●80.キノコみたいな髪になる2021/8/27 |
髪がもっさりしてきました。これはもちろん出歩くのを控えているため髪も切りに行けないから、ではなく、いつもながらのぐうたらの結果です。いつも髪を切りに行くのも面倒で、もっさりとしてきてさすがにこれはないなと思うようになってから渋々切に行く、と見せてさらに一か月くらい粘ってから切りに行くのが常のことです。今回はどうなりますやら、わかりません。感染状況はかなり悪いですからね。もさもさしている髪を鏡で見るのは嫌ですが、出歩かないことの言い分があるのはいいことです。状況からすると何もいいことはないですが。 もっさりして困るのは、暑苦しいのと、シャンプーの減りが早くなることですね。これでもちゃんと清潔にはしているのです。清潔感はないですが。見苦しいとは思いますが、私の容姿で見苦しいのは髪に限ったことではないので問題ないでしょう。問題だらけかもしれません。太ってはいませんが。暑いのは困りますが、危機の事態に、これくらは我慢しましょう。あと、顔に髪が当たってかゆくなるのも困ることです。髪を切らなければならない理由って、意外とたくさんありますね。仕方ない、たまには切りましょう。出歩けるようになってからですが。 出歩けるようになるように日夜努力している方々には、本当に感謝しかありません。ありがとうございます。 |
●79.夏について2021/8/26 |
暑いですね。長雨で気温が低かったので、漸く少しは夏かなと感じるのですが、もう8月も終わろうとしています。暑くなってきたかなと思ったら雨で、夏だなとあまり思わない夏になりそうです。残暑はまだまだ続くのでしょうが。 私は夏は好きです。昔からノーガードで外に出て焼きまくっていたせいか、夏になるとすぐに肌が黒くなります。肌が日焼けするのが好きなんですね。日に焼けると、今年も夏が来たなと思います。なんとなく、日光を肌から吸収して何らかの栄養が摂取できているような気がします。紫外線なんだから実際はむしろ有害なはずですけどね。寝苦しいような暑い夜は、寝る前にシャワーを浴びて汗を流してから、扇風機をつけたまま就寝します。そうすれば多少は快適に寝られると数年前に気づいたのですが、今年は扇風機をつけっぱにしなければならない夜はあまりありませんでした。なんというか、毎年夏は、よしこの暑い季節を乗り越えてやるぞ、と意気込む感じなのですが、今年は不完全燃焼ですね。いいですけど。 そういえばもう何年も泳いでいません。泳ぐのは割合好きです。子供のころスイミングスクールに通っていたので、一通りは泳げますし。遅いですけどね。たまには泳ぎたいですけど、プールに行くのが、というより外に出るのが億劫なんですね。どうも、この出不精はちょっと直したいなと思います。外に出たほうが、家にこもっているよりも、気が晴れて健康的になれますから。わかっているんだから、もうちょっと外出を増やしていきたいです。 もちろん、今の世界の状況がもうちょっと改善してからの話ですが。私のような引きこもり気質には、昨今の状況も精神的に前とあまり変わりがなかったりするのです。 |
●78.頭がぼんやりする2021/8/25 |
どうも駄目ですねえ。頭がぼんやりします。集中力がありません。楽がしたくて仕方がない、しんどいことがしたくなくて仕方がない、そんな感じです。体調は全く悪くありません。むしろ快調です。気が抜けています。腑抜けている、のほうが近いかもしれません。逃避ですね。やらなければならないことって、どうしてこんなにやりたくなくなるんでしょう。やってはいけないことほど、やりたくなったり。うまく行かないものです。 ま、この場所も、最近は毎日何かしら書いているわけですけど、いつかはやめますよ。しんどいですよ、そりゃ。誰も読まないし。大体毎日話題なんてないですよ。なに書けばいいんですか。おかしいな、色々思考はしているはずなんですけど。いや、誰に強制されているわけでもなし、いつ止めてもいいんですけどね。 思考はするけど、文章にしようとすると、ちゃんと論理的に筋道立てて書かなきゃならない。思考の中でファジーに済ませていることも、きちんと示さなくてはならない。一つの話題を始めたら結論をまとめなくてはならない。論理にせよ物事にせよ、できるだけ正しいものを書かなくてはならない。いやあ、文章を書くってしんどいものですねえ。文章でお金をもらっている人ってたくさんいますけど、プロってほんとすごいものです。 別にめちゃくちゃな文章を書いてもいいんですけどね。意味不明な文章も、それはそれで価値があるかもしれません。 だからまあ、えー、そう、きっと、文章ってねえ、だから、論理なんですよね、文というものそのものが、論理で、区切りなんです、ええとだから、区切りで、区別される、区別されるということは、他があるということで、そのものが生まれるんですよね、文章って、文章を書くということそのものが、誕生というか、神のようなものです、私は神様です、そりゃないか、ふはは。 |
●77.蜘蛛はちょっと贔屓する2021/8/24 |
今日買い物に出て帰るときに、部屋の前の通路に何か黒い点が浮いていました。なにかと思うと小さい蜘蛛だったんですが、パッと見浮いているようで面白い感覚でしたね。多分天井から糸でぶら下がっていたんでしょうけど、蜘蛛の糸なんて目に見えないですからね。蜘蛛というのは羽はないですが、壁には貼り付けますし、糸も便利ですしで、色々なところに行けてすごいですね。人間サマはいつも地上の覇者みたいなでかい顔をしていますけど、もしかしたら実は本当の覇者は彼らなのかもしれない、なんてことを考えました。 そんなことを思いながら帰ってバッグを下すと、何かがツーっと落ちていく様子が。また蜘蛛でした。別の蜘蛛ですね。バッグについていたか、服についていたかしたようです。慌てたように逃げて行って、すぐ部屋の隅のどこかへ隠れてしまったので、今も私の部屋のどこかにはいるようです。私は虫が嫌いですので、例えばGから始まる例のやつなんかが出た時は大騒ぎで殺しますけど、蜘蛛はなんとなく殺さないですね。いや、大きいのが家の中にいたらさすがにやるんですけど、小さいのは目こぼしすることが多いです。パワポケの3だったかな、未踏の地に最初にたどり着くのは蜘蛛だということなので、なんとなく蜘蛛には敬意を払っているのです。 今となっては想像もつかないことですけど、生命はどこかで生まれて、世代を重ねて、どの生命かが冒険をして未踏の地にたどり着いてきたからこそ、現在この地上のあらゆる場所に生命が存在しているわけです。これは人間という種でも同じことが言えますね。アフリカのどこかで生まれたらしい人間が、誰かがどこか知らない場所へ行こうと思ったからこそ、現在我々は地球上を網羅せんばかりの生息地域を誇っているわけです。 地上の覇者と勘違いするくらいの繁栄を誇ることが果たしていいことかどうかはわかりませんが、住み慣れた場所を捨て見たことのない場所に行こうと思ったバカモノがいなければこの繁栄がなかったことは確かです。 |
●76.同じような毎日の繰り返しです2021/8/23 |
歳をとったんだろうなあと思うことが増えました。同じような毎日を繰り返している気がします。仕事がある日かない日かの違いがあるだけで、それぞれは大体同じような日々です。時々寝る前にもう死んでしまえと思います。生きているということは可能性があるということだと思うのですが、いったい私になんの可能性があるのですかね。鬱ではないですよ。死にたいわけではないですから。活力もあります。正直、体力だけなら今が生涯で一番です。ただ、ぼんやりと、こんなことを続けていても何にもならないよなあと思うばかりです。 私は何がしたいんでしょう。自分の欲望をしっかりと捉えるということは、案外難しいことのようです。これができるのなら、小説にでも昇華させればいいものができるかもしれません。とはいえ、どのような状態になれば私は、つまり人間は完全に充足するのでしょう。人から称賛を浴びればいいのでしょうか。しかしどんな功績を残した人間であれ、世界中の人間全員からの称賛をもらえるわけではありません。仮に世界中の人間が私を褒めたたえてくれるとすれば、それは全てが単調な世界であって、多彩でない世界にどれくらいの魅力があるのでしょう。婦女子を好きに暴行できればいいのでしょうか。本当にそうでしょうか。相手も喜んでくれないのなら、自分だけが気持ちよくなったって本当の快楽は得られないでしょう。では全ての女子が自分のことだけを好きならいいですか。しかし何をしても好きになってくれるのなら、自分なんていないも同然ではないですか。そもそも完全な満足が得られ、しかもその状態がずっと続いているのなら、もう生きる意味はないのではないでしょうか。 満たされないから生なのだし、満たされないから生きるのだし、だけど満たされないから辛いのです。人生って辛いものなのですよね。 でも、ぼんやりと、私にもまだ何かできることがあるんじゃないかと、そんなことも思う、思ってしまう。繰り返し。人生って多分、そんなものです。 |
●75.のどがちょっと痛かった2021/8/22 |
今日はちょっとだけ喉が痛かったです。さかのぼれば一昨日かな、長雨で寒いのに窓を開けっ放しで寝たせいで、ちょっとだけ喉を傷めていました。すぐに回復しなかったのは昨日の夜扇風機に当たったせいでしょう。今日の日中もしかしたら悪化するかもなあと思っていたのですが、どうやら今はもう治ってしまったようです。夏ですし、風邪のウイルスも弱いのでしょう。ただ、まだ悪化させないよう油断しないようにします。 反省点としては、最初の異変に気付いたときに放置したことです。最初の、一昨日の睡眠から目覚めた段階で、体を冷やさないようにと注意していれば、痛みを感じるほどにさえならなかったはずです。人間には、まあ大丈夫だろうと、異変を過小評価する傾向があるようです。きちんと事態を評価して、正しい対応をするように心がけたいですね。なぜ異変を過小評価するかというと、対応するのが面倒だからでしょうね。例えば一枚服を余分に着ることですら、手間といえば手間ですから。できるだけ、動かないで済むように考えてしまう。これを回避するためには、自分は事態を正確に測らないようする傾向があることを理解して注意することと、事態を放置して悪化させてしまうと結局より手間がかかるということを理解して意識することでしょうか。私も長いこと生きてきて何度も風邪をひきました。風邪をひいてしまうとたくさん寝なければならなかったり病院に行かなければならなかったり、健康な状態でいるよりもよほど面倒なことになるとわかっています。夏だったことと、おそらく私の体内に病原菌があまりいなかったおかげで大事に至りませんでしたが、今回はちょっと油断していました。反省です。 しかもこの情勢下で体調不良のリスクを冒していしまうのだから、私も自覚が足りないものです。いつも気を張っているわけにも行かないのですが、体調管理はしっかりしたいものですね。 しかしまあ、毎日マスクを着用し、帰ったら手洗いうがいを徹底しているのに、病原菌は体に入り込んでいるのですね(私の対策が甘いのかもしれませんが)。ウイルスを体に入れないというのも、中々難しいものだと実感します。 |
●74.私のツイッターが完全にポエムなんだが2021/8/21 |
ツイッターに毎日練習絵を描いて投稿しているんですが、ついでにパンデミック下で頑張る人を応援する文章を書いているんですが、これが完全にポエムです。首を吊りたいですが、誰も読んでないしいいか。恥の多い生涯を送ってきました。恥なんて多いくらいが、人生楽しくていいんじゃないでしょうか。 実際パンデミックはいつ収まるんでしょうねえ。ワクチンが行きわたればなんて私は気楽に思ったりするんですが、実際のところ感染者が完全にいなくなるなんてことはないでしょうね。長い年月かけてちょっとずつ耐性をつけて、季節病みたいにしていくしかないんでしょうね。つまりまだまだ収まらない。とはいえワクチンが行きわたれば重症者が減って医療体制も整うはずですので、希望はあると思います。ただウイルスが相手ですので、色々なことが未知数で、ワクチンだけに希望を抱くのは良くないことだと思いますけどね。色々な想定と覚悟をしておくべきだと思います。 収まった未来のことなんて呑気なことを言っていられないくらい、都会の方では医療崩壊が深刻なようです。私は首都圏に比べれば田舎といっていい地方に住んでいるので呑気なものです。地方在住者には都会在住者に対するコンプレックスがあるので、ざまあみろという気がないでもないですが、とはいえ早く収まってくれることを祈るのみです。この状況下でも音楽祭をしたり運動会をしたりする人間にはかける言葉もないですが。 基本的に人間は集めたほうが色々と効率的なんですよね。例えばインフラだって、人間を一極に集中させればその場所にだけ作ればいいことになります。ただ災害なんかが起これば全滅してしまうというリスクがあります。感染症も人が集まれば集まるほど高まるリスクの一つなのですね。私なんかは今回のパンデミックが起こるまで感染症のリスクなんて全然認識していませんでしたが。先の話にはなりますが、これからはそういったリスクのことも勘案しながら、都市や国家のデザインをしてかなければならないと思います。地方在住者のひがみではありますが、今までこの共同体は都会優先だったように思います。いやそりゃ、政治的には色々な制度や政策で地方振興もきちんとやっていたわけですけど、なによりも民衆のマインドが都会優先で、結局栄えるのはもともと栄えている都会ばかりとなっていたように思います。今回のパンデミックをそうした都会優先マインドの転換の機会とできればと思うんですけど、まあまだまだ先の話ですね。今はとにかくこの苦境を乗り切りましょう。 それと、医療崩壊に見舞われながらも一人でも多くの命を助けようと尽力する医療関係者の皆様には心からの敬服と感謝を送ります。ありがとうございます。 |
●73.睡眠の大事さを確認してみる2021/8/20 |
最近生活のリズムが狂っています。睡眠時間が6時間を切ることがたまにあります。昔は忙しくても8時間睡眠だったんですけどねえ。去年からかな、7時間でもいけんじゃんってなって、6時間でもいけんじゃんってなって、どんどん睡眠時間が減っていってます。睡眠の大事さは理解しています。いや、理解していないのか。人間、なんで寝るんでしょうね。パソコンのアップデートみたいなものだという理解であっているのでしょうか。明らかに脳がその日の活動の整理と対応をしていますよね。睡眠で疲労が取れるのもよくわかりません。ゆったりだらだらするのとどう違うのでしょうか。ああ、脳の活動量が全然違うか。起きているだけでも、脳は色々な処理に追われていますから。おそらく脳以外も寝ているときと寝ていない時では活動量が全然違いますね。睡眠は大事です。疲れていなくても寝なくてはいけないでしょうか。いけないんでしょう。疲れを感じていなくても、感じていないだけのことで、起きているだけで脳や体は活動して疲労していますから。 6時間切ると6時間以上とは全然違いますね。眠いし疲労感もあるし集中力も落ちる。6時間、できれば7時間は寝る時間を確保するべきでしょう。私の場合は、ですが。こういうのは、個人差があるのでしょうか。多分私の場合、ベストは7.5時間だと思います。眠気もなく頭もスッキリしています。ただ、必ず7.5時間にしよう、と焦ってしまうと、精神的に追い詰められてしまって逆に悪くなりがちなので、ある程度寝られていればいいかな、ぐらいのスタンスでいるのがいいように思います。 概ね、休みと出勤日の間の睡眠が一番駄目ですね。寝床に行きたくなくて仕方がない。イライラするのではなく、もうちょっともうちょっととだらだらと引き延ばし続ける感じです。仕事に対する逃避なんですよね。もっとずっと休日のままでいたい。どうせ寝なきゃいけないのだし、寝てないほうが疲れがあって仕事も辛くなるのだから、もうちょっと理性を勝たせてさっさと寝ないといけないですね。眠気があり集中力を欠いた状態でだらだらと起き続けるより、しっかり寝て元気に活動するほうが絶対にいいです。頭では理解しています。あとはどう理性を勝たせて行動するか、ですね。それが難しいのです。 |
●72.文字間違い2021/8/19 |
ワクチン接種の接種という字を摂取と間違えてしまいました。食べるんでしょうか。普段から字を書かないのでいけませんね。恥ずかしい。言葉なんて、伝わればいいので別にいいのです。一個ずつとかも、「ずつ」なのか「づつ」なのかいつも悩みます。これは字を書く書かないは関係ないですね。今はネットがあるのだからちょっと調べればすぐわかることなのですけど、言葉なんて伝わればいいのでどっちでもいいんですよ。 そんなわけで私もようやくワクチン接種をします。予約をしただけなのでもう少し先ですが。一年ちょっとでワクチンが実用化されているのだから、いい時代に生まれたものですね。しかもこんなに早く接種できる(だろう)のは、行政機構がしっかりしている場所に生まれついたからのことで、あまりにも幸運なことだと言わなくてはなりません。もちろんワクチン接種はパンデミックを収束させるために必要な事柄で、個人の特権にして良いものではありません。しかし現実問題として、特権めいたものにならざるを得ないことも事実です。せめて先に受けることができた人は、できるだけ特権めいたものにしないために、なるべく後回しになった人たちと同じような精神性で日々を過ごすべきではないでしょうか。こんなことを言うと、経済がどうのこうのといわれそうですが、そりゃそうでしょうけど、一人前の大人なら節度というものがあってしかるべきです。もちろん私だって、平和で経済力のある場所に生まれついた特権を日々謳歌し、恵まれない場所に生まれつた人たちを顧みることもないのですが、だからといって開き直って生きていくのも良くないことです。なるべく格差や差別がなくなるように生きていきたいものですね。 だから、ワクチンを打ったあと特に日常を大きく変えるつもりはないですけど、うがいをですね、ちょっと今過剰になっちゃっているので、そこはパンデミック以前程度に戻したいと思っています。あとはどうなりますか、私が二回受け終わるころにはこの社会のワクチン接種率もかなり高くなっていると思いますので、ある程度収まってくれているといいと思うのですけどね。社会全体で収まってくれれば、私だって外をウロチョロすることになんの文句も言いませんよ。私自身は、元々引きこもり気質なので、どうなるかわかりませんけど。 とはいえ生き物――ウイルスは生き物じゃないのか――細菌が相手ですからね、予断は禁物です。二か月後には収まっていてほしいなあと、そんな願望を抱いている、くらいにしておきましょう。 |
●71.民主主義について2021/8/18 |
私は昔から民主主義が大嫌いです。こう書くと独裁主義者のように聞こえそうですが、独裁やエリート主義はもっと嫌いですね。好き嫌いは置いといて、良い政治体制かどうかでいっても、民主政は決していいものではないと思います。もちろん、独裁政や寡頭政はもっと良くないものだと思っているわけですが。他に良さそうな政治体制がないんだから、民主政を支持するしか仕方がない。 自分が所属している共同体が民主体制を敷いていて、民衆がその政体を支持しているのなら、その共同体の政治に対して民衆は責任を持つべきです。政治のすることに文句を言うなというつもりはありませんが、政治がするべきことをしていないからといって、自分もするべきことをしないということは間違っているのではないかと思います。政治が誤った判断をしているのなら、自分までその判断に従う必要はない、いやそれはないな、悪法でも余程でなければなるべくなら従った方がいいですね、そうじゃなくて、為すべき規制をしていないとしても、民衆は踏み外すべきではないという感じですかね。もちろん民衆には色々な人がいるのだし、各人の判断に全てを委ねていてはてんでんばらばらの行動になってしまいます。だから公的機関に権力を委ねて旗振り役をさせるわけですけど、危機の時代なんだから公権力に危機意識が欠如しているとしたって自分たちで考えてまともに動きなさいと。もちろんそんな公権力も民衆が選んだものなのだから、そんな人たちを選ぶ民衆にそんなまともな知性を求めるのも無理なんでしょうけど。 ここまで書いてきて、あまりにも傲慢ですね。私は自分を何様だと思っているのでしょうね。うんこちんちん。 どうも私は民主主義は間違っているといつも思うのですけど。ええ、独裁は間違っていますよ。それは歴史が証明しています。相対的な話なら、民主主義はこんなに正しい政体はないです。でもなあ、といつも思ってしまいます。うんこちんちん。 |
●70.アクションカメラを買ってみた2021/8/17 |
アクションカメラを買ってみました。いったい何に使うのでしょう。きっと私の部屋のオブジェになるのでしょうね。ただ、この小ささはちょっと買ってみたくなったんですよね。どうせ使わない可能性を考えて、ちゃんと安物を買いました。画質があまり良くないですね。値段相応ということでしょうか。 衝動買いすると後悔することが多いです。だから特に大きい買い物をするときは買いたいと思ったときに買わず何日か熟考することです。とはいえ、時には衝動買いしたくなることもあります。後悔するかもしれないと思いながら買うなら、多少は後悔の度合いも少なくなるのではないでしょうか。最近買った後悔はヘッドセットですね。家電屋で衝動買いしたんですけど、日和って一段階安いほうを買ったんですよね。これも一度持ち帰って考えていれば、高いほうを買ったかもしれません。いえ、それなりにいいものなので、それなりに満足しているのですけど。 大きい買い物でいえば、パソコンは去年新しくしたのですけど後悔は全くないですね。これは半年くらい考えてから買いました。パソコンは、家にいるときはほとんど触っているので、私にとってこんな大事なものはないのです。3年くらいは最低でも使いたいと思っているので、こういうものを考えずに買うと、後悔も大きくなります。ちゃんと冷静になれてよかったと思います。 さてアクションカメラですが、どうしましょうか。ちょっと恥ずかしながら、私は踊ってみたいなという願望がありますので、色々な環境が整ってからにはなりますが、そういう願望を恥を忍んでやっていくかもしれません。人生に絶望しながら生きるよりは、恥ずかしくてもなるべくやりたいことをやっていくように生きるほうが、多少なりとも健全なのではないかと。お絵描きを始めてもう大分経ちますが、お絵描きもそういう動機で始めたことです。若い時から開き直れていたらとは思いますが、歳をとったからこそできた開き直りであるとも言えます。もちろん、もし若い自分にアドバイスができるのなら、恥ずかしがらずにさっさと開き直れと言いますけどね。(素直に聞き入れるかどうかはかなり怪しいですが。) |
●69.いつも心にうんこちんちんを2021/8/16 |
どうもここの文章をいつも悩みすぎています。こんな時はうんこちんちんです。 うんこちんちん。うんこちんちん。うんこうんこうんこ。うんこ? うんこ! ちーんちん。ちーんちん。ちーんちん。ちーんちん。 うんこちんちん。うんこちんちん。うんこちんちんうんこちんちんうんこちんちんうんこちんちん。うんこ! ちんちん! うんこ! ちんちん! いつも心にうんこちんちんを! (大丈夫です。狂ってないです。多分。) |
●68.戦争について2021/8/15 |
今年も戦争の悲惨さが語られる時期がやってきました。私はへそ曲がりな人間なので、戦争の悲惨さを語ることにどれだけの意味があるんだろうなんて思いますが、まあ意味はあるでしょうね。共同体の総意として戦争を憎んでいれば、集団としてなるべく戦争を回避する方向性を志向するでしょうから。とはいえ戦争が悲惨でなかった時代なんてないでしょうけどね。それでも歴史上人間は数限りない戦争を繰り広げてきました。戦争を起こした人間は、戦争の悲惨さをあまり知らなかったのでしょうか。そうかもしれません。大体、戦争で大量の殺戮が起こるようになったのは近代になってかららしいですから。いや、でも古代でも穴埋めとかあったしなあ。古代よりは一人の人間の価値が高くなったというのはあるかもしれませんね。 戦争は悲惨なものでしょうか。なにを当たり前のこと言っているのでしょう。そんなけしからんことを言うやつは穴埋めにしてしまえ。埋められたら息ができないじゃないですか。でもまあ、そうですね。戦争は悲惨だと思います。若く健康な人間が大量に死にますからね。私みたいな陰の者は陽キャが大量に死んでくれれば笑いが止まらなくなりそうですが、いえ、穴に埋められては困るので止めておきます。若い人間が死ぬのは悲惨でしょう。老人ならいいのかと言われるかもしれませんが、人間には順番というものがありますからね、そりゃ老人だって死ぬのは悲惨でしょうけど、若い人間が死ぬのとどっちがという話ですし、戦争において兵士になるのは若者だという話です。私も当事者になれば若者を押しのけてでも生きたいと思うようになるのでしょうかね。人間、というより生き物は老衰というシステムを作ることで種としての新鮮さを保つシステムを作ったのだと思うのですけどね。まあ、誰も言っていない抗議を聞くのはやめましょう。若い人が、病気で死んだりなんかもしますけど、それだって悲惨だし、そうしたことを無くすためにお医者様方が日々努力しているわけです。 日常生活が不自由になる、灯火管制とか配給とかですね、そういうのはどうでしょう。悲惨といえば悲惨ですが、報酬に代償が必要なのは当たり前のことです。労働だって不自由を差し出してその見返りに賃金をもらうわけじゃないですか。戦争の報酬って、あまり語られないですけど、戦争だって報酬のために行われるんですよね。別に戦闘民族で戦いたくて仕方ないからするわけじゃない。いや、人間って闘争が好きなんだと思うし、根っこにはそういうところもあるとは思うんですけど、とりあえず直接的な動機としては何らかの見返りが欲しくて戦争に打って出るわけです。そう考えれば、若者の命だって、何らかの報酬のために差し出しているんだってことですね。ということは日常の不自由も命も代償という意味では一緒か。じゃあ日常生活の不自由も問題は甘受しうる不利益か否かということですね。 戦争と労働って、どう違うんでしょうね。国家がやるか個人がやるかでしょうか。戦争には勝者と敗者がいて、敗者は失うばかりで得るものがないことでしょうか。差し出すもの(命)の価値の大きさでしょうか。うーん、まあ、そりゃ、全然違いますよね。全然違いますけどね。 戦争のことはさすがに私の手には余りますね。もう少し色々考えてみたいですね。 |
●67.私の信仰心について2021/8/14 |
私は弱い人間ですが、今のところ信仰に救いを求めようとは思いません。神はいないと思っていますし、死んだら無になるだけだと思います。無というとよくわかりませんが、要は生まれる前の状態と同じになると思えば良いのではないでしょうか。死後の世界というものがあるのかないのか知ることはできませんが、私たちに生まれる前というものがあったことは確かです。生まれる前の状態といってももちろん模糊としてよくわかりませんが、つまり模糊としてよくわからない状態ということでしょう。単に記憶を失っただけかもしれませんが、そういえば生きている状態でも、過去って曖昧なものですね。生の連続性から考えれば過去は確かに実際に在ったものなのでしょうけど、その存在を今どうすれば証明できるでしょうか。世界五分前仮説のようなもので、ああいうのは思考の遊びとして面白いですね。 私はしばしばこの世は地獄だと思います。そんなことは捉え方次第でしょうが、つまりは捉え方次第では人生はひどいものであり得るということです。辛い時、信仰にすがれば少しは楽になれるのでしょうけど、今のところまだそういう気にはなれません。落ち込んでいるときにはこの世は地獄だと思いますし、冷静に考えてもこの世は地獄だと思いますけど、地獄だからといって楽しんではいけないという決まりもないでしょう。辛くて苦しくて嫌で嫌でしようがなくて、最期はどうして生まれてきてしまったのかと嘆息しながら死んでいくのも一興ではないでしょうか。実際のところ、そこまでになったらさすがに救いを求めるとは思いますが。つまり今のところ私にとって、人生はそこまでの地獄ではないということですね。楽しめる程度の地獄です。温泉か何かでしょうか。 時々思うことですが、人間はこの現世という地獄を少しでも生きやすいように作り替えることができるんですね。歴史はそうした人間たちの努力の足跡だし、実際に少しづつでもこの世は生きやすくなってきていると思います。そう理解すれば、多少なりとも生きやすい現代を作ってくれた先人たちに拝礼し、多少なりともさらに生きやすい後代を作って後人たちに伝えていくべきだなんて殊勝なことを思ったりもしますけど、駄目ですね、駄目人間ですので、そんなことは全然やる気は起きないのです。大体先人たちは自分たちのために世界を作り替えていっただけなのだし、現代人も自分たちのために世界を作り替えていけばいいだけのことですね。人間というものは結局自分のためにしか生きられない生き物なのではないかと思います。とはいえ自分にとって都合のいい世界は他人にとっても都合のいい世界だったりもするわけですけど。 悲観したり前向きになったり、人間なかなかうまく行かないものですけどね。 |
●66.ユニークな自分について2021/8/13 |
時々なんで自分はこんなに人と違うのだろうと思います。思春期かな。今でいえば、みんな自粛マインドが落ちて出歩くようになっていましたけど、私はなるべく家に引きこもっていました。別に胸張っているわけじゃないですよ。私も出勤したり弁当などの買い物はしていたのですから、威張れるような生活をしていたわけではありません。8月13日現在なら、感染が爆発しているといっていい状況ですので、多少は自粛マインドが復活していると思いますけど、半月前くらいなら、完全に弛緩していましたからね。もちろんこれはおそらく完全な勘違いで、半月前でもきちんと自粛を続けていた人はいるはずだし、だからこそ私はツイッターでひっそりと自粛をしている人を褒めていたわけですが、ただマインドの違いとして、私は堂々と公の場で競技をするアスリートに対して腹を立てていましたが、多くの人間は喝采を送っていたというのがあって、多少の寂しさを感じたという話です。 人とうまく話すことができないし、人と同じものを楽しむこともできない、孤立感を深めて、自分を正当化するために他人が間違っているのだと決めつけ、攻撃的になり、もっと孤立していってしまうという悪循環。他人とは適当に距離を置いて一人で楽しんでいればいいさと、悟りの境地に達するまでには至らず、懊悩は深まるばかりです。いや、実際はそんなに悩んでいないですけどね。時々、なんで自分はこんなに人と違うのだろうと、小さなため息を吐きたくなるだけです。 私が尊敬している人間の一人の森博嗣は、創作は新しさを目指すべきで、ユニークな人間であることはいいことだ、みたいなことを言っています。自分が本当にユニークな人間なのなら、創作には向いているのでしょうか。どうでしょうね。実際のところ、人とうまく馴染めないだけで、そんなにユニークな人間というわけではないですから。他人とのコミュニケーションが苦手な人間なんて、世の中にありふれていますよね。 なにか新しさを持ったものを作れればいいですけどね。いつか何か作ってみたいですね。 |
●65.絵の練習をしよう2021/8/12 |
絵の練習をしていこうと思います。しばらくなるべく毎日、30分くらい描いてツイッターに投稿すればいいかな。ひどい出来ですけど、人に見せるためのものではないのでいいのです。何も見ずに描くと何もかもがおかしくなるので、自撮りした写真を参考にしながら。骨格とか筋肉の様子が分かっていいんじゃないでしょうか。 雑もいいところですけど、とりあえず量をこなすのと、一枚を時間をかけて丁寧に仕上げるのと、どちらが経験値になるのでしょうか。とりあえず、嫌になるまではしばらくこれをやっていってみようかな、と思います。絵については、もう少し上達したくて、何かしてみようかなと思っていたので、できるだけ習慣にして、なるべく毎日ペンに触れるようにすればいいのかあ、という感じです。 私は絵を描ける人間ではないのですけどね。描きたいと思ったので描くだけです。やりたいことやってるので、楽しいですよ、上手く行かないことばかりですけど。 |
●64.疲れました2021/8/11 |
うーん、なんというか迷走しています。ツイッターに絵を投稿してるのですけど。絵の練習でもしようと思っているのか自粛している人を褒めようと思っているのか、なんにせよ私は絵が下手だなあと思います。正直何をしているのかよくわかりません。仕事して帰って疲れているけど絵を描くんだけどうまく書けないし疲れているから手を抜けばいいやと思うけどできたものは何だこりゃひどいとしか思えないものだったりでも描かないよりは描いていたほうが上達はするよなあと思ったり。まだ結果を出すのは早いのでもう少し続け……いやこの状態ではたぶん続かないですね。まだうまく描けるのならモチベーションも持ちますけど、疲れていて空腹でしかも煮詰まるのは、無理でしょう。 ツイッターって、即物的な、ライブ的な場所ですよね。推敲の必要な、作品の場所ではなく。だったら、迷走ぷりもそのまま垂れ流しておくか。 もうオリンピックも終わったし、これ以上自粛した人を褒めるのも意味が分からない気がしてきました。いやでも自粛している人は偉いと思いますよ。もう少し頑張っている人を褒めるべきだと思いますがね。私は褒めますよ。それだけはもう少し続けよう。 |
●63.筋トレ的な話2021/8/10 |
何のためにここの文章はあるのでしょうかね。私以外に読む人はいるのでしょうか。自分のために書けばいいか。 筋トレするときは一日おきがいいとか二日おきがいいとか言いますが、私の経験則では毎日するのがいいと思います。超回復って、理屈はわかるのですが、経験的には毎日のほうがいいようですね。外走ってた時も、仕事の日は走らないのですけど、連休とかで日を置かずに走った時によく力がついていたように思います。今は毎日室内でちょっとした運動をしているので、人生一の筋量かもしれません。筋量が多いほうが、トレーニング自体もきつくなくなるので、つまりトレーニングをするための筋量が備わっているからですが、毎日した方が楽でいいのじゃないでしょうか。生活のリズムということもあります。ただ、最近残業せずに帰れているので、残業があっても毎日無理なくトレーニングできるかどうかは、もう少し観察した方がいいかもしれません。 いずれにせよ、いかに無理なく継続できる体制を整えて、途切れなく継続していくか、でしょうね。 |
●62.コストと成果について2021/8/9 |
最近岩田聡さんの本(『岩田聡はこんなことを話していた』)を読んだんですけど、それを読んでというか、それまでに考えていたこととか、ちょっと書いとこうと思います。 仕事において、コストは不可欠なものです。仕事というのは結果とか成果のことで、コストとは労働力のことです。労働力について、私はとにかく時間と労力(エネルギー)であると思っていて、成果とか労働力について、数式で表せないものかな、とかずっと考えていました。試みにやってみるとこんな感じです。 時間×労力=成果 こんなこと改めて数式にするまでもない自明のことですね。思考の遊びみたいなものなので、それでいいのです。 岩田さんという人は凄腕のプログラマでありながら会社の経営に携わることになってしまった人で、経営者側と労働者側どちらの立場からの視点も持っていた人です。際限なく頑張って時間をかければより良いものができることはわかっているけど、時間も労力も有限であることはわかっていないといけない、というようなことを言っていたりしました。こういう人の下で働くことができたらなあなんて思ったりするわけですけど、どうでしょう、私が知らないだけでそこら辺の会社の経営者もみんなそれくらいのことは考えているものでしょうか。 物事は大体において一つ得れば一つ失うものだ、だけど時に一つのことで複数の問題を解決できることがある、それがアイデアだ、なんてことも言っていて、私はこれを読んで一つ気づかされたというか、コストと成果の関係は常に一定ではないよな、と思いました。数式にちょっと加えるとこうです。 コスト(時間×労力)×効率=成果 これも当たり前すぎるくらい当たり前のことですね。効率という概念があることもそれが重要であることもわかっていたんですけど、岩田さんのアイデアについての話に触発されてちょっと考えが固まりました。成果を求めるとき、かけられるコストには限界があるので、効率を追求(アイデア)すべき、という感じでしょうか。まあこんなこと考えたって私の生活において何の役にも立たないのですけど。 岩田聡さんは好きですね。しばしば忘れてしまうことですけど、尊敬できる人は世の中にたくさん存在しています。 |
●61.気取らない文章を書きたい2021/8/8 |
どうも気取った文章を書こうとしてあとから見て恥ずかしくなるような文章を書いてしまっていますね。おちんちん。おちんちん。うんこちんちん。うんこちんちん。私の文章なんてこれでいいんです。 低俗な言葉を書こうと思って、おちんちん、の次に、女性器の方も書こうと思ったのですけど、この場所は全年齢向けなのでやめておきました。なんとなく、ちんちんは良くても、おま……の方は言ってはならないという風潮がありますね。なぜでしょうね。性器のスラング(……幼児語?)という意味では同じなはずなのですが。私のような人間が興奮して腰を振りだしたら困るからでしょうか(冗談です)。これもちょっとしたジェンダー差別の一つかもしれませんね。だとしても公衆の面前でみんながおま……と叫ぶようになっても困ったものですが。ちんちんと叫ばれても困りますけどね。 うーん、性器とか排泄物については公衆の面前では触れるべきではないという感覚があるけれど、ちんちんくらいは許されるのは、幼児のころの記憶というか、諧謔的に幼児の真似をしている感じだからじゃないでしょうか。幼児がおちんちんと言うのは、大人たちはちょっと眉を顰めますけど容認しますよね。おま……は、幼児であっても容認されないか。やっぱりなんとなくセックスを連想させるから、タブー視するんでしょうか。でもそれだとちんちんも……。女性はか弱く、暴行を受ける側になりやすいということで、子供のころからなるべく触れないようにしておいて、なるべくトラブルが起こらないようにしたということでしょうか。うーん、いずれにせよ、男性優位社会の余波の一つのように思いますけど。 といって、是正するとすれば、おま……も開け広げに言えるようになるという方向ではなくて、おちんちんもあまり触れないようにしましょうという方向になるように思います。うーんしかし、それでいいんでしょうか。 私なんかはここでこそちんちんくらい言いますけど、普段人前で性器のことなんてとても口に出せない人間です。そんなこんなで、他者に対して胸襟を開けない人間になっている気がしないでもないです。性って、そんなにタブー視しなくちゃならない話題ですかね。ああいや、だから、人付き合いの良い人たちは上手いことそういうことも話題にしたりしながら人と仲良くなっていくわけですね。過度にタブー視しているのは私だけかもしれません。 とりあえず気取らない文章を書くようにしよう。うんこちんちん。うんこちんちん。 |