですが、この時の顔がひどいように思います。猫背だと顔の筋肉が垂れ下がってしまうみたいです。背筋を伸ばして背筋で頭を支えているときは、猫背の時より顔の筋肉も張っているような。私は昔から猫背な人間だったので、所詮容姿は駄目な人間なのでしょう。 猫背は肩もこるのでいいことないですね。きちんとした姿勢でいるに越したことは無いです。良い姿勢の人の容姿を人間はポジティブに感じるようにできているのだとすれば、人間というものは上手くできているものだと思います。 PCをするときはある程度仕方のない部分もありますが、猫背は今からでも直していった方がいいのかなと思います。直します、と言い切らないのが私です。PCの時の体のこりが大きな問題なので、PC周りの環境を見直した方がいいかもしれません。机と椅子を買って姿勢をよくするということですが、そこまでするのはさすがに無理ですね。分かっていても難しいことはあります。私はこれからもモニターの前であぐらをかくのです。 |
●241.スキンケア2022/4/8 |
顔のしわも気になりますが、最近スキンケアなんかもしてしまって、自分に呆れるような面白いような感じです。やっぱり肌が荒れていると老けて見えますね。昔の私の価値観では見た目なんて気にするはずはなかったのですが、いざ老けてみると気にしてしまうものなのですね。スマホのせいで老けているのに気づいてしまったせいです。つまりスマホが悪い。スマホのおかげで今のうちから対策がとれたのだということもできます。 見た目はともかく、表情筋が死んでいたのは問題があるので、そこに気づいて対策がとれたのは掛け値なしに良かったと思います。暇なときは変顔をしているおかげで、唇に力が戻ってきました。それでもほうれい線はなくなりません。歳をとったのだから仕方がないですね。ちょっとはましになっているはずです。徒歩で移動中なんかには、舌回しもしています。あれは作業中には気が散ってしまうので無理ですね。移動中の無為な時間にやることができたことはいいことでしょう。 さてこれがいつまで続くものか。飽きるかしんどくなってやめてしまうことが常なので。続くのなら続けたほうがいいとは思いますけどね。見た目も大事だし、表情が活発に動くことはいいことだと思うので。 |
●240.副反応は終わる2022/4/7 |
副反応は寝て起きたら終わってました。24時間よりはちょっとかかりましたね。ちょっと腕が痛いくらいで、もう元気です。 さてこれから何をしましょう。ランはちょっと再開してもいいかもしれません。それくらいか。ダンスでもしようかと思いつつ、どこで練習すればいいのかわかりません。公園とかなんでしょうけど、人がいるときは無理です。だから日中は無理ですが、日が落ちてからは怖いので無理です。こういう根性が駄目なんでしょう。いっそのこと教室にでも通うかと思わなくもないです。お金がない。いえお金がないわけでもないのですけど、引きこもり気質ですからねえ。こういう根性が駄目なんでしょう。 最近集中力がなくなっていけません。もう少しましな人間になりたいです。大人になって、どんどん駄目な人間になっていっています。若いころはマシでした。いやそうでもなかったような気もしますが、少なくとも若さだけはあったんですねえ。それを言うと、これからの人生で一番若さがあるのは今だということも言えます。 カエサルがガリアで大暴れしたのは40代に入ってからでした。もう少し諦めずに生きていきたいです。 |
●239.体調不良2022/4/6 |
今日はあかんな。どうにもならん。寒気がするし頭痛もちょっとあるしだるい。まあつまりはあれですよ。時間が経つのを待つしかない。何もやる気しない。 元気になった後のことでも考えよう。わからん。なにをすればいいのだ。わからんな。なにをしたいということもない。自由主義の時代に生まれたのに、なにをしていいのかわからない。駄目だな、しんどい。わからないのが体調不良のせいでないのが辛いところです。 しんどい時にしんどいこと考える必要ないですね。元々今日は何もしないつもりだったのです。だらけます。 |
●238.うがい2022/4/5 |
うがいが面倒で面倒で仕方ありません。強迫ぽい性格も相まって毎日毎日しんどいです。3回目受けたら常識的な範囲に収めるようにしたいと思います。 感染者全然減りませんね。もうこの状態で何とかしていくことを考えるしかないのだと思います。常識的な範囲で対策はして、それでも感染したら治す、という感じです。そろそろたまにはランもしたいんですよね。仕事はしているので何とも言えませんけど、引きこもり生活もそろそろ嫌になってきました。というかうがいがきついです。正直私自身は感染しても重症化のリスクは低いので、自分だけのことを考えるとどうしてこんなに気を付けなければいけないんだという思いもあります。感染対策はある程度は利他行動なのですけど、誰も褒めてくれませんしねえ。 勝手ながらそろそろ適当に気持ちを緩めていきます。マスクなしで外出するとかではないですよ。ありえないです。ラントレとか散歩とか、してもいいかな、ということです。多分世間的にはそれくらい好きにしろよ、というくらいのことだと思います。ええ、気にしすぎな性格なのです。 |
●237.歳ばかり取っていく2022/4/4 |
毎日毎日のトレーニングがしんどいです。もう止めたいですけど止めたくないです。どんどんただのルーティンになっていってますけど、やらないよりはやった方がどう考えてもましなのです。 顔もそうですけど、単純な年齢ももうずいぶんとってしまいました。何も為すことなく年齢ばかりかさんでいき、焦りが募ります。もう自分は駄目かもしれないと思うことも一再ではありません。多分実際に駄目なんでしょう。ただ、明智光秀みたいな、晩成のように見える人物もいるので、彼らを思うことで挫けそうな気持ちを支えています。 実際明智光秀は晩成なのでしょうかね。素性がはっきりしない人物なので、年齢はよくわからないのですけど、織田信長よりも年上だったのならば晩成と考えてもいいはずです。三十どころか四十に差し掛かるころにようやく表舞台に姿を現します。そこから一挙といいたくなるくらいの飛躍を遂げるのですから、それまでいったい何をしていたのだと不思議に思う程です。単にやる気がなかっただけで、漸く仕えるべき人物に巡り会えたということなのでしょうか。元々能力はあったはずです。四十に差し掛かっていきなり能力が伸びたなんてことはないと思うのですけど。 カエサルなんかもね、中年以降に活躍した人物ですよね。ただまあ、そういう人も、若年のころの学びがその後の飛躍に生きたのだとは思いますけどね。 生きてりゃなんかいいことあるのでしょうか。私にも何か、この世でやるべきことがあるでしょうか。あるいは自分自身がやりたいことをやるとして、なにをやることが自分の満足につながるのでしょうか。快楽のために生きるのならそれもいいですけど、誰も私の相手なんてしてくれないですしねえ。 |
●236.防御機能2022/4/3 |
表情トレーニングは続けています。マスクしてるのをいいことに仕事中も変顔したり。周りからはやべーやつだと思われているかもしれません。いえ、誰も私に興味なんてないでしょう。 人間はストレスを感じると表情がなくなるもので、それが続けばどんどん表情筋も衰えていくということになります。なんで表情がなくなるのかと考えてみたのですけど、これは防御反応なのではないでしょうか。腕が切られるのを想像すると血の気が引くじゃないですか。あれは腕が切られた時になるべく出血を抑えるためなんですよね。それと同じで、感情もより強いストレスを受けた時に出来るだけ衝撃を抑えるために、反応を抑えているのではないでしょうか。反応というか、物理的に血流でしょうね。血流を抑えていると思います。顔もそうだし、脳に送る血液も抑えて、感情の活動を抑制しているといったところでしょう。だから人間はストレスを受け続けるとどんどん感情を失っていくのだと、私は思ったのですけど。 過度なストレスなら無理に感情出そうとしないで、一刻も早くストレスの原因から逃れることを考えたほうがいいでしょうね。過度でないなら、あえて表情のストレッチをして顔の方から感情を表出しようとしてみるのも一つの手かと。人間内面と外見が完全に分離しているなんてことは無いので、笑っていれば楽しくなったりするものですから。 どの程度が過度でどの程度が過度でないかなんてなかなか判定できるものではないですけどね。死ぬくらいなら全部投げ出したっていいのだ、が私の基本的なスタンスです。出来れば楽しく行きたいですね。どうせ一度しかない人生なのです。 |
●235.レベルを超えている2022/4/1 |
どうも最近腑抜けているというレベルを超えています。どうも人生の目標を見失っているかのようです。うーん、ここを毎日書くようにした方がマシかなあと思いつつ、漸く今日書いています。 スマホを最近買いました。で、自分の顔をカメラで見てみたんですけど、これがもうすごい老けているんですね。いやあ、どうもちょっと落ち込んでしまうくらい老けていたので、どうもどうしようもありません。そういうこともあって、どうも色々腑抜けています。そういうこと以外もですけど、なんというか、集中力がないですね。このまま何もせず死んでいくのでしょうか。辛いですね。どうして生まれてきてしまったのでしょう。 無駄なあがきであいうえお体操なんかをやってみたりしています。それで気づいたのですけど、私はどうも表情筋が死んでいたように思います。死んでいたは言い過ぎなのですけど、全然使っていないので弛緩しきっていたなと。たるみ切ってだらんとしているんですね。刺激してやれば、ちょっとは復活するかもしれません。やっぱり老けていますけど。 元から顔がいいなんてことはないんですけど、やっぱり老けるのはショックですね。生きていれば老けるのは当たり前なのですけど、何もしてきていないだけに、年ばかり取っていく現実を目の当たりにして愕然としてしまいました。このまま何も為すことなく死んでいくのでしょうか。悲しいですね。 これからどうして生きていけばいいのか、ちょっと途方に暮れています。いや、ちょっとだけマジで。うーん、地道にコツコツやっていくしかないのですが、わかってはいるのです、わかってはいるのですが、どうにもしようがありません。 とりあえずここは毎日書くようにした方がいいだろうなあ、と思います。なるべく毎日書きに来ます。あとはあいうえお体操かな。 |
●234.いかんいかんいかん2022/2/24 |
ちょっと腑抜けすぎています。いかんです。なかなかリアルが忙しく、気持ちを持って行きづらかった面はあるのですけど、しかしこれはいかんです。ちょっと色々見なおさなくてはいけません。主に精神面ですね。せめてここにこうやって書けば、ちょっとは気持ちも入るかなあと期待するのですけど、どうでしょうかね。 とりあえず予定も組み直してみます。予定って必ず遅れるのですけど、立てれば切迫感が出てやる気が出てくるので、遅れるからといって立てないより立てたほうがいいのですよね。あと自分に期待しないこと。期待するとプレッシャーに潰されてやらなくなるから。8割、いえ6割くらいと思っていたほうがいいのでしょう。完成しない名作より完成する駄作です。大体人間なんて自分に甘いものですから、自分で10と思っているものも他人から見れば7くらいなので、だから13くらいを目指さなくては…いやこの話は駄目だ。自分にプレッシャーをかけているだけじゃないか。完成しない名作より完成する駄作。進めなきゃなあ。 今年に入ってから映画見てないなあ。これも駄目だ。これも駄目ですよ。駄目だ駄目だと言って、やっぱりプレッシャーをかけているような気がする。でも駄目な自分を容認するばかりでも、進歩がないし…。うまく行かないものです。上手くいかないものですね。 |
●233.やる気が出ない2022/2/22 |
いかんな、いかんな。どうにもやる気が出ません。なにをやるでもなく逃避を続けて、何もしないまま一日が終わります。色々と、ちょっと疲れているせいかもしれません。ただ、日常は疲れるものなので、疲れは言い訳にはなりません。いかんな、いかんな。 スマホを買いました。大体ネットはPCでするので、スマホなんて必要ないなという人間なのですけど、機会ができたので買いました。なんか一万円くらい値引きされるクーポンがあったのです。今時アプリアプリという世の中ですので、持てるなら持っといたほうがいいかな、とは常々思っていたということもあります。 PCがハンディになるだろうとは昔から思っていたことなのですけど、それが携帯電話から進化したものだとは予想していませんでした。PCが小型化していくものだと思っていたのですね。私はコミュ障ですので、対人コミュニケーションツールの需要をいまいち理解できていないのですけど、一般的には欲しがるもののようです。間接的な、情報を取りに行くものとしてのネットは私も大好きなのですけどね。 人と接するのって、疲れるし、なに話していいかわからないしで、苦手です。良く落ち込みます。難しいですね。せめて常識と良識を持った人間であろうとは心がけていますけど、どうでしょうかね。 |
●232.光秀の信長との邂逅2022/2/21 |
『センゴク一統記』の明智光秀が織田信長と初めて会見するあたりを読んだのですが、すごいですね。私が思い描いていた彼らの会見と全く同じ、いえそれを凌駕するようなドラマチックな会見でした。あまりにも合致しているので、読んだことあったかなあと疑いたくなりますが、たぶんこの辺りは読んだことなかったはずです。『天正記』はちょっと読んだことあって、その光秀像には随分衝撃を受けた記憶があります。私の中の明智光秀像は、かなり『センゴク』の影響を受けていますね。 愚痴愚痴を繰り言を述べても仕方がないのですが、雑談として、どうして大河ドラマではこの二人の関係性をこういう微妙な綾として描くことができないのかなあとちょっと思ってしまいます。暴君信長を打ち倒す聖人光秀って、あまりにもステレオタイプで全くつまらないし、史実的にもそうではなかったと思います。人間とは保守的な生き物で、既にそうしたステレオタイプしか受け付けられない人間に向けて作っているのだから仕方がないというのならつまらなすぎますし、新しく作る意味もありません。昭和の作品に今ではステレオタイプになってしまった名作があるのですからそれらを供給しておけば十分でしょう。 漫画作品においてこういうステレオタイプを打破した表現が生まれたということに、個人制作である漫画表現の凄みを見出すことができるかもしれません。尖ったものを作るためには少人数体制でなければならない、マストでないとしてもベターではあるということが言えるかもしれません。多人数体制でもピラミッド型の組織体制を構築すれば可能ではないかと思ったりもしますが、まあ上手いことやってもらいたいものですね。 今年の大河は今のところ私は満足しています。普通大衆の顔色を窺った製作態度ではあの辺の時代(頼朝はともかく頼朝死後)は取り上げないはずなので、それだけでも製作様方の気概が感じられます。関東で内ゲバが始まるらしいですけど、私は全然知らないので、事前に調べたりせず楽しもうと思っています。13人が誰のことかも全然わからない。 テレビって、大河とニュースくらいしか見なくなったなあ。見たくないものを見なくてよいというのは、大人になることのメリットの一つですね。 |
●231.自在の境地2022/2/8 |
うーん、ちょっとモヤモヤしています。職場のことでもないのですけど、ちょっと主張しなければならないことがあって、甘えられる人が相手だったのもあって言いたいこと言ったのですけど、その人が悪いわけではないのにその人のことを責めたような感じで、なんか私自身も嫌な気分です。まあ職場というか、組合ですね。組合ももう少ししっかりしてほしいと。言った相手は窓口になっているだけで、その人が悪いわけではないので、なんというか申しわけないです。他からも色々言われているようでもあって、私にも責められるのだから嫌だろうなあと思います。でもなんというか、職場や私自身の立場についてはどうしようもないくらい不満を持っているので、多少は主張しないと私自身やりきれないのです。なんともうまく行かないものですね。 組合辞めることも選択肢から排除はしていないのですけど、辞めたら嫌がらせされたりするのでしょうか。されそうな気がします。私が勝手に思っているだけですが、なんとなく陰険そうに思います。組合の人間が陰険なのだというよりも、人間というものが陰険な生き物なのでしょうね。辞めるのは、最終手段ではありますね。 毎日のトレーニングのおかげで今私の体は自分史上一番の筋量なのですけど、トレーニングのせいでへとへとになってしまいます。一日10分弱程度のトレーニングなのですけどね。ビルダーみたいな人と比べたら、屁みたいなきつさです。でもしんどいです。しんどいのはいいですけど、疲れてしまってやる気が出なくなるのが問題です。仕事も一応しているわけですし。うーん、たぶんトレーニングのせいにして怠けたいだけだと思うので、勤勉さを忘れないようにするしかないのでしょうね。 なかなか自在の境地にはたどり着けないものです。 |
●230.センゴク権兵衛26巻読んだ2022/2/4 |
センゴク権兵衛26巻を読みました。発売日日付変わった直後から読めるのだから電子書籍は便利です。家から出る必要もありません。 しかしなんとも暗い内容ですね。主人公誰でしたっけ。再出兵が戦乱の時代を活き活きと生き抜いた戦国人としての業のようなものが働いたとする解釈はいいですね。歴史上の事象として歴史の本なんかで読むと、どうしても政治的な観点からの評価になってしまいがちです。物語として読むと政治を動かす立場にあった人間の一人の人間としての業なんかが描かれるので、歴史上の出来事の解釈として新鮮に感じられます。歴史の中の人間が一人の人間として浮かび上がってくるという感じでしょうか。そうしたことも歴史を題材にした物語の醍醐味なのかもしれません。 とはいえ有能だった人間の耄碌した姿を見るのは悲しいですね。人間生きていれば耄碌するのだから仕方ないですけどね。同時代に生きた周りの人間には迷惑でしょうけど。 しかし妙な言い訳をするくらいなら主人公は出さなければいいのではないでしょうか。よく言われているように、どうしても作者が主人公に肩入れしてしまうのでしょうけど。あんなので諫言したなんて言えるわけがありません。一応言ったからいいよねという言い訳にしかなっていません。家臣団を持つ一人の大名として保身に努めるのは当たり前のことで、諫言する必要はないのですし、いうならいうで腹を切る覚悟を見せなくてはなりません。変な言い訳をするのでなく、色々な経験をして猪武者も保身を考えるくらい成長しました、でも十分良かったと思うのですけどね。 次巻で終わりなんですね。仙石秀久の物語ならもう少し続くか、もしくは北条攻めのあと終わっていたかだと思うのですけど。主人公は誰なんでしょうね。秀吉は魅力がありすぎるから仕方ないんでしょうね。 なんか批判しているみたいな文章になってしまった。センゴク好きですし、この巻も面白かったですよ。 |
●229.この世に2022/1/25 |
私は多分この世に何かを残すことなく死んでいきます。無為に日を過ごしていくうちにどんどんそのことが確定していきます。それが無性に怖いです。寂しく、焦りが募ります。残せないならせめて快楽に身を委ねるかと言えば、それもできません。私一人で何とかなる話ではないからです。というよりも、むしろ快楽の生活ができないのだから、せめてこの世に生み出して死んでいきたいというのが本当でしょう。創作はいつでもどこでも、どういう手段でもってしてもできることのはずです。そう信じるしかないのです。結局私は、私の業を地道に信じてやっていくしかないのだと思います。一つ作ればまた新しい展望が開けるでしょう。そういうことを続けていけば、いつかこの世になかったものを作り出すことができるかもしれません。それは喜びではないでしょうか。 上記、私のために書いておきます。時間は刻々と過ぎて行きます。気持ちを切らさず、信じて、出来るだけ勤勉に生きていくしかないのです。 |
●228.戒め2022/1/24 |
戒めとして書いておきます。ちょっと今落ち込んでいます。私はなんでこう駄目なんだろうということです。 詳細を書く勇気は、ちょっとないです。しょうもない話です。例えるなら、道端で見かけた綺麗な女性の後ろをついて行ってしまったようなことです。その例えよりは、私の行動はマシだったはず。多分誰も傷つけていないはずです。誰も傷つけないよう、リスク管理は出来ていたはずです。上の例えでいうなら、目的地に着く前に我に返って逃げ出したというところです。ただ、不審に思わせてしまったかもしれない、というくらいのことはあったかもしれません。女性はすぐ、考えすぎだったかと、日常生活に戻ってくれることでしょう。いやまあ、そういう例えです。実際の私の行動を書く勇気は、ちょっとないです。 しかしあれです。時々性欲に支配されて行動がおかしくなってしまいます。いや、性欲は種の保存にかかわる欲求だから、性欲に動かされるのはおかしいことではないのか? でも社会的動物として、理性的にのっとって動かないと大変なことになります。でも社会ということでいうと、社会で行われている活動のいくつかは、性欲によって行われているようなものではないか、と思ったりもします。 むしろ私が、上手く社会と性欲を折り合わらせるように動くことができない人間だ、というところに悩むべき要素があります。私はコミュ障です。人とうまく付き合っていくことができません。やっぱり上の例で言うと、見ず知らずの女性をつけまわすのではなく、自然と出会った女性と仲良くなることを目指すべきなのですよね。そういったことが、私にはできません。どうやればできるようになるのかも、見当もつきません。<みんな>が普通にやっていることが、私には上手くできないのです。ただ誰も傷つけることがないよう、注意して生きていくしかないです。 どうしてこんな風に生まれついてしまったかなあ。 といって、私は私のことそんなに嫌いではないですけどね。ただ<普通のみんな>のように生きていくことができないし、たまにそうした人々のことが羨ましくなるというだけのことです。<普通のみんな>みたいに生きることは諦めなければならないこと、忘れないようにしないといけませんね。 |
●227.愚痴2022/1/22 |
仕事してるとなんで周りはこんなに真面目にやらないんだろうとイライラしますね。なんで私ばっかりって思っちゃいます。なんというか、一人でできる仕事があればいいのですけどね。どうして阿呆どもと協力しなくちゃいけないんでしょう。悲しいですが、これが私の能力なので仕方がないです。一人で生きていければ、誰も憎まずに済むのですけどね。 あれだな、もっと若いころから、どうすれば一人で生きて行けるのかをもっと真面目に考えておけば…とかいうことは、今に限らずこれまでにも幾度も考えたことですが、これは成り立たない後悔です。昔は生き延びりだけで精一杯でしたから。人生設計なんて、考える余裕はなかったですねえ。生き延びられただけでマシ、という考え方も、あまり出来なかったりします。しばしば、あそこで終わっておけば、という思いに駆られますから。今生きていて、そんなに不快感はないですけどね。でもいつ地獄が訪れるか……。 自分の子供の頃がああだったので、私は子供には出来るだけ自分で考えて行動を決定できる権利をあげたいという考えの持ち主です。子供にしてみれば、大人って邪魔なだけの存在ですからね。大人がいなくたって、子供だけで十分地獄を作り上げることができたりしますけど。私もねえ、大人よりも子供の方が…。でもまあ、私は大人は嫌いです。誰も助けてくれませんでしたから。 今私は誰を助けることもできませんけど、せめて子供の邪魔をしない大人でありたいとは思っています。 |
●226.眠い2022/1/20 |
眠いです。よくあることですが熟睡できなかったのです。熟睡できなくてもそれなりに寝るすべを覚えました。熟睡できなくても、特に問題なく動けます。眠いのに、どうして私は寝ようとしないのでしょうね。24時間が、短すぎる。 やらなきゃいけないことがたくさんあります。どうしてこんなにうまく行かないのでしょう。上手くいかないことだらけです。悲しいです。どうして上手くいかないのか、考えるしかありません。今更遅い気もしますが、いつ考えたって今更遅いと思うものなので、今更と思えても考えるしかありません。とりあえず、やらなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに、何もやらないのはなぜか、その対処法は何か、考える必要があると思います。やるしかないんだ。 寝て、起きて、ご飯食べたりして、やるべきことをやって、24時間が、短すぎる。短すぎる。 |
●225.そろそろ2022/1/19 |
しばらくこの場所の更新を毎日続けていたのですが、そろそろ止めようかなと思います。一個書くのが10分だとして、その時間を別の創作に当てたほうがいいような気がします。10分とも限らないですし、書くことない日もほとんどでしたし。文章を書く練習にはなるので、いい習慣ではあるのですけどね。 書きたいことがあるときはまた書きます。まとまった文章を書く場所があることは良いことです。まあ、日記ですけど。文章とはすべからく論理的なもので、現代社会は論理的な社会です。どんな場合でも、文章を書く修練は役に立つことでしょう。ただ、こう言い切ってしまうと、論理的でない文章に価値を見出したくなってしまうものですが。実際、私の文章も大方支離滅裂なものではないかと思います。文章なんて、書きたいように書けばいいのですよ。それもまた、一つの創作でしょう。 |
●224.性欲に動かされる2022/1/18 |
眠いです。昨日はどうにもちょっとどうかしていました。性欲に支配されて寝るべき時間を随分過ぎるまで起きていてしまいました。なんとも問題しかないムーブです。やばいと分かっていてもどうにもなりませんでしたね。今日休みだったということもありますけど…。三国志みたいな、シミュゲーやってる時もこんな感じになりがちです。まあなんだな、画像を探していたとか、そういう類のことですよ。 性欲なんて言うものがどうしてあるのだろうと、時々考えますが、人間、というか生物はそれがないと子孫を残さないので、種を残すことを本能としている生物としては、これはもうなくすわけにはいかないものです。人間には理性があるので、理性的に種を残せばいいじゃないかと思わなくもないですが、多分そんな動きは上手くいかないのでしょう。ただ性的な欲求を満たしたい、快楽を得たいという衝動だけが、生物を種を残す行動にいざなうのです、多分。 とはいえ、なるべくなら理性的に生きたいものです。近代以来、いえ、人間が文明らしきものを作り始め他の種を圧倒し始めた時には、既に人間の行動原理の多くは理性によって占められていたものと思います。文明の民として、理性の信奉者たるをやめるわけにはいかないのです。 まあ、なかなかねえ。自らのことでも、自由自在に動かすことは難しいのです。 |
●223.調子は悪くない2022/1/17 |
調子は悪くないです。集中できる時もあれば心が散漫になってしまうときもあります。なかなか、心のコントロールは難しいです。人間ですので、色々な欲求が生まれます。疲労もあります。疲労も欲求も、整然とした予定をかき乱す存在です。こうした意識が関係しないところでの様々な揺らぎのあることが生物というものなのでしょう。ロボットであればこういうことは起こらないのでしょうけど、ロボットになったらなったであまり面白くなさそうです。様々な生理的な障害を理解し、その上で予定を立てるべきなのでしょうね。 欲求とは上手く付き合っていきたいものです。過剰な欲求は身を滅ぼしますが、生き物ですので、全ての欲求を捨て去ってしまう生き方はつまらないです。大事なのは自分の本当の欲望を見極め、それをするためにはどうすればよいか、きちんと道筋を立てることですが、なかなかどうも、長いこと生きてきても全然うまく行かないものですね。 |
●222.眠いし肩が痛い2022/1/16 |
眠いです。疲れて眠くなるのは良いことですね。ぐっすり寝られそうです。 絵を描いていると時々びっくりするくらい肩が痛くなります。鉛が入っているかのようです。多分血行が悪いせいだと思います。姿勢が悪いのでしょうか。姿勢は絵を描くときに限らず、いつも悪いのですけど。肩に力が入りすぎな気もします。 真面目進めているつもりなのに全然終わりが見えてきません。描き方を間違えているような気しかしないのですけど、何度考えても今の描き方しかないように思います。デッサン的なことは置いておいて、線が無駄に几帳面のような気がします。でもまあ多分、絵を描くのは時間がかかるものなのでしょう。世の中の絵描きの皆様方は、私よりもよほど時間を費やして絵を描いているものと想像します。上手い絵が世の中には溢れているので、ちょっと途方に暮れてしまいます。 まあ、私は絵描きではないです。上手い人の絵も上手い絵も描けません。私の絵を描くしかないです。絵描きでなくても、素養がなくても、作りたくなったんだから仕方がないのです。そのうち完成させて公開できればなあと思います。作りたいものはまだまだたくさんあるのですけどね。 |
●221.そろそろ2022/1/15 |
そろそろ映画も見ないとなあと思いつつ思うだけな日々です。忙しいは言い訳でしょうね。時間は作るものなのでしょう。多少無理に気持ちを奮い立たせないと見ないので、そうしなきゃいけないようです。しんどいですね。見れば楽しいのですけどね。二時間くらいが消えるのがなあ。 買い物と仕事以外は引きこもっていますが、これは感染が拡大してきたので仕方がないことにしています。引きこもりの性分なので、たまには外出しなきゃなあと思うのですけどね。流石に今の状況で、好きでもない外出をする必要はないでしょう。ここを乗り越えられれば終わりが見えてくるのではないかと、勝手に思っています。状況に対処しなくてはならない方々、特に医療従事者様方や行政の方々ですかね、皆様の頑張りには本当に頭が下がります。私にできることは無いので、せめてできる限り引きこもっておきます。あ、カップ麺は用意しておきました。感染したらこれでしのぐつもりです。 感染したときのことを考えたら、部屋を掃除しておくべきだろうなあ。寝るスペースはあるので、別にいいっちゃいいのだけど。いや駄目か。うう面倒だ。 |
●220.眠い2022/1/14 |
昨日微妙に寝られなかったので眠いです。寝ましたけど、熟睡は出来なかった感じ。イライラしていたのではなく、ついつい寝なきゃいけない時間を過ぎて起きていてしまったのが原因です。つまり自業自得です。自業自得というものは良いものですね。他人のせいにしてしまうのよりよほど精神衛生的に良いです。反省します。融通無碍の境地には程遠いです。 |
●219.集中力はない2022/1/13 |
やらなければならない作業していると、どうにも脳が中断させようとしてきます。あの事を検索してみようとか、あの話題はどうなっているかなとか、あれこれ思いついてそちらの方へ誘導してきます。例えば「明智光秀」のウィキペを見てみよう、とかですね。差し当たって調べなければならない単語では無いに関わらず、調べてみたくなるのです。多分苦しい作業をやめさせたいとを脳が誘導しているのと、脳のリソースが余っていて勝手に色々考えているうちに興味のある単語や話題に行きついてしまうのが合わさるのだと思います。要は集中力がないのですが、集中できるかどうかなんて脳のリソースが余るかどうかなので、どうしても作業によっては集中できない状況は起こります。中断しようという衝動は、どうやらその衝動が起こった瞬間を我慢すればすぐに過ぎるもののようですので、ちゃんとやらなければならないことを見極め我慢するようにすればよいようです。なかなか、脳の発する衝動への命令には逆らい難いものがあるのですが。 筋トレなんかしているときに思うのですが、脳の発する衝動的な命令は、無視しても問題ない場合があるようです。筋トレは、きついな止めたいな、と思ってからさらに負荷をかけた分が成果となるように感じますので、脳の発する、きついからもう止めろ、という命令はある程度は無視しなくてはなりません。もちろんやりすぎると壊れてしまうので、程々にしなくてはなりませんが、ちょっときついな、くらいなら超えても問題は起こりません。何も脳が間違ったことを言っているのではなく、そのまま続ければ壊れてしまうことを警告しているだけなのですが、あらゆる負荷から逃げているばかりでは人間何もできなくなりますので、理性がちゃんと色々なことを計算して行動を決定していく必要があると思います。脳からの警告がセンサーとして重要なのは間違いないことですが、上手く付き合っていきたいものですね。 |
●218.表現のテクニック2022/1/12 |
意味を重層的に持つものはおそらく言葉だけではないでしょう。絵でも音楽でも、人間の行動や表情なんかでも、意味は複雑に多元的に持たせることができます。多分、「意味」というものが現実の中だけに存在する、物理的な存在ではないからでしょう。人間の想像の中だけに存在するフワフワしたもので、揺らぎ重なり変形したり捉えどころなく自由自在です。こうした「意味」に、受容者に気づきをもたらすことが表現にとって重要なことのように思います。こういうことが、異化作用っていうのですかね。こうしたことを意識しておけば、ある程度異化作用をテクニックとして操ることができるかもしれません。いえ、やっぱり難しいですね。 世の中に創作物があふれている時代です。モデルとなる創作物にいくらでも触れることができてしまう時代です。しかし創作とは常に新しさを求めるものでしょう。難しいですが、創作を志す人間には世の中にない新しいものを目指してほしいです。自分でやれという話ですが、どうしたものですかねえ。何か一つくらいは、死ぬまでに世の中になかったものを作ってみたいなあと、思ってはいるのですが。 |
●217.元気が出る会議2022/1/11 |
言葉は時に意味を重層的に持つようになります。これを思いついたのは職場のことを考えていた時のことで、私的なことを語るのはよろしくないのでちょっと創作しますが、例えば単なる定例会議に「元気」と名前を付けた時、その会議に参加する人たちのなかでは「元気」という単語に定例会議という意味が加わることになります。意味が良くわからないと思いますが、たぶん名付けた人は元気な会議にしたかったのでしょう。もちろん「元気」という単語には元々の「活動的である」みたいな意味も元通り存在しているので、その職場の人たちにとって「元気」という単語には二つの意味が重なり合って存在していることになります。 これは言葉がそれそのもの自体は意味を持っておらず、人間が脳内で意味づけすることで初めて意味を持つという特性があるから起こる現象ではないかと思います。「り」と「ん」と「ご」をつなげた言葉は、日本語を使う人たちにとっては赤い果物をさしますが、その他の言語を使う人にとってはそうではない、とかそういう話です。 こうした二重構造、あるいは多重構造は、表現の世界では利用価値があるように思います。「赤い人間」と表現して、実際に髪や服装なんかが赤の人のことを指して、同時にその人が革命思想を持っていることを示唆させたり、といったことです。上手く読み取れた人には、ちょっと面白いな、と思わせることができるでしょう。昔の人も言葉の持つ多重構造が面白かったのか、和歌なんかは単語に二つの意味を含ませたりしていますね。要は駄洒落なのですが、駄洒落って、表現として結構面白いことをやっているのですね。 |
●216.誰に向けての言葉2022/1/10 |
私は言葉を発します。文章も書きますし、得意ではないですが口頭で発言もします。一体何のために言葉を使うのでしょう。私は基本的に独りです。いつも孤立しています。いい歳して自分は特別な人間だというつもりでしょうか。わかっています。私は平均的な人間です。私は平凡な人間です。でも私は<みんな>とは違います。周囲に溶け込むことができません。誰もいない中で一人でいるのは辛くないですが、大勢の中で孤立するのは辛いですね。いや、別にそれほど辛くもないのですが、たまに無性に辛くなります。自分は特別なのさと強がることができるのならそれでもいいでしょうが、私は特別ではありません。とはいえ<みんな>のように周囲に合わせて和気あいあいとするなんて、考えるだけでおぞけをふるいます。無理は良くないですね。 それでも私は言葉を発します。言葉は誰かと情報を共有するために使うものです。誰に向かって発しているのでしょう。よくわかりません。自分自身に向けているのかもしれません。言葉は本質的に論理的なものではありますが、私は出来るだけ論理的な思考や行動をしたいと思っています。 そういえば誰かと会話することは、会話の内容は関係なしになんとなく気持ちがほぐれるような気がするものですね。多分人間は社会的な動物として進化してきたので、誰かと会話すること自体にポジティブな感情を抱くようにできているのでしょう。だから言葉というものは、論理的なものだけが意味のあるものではないということなのでしょう。私はずっと論理的な思考や行動が良いものだと教えられてきましたし、私自身の価値観もそのようなものですし変えるつもりもありませんが、社会的な人間というものは必ずしも論理的な思考や行動は求められていないのです。 もちろん近代以降の価値観は論理性の中にあるものですし、論理性は軽視してよいものではないですけどね。しかし日常レベルにおいて論理性が求められるかといえば、そうではないように思います。 |
●215.終わりの始まり2022/1/9 |
感染拡大の勢いがすごいことになっていますね。当初の報告通りオミクロン株の感染力はすさまじいようです。ずっと私は対岸の火事でいたのですが、私自身の感染も覚悟しなくてはならないようです。自宅療養するとして、薬や食料はどうすればよいのでしょうか。食料は、元気なうちに確保しておいたほうが良いのかもしれませんが、保存食で必要な栄養が賄えるのでしょうか。それでもないよりはましでしょうかね。 ただ、どうやら重症化はしにくい株であるらしいので、これはかねてから私たちが待ち望んでいた変異株とみてよいのかもしれません。他の株を駆逐するくらい感染力が強く、かつ致死性の弱い株が終息のためには必要でした。罹患するけどちゃんと治る病気になってほしかったのですね。感染者のコントロールさえできるのなら、この株は終息の始まりになってくれるのかもしれません。まだ予断は早いかもしれませんが。 とはいえ感染者数の増加の勢いが凄まじいですし、ただの風邪というには毒性が強すぎるので、社会的な混乱は避けられそうにありません。もう少し毒性が弱まってくれていれば良かったのですけどね。自然のことなのでどうにもなりません。症状の軽い人には、ウイルスをまき散らしながら働いてもらうなんてこと、流石にそれはできませんよねえ。私も罹患したら休まざるを得ないでしょうし。逆に私が元気で職場で流行したら、出勤日数が増えたりするのでしょうか。それならそれで別にいいですが、そういうことを責任ある立場の人たちは考えているのでしょうかね。私はもちろん考えませんけど。 あまり感染者数が増えると、また新しい株ができないかも心配です。でも致死性の強い株は感染の広がりは鈍いはずなので、杞憂でしょうか。というか変異自体は変異株として世間に知られているよりも起こっているのでしょうけどね。感染が広がって定着したものだけが発見されて名付けられて周知されているというだけのことで。 とりあえずカップ麺を多めに買っておきましょうかね。カップ麺は日常的に食べているので、何もなかったとしても無駄にはなりませんし。でもカップ麺で必要な栄養が摂取できるかなあ。 |
●214.うつ気味2022/1/8 |
今日はお休みでしたが、どうにも心の調子が良くありませんでした。行動の意欲がわかないし、楽しくないし、何もないのにちょっと泣きそうになるのです。鬱病ってなったことないですが、こういう状態を進めた状態を鬱病と呼ぶのだと想像します。おそらく脳が日常的なストレスを受け続けたことで機能の一部がおかしくなったり停止しているものだと思います。治し方はよくわかりません。無理に楽しいことをしたりするのでなく、ストレスを起こすものから遠ざかり脳を安静な状態に保つしかないと思うのですけど、仕事をしないと口に糊することができないので、どうしようもないですね。人間は不幸になるようにできているのです。諦めましょう。 うつについて、私はうつ状態であるとか、どうにもいうことができないのですけど、なんとなく正式なうつでないということに引け目みたいなものを感じるのですよね。いや、実際にうつではないのですけど、なんとなく、うつといってしまえば気を使ってくださいアピールになってしまうみたいな感じを抱いてしまっています。これはどうにも良くない風潮ではないでしょうか。正式な鬱病でなくともメンタルに支障をきたしているという状態はありうるわけで、そうした人間を周囲が気遣うことは良いことです。そのようにお互いが気遣いあえる社会の方がみんなが生きやすい社会なのではないでしょうか。といって私自身に社会の風潮をどうすることもできませんけど。 風邪気味、があるのだから、鬱気味、があってもいいのではないかと思いました。といって、風邪気味の時に予防する方法はいくつか考えられますけど、鬱気味の時に取り得る手段はちょっと思いつかないですけど。さっさと帰って寝る? でも寝るのもエネルギーがいるし、起きたら仕事に行かなくちゃならない(場合が多い)ですからね。どうにもなりません。人間は不幸になるようにできています。でも、鬱気味という状態があるということを認識し、注意するようにしておけば、ちょっとは違うのではないかと思います。 …上の文章を書いたのが夕方くらいですが、その後だいぶ回復しました。シャワーを浴びたのが良かったのか、性欲の問題かもしれません。シャワールームで熱唱したことかもしれませんね。腹の中に溜まっているものを吐き出すように歌うのです。いずれにせよ、寝るしか仕様がない、ということはないのかもしれません。体力を回復するのが重要なのは間違いないですが。 |
●213.しんどい2022/1/7 |
しんどいです。なるべく自分についての色々なことはコントロールしていきたいと思っているのですが、疲労とストレスはなかなかコントロールしきれないですね。疲労していると意欲もわかないし、行動に移る気も起りません。集中力もなくなりますし発想力も鈍ります。時間ばかりが過ぎて行きます。さっさと寝るしか方法はないのですが、寝るためには歯を磨かないといけないし洗い物もしなければならないので、これがどうにも厄介です。意欲もわかないし、行動に移る気も起こらないのです。寝る前に歯を磨かないと大変なことになるのですけど、これがどうにもいつも厄介者です。しんどいので歯を磨くという行動に移る決断ができない、疲労をとるための睡眠の前には歯を磨かなくてはいけない。二律背反です。疲労を押して歯を磨くしかないのですけど、分かっていても行動に移れません。いやあ、生きるって大変ですね。仕事は、今日でだいぶ楽になるはずです。年末くらいに同じこと言ってた気もしますけど、本当にこれで楽になるはずです。自分のことに集中できるはずです。くそな職場の仕事なんて、いつも適当にして疲労しないようにすればいいのですけど、どうにもできません。いつも一生懸命やったり怒ったりしてしまいます。多分小心者で嫌われたくないのでしょう。どうせコミュ障で孤立しているのだから、世界中から嫌われたってかまわないはずなのですけどね。来世では図太く生まれますように。いや、もう生まれてきたくないな。せめて今生は一生懸命生きます。 |
●212.眠い2022/1/6 |
上の人間が阿呆でいつもいつも疲れ…愚痴を言っても仕方ないか。しんどいです。疲れてなーんもしたくないなあといいながら、ちょっと前に買ったサンレッドを読んだりしてしまいます。なんか知らんけどkindleで破格の値段でした。こんな値段でいいんでしょうか。私には何もわかりません。面白い漫画が安く読めるのはうれしいですが、正当な対価を支払っていないわけで、いいんでしょうか、これ。うーん、理屈としてはいいわけないのですけど、生活者としてはどうしてもセールにはホイホイされてしまいますね。技術の進歩によって年々娯楽は安く提供可能になって行っているので(例えば電子化によって紙の漫画よりも製造コストが格段に下がったこと)、安価に良質の娯楽に触れらることは時代の流れということにしておきましょうか。クリエイターが正当な対価と名声を得られるようにはしておかなくてはならないと思うのですけど。 生活していると、自分も含めて世の中にはどうしてこうも馬鹿ばかりなんだろうと嫌になってしまいますが、世の中に流れる作品なんかを見ると決して人間は阿呆ばかりではないと感じさせられます。どうして尊敬に足る人間は遠くにばかり存在するのでしょう。遠くのものは遠くてよく見えないので醜い点が見えにくいだけでしょうか。あるいは人間は身近には同レベルの人間しか寄ってこないものなのかもしれません。 |
●211.記憶2022/1/5 |
一昨日ライオンにはまって何度も聞いたのですけど、昨日一日全然フレーズを思い出せませんでした。新しく曲を聞いたときは大体こんな感じになりますね。日を経て何度も聞いているうちに少しずつ覚えていくのです。聞いた回数でなく、期間が大事なのですね。多分睡眠が関係しているのだと思います。寝ないと、脳の中に定着しないのです。一度でも聞けば、記憶の中には保存されるのだと思うのですけど、整理されていないのでしょう。寝ている間に整理されていき、任意に自由に取り出すことが可能になるのです。 だから一夜漬けは意味のないことだ、といいたいところですが、そうでもないかもしれません。その次の日のテストのためには良くないですが、人生はそれから先も長く続きます。一夜漬けでも一度詰め込んでおけば、その後の人生の間にそれなりに適切に整理されて何かの役には立つかもしれません。テストって、嫌いでしたし、テスト前に努力するという風潮になんとなく違和感を覚えていたりしたのですけど、テストがあるからテストに向けて努力することができるようになるのなら、努力の動機付けのためには良いことなのかと思います。普段から努力するに越したことは無いですけど、テスト前だけでも努力するならそれなりに意味はあるでしょう。 とはいえ一夜漬けが合理的でないことは間違いありません。人間の学習のメカニズムでは睡眠が重要な役割を果たしているらしいので、普段からコツコツと努力して毎日十分に睡眠をとるのが最も良い方法なのだと思います。十分な睡眠って、人生にそんな暇があるのなら苦労はしないのですけどね。みんな忙しいのです。ただ、睡眠の重要性を理解して、無茶な努力に陥らないよう気を付けるのは大事なことだと思います。 |
●210.ライオン2022/1/4 |
昨日何気なくマクロスFのライオンを聞いてみたのですけど、ドはまりしました。いやこの曲はすごいですね。なんというか、こういういい方は好きではないので、あえて大げさに言っていると思ってもらいたいのですが、菅野よう子さんは天才だと思いました。 出始めから圧倒されますね。耳に残るキャッチーなフレーズでありながら、ありきたりではない。初めて耳にする感覚がどうにも心地よいです。歌詞もすごいです。切迫感がありながら、決して露悪的ではない。適切に節制された凶暴性です。生き残りたいっていう言い回しが素晴らしいですね。急迫でありながら能動的でない、それでいてサバイバルである。こうした世界観を美しいあるいはかわいらしい女性が歌うという、ギャップによる意外性がありながら、受け身であるのでわざとらしい臭みがないですね。ぎりぎりの線を見事にわたりきっていると思います。本気の身体見せつけるまで私眠らないというのも、どことなくエロスと自信を醸し出しながら、同時に気弱さも感じさせる見事なフレーズです。きれい系とかわいい系という対照的なデュオであるのも、なんとも言えないケミストリーが生まれて素晴らしいです。 マクロスって見たことないのですけど、アニメ史の中で重要な位置を占める作品らしいですね。星間飛行はなんか聞いたことがあって、あれも好きですね。アイドルした歌で、豚になって応援したくなります。ただ、ライオンの方が人気あるのもよくわかりました。真面目に聞いていると、ちょっと泣きそうになります。5分くらいで泣かされる経験というのもそうないことなのではないかと。 |
●209.黒2022/1/3 |
そろそろ髪を切らないとなあと思いつつ思うだけです。毎度毎度髪は伸びるので切らなきゃならないのが面倒ですね。不合理ですが、不合理を内包しているのも安定のためにはいいのでしょう。そろそろ髪を切らないといけませんが、面倒で仕方ないです。 世の中には歳を取ると髪が生えてこなくなる人もいるので、私もはげるならはげろと身構えているのですが、父親ははげていなかったので、どうもはげそうにありません。いつまでも若々しくてありがたいですが、人間の真価は外見ではなく生き方にあるので、はげなかったとしても生き様が老いぼれているのならどうしようもありません。カエサルのようにいつまでも若々しく…あんな生き方は無理か。白髪もまだほとんど生えていません。苦労していないのでしょうか。はげたらカエサル、白くなったら司馬遼になったつもりで生きるつもりなのですけど、有り難いことにまだもうちょっと先のようです。といいつつすぐい老いていくのだろうなあ。 折角髪が生えてくるのだから、それで遊んでみるくらいの気概があればいいのですが、どうにも面倒くさくていけません。というか陰キャなんでそんな勇気もありません。どうも、やっぱり精神的に老いているような気がします。イカンなあ。 |
●208.まったり2022/1/2 |
毎日のペースを作っていきたいです。私的な作業について、どうしても忌避してしまうので、どうにか触る習慣をつけていきたいです。トレーニングやこの文章と同じで、時間を決めるというか、PCの前に座った時にまず一度は触るようにすればどうかと思います。トレーニングは、休みの日はともかく、仕事の日は帰ってからまずするということにしていて、なんとか続けられています。作業も似たような形にすれば、ちょっとは進んでいくでしょうか。ご飯が一つの基準ですね。ご飯の前にトレーニングをしていて、食べた後はどうしてもだらけてしまうのですね。ご飯の前に、一度は作業を進めるようにしましょう。 休みの日は、ゲームをしてしまうかどうかで時間の余裕がだいぶ違うように思います。でもゲームもしたいですからね。TPP終わりが見えません。パブジーもたまにやりたくなりますけど、最近やっていません。たまにすると怖いですね、あのゲームは。無音なので。下手ですしね。やらないで済むのならそれに越したことは無いです。でもいつか熱が再燃するような気がします。 嫌な作業なら私的なことなんだしやらなくてもいいじゃないかと思ったりしますけど、嫌だけどやりたいんですよね。やりたいと嫌だとは背反しません。どんな作業でも嫌なだと感じることはあると思うので、楽しいやりたいと思うことだけやっていても何も達成することは無いと思います。考えるべきなのは、どのようにすれば、嫌だなと思う気持ちを抱えながらも、作業に向かうことができるかなのではないかと思います。考えて、いいペースを作っていきたいですね。 |
●207.のんびり2022/1/1 |
のんびり生きたいですね。あくせく生きたいとも思います。随分歳を取ってしまったものだと思うこともあれば、まだまだ若く動くことができるなアと思うこともあります。やりたいことだらけのようにも思えるし、自分が生きる意味は特にないなと思ったりもします。自在に生きたいですが、その術はいくら考えても見えてきません。生きることは不自由なことです。だから生きることは絶望的なことだとも言えれば、だからこそ生きることには生きるだけの価値があるのだということもできます。生きることはどこまで行っても不自由でしかないので、理不尽な不自由とは出来る限り戦っていかなければなりません。行きつく先はわかっているとしても、行きつかないうちは確実ではないのでどこまでも行かなくてはなりません。あくせく生きるしかないです。あくせく生きられればいいですね。のんびり生きたいですけどね。 |
●206.カメラは転がっている2021/12/31 |
部屋の中に転がっているカメラを見て、たまには休日に外に出て写真でも撮ってみたいなと思いました。思うだけです。もう少し活動的になりたいのですけど、だらだらもしたいので、怠け心が勝っていつもだらだらしてしまいます。写真も、真面目に取ろうとすればするほど辛くなるだけでしょうしね。一生懸命やるということはそれだけうまく行かないということも増えるということです。楽しい思いをするためには、苦しい思いを避けることはできないということですね。逃げるばかりでは生きていてもちっとも楽しくなりません。わかってはいるのです。 もう少し時間の使い方が上手くなりたいですね。楽しいこともしたいし、だらだらともしたいのです。一日が50時間くらいあればいいのに。それくらいあれば、睡眠も8時間くらいしっかりとって惜しくないのでしょうけどね。現実は24時間しかないので、上手く使うことを覚えるしかないように思います。とりあえず、興味のないまとめサイトを読むような、わかっちゃいるけどやめられないという時間を減らしていきたいです。苦しいことから逃げても後悔するだけです。今まで散々後悔してきたことを肝に銘じるようにします。 |
●205.肩が痛い2021/12/30 |
今年ももうあと二日ですか。年を取るごとに月日が経つのが早くなるなんて、誰もが実感することを今更いっても仕方がないですね。私はあと100年くらい生きるつもりです。『いだてん』の嘉納先生もそんなようなことを言っていましたね。私もそうありたいものだと思います。たまにさっさと死にたいと思ったりもしますけど、でもできることならあれもやりたいこれもやりたいと思いながら死んでいきたいです。 左肩が痛いです。私はよく肩こり、あるいは首こりに悩まされます。一度朝起きた時首を回そうとしたら痛くて回らなくて、仕事休んで整形外科行ったことがあります。神経が飛び出ていて首のヘルニアみたいな状態といわれました。首を伸ばしてもらってよくなったので、そんなものかと思ってそれからは首が痛くなったら自分で伸ばして治しています。首の血流が悪いんですかね。以前目が覚めた時首の血流が少し詰まっていたらしく、すぐに体に血液が行きわたらず一瞬上手く起き上がれなかったということがありました。その時はすぐに詰まりが解消されて問題なく動けるようになったのですけど、いつか同じようなことが起こって血液が詰まって死ぬんじゃないかと、割と本気で思っているのですけど、どうも年を取るごとにちょっとずつ良くなってきているような気がします。昔首を鳴らす癖があって、これがどうも首によくないと思ってやめたおかげか、メンタルが少しは安定してきたからかもしれません。今ちょっと痛いのは、寒さのせいでしょうか。伸ばしておきます。 |
●204.日々を起伏なく2021/12/29 |
寒いです。でも少し寒さは和らいだでしょうか。たくさん着込んでいるおかげかもしれません。冬は着込めばいいとかいう人がいますけど、着替えの時はどうしても脱がなければいけないのでやっぱり寒いです。あと手は服から出ているので寒いですね。家でも手袋すればいいのでしょうか。靴下は寝るときでも履いてますね、私は。 たまにはイベントごとがあるのもメリハリがついていいものだと思いますが、継続することに意味のあることはどういうときでも休むわけにはいきません。アスリートなんかは、正月だろうとトレーニングは続けないといけませんね。休みたきゃ休んでもいいのですけど、休まずに続けた人間に負けても文句は言えません。適度な休息は成長にとって大事なことですけど、それはイベントごととは関係のない話です。 社会の安定に関係のある仕事も、イベントとは関係なく続けなくてはなりません。警備とか医療なんかがこれに当たりますね。お祭りなんかがあると大勢が騒いで社会全体が休んでいるように感じますけど、実際は見えないところでたくさんの人が働いているわけです。パンデミックにおいてエッセンシャルワーカーとやらが社会の中で可視化されてきましたね。 大型連休における交通渋滞を見たりすると、私はいつもどうしてみんなが一斉に休まなければいけないのだろうと不思議になります。なんでもない日に帰省したって親の顔のありがたさが変わるわけもありません。集約は効率化の一つの手段ですが、行き過ぎた集約はエネルギーのロストに繋がります。それぞれが好きなときに好きなように休めばいいのではないでしょうか。 ちょっとずつ社会の意識も変化していっているのかなと、5年前くらいまでは思っていたのですけど、でもなかなか渋滞がなくなることもないですね。皆様は運転席でのイライラもイベントごとの一つとして捉えているのでしょうか。まあ他人のすることをとやかく言っても仕方ないですね。私はこんな時期に高速に乗ったり神社へ出かけたりはしません。家で丸くなっているのが一番です。自分にとってのハレの日はエネルギー効率と両立させた状態で作ればいいのではないかと思います。できるかな。 |
●203.情熱2021/12/28 |
青天を衝け最終回見ました。正直途中から見る気失くしたのですけど、一応ここまで見たのだからということで何とか最後まで見ました。だから真面目な視聴者じゃないし、批判する資格はないのですけど、それでも自戒も込めて何が悪かったのか考えてみると、色々あると思いますけど一つだけ言うとするとやっぱり情熱がなかったことだと思います。悪いものっていくつも悪い点が見えるものですけど、逆にいいものに悪い点がないかというとそんなことなかったりします。どれだけ悪い点が見えても一つの美点、制作者の俺がこう作りたかったんだからそれでいいだろというような思いの強さのようなものが見えれば、それで満足できてしまうもののように思います。青天を衝けでは、何故渋沢栄一を描こうとしたのか、ちょっと見えてきませんでしたね。渋沢さんのどこに魅かれて主人公に選んだのでしょう。作中ではきれいごとを言うばかりで、なにも伝わってきませんでした。悲しいですが、それが全てです。 全てといっておいて付け加えるのは蛇足でしかないのですが、渋沢さんが平和主義者のように描かれていたのですけど、渋沢さんが平和主義者だったかどうかはともかくとして(渋沢さんが平和主義者であること自体に私は違和感を覚えますが、渋沢さんのことをよく知っているわけではないので、そうならそうとして受け入れます)、当時軍国的だった人もたくさんいた中で、彼らには彼らの主張があったのだから、そこも描かなければ作品として皮相になってしまいます。私自身、彼らの主張はよく理解できませんが、例えば軍備を拡張しなければ列強諸国に侵略されてしまうだとか、日本には資源があまりないから獲得のために侵攻しなければとか、彼らには彼らの正義があったはずなのですね。それを現代的な感覚で主人公にきれいごとを言わせて周囲に賛美させるというのは、なんとも薄っぺらいと言わざるを得ません。 まあいいや。あまり止めておきましょう。悪口は際限なく出てくるものですからね。最終回で加藤友と徳川家達と幣原が出てきたのは、名前だけだったとしても良かったと思います。協調外交に努めた彼らが渋沢上げにだけ使われたのは非常に大変とてつもなく遺憾なことですが、それでも名前だけでも出てきたのは良かったんじゃないでしょうか。原敬も含めて、明治大正昭和期を描くのだからこれくらいはねと、思ってねじ込んだ誰かがいたのでしょうね。こういうよくわからない情熱に、私のような人間は心惹かれるわけです。 あと、徳川家の命運に多くの時間を割くのなら、徳川家達についてももう少し触れればいいのにと思ったのですけど、ちょっとウィキペ見ましたけど(私はイエサトと読むことすら知りませんでした。制作者批判する資格ないですね)彼は一橋とは関係ないのですね。でも語り部があれだしなあ。やっぱり制作者の見ている方向はよくわかりませんね。 |
●202.寒い2021/12/27 |
寒いですね。とても寒いですね。寒いですけど、元気です。秋から冬へ移り変わるころの寒さではちょっと風邪気味になるのに、冬のただなかの寒さでは元気なのは、やはり人間の体が環境に適応するからなのでしょうね。とはいえ油断するとすぐ調子悪くなるので、気を抜かないようにします。 もうすぐ年が変わるのですね。年が変わったからといって何があるわけでもなく、できるだけ変わりなく過ごしていきたいと思う性質の私ですが、社会的には例えばそばを食べたり初詣したりと行事をしたがるのは、日々の中で区切りをつけていきたいからなのでしょうね。日常にメリハリをつけるのだと思えば、その価値もちょっと理解できます。365分の1に過ぎないものをどうしてありがたがらないといけないのかと今までへそ曲がりな私でしたが、確かにだらだらと平たんに毎日を過ごしていくよりは、メリハリをつけながら過ごしていく方が、より意識的に生きていくことができるような気がします。人間世界ではハレもケも両方が大事なのでしょうね。 |
●201.だらだら2021/12/26 |
今日は一日だらだらしていました。駄目ですね。だらけてしまいます。寝不足だったのもあってぐっすり寝られたのですけど、安心感おかげでいい睡眠になりました。睡眠というのは時間よりも質がものを言いますね。と言いつつ、久しぶりに8時間程度寝ました。時間も十分です。気持ちの良い睡眠でした。まだ12月は続いていますし、気持ちを切らしても良い状況ではないのですけど、まあいいか。弛緩できるのならその方が良いでしょう。神経質というのもそれはそれなりに意味のあることで、例えば周囲への警戒を怠らないため危険を察知しやすいなどのメリットがあるとは思いますけど、それでも疲弊してしまいますし幸福感もありません。メリハリをつけて弛緩しても良い時と緊張感を持つときと自在に使い分けられればベストなのでしょうけど、生身の人間というものはそううまくは作られてはいませんね。私は基本的には神経質な人間です。今日弛緩できたのは、だから良いことだったと思います。 |
●200.一区切り2021/12/25 |
昨日の、理不尽な仕事はなくなりました。良かった。安心しました。何故なくなったのかはわかりません。今日仕事行くとやっぱりあれはなくなったよと一言言われただけでした。適当な職場だな。 ちなみに言われなくとも断るつもりではいました。昨日そのイライラのせいでちょっと不眠めいた感じになったのですね。一時間くらいイライラしていて寝られず、これはもう断ろうと決めたら安心して何とか寝付かれました。だから、一旦は了承したことで、心苦しいけど、断ろうと思っていたのですけど、なんか知らないけどなくなりました。良かったのですけど、私の不眠は何だったんだ。 不眠の原因の一つに、ずっとイライラすることを考えてしまうということがあるようですね。頭が興奮してしまって寝付かれません。もちろん気を紛らわすことが必要なことはわかっているのですけど、人間、同時に二つ以上のことを考えられてしまうものらしいです。私は寝るとき、寝付くために空想の物語を考えることがあるのですけど、昨日はどれだけ空想に集中しようとしても頭の片隅では仕事のことを考えてしまっていました。イライラして全く気が休まりません。一睡もできないのを受け入れるのもありかなとは思ったのですけど、私はそんな責任のある立場ではないので、馬鹿らしいので断ることを決めました。自分の限界を知ることは大事なことで、今回ちゃんと諦めることができたので、それは良かったと思います。 さて私基準で忙しかった日々も一息付けるところまで来ました。とにかく今日まで乗り切ることが目標で、何とか来ることができました。ここからは多少楽になります。来月はあまり出勤しなくていいみたいなので、これで一安心です。でもなるべく気を抜かずに、私的な作業に集中していきたいと思います。 というか最近(12月は除外して)やけに有休を消化されているのですけど、おかげで出勤する日が減っていてありがたいのですけど、しかしこんなに消化して大丈夫なのかとちょっと不安です。もしかしたら首を切る準備をしているのかもしれません。怖いですね。クビになったらどうしましょう。未練ののこる職場ではないですが、しかしお金を稼がないと食べていけません。仕方ありません。どうにかしましょう。自分ために使える時間が大量に増えるのは嬉しいですね。いえまあ、本当にクビになると思っているわけではないですけどね。(とはいえ心構えはしておかないとなあ。) |
●199.腹の立つ2021/12/24 |
全く腹の立つことばかりで困りますね。全く上の人間は…いえもうやめましょう。紙に書いてぐしゃぐしゃにして捨てました。怒りはこうすれば消化できるらしいですね。そうですね、実際多少はマシになって気がします。まあしかし、私のこの激情はどうにかしなければなりませんね。血が上って目の前が真っ赤になるようなところがあります。まだ大丈夫なくらいですが、いつか何かやらかさないか心配です。自分がこういう気性であるということを理解して、コントロールすることが必要ですね。気を付けます。 まあでも、いいですよ。今日は、優しい人もいました。ちゃんと見ていてくれる人もいるのですね。だから、もういいです。仕方ないです。収めます。気遣ってくれる人がいることは、有り難いことですね。世の中完全に捨てたもんじゃない。 しかしまあ、ちょっと真面目に働きすぎました。いけませんね。私はもうドロップアウトしたはずの人間でした。どうも、ちゃんとコントロールできていないです。いやまあ、12月が忙しいのはわかっていたことで、それはいいのですけどね。訳の分からない仕事を増やしてくるのが、腹が立つので。あんなのが人の上にいるのだから、天道は非です。世界は間違っています。 でもまあ、今回は収めます。ちゃんと断らなかった私が悪いです。よくやっていると、言ってくれた人もいます。だから収めます。でもこれからはちゃんと手を抜くよう心がけます。あの職場に一生懸命働く価値はないです。 |
●198.疲れた2021/12/23 |
働いていると、よくどうして上の人間はこんなにも馬鹿なのだろうと……思いますけど、もうやめましょうね。こんなところで愚痴を言ってもなあ。疲れました。12月は長いです。 私が仕事を一生懸命するのは、一つには私が手を抜いたしりぬぐいを誰かにさせたくないからなのかと思ったりもします。私がやらなかったとしても、その仕事がなくなるわけではないので、誰かが肩代わりすることになります。そうしたことを起こしたくないから、私は自分にできることはできるだけやろうとするのです。私も、誰かのしりぬぐいをするのは嫌いですからね。 だから私一人で行っている私的な作業は、誰に迷惑をかけるでもないので、割とだらだらとやってしまうのですけど、これもどうやらまずいことだと、この半年くらいでわかってきました。自分のしりぬぐいを自分でするだけだから別にいいじゃないかと思っていたのですけど、人間の持てる時間は有限です。後回し後回しにしているといつかは時間が無くなってしまいます。結局、ちゃんとやるしかないのです。自分一人であっても。 私が一人でやる私的な創作を始めたのは、仕事で周りにイライラすることが多く、そういう時に自分一人で仕事ができればいいのになあとよく思っていたことも一因かもしれません。自分自身にだけ責任を負う作業はどれほど快適だろうと思っていたのですが、一人だと責任を感じることが難しくモチベーションの持ち方が問題ですね。快適ではあります。 |
●197.醜い人間2021/12/22 |
働いていると、よくどうして上の人間はこんなにもあほなのだろうと思います。これは実際に上の人間があほなのではなく、誰かの下で働いているとそういう風に思ってしまうものなのでしょうね。しかしまあ、どうしてああもあほなのでしょうね。全く。あと、仕事中にへらへらしている連中も、見かけると腹が立ちます。こっちは死ぬ気で仕事しているんだぞ。死ぬ気は言い過ぎだな。 まあでも、みんながみんな私のようにカリカリしている職場というのも空気が悪すぎるでしょうね。仕方ないのでしょうね。こんな連中の中にいる私がいけないのでしょう。逃げ出したいけど、他に行く当てもありません。私が悪いのです。 狂人の群れの中では、まっとうな人間の方が狂っているように見えるでしょう。狂っているのは世間か私か。いえ、わかっています、外れているのは私の方です。でも、そうとでも嘆いて気を晴らさないとどうしようもないのです。美しい白鳥もあひるの群れの中では醜いと言われるではありませんか。 |
●196.プログラム人間2021/12/21 |
今日仕事をしているとき、割とスピードが求められる作業をしていたのですけど、その時、意識よりも先に身体が動くという感覚を覚えました。要は脊髄反射で動いていたのだと思うのですけど、割とミスなく(多分)動けていたので、人間の仕組みというのは上手くできているものだなと思いました。目で見て身体が反応して、意識があとからついてくるので、普段とは違う感覚でちょっと面白かったです。自分の体なんだけど勝手に動くのを眺めているような。オートモードなのでしょう、たぶん。人間にもオートモードがあるのです。 そう考えると、人間にとっての意識の役割というものがどういうものなのか、再考してみたくなります。普段自分というものは意識そのものであって、意識が働くことによって自分の全ても動いていると思いがちなのですけど、実際のところそんなことはありません。むしろ思い返してみると色々な動きや反応は意識とは関係のない部位の働きによって(例えば脊髄のような)為されているように思います。今私がこうしてキーボードを打っているのも、意識的に、指が動くように命令しているというよりも、文章を考えるままに指が勝手に動いているという感じです。では意識とは何なのでしょうか。 正直疲れているのであまり考察する気になりませんが、私が私自身というものを捉えるためには意識が必要だということはいえそうです。やっぱり直感的に私が私そのものだと思えるのは意識――意識というよりは思考というべきかもしれません――です。意識によって私は私自身を捉えることができます。脊髄反射的に動いているとき、私の意識は私自身を客観的に眺めていたということが、その一つの証左となり得るでしょう。意識は形而上的思考を可能にするものと考えることができます。 人間以外の動物に意識はあるのでしょうか。自分を自分として客観的に捉えることができることは、人間特有の能力であるように思えるのですが。だとすれば意識は、人間を人間たらしてめているものと考えることができるかもしれません。 |
●195.今日は休日2021/12/20 |
今日はお休みなので一日ゴロゴロしていました。ゴロゴロはしていないか。なにしてたんだ? ゲーム? いや、意味もなくまとめサイトなんか見ていたんでしょうね。生産的なことを何もしないときって、本当にすぐ過ぎて行きますね。だから生産的なことをなるべくするようにしようと思うのですけど、結局なかなかやらないのは、やっぱり生産的なことをしようとするのはしんどいということなのでしょうね。だけどただゴロゴロしているだけでは、自己嫌悪に陥って死にたくなるだけですので、生産的なことをしなければなりません。生きているという実感を得るためには、しんどいことから逃げていてはいけないということですね。 そういえば私はついついまとめサイトを眺めてしまうのですけど、私から何かを書き込むようなことはありません。会話するのが怖いのですね。もちろんリアルでもほとんど会話するようなことは無いわけで、匿名の場ですら意見を述べることを怖がっているのですから、陰キャの極みも良いところだと思います。自分で言ってて悲しくなってきました。それでもまとめサイトを見てしまうのは、人と接している気分が味わいたいのでしょうね。全く、なんという人間でしょうか。コミュ障ならコミュ障で、せめて人を遠ざけて顧みないようにできれば、まだ救いがあるのですけどねえ。 うーん、でもなあ、人となに話していいのかわからないんですよね。わからないものは、わからないのだから仕方がないです。どうしようもない。悲しき怪物です。怪物なんて、大層な代物じゃないか。 |
●194.寒いしんどい2021/12/19 |
いやはや長いひと月になっています。なかなかしんどいですね。元気なんですけどね。仕事をたくさんするときは長くというか、濃く感じますね。余り忙しくないときは淡泊というかすぐ過ぎていきます。公的な時間、つまり仕事でない時間も、自分の作業に忙しくありたいと思っているのですけど、どうにもできませんね。来年は、自分のために忙しい時間をと、どうもこの時期はいつも思っているような気がします。忙しいと、自分の作業へのやる気も出てきますね。自分がまだまだ元気だということもわかってきますし。 『日米開戦への道 非戦への九つの選択肢』という本を、主に休憩時間に読んでいます。内容が面白いのか、自分が興味のあることなのか、読書することが続けられています。どうも最近読書をしなくなったなあと思っているので、続いているだけでも嬉しいことです。買ったばかりでkindleに入っているだけの本もたくさんあるんですけどね。私は日本史的なものに興味を抱くたちで、そういう本の方が興味深く読めるのかもしれません。うーん、無理に読むこともないと思うのですけど、やっぱり色々な本を幅広く読んでいきたいとは思うんですけどね。本は人間の叡智、時間的空間的に遠く離れた人間と対話することのできる手段ですから。 |
●193.寒いしんどい2021/12/18 |
寒いですね。そしてしんどいです。早く12月が終わってほしいと願うばかりです。あ、もう半分過ぎているのか。もう少しの頑張り、かなあ。来月は忙しくなければいいな。 |
●192.忙しさの中に生きる2021/12/17 |
メンタルは戻りました。元気です。でもやっぱり12月は忙しいですね。なかなか、12月以外の月よりも自分の時間を削られることが多く、しんどいです。ただ、忙しいのですけど、身体は割と元気です。どうにも人間というものは、反発というか、仕事のような気を引き締めないといけない状況に身を置いている方が身体が(心も?)活き活きとしてくるもののようです。適度なストレスはちょうどよい刺激となって脳や身体の細胞を活発にしてくれるのでしょう。休日でも引き締まった生活ができればよいのですが、なかなか、一人でなんの責任もない状態に置かれているとどうしてもだらけてしまいますね。 毎日のトレーニングで筋量を維持しているのも体調に影響しているかもしれません。多分この一年くらいが人生で一番の筋量です。毎日10分程度のトレーニングですが、おかげで快適に動けています。自分のやりたいことをやっていくために、体力の維持は大事ですね。気まぐれで始めたトレーニングですが、こうした習慣を作ったことは、向こう何年かのために良かったかもしれません。 トレーニングをしていると分かるのが、負荷をかけることで筋肉が反発して強くなるということです。ストレスも同じようなものなのでしょう。そもそも生きるということが死への抗いなのだろうと思います。抗い続けることがすなわち生で、だから生きているうちはずっと何かに抗っていなければいけないと考えるとちょっとうんざりしてしまいますが、でもそういうものなのならどうにも仕方のないことです。抗い続けて強くなっていくしかありません。 |
●191.動2021/12/16 |
今日は若干モヤモヤしながらの一日でした。人間いつでも良い日ということは無いですね。こういう日もあります。特に何があったということもないのですが。 変わらない日常の中で安心して毎日を過ごすことができるというのはありがたい状態だということを、その状態に慣れてしまうとついつい忘れてしまいます。生きるということは移り変わるということで、本当はいつ何が起こるかわからない状態なのです。まあ、だから生きることなんて碌でもないことなんだと、私はいつも斜に構えてしまうのですが、そうやって悲観ばかりしているのも生産性がないことです。ときにあっちに行ったりこっちに行ったり、揺れ動きながら、いつか死せる我が身であることを忘れず、できれば自分を生かしてくれている周囲への感謝しながら、一日一日をそれなりに真面目に生きていけばそれでいいのではないでしょうか。 |
●190.無限の先へ2021/12/15 |
仕事について、今年はそれほどの忙しさではないようで何よりです。ただ、出勤自体が、自分比で多めなので、年が明けるまでは耐えながらという感じですね。無理することなく、乗り切りたいです。 今年の大河のことなどを考えていると、どうしても批判が頭をもたげてくるのですけど、客観視すると批判するのならお前が作れということにしかなりません。なにも作ったことのない私が何を偉そうなことを言っているのでしょう、ということです。今年私が見たものでいえば、やっぱりエヴァはすごかったですね。人間にはあれだけのことができるのです。庵野監督は、確かに、人間がここまでできるのだという可能性を広げました。もっともっと行きましょう。創作は、どこまでも広がっていきます。人間はこれまでも到達できる場所を先へ先へと広げていきました。私たちはまだまだいけるはずです。まだ先へ、もっと先へ、見たことのない場所へ、どんどん行きましょう。私たちの目の前には無限の地平が広がっているはずですから。 |
●189.戦々恐々2021/12/14 |
明日以降の仕事が怖くて戦々恐々としています。怖がるほどのことは無いんですけどね。人間、今現在起こっていることよりも想像の出来事の方が恐怖を感じるようにできているように思います。何とかなるさという精神が大事です。恐怖というのは、経験から来るものだとは思いますけどね。かつてこういう条件の時こういう苦痛があった、これから同じような条件の出来事があるの、だから同じような苦痛があるだろうということで、恐怖が生じるのです。今の私でいえば、今までになんの仕事もしたことがなければ、恐怖も特にないのでしょうけどね。 ただ、経験があるからこそ何とかなるさの精神で良いのだということもわかってきます。今までにもこれから起こることについて思い悩んだことも一再ではないですが、実際にやってみれば怖がるほどのことではなかったということもよく経験してきました。だとすれば思い悩んだ時間だけ損だという結論も導き出されるので、色々経験してみるのも良いことじゃないでしょうか。まあ、分かっていても怖いものは怖いのですが。 一個一個、目の前のことだけに集中するしかないですね。未見の物には、人間どこまでも恐怖を肥大化させてしまうので、人間の想像力というのはなかなかすごいものだなあと思います。こういうこともちゃんと自覚して、意識的にコントロールできるようになりたいものです。 |
●188.休息2021/12/13 |
しんどいので何をすることもない一日でした。疲れがたまっているときは、なかなか休みの日でもなにをすることもできなくなりますね。勤勉な人間なら、それでもどうにか動くのでしょうが。私は勤勉な人間ではありません。どうすれば勤勉な人間になれるのでしょうか。 それでも原付のオイル交換に行ってきました。今日行っとかないと、もっとしんどい日に行かなければならなくなりそうだったので。オイル交換くらいで威張るなというところですが、私にしてみれば休日に出かけるのだからそうないことです。誰も褒めてくれないので、私が褒めておきます。よくやった。 アフタヌーンで得た知識ですが、自信に根拠はいらないんですってね。いい言葉です。覚えておきましょう。おお振りって、人生訓的にハッとさせられることが多いので、読む価値のある漫画だと思いますが、あれは今も野球漫画なのでしょうか。そもそも野球漫画だと思うのがおかしいのでしょうか。創作を、何かの枠に嵌めようとするのが間違っているのかもしれませんね。読者が読んで収穫があるのであれば、それで優れた漫画なのでしょう。 |
●187.しんどい時はチオビタを飲むのだ2021/12/12 |
やれやれこの数日しんどい日が続いています。今日でちょっと一息、それからまた正念場が始まります。年が明けるまではしんどいですね。 この数日はチオビタのお世話になっています。プラセボのようにしか思えませんが、プラセボでもなんでもなんとなく元気が出るので助かります。私の家はずっとリポD派ですが、私はチオビタを買います。私が子供のころ、母親が、リポDが売り切れだったか何かの時に、店の店員さんにチオビタは同じタウリンの量で安いですよと勧められて買ってきたときがあって、その時私はそんなものかと思って飲んでみたところおいしく飲めたので、店員さんの言うことも一理あるなあと思ったことがあります。そんなことがあってもうちの派閥がチオビタに転向することもなく、それからも冷蔵庫の横にはリポDの箱がいつも備えられていたのですけど、だからケチな私は自分で買うときはチオビタを買いますね。リポDもおいしいですけど、チオビタもおいしいですしね。 タウリンって、どういう効能があるのでしょうね。プラセボのような気しかしないんですが。でもまあ、なんとなく元気がでる気がします。気休めでもなんでも、元気になるのならいいです。しんどい時はチオビタを飲むのだ。 |
●186.傲慢な欲望2021/12/11 |
今日アフタヌーンを読み返して、ちょっと昨日の文章を訂正すると、人間は二つのことを同時にできないのではなくて、二つのことを同時にしようとすると余計なことを考える余裕がなくなるということでした。考え方自体は、昨日の文章の通りのようですね。ちょっとだけやってみた感じ、確かにわかるような気もします。気のせいかもしれませんけど、気のせいでも効果があるのならやる価値はあるでしょう。漫画では、60を一つのまとまりとして、60数えた数もカウントしていくということ(つまり60数えて1分、また60数えて2分)をしていたのですけど、そこまではちょっと難しいですね。これは、単に数えるだけなら惰性できてしまって脳のリソースに余裕ができてしまうので、もう少し複雑にしてリソースを失くさせようということなのだと思いますけど、どうでしょう。できるでしょうか。出来る出来ないはどうでもよくて、面倒くさいと思う心をなくすことが眼目なので、億劫だと思う気持ちがあるときはちょっと複雑な数の数え方をするようにすればいいのかもしれません。 集中力が必要な作業の時には、当然ながら数を数えるのは避けたほうが良さそうです。例えばこうやって文章を書いているときに、頭の片隅で数なんて数えていると、訳の分からない文章にしかならないでしょう。大事なのは、脳の状態をコントロールすることですね。 面白いのは、つまり脳っていうのは余裕があればそれでいいじゃないかということではなくて、余裕があれば勝手に使ってしまい不具合が生じてくるということですね。脳っていうのは人間の一部、一部というより主要な部分なわけですけど、そのくせ意識を離れて勝手に動いてしまうものらしいです。まあそれならそれで別にいいのですけど、人間の営みとはすごいもので、勝手に動くなら勝手に動くで、性質を理解して、コントロールする方法を考えようとするのですね。なんというか、人間が自分自身のことについてもわからないことだらけだということも面白いし、それでもその性質を解き明かして自在に操ろうとする(傲慢とすら言える)精神性も面白いです。 |
●185.猫の漫画2021/12/10 |
職場の休憩室に月刊アフタヌーンが置いてあるので、私は率先して読んでいます。アフタヌーンにはいつも元気づけられるので好きですけど、好きなら購読すればいいのにと思いますけど、買ってはいません。今購読している雑誌はないので、買ってもいいのですけどね。定期的に読む何かがあってもいいなあと思いつつ、行動していません。基本的に守銭奴ですので。アフタヌーンにお金を出す価値がないとは思っていませんよ。私がずるいだけです。 んで、アフタヌーンの漫画で得た知識なのですけど、面倒くさがりを直すためには数を数えながら行動するといいらしいです。ん、ちょっとちゃんと理解できていないな。行動に移す前、面倒くさいなと思っているときに数を数えればいいのか? それとも行動しているときに? 既に行動に移れているのであれば、面倒くさいと思いつつも行動できているのだから、それでいいような気もするのですけど。なんにせよ、面倒くさがりな人は数を数えればいいらしいです。なんか、人間は二つのことを同時にできないとか、説明されていました。つまり、数を数えることで、面倒くさいと感じる余裕をなくすということでしょうか。そううまく行くものでしょうかね。 自分の面倒くさがりには私も手を焼いているので、試してみようかなと思います。こういうのって、やってみようと思いつつ、三歩歩くうちに忘れてしまうので、とりあえずこんなところにメモしておきます。もし未来の私がこの文章を読み返すことがあれば、思い出して試してみてください。部屋の掃除とか、ちゃんとやれよ、私。 |
●184.熟睡できない2021/12/9 |
今日は熟睡できませんでしたが、それでもそれなりに元気でした。よくあることですが、どうも寝る時機を逸してしまい、この睡眠時間ではしんどいだろうなあと思うと、寝なければと緊張するのかどんどん寝付かれなくなってしまいます。私の今の生活習慣ですと、六時間を切ると駄目ですね。起きる時間から逆算して六時間を切るようですと寝付かれません。それでもいつの間にか寝入っているものですけどね。ただ、熟睡ということは無いです。レム睡眠? ノンレム睡眠? どっちがどっちだか忘れましたが、ずっと夢を見ているような感じです。 それでもある程度は元気でした。睡眠は大事ですけど、大事だから寝なければと考えすぎるのもよろしくないようです。とりあえず動けるのだからいいやと思うくらいの方がメンタル的にも良いでしょう。今日のような、寝られていなくてもそれなりに元気だったという経験も、だから今後のメンタルのために良かったのかもしれません。とはいえ、もちろん早く布団に入るようにするのが一番ですけど。 起きなければいけないというプレッシャーも睡眠のためには良くないです。私はいつも携帯の目覚ましを使っていますが、仕事の前の日はちゃんとセットできているか何度も確認してしまいます。これは強迫障害の方ですね。目覚ましが鳴らなかったらと思うと怖くて仕方ありません。そのくせ、起きるときは割と目覚ましが鳴る前に目を覚ますのです。どうして何も鳴っていないはずなのにその時刻に目を覚ますのか不可解ですが、そういうことがよくあります。寝ているときって、もちろんはっきりとした意識はないのですけど、どうもなにがしかの意識のような何かが働いているように思います。これも熟睡は出来ていないということで、健康に良いはずはないのですけど、どう直してよいのやら見当もつきません。むしろこれでも元気に動けているので、これでいいのだろうと開き直る方が、メンタル的には良いようにも思います。開き直ることのできるメンタルが手に入ればいいのですけどね。 |
●183.軍縮2021/12/8 |
ちょっと阿川弘之の『山本五十六』引っ張り出して読んでたら、軍縮条約は日米英比が三対五対五と書かれていて、私は七対十対十だと思っていたので、記憶違いをしていたのかなと思っていたんですけど、ウィキペ見たけどよくわからないですね。戦艦なら三対五のように思います。第一次ロンドン軍縮で日本が七割を主張していたのに対し少し削ることを妥協した(6.975割)と書かれてあったりしたので、大体七割という認識でいるのですけど、それでいいですかね。六割と6.975ではだいぶ違いますけど、まあいいか。 NHKのニュースで山本五十六の話題になって、新資料によって山本の新たな側面が明らかになったみたいな紹介のされ方をしていたのですけど、ちょっと違和感がありました。山本が条約派だったことは周知の事実では。新資料が発見されたのはそれはそれでトピックなんでしょうけど、それは山本の以前からそう認識されていた、協調派としての側面を裏付ける意味合いはあっても、新しく認識するような何かがあったようには思われません。世代の問題でしょうか。私は何も知らないところから阿川の小説で知ったので、そこに書かれている人物像がそのまま私の認識ですけど、戦時中に生きていた人たちなんかは、連合艦隊司令長官として勇敢に喧伝された山本像しか持っていないかもしれません。その辺に配慮したのでしょうか。とはいえ山本が条約派だったことくらい、ちょっと調べた人なら誤解しようがない史実なんですから、もう少し別の紹介の仕方がなかったかなと思いますね。 しかし私はNHKが好きなんだねえ。いやまあ、別に好きじゃないんですけど。いやはや。 |
●182.軍縮2021/12/7 |
ロンドン海軍軍縮条約で概ね日米英で七対十対十の割合に海軍の規模が制限されたわけですけど、七に抑えられた側にしてみれば小さく抑えられてしまったという感覚を持ちますが、考えてみれば、十に定められた側も十までに抑えられていると言えなくもないです。つまり米英は日本に対して七分の十までしか持てないのだ、それ以上増やしてはいけないのだと考えていいのですよね。例えば日本の艦数が七隻だった場合、米英はそれぞれ十隻までしか持てないのです。だから条約は日本の軍拡を抑制しているとともに米英の軍拡も抑制されていると考えてもいいはずです。当時の日本の軍部からすれば屈辱も良いところでしたでしょうが、しかし潜在能力も含めたそれぞれの工業力を考えた時、どちらがより抑制されているという度合いが強かったかといえば、結果論にはなりますが明らかでした。 もちろんこんなことは当時のこの国の指導者レベルではわかりきっていたことで、だから時の政権は条約を批准したのですけど、その後の進展を考えれば軍部の視野は狭窄だったと言っていいように思います。というか現場レベルである軍部が憤るのはある程度は仕方のないことなのですけど、だからこそ政治判断は政治レベルに委ねないといけないところを、統制が乱れて各セクションが勝手に暴走を始めたところに問題があったように思います。 まあ、私は浜口シンパですので。当時の民政党政権は敗北したといっていいと思いますが、彼らの政治態度は決して間違っていなかったということは、きちんと評価してあげたいと思います。 |
●181.ぐうたら2021/12/6 |
ぐうたらして一日つぶしてしまったときのやるせなさは堪えがたいものがありますね。ダメ人間だなあといつも思っています。十二月はしんどいから仕方ないんだと開き直っておきましょうか。世の中で成功している人たちは、開き直ることもなく毎日コツコツ続けていった人たちなのだと実感します。この世界は理不尽なことばかりですが、私が今の自分に満足していないことだけは、自業自得だと納得できます。 今年の大河も毎週見ているので、終わったら感想書こうと思っていたのですが、どうも冒頭を見逃すことが多くて書く資格がないような気がしてきました。端的にいうと、冒頭を見逃すことが多いというのがそのまま私の評価です。まとまった感想を書かないかもしれないので、ここで一言だけ言っておくと、視聴中ずっと「学芸会」という単語が頭の中から離れないということです。大河ドラマって、結構なお金をかけていると思うのですけど、間違っているのですかね。いえ、あまり言うのは止めましょう。あと数週ですか。今更視聴をやめることもないですね。暇つぶしにはなるんじゃないかと思います。 媒体の問題なのでしょうかね。映画なら、視聴する価値のあると思わせるものが数多くあるのですが。映画はニッチ層に向けて作ることができても、テレビドラマはマスを意識して作らなければいけないのかもしれません。いえ、国策(オリンピック)ドラマでありながら制作者の趣味(落語)に走ったドラマも(良し悪しは別として)ありますので、媒体は言い訳にならないと思うのですけど。 私はあのドラマ好きでしたよ。良し悪しは別として。まあ、視聴率が惨憺たるものだったことからの判官びいきもあるのですけど。 |