●160.行動ポイントを増やしたい2021/11/15 |
川田稔 著『浜口雄幸と永田鉄山』読了しました。昔に比べると読書量は激減しているんですけど、一応日常的に読書はしているのです。もう少し読書量も増やしたいんですけどね。一ターンに使える行動ポイントが増えたりしないでしょうか。家臣を増やしたり、国家レベルを上げたりして。 浜口はともかく永田については名前すら知らなかったくらいなので、新鮮に楽しめました。この辺の時代もダイナミズムがありますね。昭和初期というとともすればこの国のことを軍事国家だったと思いがちですけど、もちろん間違ってはいないんですけど、浜口のような人物・政党に政権を担わせるだけの度量がこの国にあったということを忘れてはいけないように思います。そしてそこから十年もしないうちに一気に正反対へ転回するダイナミズムですね。当時の国民は大変だったでしょうか。それとも案外市民というものはしたたかだったかもしれませんね。 一夕会とか聞くとやっぱりワクワクしますね。私とは考え方は違うし、評価もしませんが、志を持った青年たちが徒党を組んで変革を目指すさまは興味をそそられるところがあります。フィクションになり得る題材だと思いますね。誰か何か作ってくれないでしょうか。この場合、非常にイデオロギー的な話になってくるので、俯瞰した視点を持った人が、批判も共感も共存させながら作る必要がある、と思います。 永田と私の考え方はまるで違いますが、彼や彼の一党が私なんかよりよほど清純な人間だったことは疑いようのないことだと思ます。私もそういうところがあるので自戒も込めて言うのですが、正義なんて碌なものじゃないんですよ。正義なんて振りかざしてしまえば他人を傷つけていしまう危険な代物なのです。ある程度、人間は不純なところもある方が、バランスの取れた人間といえるのではないかと。 |
●159.自分2021/11/14 |
私はミーハーなので、映画なんか見ようと思うとき、人の評価、概ねアカデミー賞を取った作品なんかを見ようとします。自分の嗜好を人の評価に委ねているわけですね。大体面白いからいいんですけど、だからこそ何かの作品を受容したとき(映画なら視聴したとき)、自分の中に生じた否定的な感想は大事にしようとしています。世間的に高評価の物を見ているわけですから、私がそれを低評価するということはちゃんと自分の感想があるということになるからですね。同じようなわけで、高低に限らず自分の中に生じた素直な感想をきちんと救い上げるということはとても大事なことのように思います。人間は周りの人間の影響を受ける生物なので、なかなか難しいことなのですけど。 <自分>というものに尊重するだけの価値があるかどうかはわかりません。人間は社会的な動物なので、他人の意見に左右されて周囲に同調するばかりなのもそれはそれで正しい処世であるとも思います。ただ、種の中に多様な個を包括していることは、一応環境変化への適応において有利であるということはいえます。 まあ、多様性を尊重する社会がいいなんていい子ちゃんなことは言いません。個性が大事と叫ばれてきた時代に育った人間として、私も私自身をかわいく思っているというだけの話です。あまり他者の欠点をあげつらうのは品がないことだとは思うのですけどね。品性を下げない範囲で、素直な感想を大事にしようと思っています。 |
●158.疲労と睡眠2021/11/13 |
昨日は仕事でとても疲れて帰ってから何も手につきませんでした。何かしようとしても頭の中にもやがかかったようで、どうも定型文で上手くないな、昔の映画ってちらちらと銀が映るんですけど、頭の中いっぱいにあの銀がちらついているような感じで、全然集中できないし、発想もできませんでした。私は将来老いて身体的に動けなくなってもそれなりに楽しく過ごせると思っているのですが、仮に頭の中が昨日の疲労したときの状態のようにギスギスしてスッキリした思考ができなくなるのであれば、毎日死にたいと思いながら過ごすことになるかもしれないと思いました。老衰で思考力はどのくらい衰えるのでしょうかね。 で、どうにもならずスッキリしない気持ちで寝たのですが、案外ぐっすりと寝られて起きた時割と快調でした。メンタルはともかくフィジカルはスッキリしていました。メンタルはともかく。メンタルとフィジカルは互いに影響しあうものなので、今日一日それなりに調子のよい肉体で過ごせたので、メンタルもだいぶ良くなりました。どうも、睡眠というものは大事なものですね。疲れてどうにもならないと思ったときには、スパッと眠ってしまうに越したことは無いようです。頭がすっきりしないときは、なかなか寝ようという気も起きないものですが、思い切って寝てしまうのが良いものかと。 睡眠の大切さは何度再確認してもいつも夜更かししてしまいます。何度でも再確認して、いつかちゃんと寝る習慣を身に着けたいものです。 |
●157.オプティミスト2021/11/12 |
私の性向からして経済人というものほどわからないものはありません。中でも一番理解しがたく、それゆえにこそ圧倒されざるを得ないのが高橋是清という人です。といって彼の略歴のことは実はあまり知らないのですが。 なんといっても昭和恐慌の時の高橋財政の成功がわからないですね。私の性向からすると井上財政がよく理解できるのです。だから彼の失敗がどうしても悲しい、つらい。世界恐慌等状況からして仕方のないことだったのでしょうけど、そう考えるなら高橋財政で一挙に克服してしまったのがどうしてもすごすぎる。神がかっていると表現したくなるくらいです。恐慌がなければ井上財政的な財政にも成功の目はあったのでしょうかね。経済のことはさっぱりなので私にはわかりません。あってほしいものです。 どうにも私には理解しがたいことなのですが、一国の経済を上手くいかせるためには、自制や慎重はあまり役に立たず、楽観やともすれば放埓のようなものの方がよほど役に立つようです。ほとんどの国民がいざというときに備えて貯金にいそしむようになれば、お金が流れなくなり、その国の経済はたちいかなくなりますからね。多少は楽天的にお金を使ってもらわないのと経済的には困るのです。 高橋是清という人はどうも生来的にオプティミストであったらしいです。彼の自分の性格に相応した経済政策が当時のこの国の経済状況を救いました。どうも成功する経済人というのはオプティミストでなければならないように思うのですが、どうでしょうか。高橋は財政家でしたが、資本家なんかも、そういう性向である方が向いているように思います。この事業は本当に成功するのか、なんて疑心に囚われる人間よりも、この人に任せておけば何とかなるだろう、と根拠はなくとも楽天的に考える人間の方が、気前よくお金を貸し出すでしょうし、お金を貸してくれるということは信頼されているということで、信頼されれば応えたくなるのが人情というもの、きっぷの良い金貸しの周りにはたくさんの成功が転がっている、なんて状態になりがちなもののように思います。もちろん貸して焦げ付いたなんてことになったら大ごとですので、ちゃんとした審美眼、特に人を見る目も大事だらろうと思いますが。 経済のことや経済人のことももうちょっと知りたいと思っているのですが、なかなかです。高橋是清の略歴は、いつかちゃんと知るようにしたいですね。 |
●156.鼻の横のできもの2021/11/11 |
鼻の横に小さなできものができています。昔からストレスを感じると鼻の近くにできものができます。何故心理状態が体の状態に影響を及ぼすのかよくわかりませんが、そういう風にできているらしいです。体内で昇華しきれなかった悪感情を、放出しようとして鼻のあたりが膨れるのでしょうか。私の感覚からするとそういう感じですが、多分ストレスを感じると体のどこかの器官が何かの物質を放出してその結果できものができるのでしょうけどね。 昔から癇癪を起す子供でした。よくキレて物を投げていました。人を傷つけるのは嫌なので、誰もいないところに手近にあるものを投げます。昔からコミュ障だったんだなあ。今でもしばしば怒っていますが、さすがに物を投げることはなくなりました。物を投げても自分の物品が壊れるだけですからね。なんのメリットもありません。ただ、物を投げなくなったのはそうした利害計算ができるようになったからではなく、単純に人目を気にしているだけのように思います。あまり人目を気にしながら生活したくはないのですが、でも物に当たるのは良くないので、このことは良いことだと思います。 もっと融通無碍に生きられるようになりたいですが、道のりはまだ遠いです。いつかたどり着ける気もしません。 |
●155.ゲームの夢2021/11/10 |
昔いつかバーチャル技術が発達したときは映画の中に入れるようになるかもしれないと妄想したことがあります。映画の中に入り込んで、自由な場所から物語を見る、あるいは世界の中を歩く、もしかしたら登場人物と話すようなことも可能かもしれない、なんて考えました。そうなればどれほど楽しいだろうと。 アバターを作ってVR的な視点で歩き回る、という感じでしょうか。そうすれば臨場感をもって物語を楽しむことができるでしょうし、だとすればゲーム的なアクション性(操作性)がなくとも十分楽しいだろうと思います。 こうした妄想は、実は既にある程度達成されているのではないかと、最近のゲームの映像を見ていて思います。現実みたい、という言葉はもう褒め言葉ではないですね、現実を超えたリアリティや迫力を持って迫りくる映像美がそこにはあります。どうやったらこんなすごいものを生み出すことができるのだろうと、ため息がでるばかりです。私たちの際限のない夢はこれからどこまで行くのでしょうね。 |
●154.死を忘れず2021/11/9 |
いつか死にゆく命であることを忘れず。 人はだれしも孤独であることを忘れず。 時間を刻み、命を燃やし、業を行い、欲望をほしいままにする。 いつか死んだことにも気づかないような生涯を送りたいですね。 |
●153.ランニング2021/11/8 |
今日は外を少し走りました。もうそろそろいいかなということで。ただ一応マスクはしておきました。ちょっと気にしすぎかもしれませんけど、とりあえずこのくらいで。 一年ぶりくらいですね。その間身体を動かしていなかったわけではないですけど、やっぱりちょっときつかったです。筋量と肺活量は違うんですね。だからちょっと肺を刺激して眠りから起こした感じです。久しぶりに汗をかいたのは気持ちよかったです。あれですね、汗には塩分と水分以外にも体の中に溜まった嫌なものを一緒に排出する機能があるように思います。たまには汗をかきましょう。 続けるかどうかはわかりません。マスクして走るのはなあ。しなくていいかなあ。街角ランナーも、大体はマスクしてないですからね。たまには走りたくなるんで、どうですかね。 |
●152.エンドロール不要論2021/11/7 |
映画のエンドロールが辛いです。5分くらい黒い画面に音楽を流されても何も楽しくありません。エンドロールも何か楽しませる映像なり仕掛けなり作るよう、誰か法律で規制してくれないでしょうかね。製作にかかわった人々の名前がスクロールしていくわけなのですが、正直視聴者にとって興味あるものではありません。精々監督と主要キャストと、あと映画が好きな人が製作や撮影監督や脚本家なんかに興味を抱くくらいじゃないでしょうか。エンドロールが長いとこんなにたくさんの人が関わって映画っていうのは作られているんだ、面白いわけだと関心はするのですが、一人一人の名前に興味があるわけではありません。特に外国語の映画だと読めるわけでもないのでなおさらです。 見なきゃいいんですけどね。でも飛ばすと、なんか負けたような気がするじゃないですか。敬意もないような。こんなこと言っている時点で敬意がないか。 |
●151.『センゴク権兵衛』25巻2021/11/6 |
『センゴク権兵衛』新刊が出ていたので買いました。新刊が出たら買う漫画の一つです。あるとき思い立って集めました。無印の『センゴク』とかは買ってないんですけど、『~権兵衛』だけは全巻。『桶狭間戦記』も買ってます。 秀次事件。解釈としては、フィクションとして許容される範囲の解釈だとは思います。とはいえ史実からは離れた捉え方をするのは、やっぱり歴史ファンとしてはどうかなあと思わざるを得ないところがあります。好きな漫画なんで、どうしても許容してしまうのですけど。秀吉も秀久も悪く描きたくないんだろうな、と思ってしまいます。醜い面も含めて歴史だし人間だと思うんですけどね。若いころから彼らのことを描いてきているので、どうしても情が移ってしまっているのでしょうね。 秀久のハイライトである挽回はもう描いてしまっているので、どう着地させるつもりなんでしょう。第二の主人公的な、秀吉の死まではちゃんと描きたいというところなんでしょうか。関ケ原とか、江戸政権成立以後も、それなりに仙石は活躍するのですし、むしろ若いころからの成長の結果がここで見られるのですけど、漫画的な盛り上がりには欠けるでしょうかね。作者様は仙石の人間的な成長については私なんかが知っているよりはるかに知っているでしょうし。<センゴク>というタイトルには、戦国時代という時代そのものを描くという意味も込められていると思うので、やはり関ケ原、あるいは大坂の陣まででしょうか。仙石秀久に限らず、戦国時代に活躍した人間たちが網羅的に描かれている作品ですからね。 |
●150.与えられた権利と勝ち取る権利2021/11/5 |
昔選挙の時に投票しなかった人間からは選挙権をはく奪してはどうかと考えたことがあります。一生はく奪はさすがにやりすぎだと思うのですが、次の国政選挙の投票権を停止するくらいのことをしてもいいのではないかと思います。私の所属している国では国民は成人しさえすれば、つまり生きてさえいれば選挙権が与えられます。それはもちろんいい事だし、尊重されなければならない制度だと思うのですが、とはいえ人間とは何もせずに手に入るものは貴重だと思わない存在です。どんなに大切なものでも失う恐怖を感じなければ大事さを理解することができません。参政権を失うかもしれないと思えば投票に行こうと思うかもしれませんし、逆に参政したくもない人間に政治に携わらない権利を与えることも尊重されなければならないことのように思います。 人間の心理というのは面白いですね。品薄と言われればそれまで興味のなかったものでも欲しいと思うようになります。セールとか私も大好きです。安売りの時にばかり買い物をしていると、ディスカウントされる時を待ってばかりになってしまっていけませんね。買ったけれど積んだままものも多くありますし、本当に欲しいものはいつまでたっても安くならないなんてこともままあります。そもそもどんな製品でも製作者が心を込めて作ったものなのだから、その価値はきちんと自分の目で見極めてその価値なりのお金を出すようにしたいものです。 |
●149.人生は短い2021/11/4 |
一日というのは、24時間というのは本当に短いものだと思う毎日です。ちょっと気を抜いてだらだらしているとすぐ一日が終わっています。だらだらしすぎなんだよなあ。時間は誰にでも平等です。人生の長さには個人差ありますけど、時間の流れる速さそれ自体は誰にでも平等です。ん、相対性理論的に考えると時間は相対的なものなのか? じゃあ相対的なものでいいや。時間が短いと思い、また時間が相対的なものであるのなら少しでも長くなる過ごし方を考えるべきです。なるべく無駄を省くべきです。人生に無駄なことなど何一つないのじゃよ。うるさいです。無為に過ごしてしまったなあという時間をできるだけ減らした方がいいですね。あと外にでることも増やしたいです。とはいえ、まだ外に出ていいものか考え中なのです。新型コロナ、今現在かなり収まっているような状況なのですけど、なんで増えないんだろう。うーん。ランニングくらいはいいかなあ。室内でトレーニングはしているので、体力は落ちていないですけどね。落ちていない分、たまには外で動かしてみたいなあと思ったりもします。 |
●148.映画を見よう2021/11/3 |
久しぶりに映画を見ました。視聴に二時間ちょっとと感想を書こうと思ったら三時間くらいが飛ぶので、なかなか大変ですね。映画に浸る時間のことも考えたら、半日が飛ぶことを覚悟しなければなりません。浸る必要はないですか。でもまあ、やっぱり見ようと思うとちょっと覚悟がいりますね。 ただどうも毎日に目標を失いがちになってますので、なるべく映画を見ようかなと思います。ぐうたらする時間のことを考えれば、見るための時間はあるはず。できるなら何か生産的なことがしたいのですけど、できないので、せめて他人が作った生産物を楽しもうということです。後ろ向きですけど、でも映画って、映画に限らず小説でも漫画でもアニメでもゲームでもそうですけど、人間の成した有意義な営みの一つだと思うので、そうしたものを味わうことは人生を味わうことになるんじゃないかと思います。せめてちょっとでも人生を楽しめたらいいですね。 |
●147.なんとも2021/11/2 |
なんとも目標を見失っている感があってどうにもなりません。こんなものだと思って焦らず一歩一歩やっていくしかないですね。失った時間は戻ってきませんし変えられるとすれば先の時間しかないわけです。意味なく過ごした過去を有意義なものにする方法があるとすれば、きちんと反省して先につなげることでしょうか。先、ねえ。よくわかりません。よくわかりませんね。歴史は少しずつ良くなっているはずなのに、どうしてこんなにも無為に思えるのでしょう。私の生が無為なだけでしょうか。それとも生というものが本質的に無為なのでしょうか。昔からこんなことばかり考えているな。オプティミストが羨ましいですよほんと。 |
●146.フィクションにおける親の死の描き方について2021/11/1 |
大河ドラマを見ているとよく親の死というものが描かれます。これがどうにも苦手というかつまらないのですけど、なぜかと考えました。当人の人生にとって、親の死というのは大きなエポックですからね。当然大きく描かれてしかるべき事象ということになります。でもつまらないのです。 考えたのは、主人公にとって親であっても視聴者にとっては他人です。だから死んだところで、モブキャラクターが死んだほどの興味しかわかないのではないか、ということです。魅力のあるキャラクターの死であれば、そりゃ興味も湧くものでしょうけど、そうでないのなら、主人公にとってどれほど身近な存在であったところでどうでもいい事態です。つまり作品の親の死というものに興味を持てなかったのであれば、製作者がしっかりとキャラクターの魅力を描けていなかった、あるいは魅力のあるキャラクターを作れなかったということになると思います。主人公にとっての親、という以上のものを描くことができなかったということですね。優しく導いてくれる親理解のある親見守ってくれる親、それはそれで素晴らしい存在ですけど、受け手にとって興味のある存在ではありません。現実でもそうですが、人間には自分の人生を生きてほしいものですし、そういう人間に人間は魅力を感じるものだと思います。 あと、人にとって親の死というものは非常に精神的に辛い出来事ですからね。現実において二回ほど経験せざるを得ないのはある程度仕方のないことだとしても、エンタテインメントにおいて疑似的に経験したいものではありません。 だからまあ、キャラクターをしっかり作ろうということでしょうか。ちゃんと自分の人生を生きる人間を創造したいものですね。あと、自分も、自分の人生を生きるようにしたいものです。 |
●145.心構え2021/10/31 |
逸らず気負わず望まず。ただ己が為すべき一点のみを見据え心波立たせず専心す。未来もなくまた過去もなく、今だけに心を配り今だけに全力を費やし今だけに心を燃やす。一つ一つと目の前のことをこなし一つ一つと小さな成果を積み上げながら一つ一つと残してきた大きな足跡を振り返らない。丹田に力を込め心を穏やかにし背筋を伸ばし身体を貫く芯を作る。生きる喜びを感じ生かされるありがたみを知り万物への感謝を忘れない。 そんな人に私はなりたなれるわけねーだろバカヤロー。うんにゃなりたいね私は。 |
●144.疲れた2021/10/30 |
朝からずっと疲れていた一日でした。もう少し早く寝るようにしたいです。いつも言っているのですけど、一向に改善しません。分かっていてもやめられない。わかっているんだからやめなければいけません。わかっていることをいつまでたっても直さないから、ずっとなりたい自分になれないのですね。もう無理かもしれませんが、生きている以上何か目標がなければ甲斐がありませんので、いい加減わかっていることはやるようにしなければなりません。どうせというのはもう止めましょう。 人間の営みの中で発想が寄与する割合はそう多くはないようです。何よりも大事なのは発想を実際に行う際の地道な作業です。地道な、つまらない、あるいは茫漠とした作業を、どれだけ長い時間向き合うことができるか。ある種修行のようなものかもしれません。世の中に出回っている様々な成果は、これは創作物や造形物あるいは組織なんかでもそうですけど、全て地道な作業を経てその形をこの世に現わしているのです。そうしたものには好悪はともかく敬意を払いたいものです。 とはいえ、地道な作業にいかに向き合えるようにするかも、発想のなせる業かもしれません。音楽を聞きながらしたり、一定時間で休憩をとるようにしたりといったことです。もしくは、効率性を追求して作業を少なくするのも、頭をひねって行うことです。頭を使って考えることも、常に忘れてはならないことですね。ただどんなことでも限界はありますから、結局地道に行うことを厭うていて成しうることは無いということは、覚えておかなくてはなりません。 |
●143.エネルギッシュに生きたい2021/10/29 |
もうちょっと活動的に生きたいなあと思います。毎日のトレーニングでも、やっとかないと落ちていくだけだからなあと、凄く後ろ向きな気持ちでやっています。あれやってこれやって次はそれをやってと、忙しく生きられたら色々なことができて楽しい人生なんだろうなあと思います。どうにも億劫がちな人間でいけません。端的にいうと、まとめサイトを見るのをやめられればいいのですけど。あの時間は完全に思考停止した時間で、なんの生産性もない時間ですから。ああいうことをする時間というのは、生きているとは言いません。でもやってしまいます。いけませんね。 やってしまいます、人間だもの、で済ましているからいつまでたっても向上がないのでしょうか。そうかもしれません。このままでは死ぬときに後悔することは目に見えているのですけどね。今の自分は実は十年後から帰ってきた理論で、なるべく後悔のない時間を過ごしていきたいものです。十年後というと…●●歳か。そう考えればまだ若いな。何とか、これでよかったと思える十年後にしたいです。 まあ、ゲームをやるのはいいか。思考停止した時間を無くしたい。 |
●142.ゲームばっかやってる2021/10/28 |
MGSVばっかやってます。メインストーリーが大体終わりました。大体ネタバレはされていたので、びっくりとはしませんでした。しかしまあ、すごいシナリオですよねえ。未完成らしいのが、本当に惜しいものです。けど、これ以上のボリュームってのもどうなのでしょうね。水増し高難易度ミッションがなければいいのか。それでも現状でも遊びきれないくらいのボリュームがあるので、なんというかちょっとデザインを誤ったのではないかとも思います。一章と二章は切り離して別で出しても良かったのでは。いやそれも違うか……。でもグラウンドゼロズもそうなんだし……。 核兵器反対を叫ぶのに、被害者が被害者の言葉を語るのは、もちろん意味のあることだと思うのですが、加害者や私のような無関心な人間を動かすのにどれくらいの効果があるのだろうということは、やっぱり思います。メタルギアなんかは核兵器について、3では実際に使われましたし、使用即人類に破滅をもたらす兵器みたいには描いていないのですけど、こういうフィクションが人々に核兵器について考えさせる力というのは、やはりあると思いますね。私のような無関係な人間は、どうしても被害ばかり語られても届いてこない、理性的に核兵器というものがどういう存在でどういうことをもたらすのかということを語ってもらわないと、どうにも興味を持てないところがあります。 核兵器とその他の大量破壊兵器とは、なにが違うのでしょう。核兵器が人類に死滅をもたらすことは、おそらくありません。大量の人死にはでるでしょう。民間人も多数死ぬでしょう。しかしそれは空爆でも同じことが起こります。汚染が起こりその地域に人が住めなくなるということはありますね。一番の問題は報復攻撃合戦が起こった場合同時多発的な大量の死と大量の汚染が発生することでしょうか。確かに多くの核弾頭が存在する世界では(現実がそうですが)、そうした核兵器の連続使用が行われる可能性は高いですね。冷戦時代よりはましになったでしょうが。 ただ問題は、既に人類は核弾頭を作る技術を持ってしまったということなんですよね。今更技術を捨て去ることはできません。というより科学技術が広く浸透された世界では、科学技術は日夜際限のない発展を続けるもので、破壊に対する技術もいつか誰かしらが発展させてしまうということは、止めることは不可能な当然な流れであると思います。人類が科学技術信仰を捨てることがない限り、核兵器に対する技術もまた捨て去られることはありません。私だって核兵器は嫌いですし核のない世界を夢見ています。しかしそれが可能なのか、可能とすればどのように行うべきなのかは、非常に難しい問題として私の前に(おそらく人間世界の前に)立ちはだかっています。 |
●141.経済について2021/10/27 |
誰かに、その人にとって価値のあるものをもたらして対価として金銭をもらう。自分にとって価値のあるものを受け取って対価として金銭を渡す。繰り返されれば色々な人が色々な価値を渡して受け取って、多くの人が幸せになります。その循環を経済というのなら経済というものは素晴らしいものでしょう。 昔の資本家なんかは、そうした経済の正の側面を好ましく思ってこの世界の経済を発展させてきたのでしょう。実際経済は文明を発展させ多くの人の生活を豊かにしてきたと思います。 ただ実際に生活していて思うのは、利潤を追求するあまり必要のないものまで他者に押し付けようとすることが、多々あるのではないかということです。相手にとって本当に必要のあるものをもたらして、その対価として金銭を得られればいいのですが、(一応それなりに価値のあるものだったしても)必要のないものまで押し付けても、相手は幸せになれません。具体的にどういうことが言いたいのかというと、ノルマのある営業なんかのことなんですが、架空の需要を追求しても、結局義理やしがらみで勝ってくれる人が増えるだけで、相手にもたらされるものはなんか違うけど仕方ないかな、という感覚だけなのではないかと思います。 そんなことが起こらないように本当に誰かにとって必要なものを創造してその人の下へ届けて、金銭をもらえればいいのでしょうけど、現実としてそんな生産力のある人間なんてひと握りしかおらず、多くの愚鈍な人間はなんか違うけど仕方ないなという感覚を押し付けあって経済を回していくしかないのかもしれません。 なんというか、悲しいのですけど、どういう方法も思いつきません。経済という理念はポジティブなものだと思うのですけど、どうにも人間の実際が追い付いていないように思うんですよね。それでもちょっとずつでも経済は成長してきたし人々の生活はよくなってきたのだからそれでいいじゃないかと言われれば、まあそうなんですけど。人間世界が素晴らしくできているのは一握りの優れた人間たちにとってだけであって、多くの凡人はなんとなく不満足をなんとなく過ぎる日常の中でなんとなく溶解させながらなんとなく過ごしていくしかないのでしょうか。 それでも多くを占める凡人がいるからこそ人間世界が成り立っているらしいことは、上手くできているものだと思います。 |