●20.特に演技する必要もないので2019/10/25 |
特に演技する必要もないので言ってしまうけど、着せ替えゲーム全然やられないな。もう少しサイト訪れる人増えるかと思ってたんだけど、現実は厳しい。広報……というのはさらなる現実逃避でしかないな。もっといいゲームを作りましょうということか。 で、落ち込んでる暇もないので次作っています。というか本来並行して作っていたので、続けているという方が適切なんだけど、着せ替えゲームの方が優先だったので、再開というのが一番合ってる。お触りゲーム。 創作意欲というのは前のゲームの完成前くらいが一番高まるものなのか、着せ替え作りながら色々と考えていました。一気呵成に行きたいところだけど、そう簡単に完成するはずもなく、ぼちぼちやっていく、ということでしかない。なんか、一週間くらい前に、妙な全能感があった。今はもう落ち着いたけど。その時に考えたことをぼちぼち実現したい。具体的には、お触りゲームだけどゲーム性を持たせて、スコアをつけたりすればちょっとは面白いかな、とか。 目下の目標としては、簡易版=体験版を作ること。3シーンor4シーン作る予定だけど、そのうちの一つを公開する。服差分を作らなければ早いかな。年内……はやっぱり楽観なんだろうな。年内の公開が目標で、ダメかもしれないけどとにかく前に進んで行く。 とはいえ日々のストレス解消もしつつなので、気張らずに。無理せずに。つぶれないように。いつかはつぶれるんだろうけど、もう少しは進んで行きたいよ。 |
●19.アマレナちゃん着せ替えゲーム公開2019/10/20 |
アマレナちゃん着せ替えゲーム公開しました。昔flashゲームはよく探して遊んでて、着せ替えゲームもその一つで、ゲーム作るんなら一回作ってみたかったので。多少のゲーム性を持たせたのは、経験上着せ替えって脱がしたらそれで満足して終わっちゃうけど、製作者としてはせっかく描いた服はちゃんと一回くらいは着せ替えてみてほしいからですね。だったらゲーム性的に着せ替えざるを得ないようにしようと。その目論見は成功しているかどうか。そもそもこのゲームをやってくれる人はいるのかどうか。まぁ頑張って作りました。 んで、あえてここで書くんだけど、脱がせるのも少しだけわかりづらくしたほかに、ちょっとだけのお触りと絶頂、それとおしっこをさせられるようにしている。おしっこはポイント的にかなり厳しくしたので、ここまでやってくれれば製作者的にはすごくうれしい。ただ絶頂もおしっこも液が出るわけだけど、これがかなり見づらい。もともと絵的に見づらいうえに背景が白いので全然見えない。なのでちょっとだけ背景には色を付けているわけだけど、そもそも背景を描けということですね。今後描かないと断言することはないけれど、どうでしょう。この後はお触りゲームを作る予定なので。もう十一月が来そうですよマジか。ただ、プログラム的に、服の種類を増やしたりはある程度し易くはしている。葉っぱとか描いてもよかったかなーとか。気持ち悪いか。でも絆創膏は今回の白眉だと思う。 おしっこはショーツを脱がせていないとさせられない仕様になっている。これはもちろん衣服越しのおしっこを描くとすればとんでもない作業量になるからですね。ただお漏らしのだいご味はショーツやズボンに染みができてそこからどんどん漏れ出てくる様子、あるいは、衣服を汚してしまいながら股間に溢れる液体の温もりを感じる羞恥の感情にあることは理解しています。ただもう、いや、無理ですよ。いつかそういうのも表現したいですけどね。ただ……無理だろ……時間的な問題で。 あの、ついてきてますか? 皆さん引いてないですか。とはいえ僕の変態度なんて、世の中の変態に比べたら些細なものだなんてこと理解してますけどね。むしろ多少のコンプレックスがあるくらいですからね。 話が逸れているな。愛液はショーツを履かせたままでもでる仕様になっている。でも染みができたり溢れてきたりはしない。この辺も妥協の産物で。脱がせないとでないようにしても良かったんだけど、何となく。早めに(脱がせないうちから)触れた方がいいよねってことでしょうか。ただ……そもそも愛液見えないでしょう? やっぱり液の見づらさは失敗かなあ。おしっこも、上の服は着たままでもさせられるんだけど、服によっては当たるだろってのがある。でも着衣おしっこはロマン――うーん、この辺の判断はよくわからないです。汚れないのは妥協だと思います。 バグとかあったらごめんなさい。製作中でも時々変な挙動が起こって笑う。バグ取りは本当につらい作業だ。ただ、どんな不具合も必ず原因があるので面白いんですけどね。原因を特定できない時は泣きそうになる。影響が色んなところにあると頭が沸きそうになる。多分デバッグはかなり甘いと思います。ごめんなさい。何か見つけた人で、教えてやってもいいと思った人は、こそっと教えてください。えっと、メルアドは公開してなかったかな。メインページに書いときます。あまりチェックしてないんですけど(汗。あとピクシブからとか。でも本当、遊んでもらえるだけで最高なので、別に何も言わなくていいですよ。バグがあったらごめんなさい、とだけ。 前回の更新から一か月以上空いているのか。ここ(ひなまごと)くらいは更新すればいいんだけど、ゲーム作り終えたときと一緒でいいやと思ってたら、いつの間にか十月も二十日になっていました。前回の更新くらいの時(九月くらい)には、九月中にはいくら何でも作り終えれるだろう、くらいに思っていたと思うんだけど。大体漫画でもゲームでも、製作期間は当初の目論見から必ず延びる。延びる幅は、三倍くらい? 三倍は言い過ぎかな。でも倍以上には必ずなる。辛い。いつも焦る。原因は、そもそも楽観視しすぎなのと、怠惰と、両方でしょうね。ただ、作り始めるためにはある程度の楽観は必要なんじゃないかとも思うわけです。お触りゲームはいつ完成するのかな。その次の作品はいつできるのかな。その次は? 色々作りたいんですけどね。漫画もね。 まぁそんなに気張らずにやります。 |
●18.久しぶりに2019/9/12 |
しばらく体調を崩していた。多分メンタルの問題で、めまいとか不眠とか、耳鳴りとかがあって、しばらく創作はお休みしていた。二か月くらいはさぼっていたのか。先日、あねあるじを更新できたので、もう復帰ということで。 さて何が原因だったのか。仕事なのか創作だったのか、よくわからない。とりあえず仕事については、多少改善させた。色々と反省するべきところはある。ただここで述べることではない。 というわけで前よりも創作に注力できる環境にちょっとはなったのだけど、だからといって創作をバリバリやるぞ、となるわけでもない。実際体調不良が創作のせいでなかった、という保証はないからだ。創作はやりがいはあるだろうけど、辛いししんどい。そのことは忘れるべきではないと思う。 今後の予定としては、このサイトで動かすアマレナちゃんのゲームを作る、というのが最初。それからアマレナちゃんのお触りゲーム。夏、とか言ってたけど無理。もう夏は終わりました。今年中、も無理だろう。なるべく早く、としか言えない。あねあるじも途中になっている。優先順位は低いけど、やっていきたい。全10本予定の、あと7本。 あと、小説も書いてたりしたんだけど、どうすっかなーと思い中。こうした色々をパラレルに進めていくのがいいと思っていたんだけど、パンクするわな。とりあえずゆっくりと進めていくつもり。 |
●17.とりあえずおっぱいとかいっときゃ明るくなるか?2019/6/21 |
若いうちの苦労は買ってでもしろという定型句があるけれど、僕なら楽ができるんなら今のうちにしておけという。人生というものは、先に苦労したからといって後が楽になるものではないからだ。若い時も苦しかったけれど、多少歳を取った今も十分に苦しい。多分もっと歳を取ってからも変わりなく苦しいのだろう。苦しさを肯定できると、それは苦しさではないと思うので、今の苦しみからは逃れたくてしょうがないのだけど、まあ、生きることっていうのはこういうものさと変にさとしく言うしかない。 この苦しさがどこから来るのか、よく判別しえない。仕事が嫌なのか、創作が嫌なのか。それらを両立することが苦しいのかもしれない。創作に情熱を感じることができるのなら、仕事に邪魔されるのは苦渋でしかないのだから。いっそやめてしまえば楽にはなるのだろうけど、創作の無い人生は僕にとって僕の人生ではないだろう。 とはいえ僕は一体何を作ればいいのか。世の中には既に必要なものは出そろってしまっているのではないか。もちろんそんなことはないはずだ。つまり創造力の欠如。既存の創作の劣化コピーしか成しえない僕に創作をする意味はあるのか。自己満足できるならそれでいいじゃないか、と思うのだけど、つまり自己満足すらできていないということだ。 そんな能書きはいいからとりあえず手を動かせ、と、わかっちゃいるのだけど、作業が持続しない。完成は遼遠で気が滅入る。とりあえず続けてはいる。続けてはいるが、ある程度まとまった作業量がないと、たとえ毎日続けたとしても完成はしないだろう。 とまあ、最近ちょっとメンタル的に参っているのだ。メンタルなのかフィジカルなのか、よくわからんけど、フィジカルがちょっとおかしくって、原因を探ってみたらどうもメンタルではないか、と。ちょっと血行がね。 ひでー暗い文章だなあ。なんかいいことないかね。ないか。いい時代だとは思う。いい時代だからこそ、こうした方がいいってことが少なくて、何やっていいかわからないってこともあるんじゃないのかなあ。とりあえずおっぱいとか言っとくか。おっぱい。うん、余計にメンタルおかしいとしか思えないな。 おっぱいといえば、巨乳をとりあえず善しとする傾向はおかしいんじゃないかなあ、と俺は常々思っているよ。小さなふくらみには均整の取れた美があるとは思わんかね。思いませんか。ならいいですはい。 |
●16.もうやだと言ってみる2019/6/16 |
創作のリズムはやはりつかめない。つかもうとはするんだけど、結局なんだか駄目だなあと思うことばかりだ。もっと勤勉で禁欲的な自分でありたい。と思ったところでできるものでもないので、メンタルコントロールのためにも、妥協はしつつ、その中で適当な落着点を見出していきたい。 次作の八月中の完成は、つまり九月までの完成は、まだあきらめる時期ではないけど、こういうのは大体伸びるものだ。焦ったり落ち込んだりするほうがよろしくない、ということにしておきたい。ただ、まだあきらめる時期ではない。 どう創作に集中していくか、の方が問題だ。時間が取れるのは休日だけど、この文章も休日に書いてるわけだけど、なんだこれって言いたくなるくらい集中できていない。なんかネットとか見てしまうんだな。仕事の日に、もう行かなきゃって思いながら作業する方がはかどったりする。もちろんそうでない日もあるが。何が言いたいかというと、仕事辞めたい。もうやだ。知らんがな。 そうはいってもみんなやってることだ、って言われても、なんでそこまでして生きなきゃならないんですかねえ。じゃあ死ねと言われたら返す言葉もないが。まだ死にたくはないが、今の生活を続けていても死んでいるのと同じことだ。そもそもあとちょっと生きたところでなんだというのか。生まれる前に戻って生まれるかどうか選択できるなら、生まれない方を選ぶのに、っていうのは、もうずいぶん前、学生の頃に考えたことのある妄想だけど、今でも全然通用する考えだな。もうちょっと創作がしたいってだけで、あとは生きるのも死ぬのも同じことだ。鬱なのかもしれないとかいうのは、鬱で苦しんでいる人に悪いな。生まれる前に戻りたいな。なんで人は生まれる前にその選択ができないんだろう。それとも僕は生まれることを選んだのか? なんかずいぶん暗いことばかり書いているなあと思わないでもないけど、いや、そうでもないかな。もしそう見えるとしたら、世の中が明るそうにふるまいすぎているだけだ。人生なんて暗いものだよ。直視しては生きていることができないから明るくふるまってるんだとしたら、その方が悲しいことではないですかね。 |
●15.小説について2019/6/11 |
声を大にして言うようなことでもないと思うんだけど、ひなまは考え方の大部分に森博嗣の影響を受けていると思う。誰だって考え方の一部分に誰かの考え方の影響を受けているものだと思う。ひなまも大勢の影響を受けていると思うんだけど、その大きなものが森博嗣だ。なんでわざわざ言及するかというと、僕なんかがオリジナリティのある考え方なんてできませんよと言いたいからであり、あと、それ森の考え方のパクリじゃんといわれたくないからである。なるべく僕自身が考えたことを言いたいと思うんだけど、無理でしょうね。 今のひなまの創作といえば、漫画とゲームと小説だ。ひなまは小さいころから小説に親しむ人間だった。振り返って、人より小説を読んでいたかというとそうでもないんだけど、自分自身を表すなら、自分に近しいものは小説である、と思う人間だった。自分で書いたこともあるんだけど、ちょっと前に止めた。今は毎日書いてるんだけど、一日一行しか書かないこともあるくらいなので、まとまった分量が完成するのはいつになるんだ、という感じだ。例えばこの、毎日書く、が森の影響を受けて始めたことだ。とりあえず毎日書いていればいつかは完成するだろう。小説を書くのをやめたのは、理由は色々あるけど、一つは小説はエンタテイメントとして弱いんじゃないか、と思ったことだ。エンタテイメントというものに、ひなまが考えつくものを挙げてみると、小説、漫画、アニメ、映画、ゲーム。物語、が絡むものは大体これくらいなんじゃないかと思う。小説を除いて制作に多人数が関わるものだ。漫画はそうでない場合も多いかもしれない。関わった人間が創作物に注力した力を単純に足し算してもいいとすれば、注力された力の総和は小説とその他の表現では隔絶した差が生まれるだろう。とまあ、そんなふうに考えた。そりゃ多人数が関わればそれだけ力が変な方向に向かうことも多いわけで、そんな簡単にいくわけもないんだけど、しかし何かの奇跡で全ての人間が全く同じ方向を向いた作品制作ができたのならば、その作品こそが至上なのではないか。受け手とすれば誰がどう作ったかなんてどうでもいいんだし、ただ出てきたものが楽しいものであればそれでいいよね、と。これを覆すことができるかどうかが、小説に戻るかどうかの分かれ目だった。(といって、覆せているわけでもないんだけど。) あの、ちょっと前に本屋大賞が割と盛り上がっていて(今はどうでしょう)、それはそれでいいんだけど、大賞作品とか逃した作品とかが結構映画化されていたんですよね。これが当時の僕には辛いものだった。いや別に辛くはないんだけど、なんだ、小説って映画化の前段階でしかないんじゃないか、と思ってしまって、じゃあ映画作れよ、としか思えなかったんだよ。小説が売れる→映画化する、って流れはやめた方がいいと思うんだけどね。セールス的にはいいんだろうけどね。どうでしょう、小説って映画化するための前段階でしかないものですか、それとも小説には小説にしかなしえない表現方法があるものですか。 |
●14.走ることについて2019/6/6 |
休みの日は走ることにしている。割と昔から、高校時代とかも走っていたんだけど、継続的に走るようになったのは社会人になってから。それもここ二三年はさぼりがちになっていて、筋量が明らかに落ちてきていたので、再開。大会に出るつもりは全くない。時間も十分から二十分くらい。とにかく一回は外に出て走る、ということ。年が明けてからは続けられているのだけど、最初の方は胸筋がついてきたという実感があったのだけど、最近はそうでもない。距離が短くなったということはない。身体が負荷に慣れてきてしまったのか。筋量を上げたいなら、もう少し距離を延ばすべきかとも思うんだけど、しない。継続のためには精神的な負担を減らすことが最重要で、嫌になるくらいなら中途半端でいい。 筋量を上げたいなら走るのは効率的とは言えないんだろう。体重が全然ない。健康診断的に言うなら痩せ気味だ。あんまり自分の姿を見る機会はないけど、頬がこけている。あったころに比べると十キロくらい痩せた。メンタル弱いし、食も細いし、ある程度は仕方ないんだけど、筋量がないと簡単に疲れるので、多少疲れたからって俺はちゃんと動くんだけど、その分しんどいので困る。あと重いものが持てないけど、これは多少体重を増やしたところで意味はないだろう。十キロくらい増やせば違いを実感できるかな。 世間的には、体重は増えなくて困るよりも減らなくて困る人の方が多いんじゃないかと思う。いや、実際のところどうなのかは知らんが。単にそういう声が多いだけか? ただ、僕だって太りたいわけじゃない。自分がいいんじゃないかと思う体型になれたらいいんだけどなあ、と思うだけのことで、靴下も自分で履けなくなるような体型になりたいわけじゃない。ただ多少はぜい肉もないと、無人島に取り残されたときに困るだろうな、とは思う。無人島に行かなきゃいいだけのことだが。増やすとしても、十キロ以上はどうかな、と思う。といって悩んでいるわけじゃなくて、そもそも悩みすぎる性質なんで、悩まずにまあいいか、と思うことにはしているんだが。まあ、ちょっとは増やしたいかな。 6/1の更新を忘れているじゃないか。捏造しておこう。 |
●13.新作は滞っている2019/6/1 |
新作は全然進んでいない。八月いっぱいでの完成が目標だが全然だ。たった三か月くらいでも目的が先のことで、実感がわかないということもあるのだろう。もう少し予定を具体的にするべきか。あとは、逃避だ。完成度の理想と現実のギャップが怖くて、作業をすることから逃げてしまう。ということは作業的に、つまりビジネスライクな態度がとれていないということで、明らかに反省すべき点だ。アーティスト気取りかと。アーティスト気取って作業ができなくなるくらいなら、機械作業に徹して完成させる方が一億倍マシだ。 仕事から帰った後、ああ、ひなまはちゃんと仕事を持っているんですね。くそみたいな仕事だけど。早く辞めたい。で、仕事から帰った後、動画見るのをちょっとやめてみたら、ちゃんと寝られた。動画とか見て、もうちょっとだけあと一本だけ、とかってどんどん睡眠時間が減っていって、やばい、ちゃんと寝なきゃ、すぐ寝なきゃ、というプレッシャーが深い睡眠に落ちることの邪魔をする。ちゃんと時間的な余裕はあるし、例え一時間寝入ることができなくてもその分起きる時間を延ばせばいいだけ、という精神的な余裕が寝つきを良くする。理屈ではわかっていたんだけど、実際やってみて、効果があった。動画見たい、ネットサーフィンがしたい、仕事のストレス解消のためにちょっとだけ、という甘い欲求はいつもあって、なかなか抗いがたいものがあるので、続けられるという自信はない。楽なほう楽なほうに流れていきたいという欲求は魅力的で、そういう人生もいいんじゃないかなと思うんだけど、それでは結局何も為すことなく死ぬだけだろう。それもいいんだけど。ストイックに生きたって何か為せるという保証はどこにもない。なにか為せたとしたって最後は死ぬだけだ。 ただ、そういう人生でいいと、自分が思うかどうかというだけの話だ。 |
●12.幸せになるために生きない2019/5/26 |
幸せになるように生きるというのは当たり前のことのように思うけど、最近は間違っているような気がしてきた。そもそも生きることと幸せになるということは両立しないのではないか。幸せになりたいんならさっさと死ね、と、なんでそんな意地悪なこと言うんだって、いや実際に口にしたりはしないけど、なんか思うようになった。幸せということを考えてみると、それは無欠でなければならないと思うし、つまり将来に対して不安があってはいけないと思うし、となれば欠けることへの恐れがあってはいけない。死んではいけない、とまでは言わないけど、死への恐れがあってはいけない、死を受容できる心持でなければいけない。じゃあ死ねば、と。まあ死についてばかり言っても暗い感じなんで、恋人でもいいや。恋人と両想いになってイチャコラする。いいなあ。僕にとって幸せっていうもののイメージは、そんな感じだ。それはそれでいいんだけど、完全に理解しあって、必ず自分のことを認めてくれて、自分も相手を想っていられる、そんな関係があるとしたら、じゃあそれを続ける意味はどこにあるの、と思ってしまう。ずっと相手は自分を好きで、自分も相手が好きで、それがずっと続いていく。変化のない世界。 変化のない世界、それが幸せなんだと僕は思うんだけど、それは死の世界だとも思う。苦しんだり悲しんだり喜んだり嬉しかったり、生の世界とは変化していく世界のことではないのか。それとも変化する世界にいることこそが幸せだと? でもそれは想いあったはずの恋人に裏切られたり失ったりすることで、それが幸せとは僕には思えない。だいぶ昔なんだけど、小説のジョゼと虎と魚たちで、完全な幸せとは死のことだ、みたいな文章を書いていて、読んだときなるほどなあと思った。つまり僕が今回書いたことなんて田辺聖子がとっくの昔に書いていたことで、オリジナリティの欠片もない話だったりするんだけど、とにかく僕はそういう感覚について賛成できるのだ。 じゃあ生きることは何か。なぜ生きるのか。それはそりゃ難しい話で、答えなんて言えるわけがないんだけど、幸せになることではないんじゃないか、という感覚を持つことが一歩なんじゃないのか。幸せになることではない、と断言はしない。その可能性もあると思う。でも、幸せになろうとすることは当たり前ではない、という感覚を持つことで、ようやく見えてくることがあるのではないか。やっぱりだいぶ昔なんだけど、新聞かなんかに佐藤愛子の特集かなんかがあって(あやふやな部分が多いな)、生きるというのは苦しむために生きるんだと思ってる、みたいなことが書いてあったんだけど、読んだとき衝撃というか、なんて力強い生き方なんだろう、と思った。昔の女流作家は強いですね。いや、今の女流作家や男流作家(そんな言葉はない)も強いのかもしれんが。 生きることは辛くて苦しくって、僕にはとてもポジティブにとらえることはできないんだけど、それでもたぶん戦う価値はあるんだと思う(これはセブンか)。流されて生きるには、この世は辛いことばかりと思います。戦って戦って、気づいたときは死んでたっていうのがベストかな。言うだけなら簡単だなあ。 |
●11.昔のことを思い出すと暗い話になるなあという話2019/5/21 |
歳とったせいか生きることあるいは死ぬということについてたまに考えるようになったんだけど、生きることに意味はない。僕は死後の世界というものはないと思っていて、死んだら無くなるだけだと思っているんだけど、だから生きることに意味はない、という結論にしかならない。大体の時においてそれで特に問題はないんだけど、時々やるせなくなるので、こういうやるせなさを何とかするために色々な宗教の死生観はできたんだな、と納得できる。要は死ぬことから目を背けたいんですね。いや、煽ってるつもりはなくて、そりゃしゃーねーよなーとしか思えない。僕だって死後の世界を信じることができるならそうするかもしれないけど、そんなことをしてしまえば今までの人生は何だったのかとそれはそれでやるせなくなる。今までだって死んだら無くなるだけだと思っていたし、それでも辛くて悲しくて死にたいと思いながら何となく生きてきてしまったからね。どう考えても十五歳までの人生の方がハードモードだったのに、今更転向してしまうのはあまりにも逃避が過ぎる。ひなまは今までの人生についてかなり悲観的に思っていて、今十五歳以前の状況に戻ったら一日たりとも生きていられないな、とそんなふうに思っている。ただ、こうはいっても、相対的に見てそこまで悪い環境ではなかった、つまり世の中の大人でない、あるいは大人でなかった人たちは自分と同じくらいかそれ以上に抑圧された環境に置かれているんだろう、と思う。僕は両親にはそれなりに感謝もしているんだけど、子供は親を殺す権利はあると思うんだけどな。いや、個人的には親を殺したいとは思わないんだけど。生きることを始めるという選択を強制された人間には、強制してきた人間を否定する権利は必ず与えられるべきだと思う。これは因果応報の考え方として。ただ、人という種が継続するためには、とりあえず子供を作るやつが偉くて、子供ってのは抑圧されて当たり前だっていう考え方もわかる。ああ、これは儒教を念頭に置いてるんだけど。最近は長幼の考え方は古いのかな。もちろん殺人を認めてしまえば世紀末な世界になるしかなくて、だから本当に殺人が肯定されるべきだと言っているのではなくて、なんというか、考え方としてね。親というのが必ず偉い、偉くはないだろうけど、尊重されるべきだっていうのは納得いかない。誰もそんなこと言ってないか。ならいいけどね。ひなまは子供を作るつもりはないけど、もし俺が親になるとしたら、殺される覚悟はするつもりだけど。殺されないだけの扱いはして、それでも殺したいと思うなら殺されても仕方ないな、ということ。まあ、生きることをそんなにポジティブにとらえている人間じゃないから、死ぬということがそんな大きなペナルティになりえないのかもしれないけど。いや生きたいですけどね。俺はやりたいことは山ほどあるんだ。 |
●10.次作のこと2019/5/16 |
“もっとアマレナちゃんを触ろう”製作中。とりあえず絵を描いている。線画? を描いているときは肩こりがひどい。もう、鉛が入っているんじゃないか、といつも思う。実際に鉛が入っていても、あんな感じじゃないと思うんだけど。固くなって痛い、という感覚。 僕は昔、首を鳴らすのが好きで、よく限界までひねっていたんだけど、そのせいか首がよく痛む。これは良くないと思ったんだったか、あるいは人の目を気にするようになったのか、だいぶ前に止めた。止めたんだけど、ある朝、起きたときすごく痛かったことがあって、整形外科行って伸ばしてもらったことがあった。首のヘルニアみたいになってると言われた。神経が飛び出ているとかなんとか。なるほど、これは伸ばせばいいのか、と思って、それからはたまに伸ばすようにしている。肩というか、首がこった時も、揉むより伸ばした方がいいと個人的には思う。ただ、絵を描いているときはもうどうしようもない。鉛が入っているのかと。首をひねるのって、脊椎を損傷する恐れがあるので、止めた方がいいらしいですね。もっと昔に知っておきたかった。 線画が終わったら色だ、という話でもない。ドラッグして動くように、言ってしまえば“見せかけ”なければならないので、差分というか、アニメーションさせなきゃいけない。一シーン一枚というわけではないのだ。色塗りも色塗りで、影をつけなきゃならない。…影は適当に省略すると思うけど。色塗りは、塗り残しをつぶしていくのが一番しんどいな。少なくとも楽しい作業ではない。他の作業は、結構楽しかったりもするので。作業って基本的にはしんどいことだけど、楽しくもある。楽しくなくちゃやってないか。 描いたことがない絵っていうのは、試行錯誤しながらになるので、描いたことがある絵に比べると時間がかかる。絵というのはそりゃ毎回描いたことがない絵を描くんだけど、描く対象とか、構図とか、そういう要素の話だ。一回描いたことがあるのとないのとでは全然違う。こういうのも経験値なんだろう。ひなまは経験値が全然ないので、すごく時間がかかる。とはいえ、経験値がないからって、やらないといつまでもたまらないままだ。それに、やったことがないことをやるのは、新鮮味があって楽しいということでもある。いつかは多くを経験した人間になれると信じて、今はコツコツやっていくしかないんだろうなあ。そう思ってもしょっちゅうさぼってしまうので、もっと勤勉な人間になりたい。 |
●9.あねあるじの新しい分のこと2019/5/11 |
あねあるじ“ふたりの呼び方編”をちゃんと描くことに決める。多分。全然ホームページに人来ないし、それじゃやっぱり寂しいので、ピクシブにでも作ったこと報告しようかなと思うんだけど、そうするとあねあるじの更新はマストだろう、と思う。ひなまさいわいにとってピクシブは第一にあねあるじのためにあるはずだ。あんまり、描かなきゃいけないから描く、という風にはしたくないんだけど、ま、描き始めたからにはちゃんと描きたいので、そういう意味でもちゃんと描くことにするのはいいことだ。多分全十本。 創作というのはちゃんと進めていくためには毎日やることが大切だ。というわけで、PCを起動させた日は、ほんのひと描きでいいので作業することにする。大体作業というものはとっかかるのにハードルがあって、後回しでいいや、今日はもういいから明日でいいや、とかなってしまうものなんだけど、だからとにかくほんの少しでもやる、ということにする。これは小説でも同じことだ。小説も一応ちゃんと(大体)毎日書いている。しんどい日だって一行だけでも書くんだよ。 漫画でも小説でもそうなんだけど、先人、あるいは同時代人の作品を概観するとほんとすごいなーって思う。古今東西様々な人が創作に携わって、ほんとに多種多様な新しいものを世の中に生み出してきたし、生み出している。そうした既に世にあふれた創作の数々を見ていると、ひなまなんかが創り出す価値のあるものなんて何もないんじゃないか、なんて思わされてしまう。多分実際にそうなんだろう。でも人間には時に鈍感にならなくてはならない時がある。ひなまなんて、強迫性障害のケがあるので、なおさらそう思う。だいたいが人間なんていつかは死んでしまうのに生きているんだ。何故生きるのか、という問いに正面から答えて生きることのできる人間も中にはいるだろう、けど世の中にいるほとんどの人間がそんな強い精神力を持った人間だとは思われない。人間にはうっかりしたところや過去のことを忘れてしまうところ、楽天的なところがあるものだし、進化の過程というか、生存競争の淘汰の中で、そうした抜けているところを持った人たちが続いてきたんだろう、と思う。強迫、何とかならんかなー。生活に支障をきたすレベルではないんだけど。 ま、時々落ち込みますよ。ほんとねぇ、世の中すごい人は多い。実生活では、なんだこのくそ野郎ども、と思うことの方が多いのに、ちょっと視野を広げるだけで、なんてすごい奴らばかりなんだ、ってなる。まーでもねー、しゃーない。でも、もっと勤勉にやれよ、俺、とは思う。さぼり過ぎなんだよなー。 |
●8.処女作を出せた2019/5/6 |
“アマレナちゃんを触ろう”を発売した。DLSite様に登録させてもらった。ようやく、というところか。これがひなまさいわいの処女作だ。処女作って、初めての作品ってだけの意味に、なんでそんなエッチな言葉を使ったんでしょうね。エッチな意味じゃないのに、案外不憫な単語なんじゃないでしょうか。 製作開始から半年くらいはかかったかな。もっとか? まあ、出せて良かった。五月三日現在、四本も売れた。ああ、この文章をアップするのはたぶん五月六日なんだけど、書くのはそれよりも前なので。今日は五月三日。とはいえこっからさらに売れる見込みがあるわけでもなく。四本も、と言ったけど、いや、十本くらい売れてほしいな、と思ってたんだけど、大体こういうのは過信してしまうものなので、こんなものかというか、こんなものだろうという感じ。例え一本でも僕を見知らぬ人がお金を出して買ってくれたんだから、すごいことだな、と思う。買ってくれた人にとってお金を出しただけの価値があってくれればいいな、と思う。 とはいえもっと売りたいので、どうするか、戦略を練らなくてはならない。ひなまさいわいはピクシブに漫画を投稿しているんだけど、そこで宣伝するかどうか、なんか考えてしまう。あそこは東方の二次創作をうpすればそれでいいんじゃないか、とか、商売にそんな変な制約をつけるもんじゃない、とか。宣伝したところでどのくらい効果があるかは知らんけど。面白い漫画でも描ければな。 たまにはシブも更新したいので、ちょっとあねあるじを描いた。更新は十年後、とかにならないように、一歩前進。ただいつになるかは知らない。創作って、時間かかるんだなあ、というのが創作を始めてわかったことだ。でも一歩でも前進しなければ完成もないのだ。 商売の戦略的には、次の作品を出す、ということが目下の目標。創作者は創作をしてなんぼだ。創作をする以上の宣伝はないだろう。てことは販売的に動きがあるのは次の作品を出せたとき? 気長だなあ。気長にやるしかないのかあ。次の作品、タイトルは“もっとアマレナちゃんを触ろう”かな。八月くらいに完成しないかなあと思ってるけど、こういう見通しも大体過信するので、もう少し先になるんだと思う。とはいえ見通しを立てないともっとひどいことになりそうで、ちゃんと見通しは立てる。んでちゃんと見通し通りになるように頑張る。頑張ろう。 そうそう、最低限ここを更新していくことも、戦略のうちの一つだ。こんなところでも、なんかの意味があればいいな。 |
●7.創作環境のこととか2019/5/1 |
毎日何らかの創作はするようにしている。といって、PCの前に座れない日もあるので、漫画とかゲームじゃなくて、小説を書くこともある。タブレットで書くのだ。一作ようやく完成しそうだ。一年ぐらい書いていたか? とにかくゆっくり執筆している。毎日やる、が目標というか、肝心だからだ。小説、できたらどうしようかな。人に読んでもらうようなものなのか、どうか。 創作が環境に依存するのは当たり前のことで、僕の場合はPCやタブレットがなければ創作していなかっただろう、と思う。特に僕はPC世代だと思う。今の若い子たちはPC触ったことなかったりするんだろうか。僕はPCの無い生活は考えられない。漫画にしろ小説にしろ、紙とペンがあればかけるのだけど、それだって紙とペンに依存している。紙やペンが発明される以前だってかけたかもしれないけど、やっぱり何らかの道具は必要だ。今後も人間の環境はもっと便利になって、その時なりの創作の仕方があるのだろう。 PCがなければ創作していなかった僕が、PCのある時代に生まれた幸運をどう思えばいいのか、ちょっと考えてしまう。つまり、僕はPCの無い時代に生まれていればどんな人生だったか、なんて考えてしまうわけだ。たぶん“個人”というものはいつどこで生まれたということ、つまり“その個人を取り巻く環境”からは切り離せないものであって、自身を取り巻く環境も自身の要素の一つとして素直に受け入れればいいのだろう。こういう妄想は、創作にも応用できるかもしれない。異世界転生? それはともかく、創作が容易にできる時代と場所にいることは、例えそれが僕自身の当たり前のことかもしれないとはいえ、感謝。 |
●6.睡眠のこと2019/4/26 |
創作の時間があまりとれなくて困る。休みの日はいいとして、休みじゃない日も作業したいんだけど、色々な理由で上手くいかない。理由の一つは睡眠だ。ひなまは睡眠があまりうまくない。睡眠ってのは上手い下手があると思う。昔からあまりうまくはなかったんだけど、最近は、本当に時々だけど一回も深い眠り(レム睡眠?)までいけない日がある。寝てるような寝てないような曖昧な睡眠。これでも日中特に問題なかったりするんだけど、何となくぼうっとして調子が悪い気がする。気がするだけだけど。 だいたい寝れない理由は、七時間で起きなきゃ、とかの、起きなきゃいけないという重圧だったりする。さっさと寝床につくと簡単に熟睡できたりする。つまりは夜更かしするのが悪いわけで、自分が悪いということだ。なんか、寝る前は、寝るのがもったいない気がしちゃって、すんなり寝床に入れないんだよな。意味もなく動画見たりする。もっと楽しいことがしたい、という欲求があるわけだ。わかってるんだからなんとかしろと。なかなか、人間、わかっていても改善できない。などと人間一般の話にすり替えるのは卑怯でしょうか。 ひなまは基本的に八時間寝ている。八時間は寝過ぎだなと思うんだけど、ここまで寝ているのと寝ていないのでは気分に結構な差がある。ただの気分なんだから我慢すればいいだけの話なんだけど、これも欲望に負けてしまう。六時間くらいの睡眠でスッキリできる体質になれたらいいのに。寝る子は育つというし、よく寝るのは若い証拠だということに、ならんか。別に若く見られたくもないが。 ただ、最近はストレスのせいで寝れないってのもあるな。帰ってからも何となくむかむかしていて、興奮していて寝付かれない。うーん、環境を改善したい。願っていればいつかは叶うかな。世の中そんなに甘ければいいな。甘いものは好きです。 |
●5.あねあるじのことを書こうと思って2019/4/21 |
今日はあねあるじ“呼び方編”と題した漫画の一本目を描いた。大体できた。多分全十本になる。お触りゲームを作っているとそっち優先になってしまってあねあるじには手が回らなくなるんだけど、どうしたらいいかなあと考え中。十本全部完成させるのはいつになるのか。一本ずつ公開すると、完結したのは十年後とかになりそうなので、全部できたら公開するとすると、でもそれはそれで公開が十年後とかになる。どうしたらいいかなあ。あねあるじについて、まだ描き続けます、と宣言していて、だからではないけど描いてるんだけど、一応描いてます、ということしか言えない。公開は十年後です、でいいのかどうか。 十年後って世の中どうなってるかな。車もしばらく空を走る予定はなさそうだ。車が空を走るのって、技術的にできたとしても、法整備が大変そうだなあと思う。しばらくは事故が多発するんじゃないだろうか。ということは実現されないんじゃないでしょうかね。昔は未来に夢があったんだろうなあ。 VRとかどうなんだろう。電脳コイルの世界はいつ来るんですか。来ないんでしょうか。VR元年っていつだったっけ。まだ普及していないだけ? 3Dって、3DS以降大して発展しなかったなあ。3Dがもう大して人口に膾炙しないのは確定だよね? それともいつかまた3Dブームが来るんだろうか。いや、ブームじゃなくて、一般化するかどうかなんだけど。VRが一般化する時代は来る? 案外人間は肉体的な感性から離れられないのかな、と思ったり。非日常的な体験として普及したとしても、日常がバーチャル化することはなかったりするのかもしれない。いや、これはそういう可能性もあるかな、と思うだけで、ひなまの意見としてはいつかは日常化するだろう、と思っているんだけど、それはいつなんだ。 ひなまの作っているものはアナログだ。アナログっていうか、デジタルで作っているんだけど、だから時代遅れ、かな。お触りゲーム作ってるけど、描いた絵をマウス動作と連動させて差し替えているだけだからな。3Dって全然わからない。調べたこともない。自分の生きた時代のものを作っているって気がする。昔自分が触って面白かったものを模倣しているだけか。最新化されていない人間なのか。古い人間も、ユニークであるなら、それはそれで希少価値があると思うんだけど、どうだろうか。希少価値があるためには、例えば漫画を紙にしか描かないとか、そういうのじゃないと駄目な気もする。紙の漫画はいつか伝統芸能化するのか。電子漫画はスーパー歌舞伎とかそういうので、エンタテイメントとして生き残るためには、何かしらをアップデートさせる必要がある。スーパー歌舞伎知らんけど(それももう時代遅れか?)。もう漫画も電子じゃないと時代遅れになりましたね。 あねあるじのことを書こうと思って、思いつくままに話題が飛んだ。これこそ徒然な文章って感じで、いいんじゃないでしょうか。ブログ感でてる? 誰が読むんだ、こんなもん。 あ、あねあるじはピクシブで読めます。東方の二次創作です。 |
●4.なかなか難しい2019/4/16 |
edgeでの不具合ちょっとやってみたけど上手くいかない。よくわからない。もういいや。draggable属性? をfalseにしてみたりしたんだけど、それでもドラッグされる。よくわからない。動くブラウザで動かしてください、でいいような気がする。chromeならちゃんと動くはず。 次作は最初に会話シーンを作ろうと思っていて、アマレナちゃんの立ち絵を描いたりした。このシーンで服を脱がしたりするといいかもしれない。ただ、普通に立っている状態からプレイヤーが服を脱がすのを表現するのは難しい。アマレナちゃんに手を上げてもらうのも変だし(その分の絵も用意しなくちゃならないし)。マウスで服を脱がそうとする→アマレナちゃんが服に手をかける→暗転→服が脱げている、とかならいけるかな、とか。 この立ち絵を使って着せ替えゲームでも作ろうかとも考え中。いくつか服を描いて。サイトで公開すればサイトもにぎやかになってくるかな。 |
●3.『SPY×FAMILY』読んだこととか2019/4/11 |
“アマレナちゃんを触ろう”を売ろうと思いつつ、なんかいまいち完成しない。chromeで作ってたんだけど、chromeだと問題ないんだけどedgeだとマウスを押下した時に絵をドラッグしちゃって、左ボタンを離した時に、離したという判定がなされない。直るものなんかな。ちゃんと動くブラウザで動かしてください、でもいいんだけど。上手くいかなきゃそうする。売るって大変だな。 そもそも“アマレナちゃんを触ろう”は試作品的な作品だったんだよな。本来は三シーンくらいある作品を作ろうと思ってたんだけど、いきなりそれは大変だということで、一シーンのみの作品を作ってみよう、という。だから、多少の予想外は、織り込み済みというか、いい経験のうちなのかな、とも思う。 ジャンプラ読んでるんだけど、遠藤達哉が新連載開始してた。遠藤達哉サンは、読み切りの月下美刃が好きだったし、『Tista』持ってる。漫画に限らず、良い作品に触れたときは、自分もそんなものを作ってみたいな、という思いを抱く。いや、漫画、作ってないんだけど。 結局僕が何かを作りたいと思うのは、何かの模倣でしかないんだろうか、と思ったりもする。ただ、人間なんてそんなもんだ、という諦観というか、模倣だろうと何だろうと作らない言い訳をするよりはマシ、という思いもある。年を取ったんだろうな。年を取ることで前に進めるのなら、年を取ることは悪いことじゃないと思う。ほんとに前に進めているんならね。 |
●2.この文章について2019/4/6 |
このページは雑記だ。ある程度の頻度をもって更新するページがある方がいいだろうという判断。定期的に更新できるかどうかはわからない。 書くことなくなったら今やってることでも書けばいいかなと思ってるんだけど、ずいぶんさぼってるからどうかな。毎回さぼってますと報告してもどうなるものでもないだろう。じゃあ真面目にすればいいのか。真面目にって、どうすればいいんだろう。そんなことは学校では学ばなかったなあ。ちゃんと学んでおけばよかった。反省。 今はアマレナちゃんのお触りゲーを作っている。二作目、いや三作目か。今度は三シーンくらい作りたいと思ってるんだけど、どうしたもんかなあ。ちゃんと頭の中の理想通りに作れればそれなりのものができると思うんだけど、思うんだけどと愚痴ってても始まらないからなあ。 はい、ぼちぼち作っていきます。 |
●1.サイト作ってみた2019/4/1 |
どうもひなまです。とりあえずサイトを作ってみた。このサイトではひなまが作ったものを適当に置いておこうと思う。訪れた人は適当に見てくれれば幸いだ。サイトを作るのは夢の一つでもあった。何年か前から、やりたいと思ってたけどやっていなかったことをやるようになって、ちょっとずつでも形になっているのがうれしい。 この部分はひなまが書いた徒然な文章を置いていくつもり。要するにやることはブログなんだけど、既成のブログだと18禁とかできないかもしれなくて、それだと意味がなくなるかもしれない。じゃあもう手書きで書いちゃえということでこういう形で。 全体的に、なんて原始的なサイトなんだろう、と思っていただけたら本望。意味わからんな。ここではあえて丁寧語は使わない方針で行くよ。日常丁寧語使い続けているので疲れたよ。 でまあ、作っているものってなにかというと、エッチななにかだよ。とりあえずはお触りゲー。適当に触ってもらえれば。 |