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●120.パソコンが不安定2021/10/6
 パソコンちゃんの調子がちょっと不安定です。急に電源が切れたような状態になります。すぐ点くのですが、開いていたアプリケーションは全部閉じられてしまうので、作業中なんかは困ります。というか単に不安定だと不安で困ります。まだ買って一年ちょっとなのですが。埃がたまっているとかなのでしょうか。掃除するのは、怖いんですよね。二つ前のパソコンちゃんは掃除して壊してしまったので。だいぶ重くなっていたところ、カバーを開けて入念に埃を払ったら、どうもとどめを刺してしまったらしいのです。だからもう、開けたり触ったりしたくないですね。何とか、持ち直してほしいのですが。ハード面の問題でなければいいなあ。
 デジタル社会って、すでに到来していると思いますけど、私はまだ足りないと思っているクチですけど、機械の故障というのは必ず起こるもので、あまりにも生活の中でデジタル化が進んだ社会となった場合、機器の不具合が生じたときにどう対処するか、というのは一つの課題なのかもしれません。修理なり買い替えるなりするとしても、機器に問題がなくなるまでの間どう過ごせば良いのでしょう。スペアを確保しておく、という解決法はあるかもしれません。しかし全ての家庭、家庭はおろか個人が二つ以上の機械を持っておくべきなのでしょうか。例えばテレワークのことを想定しているわけですけど、そうですね、仕事となればそうすべきでしょうか。しかし、十万円くらいはするものを、不具合もないのにもう一つストックしておけるものでしょうか。仮に五年問題なく使い続けられたとして、五年もたてば技術は進化しているわけですから、新しいものに買い替えるとして、新品同然に保管されているスペアはどうすればよいのでしょう。使われることなく廃棄処分となってしまいます。しかも、決して安いものではないですからね。なかなか、難しいものです。パソコンに依存する社会というものが、間違っているのかもしれません。
 というかもう、デジタルといってもパソコンの時代ではないのですよね。私はパソコンちゃんが大好きですけど、若い世代はスマートフォンらしいです。いえ、世代は関係ないですね。はい。
●119.『青天を衝け』のこと2021/10/5
 『青天を衝け』を毎週見ています。明治に入って漸くちょっと面白くなってきました。渋沢さんって、偉人としての業績を挙げたのって明治になってからだと思うのですけど、どうしてずっと幕末の話をしていたのでしょうね。わからないでもないのですけど、私はもう幕末は飽きました。一代記を描くのだから若いころのことをやる必要があるのはわかりますけど……仕方ないんでしょうね。業績がよく知られている人なら、逆に若いころをメインに描くというのはありだと思いますけど、それは変化球としてなんですよねえ。といって、あと三か月くらいはあるのんですね。6割くらいは前半生だったのか。そんなものでしょうか
 打つ手打つ手が的を射ていて、周囲からも評価されていて小気味よいのですけど、俗にいう「なろう的」という気もしますね。偉人を描くのだから、有能な人物描写になるのは当たり前なのですが。昔から、歴史物語というのは「なろう的」ですよね。功績を挙げた人が主人公なのですから。昔の人だって、小説を読むとき、有能で周囲からの覚えもめでたい主人公に自分を投影して、気持ちよくなっていたのです。もしくは、歴史上の人物を上から目線で批評することで、彼ら偉人よりも偉くなったような気になれるんでしょうね。いえ、私も歴史小説は好きですよ。「なろう小説」を批判しても仕方がないな、という話で。そう思いつつ、食わず嫌いで読んでないんですよねえ。というか、小説自体、あまり読まなくなりました。
 渋沢さんについては、あまり知らないし、ドラマが終わるまでは情報を仕入れないようにしています。いわゆるネタバレがないほうが、ドラマを新鮮に楽しめるのかな、と思うからです。日本経済の父とか呼ばれている人だということくらいは知っていましたけど。明治政府に出仕していたんですね。「日本経済の父」だの「たくさんの会社を作った人」だのという紹介のされ方から、大臣を務めることはなかったんだろうということで、元幕臣だから明治政府からは阻害されていたのかな、と思っていたのですけど、意外と明治政府も懐が広かったのですね。大臣を任せるほどの了見はなかったようですけど。勝海舟はともかく、榎本武揚なんかも、確か何かで出仕していたような気もします。藩閥政治や軍閥政治ばかりやっていた狭量な政府というイメージがちょっとある政府ですけど、一応日本全体のことを考えて運営されていた政府であるようです。
●118.忍耐力がない2021/10/4
 最近、ということでもないのですが、時間がかかるようなことを忌避しようとする傾向があります。例えば映画なんかが、見れなくなりました。二時間かかると考えるとどうも、億劫なのです。今日でも、MGSVやるぞ、と思うのですけど、ストーリーを進めることができません。ムービーとか始まったらめんどいし、という気持ちになってしまうのです。どうも、時間の使い方が下手というか、人生損しているなあと思います。
 というわけでFOBのスカルズ襲撃をやったりしてました。スカルズ戦は、なんといってもカウンターCQCがかっこいいのです。スカルズ戦は音が大事なのですけど、おかげでスカルズがぴょんぴょんする音が耳の中でリフレインしています。
 上手いことカウンターのループで倒せればいいんですけど、どうしてもミスが出て逃げられて硬化されてしまいます。硬化はちょっと理不尽に感じますね。硬化中は攻撃しても効果がないように思います。回復されて防御力が上げられてしまうのは仕方ないとしても、コーティング中は無防備になる、とかでないと不公平ではないですか。変な話、向こうからしたらちょっと体力が減ったら硬化すればいいだけのことになってしまいますから。プログラム上、そうして来ないだけのことで、戦略上、向こうには必勝法があるということになります。というか距離取られたらどうしようもないんですよね。離れて銃打たれたら、ガンガン体力が減っていきますから。どうも、なんとも理不尽に感じます。何か上手いやり方があるんでしょうか。
 面白いんで、ついついやっちゃうですけど、気になるところってどうしても出てくるものですね。
●117.ちょっとさみしい2021/10/3
 ある時期から私は仕事の勤務日数を減らしてもらっているんですけど、周りが私よりも働いているのを見ると、ちょっと引け目を感じてしまいます。もう私はこの人たちと堂々と肩を並べることはできないな、と思います。私は嫌な人間なので、周りの人間のことは大半が嫌いですけど、尊敬に足る人間もいます。でももう、その人たちと同レベルに自分を置くことはできないのです。ちょっとだけ、さみしいです。今更もとに戻す気はないですけどね。お金を稼がなければならないので、働いているだけですから。完全に割り切れればいいのですけどね。なかなか、あまり働かなくて申しわけないなとか、思ってしまうわけです。ここで吐き出せば、ちょっとは楽になるでしょうか。
 私は人になじむことができません。悲しく感じるのは、私は人と馴染みたいとは思っているということでしょうね。でも何を話していいかわからないし、どうしようもないです。そういう人間もいるのです。そういう人間も、世の中にはたぶんたくさんいるんだろうなということにして、ちょっとだけ自分を慰めて涙を拭きます。泣いてないです。
●116.楽毅のこととか2021/10/2
 先日ちょっと文章を書いたんですけど、そこに気取って隗より始めよ、なんて書いちゃいました。隗より始めよって、身近なところから改善していけ、みたいな意味で書いたんですけど、間違ってはいないんですけど、この言葉はさりげなく自薦するときに使うといいんですよね。郭隗が自薦するときに使った言葉ですからね。ちょっと違うかなあ、と思いつつも、衒学趣味で使っちゃいました。こういう時に慎むことができるかどうかが、文章の気品を決めるのだ、と思います。
 郭隗は古文の故事成語で習った記憶があるのですが、宮城谷昌光の『楽毅』に登場していたのも印象深いです。見事な自薦をした人ですね。詭弁をもてあそんだのではなく、実際に楽毅他の有能な人材が集まったのだから見事なものです。
 宮城谷昌光は、楽毅が燕に仕官したのは老年になってからという説もあるけどそれは自分の楽毅像に合わないからその説はとらないよ、なんて述べてますけど私はそれを読んで、むしろ老年だったほうが色々説明できるのではないかと思いました。連合軍の指揮を執ったんですよね。弱小の燕の将軍が、連合軍の総指揮官に推されるのだから、それなりの実績のある人だったのではないか、他国に聞こえるくらいだからそれなりに長い戦歴の持ち主だったのではないか、と考えれば、老齢だったと考えるほうが、妥当に思ったりしました。どうでしょうね。いずれにせよ、燕に仕官してから成した戦績は膨大なものです。
 楽毅は見事な文章を書いた人ですね。恨み言を述べるのに、直接は何も書かないのがいいです。先王の恩を述べるだけで、それに引き換え跡を継いだ貴方は、なんて言わないんですよね。言わないけど、自分を左遷した現在の王について、きちんと罵倒できているわけです。言ってしまうと、文章に品がなくなってしまいます。なにを書いて何を書かないか、その選択が文章の格を決めるのです。
●115.自戒2021/10/1
 自分への警告ですが、休みの日の前の夜に、だらだらと夜更かししてしまう癖はいい加減何とかしないといけないですね。起きると、午前が終わっているので、どうも一日が短く損した気分になっているうちに一日が終わります。時間を取り戻そうと焦り、焦れば焦るほど現実逃避もしたくなり、結局何もすることなく、嫌いな自分にさらにがっかりする理由が加わる結果となってしまいます。行動に、頭に、時間の使い方に、メリハリをつけなければなりません。どうすれば、できるようになるんでしょう。わかりません。わからないけど、やれるように目指さなくてはなりません。そうでなければ、私はもう死んでいるのと同じになってしまうからです。
●114.季節の変わり目2021/9/30
 いつもより若干お腹が減りやすくなっている気がするのですが、季節の変わり目でエネルギーの消費が大きくなっているのでしょうか。この季節、いつも髪がよく抜け落ちている気がします。換毛期なのでしょう。いつまで獣気分でいるのでしょうか。生物として、上手いことできているものだという気もします。冬の食糧難に備えて、体が食料を欲しがっているのかもしれませんね。季節によって、体重が増減するようなことはないのですが。
 暑さは和らぎ、寒くもなく、過ごしやすい季節です。過ごしやすい季節って、いつも気づかないうちに過ぎてしまいがちですけど、暑さ寒さがちょうどよい季節って、確かに存在しているのです。なんといっても、寝苦しくないのが良いですね。暁を覚えなくてよいような生活でないのが、残念なところです。毎日やることがあるのは、幸せなことなのでしょうけど。だらだら起きることなく、さっさと布団に入ればよいことなのですけど。
 寝るのは気持ちが良いですね。気持ちの良い眠りをとることができるということが、有り難い幸せなことであるということを、私は知っています。人生には、いつどこに落とし穴があるかわからないものです。大事なのは落とし穴に落ちた時に、慌てず這い上がること、それから落とし穴の存在を知り、なるべく注意しながら歩くことでしょうか。寝ることが気持ちの良いことだと言える生活を、できるだけ長く続けたいものです。
●113.落ち着いている2021/9/29
 どうも気分が落ち着いて何かを考えるような気にならない状態になっています。それまでになんか興奮して色々考えたからでしょうか。何か、考えるだけ考えて結局形にはならないのかもしれません。いえ、創作的な話ではないのですが。形にするのを怖がっているのかもしれません。思考を集中するのも疲れるので避けたいことだし、何より自分が自分で思うほどいい文章が書けないことを直視せざるを得ない状況になるのが怖いのです。自分には、いつもがっかりしています。いい加減、間違った期待をするのを止めなければなりません。
 なんというか、例えば政治批判をしようとしているんですね。いい加減、リベラルも政権を担えるだけの識見を持つようにしろ、というような。でもねえ、政治家の皆さんも、彼らなりに一生懸命やっているんですよね。やっていることが、どうも間違っているというか、ちゃんと前向いて進めていないように見えてしまうのですけど、でも一生懸命前を向いて進んでいこうとはしているわけです。そういう人たちを、私のようななんの覚悟も識見もない人間が徒に批判していいんでしょうか。思考していた時は威勢が良かったんですけど、何とも落ち着いてしまいました。
 文章って、頭で考えているうちは簡単に書けそうな気がするのですけど、いざ実際に書こうとすると、論理的に組み立てなければならないし、適当な言葉遣いをしなければならなかったりで、非常に集中力と時間が必要となって骨が折れる、ということになります。人が読むに堪えるものを書こうとすればなおさらですね。世の中に文章は満ち溢れていますが、文章で生きている人間はそれだけですごいことだと思います。その中でも、読む価値のある文章を書いている人間は、尊敬に値する人間です。
 文は人なり、なんて言いますが、文章には、文章に対する姿勢がそのまま表れるものだと思います。丹田に力を込めて、高くあろうと生きる人間に書かれた文章は、そのまま高い文章となるものではないかと。
●112.ちょっとずつ運動を再開する2021/9/28
 体調も戻ったので今日から毎日の10分ほどの運動を再開しました。3日くらいやらなかっただけで随分なまってしまったように思います。思うだけで、実際はそうでもないはずなのですが、体のキレはもう全然ですね。キレっていったい何なのでしょうね。投手の投球にも言ったりしますけど。切れ味……鋭さでしょうか。体のキレっていうのは、動きというか動かしたときの感じの良さでしょうかね。とにかく、体はもう衰えてたぷんたぷんになってしまったのです。ならねーよ。
 ズルズルやめないためにちゃんとやりました。あとは面倒がらずに続けていくだけです。しかし何というか、毎日やらないと維持できない状態というのは、やっぱり不自然な状態なのでしょうね。あるべき姿ではないというか。もっとも、生きている状態というのが、本来不自然な状態ではないのではないか、とも思います。日々、いえ一瞬ごとに同じ状態ではない、非常に不安定な状態ですからね。どうにもあるべき姿のように思えません。といって、そもそも現実に存在しているものは全て、一瞬たりとも同じ状態ではない、不安定な物体である、ということはいえます。現実に生きている我々は、実はとても揺らいでいる不確実な存在なのかもしれません。
 そう考えれば、むしろ気楽に生きられるようにも思います。どうにも今や未来に悩むことが多いのですけど、ありうべき自分などないと見極めて、できるだけ自由に、自在に、生きていくことができればいいですね。
●111.体調は良い2021/9/27
 寝て起きたらすっかり体調は良くなっていました。体調が悪い時は、いつまでもこの状態が続きそうな気がして辛いのですけど、ちゃんと良くなるのですね。ちゃんと良くなるのだ、ということを見越して辛い状態を乗り切るのも必要な心構えかと思います。出口が見えれば頑張れることもあるかと。今のところ、私の体に先の見えないような病気などないのは、これは幸運以外の何物でもなく、何者かに感謝するほかありません。人間は生まれながらに平等ではないのです。だから自らの置かれた幸運な状況を理解し、感謝し、できれば他者に還元するよう生きていくしかないように思います。私は、なにも還元できていないですけどね。感謝は忘れないようにしたいです。
●110.体調が悪い2021/9/26
 今日は少し体調が悪かったので一日寝てました。一日何もできなかったですけど、仕方ないですね。体調が悪くなると、普段健康でいるときの有難さがよくわかります。願わくば良くなった時に生まれ変わったような自分になりますように。もう大分体調は良くなったんですけどね。
 倦怠感があって何もやる気が起きませんでした。やる気が起きないのは、体調が悪いせいかなと思いきや、案外いつものことだったりします。普段からもっとメリハリのある生活をしなければならないと思います。難しいのです。今だって、歯を磨かなきゃなあと思いながら、結局だらだらとネットなんかをやってしまっているのです。一度読んだ記事を、もう一回読んだり。体調…悪いのか? 歯磨いて寝ます。明日はもっといい自分になれますように。
●109.堀端を歩いた2021/9/25
 今日は出かける用事があったので片道1時間くらい歩きました。疲れました。普段から運動はしているつもりですけど、歩行距離は多くないので、足の指が痛くなりました。皮膚が強くないんですね。なんでもそうですが、総合的にやることの重要性でしょうか。
 私の住んでいる街にはお堀があります。歩いている間、音楽プレーヤーもないので暇つぶしに堀を眺めていたのですが、鶴や鯉がいて何が起こるでもないですけどそれなりに楽しかったです。ただ、堀の水があまりにも汚いのが、いつも思うことですが、気になりました。水が緑に濁っていて、底が見えません。場所によっては赤黒く濁っていて、いったい何が混ざっているのだろうと気味が悪いくらいです。街の景観に貢献している堀だと思うので、水をきれいにできないものかなと思うのですが、予算とかの都合でできないんでしょうかね。水清ければ魚棲まず、なんていいますし、案外鯉たちにとっても今の環境のほうが良かったりするのかもしれません。
 堀があるということは城があるというわけで、この街には城もあるのですが、小高い山の上にあります。戦国時代に作られた城で、つまり防御のために山の上にあるのだと思いますけど、太平の世の政庁としては随分不便だったことだろうと想像します。江戸時代は250年くらい続いたわけで、その間ずっと不便を甘受していたんでしょうか。もしかしたら事務所としては地上に別のものがあったのかもしれませんね。というか、防御施設と官公庁とを同一の場所に作る必要性はどこにあるんでしょうか。ああ、君主の住まいを最も安全な場所にしなければならないということですね。仕事場は別にすればいいじゃないかと思わないでもないですが、常に危険と隣り合わせの戦国時代であれば、君主のいる場所=事務作業場=安全な場所、でなければならなかったんですね。もちろん、太平の世であればそうする必要はないじゃないか、とは思います。小高い場所にある天守閣は、街の省庁になっているので、それはそれで存在に意味がありますけどね。
●108.白桃杏仁2021/9/24
 買い物に行ったらお気に入りのゼリーがなかったです。そのために最寄りよりも一つ遠いドラッグストアに行ったんですけど、いったい私は何のために足を延ばしたんでしょう。運動になりましたかそうですね。起きた時の楽しみが…。あまり食にこだわりを作るものではないですね。
 お茶はペットボトルのお茶を買うことが多いですけど、プラごみ削減が叫ばれる昨今、環境に良いものではないですね。周りを見渡せばプラ製品の多いこと。といって、プラ製品は非常に便利なものであり、失くした生活はちょっと考えられないですね。どうすればいいのでしょうか。私には、ちょっとわかりません。プラ袋を使わなくなって、いい気になるものではないですね。せめて正当な手続きをもって共同体が決めたことには、多少不便でも文句を言わずに従おうとは思います。税金も、まあ私みたいな底辺にかけられている税率なんて知れたものですが、もう少し上げてもらっても差し支えないですよ。この国の行政はサービスと負担がまるでつりあってないんだよなあ。
 温暖化も、もう止められるものではないと思いますが、かといって対策を諦めていいものでもありません。毎日深夜まで電気をつけてパソコンをいじっている人間が言うことではないですが。今更手にした便利な文明を手放すことはできないと思いますが、人間、自分のことになると都合のいいことばかり考えてしまいますね。そう自覚したところで、極端なローエネルギー生活を送るつもりもないですが。これも、共同体が決めたことには従いますし、多少今より不便になることは覚悟しながら生きていくつもりでいます。
 結局全部後の世代に押し付けているので、今を生きる人間として情けない限りですね。21世紀初頭に生きる人間は、後世の人間からはさぞかし恨まれる世代となるでしょう。知ったこっちゃないですか。それもいいですね。昔の人だって、自分たちのことだけ考えていて、後世のことなんて知ったこっちゃなかったでしょうから。とはいえ、少しは後ろめたい気持ちもあるので、環境問題について真面目に考えている人のことは、せめて応援しますし、決定には粛々と従おうと思います。もちろん文明の民ですから、科学的に、論理的に筋が通っている主張について、ですが。未来のことを考えている人には、ほんと敬意を表するしかないです。
●107.あまり偉そうなことは言うものではない2021/9/23
 コロナ禍の生活について私はいつも随分偉そうなことを言っていますけど、反省することがあります。生活の中でマスクをしているわけですけど、不織布を使っているわけではありません。最初のころの手作り布マスクを洗いながらずっと使っています。よく考えたらこれは意識低い人間の行動だなと。職場で配布された洗えるマスクっていうのも途中からローテーションの一員になっているのですけど、素材が気になって調べてみたらポリエステルでした。これは意識低い系マスクとされている、ウレタンマスクとは、どうも違うみたいですね。この辺は、ちょっとわかりにくい。違うってことでいいんですよね? 実物を比べてみないと、ちょっとよくわかりません。一般レベルでは、とにかく不織布が推奨されるみたいです。不織布なあ。使い捨てになっちゃうからなあ。
 こう、他人について批判していたことが、実は自分も犯していたことだったりすると、やっぱり必死で自己弁護しようとしてしまいますね。何とか正当化しようと、問題のない根拠を探したり、前言の論理の隙を探したりしてしまいます。私でいえば、ポリエステルなら問題ないよね、と言おうとしてしまっている、という感じです。ずっと同じマスクを使っている時点で落第なんですよねえ。論理的には、マスク警察になったことはないよ、とかですね。外で活動している人間を批判している時点で、自粛警察になっているわけです。いやまあ、逃げ道は常に残しながら批判してきたつもりではありますけどね。私も毎日仕事や買い物に外出しているわけですし、完全な対策なんて全然できているわけではないということは、いつも自重していたつもりではありますから。
 とはいえブーメランとは痛いものですね。言葉で生きる人間は、常に退路を確保しておく必要があると思います。言葉で生きていない人間は、別に気にする必要はないんじゃないでしょうか。言葉に責任を乗せていない人間の言葉を、ありがたがって聞く意味も私はないと思いますけどね。
●106.肉体小説について思いつくままつらつらと2021/9/22
 現代のように高度にバーチャル的な技術が生活に浸透した場所では、反発として肉体小説が流行ったりしないかな、と思います。虚構って、その時代や場所における現実を反映するものだとは思いますけど、現実をそのまま映し出すのではなく、何かひねった形で現れるものではないですか。ノンフィクションやドキュメンタリーと違って、フィクションは非日常世界を描き出すものですからね。いえ、もちろん、それはそうでなければならない、という話ではないですよ。虚構は何よりも自由であるべきだ、と思います。
 んでまあ肉体小説ですけど、私自身が、引きこもってネットばっかしていると、何かフィジカルな物語に触れたいなと思うんですよね。読まないですけど。バーチャル世界の反動として、フィジカルな物語を求めるというのは、あるのではないかと。求めるフィジカルなものが、物語、というのが多少ねじれているなと思わないでもないですが。最近肉体小説ってありますかね。あまり思い浮かびません。
 肉体小説っていうと、基本的には『肉体の門』を指す言葉になりますね(読んでないです)。字面だけを見て、私が勝手に肉体小説と聞いて思い浮かべるのは、『野獣死すべし』や『マルタの鷹』みたいな、ハードボイルド小説ですね。ハードボイルドなら、チャンドラーも肉体小説と言っていいでしょうか。いいような気がします。裸一貫己の身一つで冒険を繰り広げますから。己の身一つ、というところから、肉体小説は悪漢小説と結びつくところがあると思います。『不夜城』が発表されたのは、1996年らしいです。もう25年も前のことですか。小説に限らなければ、ゼロ年代に『デスノート』や『コードギアス 反逆のルルーシュ』などピカレスクロマンが流行った時期がありましたね。最近は、何かありますかね。ないですか。デスノにしろギアスにしろ、フィジカルからはかけ離れた筋書きですね。フィジカルを求めるなら、『バキ』(読んでない)とかになるんでしょうか。肉体的であり、悪漢的であるものなら、『宮本武蔵』が最高ですね。これは私が学生のころ一番夢中になった小説です。最も~うちの一つ、なんて言い回しではなく、字義そのままベストだと思います。『バガボンド』はそのあと読みました。これも好きな漫画です。
 とまあ思いつくまま思いを巡らせてみると、肉体小説的なものは時代を限定するものではなく、いつの時代も求められているものなのかなと思います。バーチャル時代とか関係ないな…。犯罪小説って、今の時代、成立するんでしょうかね。密室ならともかく、監視カメラ社会ですから、どうやって発覚させずにいられるか。裏社会なら、でもヤのつく家業の方々にも厳しい時代になりましたからね。時代を戻して、歴史時代や裏社会が成立していた時代を書くという手もあります。現代で、身一つでテロを起こす犯罪者を、妄想したりするんですが、成立する気がしません。小さなコミュニティで、例えば家族を…して家の壁に埋めるような、隠匿する形の犯罪なら成立するかもしれませんが、これはホラーが入った感じであり、ここで求めているものではないですね。エロゲークリエーター(笑)としては、性方面も考えたいところで、たくさんの女性を手籠めにしていくような……。というか、エロゲーやエロ漫画の世界では、犯罪小説的なものはむしろありふれていると言えるかもしれませんね。だからそこに社会性を持たせて…いや、18禁界隈は周縁にあるからこそ成立するものですからねぇ。
 あ、MGSはバーチャルな世界観とフィジカルな描写が高度に混ざり合ったすごい作品だと、言おうと思っていたんですけど、随分長々と書いてきたのでもう止めます。
●105.ワクチン接種の順番を特権にしない2021/9/21
 今日ニュースを見ようとして、冒頭でボウリング会場の様子が映し出されたんですが、私はすごく腹が立ちました。まだワクチン接種が終わっていない人間もいるのに、そんな映像流すべきではないだろうと。行政の方で11月くらいから規制を緩めようという議論が始まっていますが、何故11月かというと、これはワクチン接種が希望者全員に行きわたるであろうのがそれくらいだからなんですね。比率で話しているわけではないのです。いや、希望者が6割くらいならそうはならないでしょうけど、行きわたった比率が7割なら、あるいは8割なら規制を緩めてもいいかもしれない、でも比率でなく希望者完了時で話しているのは、ワクチン接種の順番を特権にしてはいけないからだと思うのですけど。希望しているのにワクチン自体や人手が足りずにずっと受けられていない人が、まだまだたくさんいますから。7月の感染爆発の一因は、そうした不公平感にもあったように思うのですけど、メディアは何も学んでいないようですね。
 とはいえ各種イベントは今現在も行われていて、観客の様子も映し出されているので、今更といわれればそうなのですが、せめてこそこそやってくれと思います。何故堂々と当たり前のように行い、推奨すべきふるまいのように報道してしまうのか。ワクチン接種は日々進んでいて、7月とは状況が変わってきているというのはあると思います。でもまだ早いんです。そうした日常が当たり前であっていいのは、11月からなんです。でないと、不公平、つまり差別になるんです。差別をなくしていこうというのが、昨今の、大きく言えば近代化以降の考え方であったと思うのですが、いまだにこうした差別を堂々と大手のメディアが行っているという、これが現実なんですね。私はこうした映像を流すことは差別だと思いますが、流したメディアは差別だとは思っていないでしょう。おそらくこうしたところに、<差別>という問題の根本があると思うのですが、どうでしょうね。ここではメディアを批判していますが、何も人間世界の特殊であると思ってはいませんよ。「マスゴミ」などと言いたいわけではありません。これが一般的な人間の現実の姿だと思いますし、だから、一般的な人間に幻滅しているわけです。個々レベルでは、尊敬すべき人間はたくさん存在しますけどね。
 まあ、近代以降、差別をなくしていこうという取り組みも、少しずつ、一進一退しながらそれでも進んできたわけです。昔よりも一般的な人間の知性は確実に上がっているはずで、だからあまり幻滅すべきではないのでしょうけどね。
 感染が爆発していた時には、飲食店の窮状とか、ほとんど報道されていなかったと思うのですけど、下降傾向に入ってから、少しずつ増えてきたように思います。私は、窮状にある人には申し訳ないとは思いますが、まだ早い、と思いますね。というか、本当に差し迫った問題であると思っているのなら、感染爆発期にも変わらず報道すべきです。感染が爆発して医療が崩壊しているときに報道しなかったことなら、まだ報道するのは早い、と思います。どういうときにどういう報道がどのくらいの比率で為されたのかは、ちゃんと研究してみると面白いと思いますけどね。私にそんなやる気も能力もないので、誰かやってくれないかなあと、いやあ駄目人間だわ。
●104.昔よりも筋肉がつくようになった2021/9/20
 毎日トレーニングを続けています。続けられるのは筋肉がついているという実感があるからだと思います。人間成果を感じられると嬉しくなるものです。ただ、特に何かを必要に迫られてしていることではないので、こういうのは一日さぼっちゃってそのままズルズルやめてしまうものでしょうね。やる気があるうちは続けていこうと思います。
 なんとなくですが、若いころにこれくらいのトレーニングをしても同じくらい筋肉がつくことはなかっただろうなと思います。肉体が未成熟なうちは、筋肉がつきにくいように思うのですけど、どうでしょうね。そうだとすれば、若いうちは成長しなくてはならないので、そのぶん肉が柔軟にできているということでしょうか。若いころというか、子供のころのことですけどね。筋トレは、全然しなかったわけではありませんが、だからあまり成果を感じることはありませんでしたね。
 今もそうですが、子供のころは小柄でした。小柄というか、クラスどころか学年で一番小さい子供でした。朝礼とかでクラスごとに整列するとき、私はいつも一番前でした。一番前というと、実は嘘で、学級委員というのが一番前で整列させるので、だから私はいつも二番目で、こう、前へならえとか、小さく前へならえとかするわけです。整列って、大人になるとすることがなくなりますね。仮にすることあるとしても、あんなに真面目に並ぶことはないでしょう。怒る教師もいないですから、みんなだらだらするだけなんでしょうね。小さい頃って、なんであんなに真面目に並ばなくちゃならなかったんでしょうね。
 運動も、小さいから…だけでもないですが、活躍するような子ではありませんでした。体動かすのって、嫌いだと思ったことはないですけどね。球技は苦手だったかな。飛んでくるボールが怖いんですよね。ドッジボールとか野球とか、からっきしでしたね。投げるほうも、これは体のつくりのせいだと思いますけど、頑張って投げても全然前に飛びませんでした。運動って、でも嫌いだと思ったことはないですけどね。ただ、試合って、勝たなくちゃならないんですかね。私みたいな体格やセンスに恵まれなかった子供は、試合をする資格がないんでしょうか。なんで試合って、勝つためにするんでしょう。興行ならわかりますけど、レクリエーションとしての運動で、勝つことを目指さなくてはならないのでしょうかね。なんというか、とても窮屈です。
 だから今でもそうですけど、一人でするスポーツが好きですね。勝ったり負けたりはしません。ただ体を動かしたり、身体が変わっていったりするのが楽しいのです。大人になって、色々自由になったなと思います。子供のころは、なんであんなに不自由だったんだろう。 
●103.人生には時間制限があるということを意識する2021/9/19
 最近ちょっとしたことでイライラするようになったなと思います。イライラするといえば時間があまりない時ですが、要は私も歳をとって人生の残り時間が少なくなってきたことを意識し始めたのかなと。毎日が充実していればまた違うのでしょうけど、してないですからね。どうすれば充実するんでしょう。私にはわかりません。ぼやきながら死んでいくのもまた一興かもしれませんね。
 人生には時間制限があります。人間もそうですし、人間以外もそうですが、そのことを知っているのは人間くらいのものでしょう。他にも知っている生物がいるかもしれませんが、私は生物に詳しくないので知りません。人間が他の生物と違って文明を発展させることができたのは、自らがいつか死にゆく存在であると理解していたからだと思っています。いつか死ぬから、生きている間はちゃんと生きようと思うんですね。
 これは昔の人が、死者を特別な存在として扱っていることからわかると思います。生きた人間は、当然死んだことはありません。自らがいつか死ぬであろうことがわかるのは、他人が死ぬのを見てきたからです。いつか来る自らの未来を身をもって指し示してくれる存在だから、死者とは敬うべきありがたい存在ですね。どんな文明であれ、埋葬してお祈りするなど、死者は丁寧に扱うものでしょう。埋葬地を設けて生活圏から遠ざけるのは、敬うためばかりではなく感染症対策でしょうけど、冥福を祈ったり法事を催したりするのは、死者を特別な存在として敬うためでしょう。
 いつか死ぬのは怖いし残念なことですが、だからこそ人間は生と真面目に向き合って生きようと思うのですね。私もくそみたいな人生ではありますが、ちゃんと己の生と向き合って生きていきたいものです。
●102.物はいつかは買い替えなくてはならない2021/9/18
 今日帰りに雨が降っていたので合羽を着て帰ったのですが、大雨だったので浸水して全身びしょ濡れになりました。私が今使っている合羽は、小雨くらいなら問題なくても、大雨だと全然役に立ちません。そろそろ買い替えるべきかもしれません。
 この合羽は買ってから割とすぐ浸水するようになったのですが、早めに買い換えないといけないかな、と思ったものでした。しかし日々の中で大雨の日というのはそれほど多くなく、まだいいかなと思い思い使っているうちに、もうずいぶん経ちました。6年くらいは使っているのかな。もっとかもしれません。6年も使えば、十分使ったと言えるように思います。しかし生来のものぐさで、実際に買い替えるのがいつになるかはわかりません。長く使えるのならその方がいいことでしょう。
 普段使用するものには必ず寿命があります。消耗品である以上、いつかは買い替えなければなりません。できるだけ物持ちよく使っていきたいものだとは思いますが、物は使われるために存在するものであるとも思います。長くもたそうと変に恐る恐る慎重に使うくらいなら、物は巡りものと達観して思い切り駆使した方が、良い物の使い方をしていると思います。この国のアニミズム的信仰では、物に神様が宿ったりするもので、私もその宗教観には好意を持っていますし、私もできれば神様に触れるように物に向かい合いたいと思いますけど、物は何かの目的のために使われるために存在しているので、乱暴に使うのは論外ですが、駆使することは決して不敬な扱い方ではないと思います。
 私が普段一番駆使してるのは目の前にあるPCですね。できれば5年くらい持ってほしいなと思っているのですが、しかし3年で買い替えるものと見極めています。遠慮することなく思う存分使っていますし、その働きには大満足です。今使っているものは一年が経ちましたが、さてあとどれくらい働いてくれるでしょう。PCにとっても良き使い手でありたいものです。
●101.人間の持つエネルギーについて2021/9/17
 人間が一度に持っておけるエネルギー量は、当たり前のことながら限界があるように思います。やらなければならないことがあってもつい怠けてしまうことがある、あるというよりいつものことなのですが、怠けたからといって活力を溜めておくことはできません。エネルギーが少ない時に体や心を休ませれば、エネルギーは体の中に溜まっていきますが、充分にエネルギーがあるときに休んでもそれ以上増えていくことはありません。私のようなぐーたらからしてみれば、怠けた分だけエネルギーも溜まって後でたくさん働ければいいのですが、そんなわけにいかないので、人間、断続的に計画性をもって働かなければならないのですね。自らを律して勤勉さを保つこと、難しいですね。
 エネルギーの出力は心の持ちようで変わるように思います。仕事で、量が少なくて割と余裕のあるときってあるんですけど、そんなときはどうしても力を抜いた作業になってしまいます。手を抜いている、とは違うと思うのですけど、集中力や速さなんかは全然違いますね。急かされながら仕事するのは、ミスも増えるだろうし肉体的にも精神的にも消耗が激しくなるので、あまりいい状態とは思えませんけど、余裕がありすぎるのも仕事に対する向き合い方からするとよろしくないのかもしれません。どんな時も程よい状態を保てばいいのでしょうけど、現実問題として中々そう上手く行くものではありません。
 良い指揮官というものは、配下の仕事への向き合い方を良い状態することのできる指揮官なのではないかと思ったりもします。野球の監督で、この人は戦術家タイプでこの人はモチベータータイプで、なんて言ったりしますけど、その区分の仕方ならモチベーターの方ですかね。もちろん戦術も大事だし編成も大事ですけど、同じくらいリーダーには部下の力を引き出す能力も大事であるという風に思います。歴史上の人物を見ても、優れた将軍は部下もエネルギッシュに動きますね。勇将の下に弱卒なし、といいますからね。