□「平成27(2015)年ブログ」NO.2  平成27年4月1日〜6月30日   ♪BGM 
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  • ■「我が古稀の祝い」
    平成27年6月20日
    「我が古稀の祝い」
     今年の6月に満70歳となったので、子どもたちが古希の祝いをやってくれた。正式には数えの70歳が古稀なのだが、昨年は当人も家族ももっと遠い先の話と思い込んでいたので、時期外れのお祝いとなった。...続きを読む
  • ■「小学校同窓会燦燦会」
    平成27年6月14日
    「小学校同窓会燦燦会」
     一泊泊まりで小学校の同窓会が故郷の芦原温泉で開催された。卒業した昭和33年に懸け、本同窓会を「燦燦会」と称し旧交を温めてきた。現役のころは忙しすぎて3クラス(我々の世代は、当時1クラス50人で3クラスしかなかった)が一堂に会しての同窓会の開催はできなかったが、...続きを読む
  • ■「忍足謙郎氏講演」
    平成27年6月13日
    「忍足謙郎氏講演」
     第3回目となった国連WFP応援団主催の連続講演会が、前WFPアジア地域局長 忍足謙郎氏をお招きして開催された。氏は国連WFPに25年以上勤務され、人道支援のプロとしてその活動、実績は伝説化されたものとして伝わってきている。 ...続きを読む
  • ■「横浜開港祭2015」
    平成27年5月30日
    「横浜開港祭2015」
     横浜開港祭が今年も5月30日、31日、6月2日の3日間に亘って開催された。主催者(横浜市、横浜商工会議所、(公財)横浜観光コンベンション・ビューロー、(一財)横浜青年会議所)の開催趣旨によれば、...続きを読む
  • ■「恒例月プロの軽井沢研修」
    平成27年5月17日
    「恒例月プロの軽井沢研修」
     研修と称し会社在職の頃席を同じくした仲間と、毎年泊り掛けの旅をして旧交を温めてきた。この旅も回を重ね今年で7回目を迎えた。...続きを読む
  • ■「横浜市の歩け歩け運動に参画」
    平成27年4月14日
    「横浜市の歩け歩け運動に参画」
     横浜ウォーキングポイントという事業が、横浜市と凸版印刷、オムロンヘルスケアの協同で昨年11月から開始された。 ...続きを読む
  • ■「馬場邦彦氏」の講演を聴く
    平成27年4月26日
    「馬場邦彦氏」の講演を聴く」
     国連WFP応援団の勉強会を兼ねた連続講演会『子供たちに未来の為に』の第2回目を、科学技術士 気象予想士 馬場邦彦氏をお招きして本日開催された。...続きを読む
  • ■「日清オイリオWFP活動」
    平成27年4月18日
    「日清オイリオWFP活動」
     4月18日、19日の両日に日清オイリオ殿の横浜磯子事業場を会場とした「日清オイリオ横浜磯子春まつり」が開催された。...続きを読む
  • ■「久々のチームZ15の集合」
    平成27年4月13日
    「久々のチームZ15の集合」
     いつまでも離れられない定めに支配されているのかもしれないこのチームが、この日久々の再会を果たした。...続きを読む
  • ■「Vリーグ女子決勝戦観戦」
    平成27年4月4日
    「Vリーグ女子決勝戦観戦」
    「会社の女子バレーボールチームが、10年ぶりにVリーグの決勝戦に駒を進めることとなったので応援に駆け付けられたい」、と...続きを読む
  • ■「ご隠居達のお花見」
    平成27年4月1日
    「ご隠居達のお花見」
     今年も地元地区社会福祉協議会主催のお花見が催された。多世代交流の一環として毎年開催されており、小生も地域活性化活動の一環として、お仲間たちとともにこの花見に出かけた。...続きを読む

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  • ■ 「我が古稀の祝い」
    平成27年6月20日
  • 「我が古稀の祝い」
    「我が古稀の祝い」
     今年の6月に満70歳となったので、子どもたちが古希の祝いをやってくれた。正式には数えの70歳が古稀なのだが、昨年は当人も家族ももっと遠い先の話と思い込んでいたので、時期外れのお祝いとなった。遠い話と思い込んでいたのは、本格的老人のとば口を象徴する古稀を、まだまだ受け入れたくないという心理が潜在意識の中にあったからかもしれない。

     ところが、いろいろな申請書の年齢欄に数字を書き込む段になって、70という数字の持つ響きに慌てふためいてしまった。明らかに本格的老人の響きを感じるからである。60という数字の響きとは全く異なっている。お店で紫色のちゃんちゃんこと大黒頭巾を着せられたとき観念してしまった。もう古希を迎えた老人なのだと。

     そう落ち込みかけた矢先、先般、日本人男性の平均年齢は81歳を超えたと発表された。これを見れば「人生七十古来稀なり」は、もう20〜30足し加えなければ実態に合わないのではないか。であれば、本格的老人のとば口はもっとずーっと先なのだと 潜在意識に折り合いをつけ、古稀のお祝いを大いに楽しんだ。

     ひねくれが極まった老人の古稀の正装は全く似合っていない。



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  • ■ 「小学校同窓会燦燦会」
    平成27年6月14日
  • 「小学校同窓会燦燦会」
    「小学校同窓会燦燦会」
     一泊泊まりで小学校の同窓会が故郷の芦原温泉で開催された。卒業した昭和33年に懸け、本同窓会を「燦燦会」と称し旧交を温めてきた。現役のころは忙しすぎて3クラス(我々の世代は、当時1クラス50人で3クラスしかなかった)が一堂に会しての同窓会の開催はできなかったが、個別のクラス単位では頻繁に行っていた。還暦を迎えてから全クラス挙げての同窓会「燦燦会」をほぼ5年おきに開催するようになった。

     今回はその3回目で「古稀」の節目にあたる開催となった。この歳になり暇ができたとは言え、全国に散らばった仲間や、未だ現役の要職にあって忙しい仲間や、身内の介護で忙しい仲間たちを一堂に集める難しさは、現役のころ以上であるらしく幹事の苦労が推して量られた。

     で、集まった幼馴染みは35名、「人生七十当たり前」とばかり元気一杯に張り切るものばかり。「人生七十古来稀なり」と呼んだ杜甫が、この光景を見たらすこぶる驚かれたに違いない。頭は禿げあがっていたり、真っ白になっていたり、顔には一杯の皺が寄っていたり、頬が弛んでいたり、その他の付属物が崩れかかったりしていて、昔の原型を止めているものを探すのは困難を極めたものの、達者な口からほとばしる咆哮はこの上もなく姦しく、杜甫を驚かすには十分すぎているように思った。

     卒業してから57年、学校も街もみんな変わってしまったが、「○○ちゃんけ?」「かたいけのぉ(元気やったかぁ)?」と、幼馴染みから発せられる懐かしいお国ことばに包まれた豊饒な友情だけは、ちーっとも変わっていなかった。そして、場を変えカラオケに操出し、定番の「青春時代」を高唱するにおよび、深く結ばれた友情の絆が、最高潮の笑みに表徴されていた。

     この最高潮の笑みに浸りたくて・・・。これが幼馴染の凝縮した思いである。この思いが枯れない限り「燦燦会」は続いていくであろう。「次の開催まで元気に!」との言葉を交わしながら会はお開きになった。恐らく次回も杜甫を驚かすに違いない。

  • 「学校も街も変わってしまった」
    「学校も街も変わってしまった」
     卒業してから57年、学校も街もみんな変わってしまった。まさか、街の中心福井駅に恐竜が現れるとは・・・。故郷は、恐竜都市として大きく変貌していた。


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  • ■ 「忍足謙郎氏講演」
    平成27年6月13日
  • 「忍足謙郎氏講演」
    「忍足謙郎氏講演」
     第3回目となった国連WFP応援団主催の連続講演会が、前WFPアジア地域局長 忍足謙郎氏をお招きして開催された。氏は国連WFPに25年以上勤務され、人道支援のプロとしてその活動、実績は伝説化されたものとして伝わってきている。

     それらについては、NHKをはじめ各報道機関が特別番組で伝えられているし、当日は80名を超える聴衆者が駆けつけてきたことからも十分に伝わった。とりわけその半数以上は若者(現役大学生や外務省勤務若手官僚等)で、彼の活動に触発されたと思われる聴講態度が何より彼の伝説化された活動をクローズアップさせていた。

     拝聴して、とてもスケールの大きな方だとの印象を受けた。緊急支援物資はどんなことがあっても確実に届けることが大事であって、「物事を正しくやる」ことと「正しいことをやる」のは違うと仰る。だから、正しいことをやり抜くためには、ルールを破ってでも実現させる、という過酷な現場に立たされてきた男の熱い信念(哲学)が垣間見えた。

     こんな生き方に若者たちが惹かれるのであろう。日本にこんなすごい男がいることを誇りに思った。彼に続こうとしている若者たちには何にも代えがたいメッセージになったに違いない。我が国に、世界をけん引するリーダが求められていることを忍足氏の講演は示唆していた。何にもお役に立てない小生は、彼の活動を記したサイトを伝えるしかない。お暇な折に彼の活動に触れていただければと思う。

    「忍足謙郎」氏の活動の模様については、
    1.国連フォーラム
    2.NHKプロフェショナル仕事の流儀をご覧ください。



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  • ■ 「横浜開港祭2015」
    平成27年5月30日
  • 「横浜開港祭2015」
    「お仲間と横浜発祥ストリートにて」
     横浜開港祭が今年も5月30日、31日、6月2日の3日間に亘って開催された。主催者(横浜市、横浜商工会議所、(公財)横浜観光コンベンション・ビューロー、(一財)横浜青年会議所)の開催趣旨によれば、横浜は開港以来、文化・経済の交流拠点として発展してきた。現在も当時のスピリットを引き継ぎ、世界の人々が集まる交流拠点都市を目指して発展を続けている。1981年に「開港を祝い、港に感謝しよう」というテーマのもと、市民が一堂に会する「市民祭」として開催され、本年で34回目を迎えた。本年も、原点である港に感謝をし、開港という歴史にしっかりと触れて頂き、横浜のさらなる発展に繋げていこう。というものであった。

     無為な日が多くなったことにかこつけ、横浜の一小市民としての義務を果たさんと、この3年間このイベントにボランティア参加してきた。今年もランドイベントの一つである、横浜開港発祥ストリートのブースに立って来場者への対応を行った。何時も横浜市の歴史を、来場する横浜市民と共感し熱い交流ができたときに、横浜市民としてのアイデンティティを覚える。横浜の夏もこれから本格的になっていくが、毎年このイベントに参加するたびに、「横浜に住んでから何年たったのやら」と、回顧させられる。

    「横浜開港祭」の模様については、ここをご参照下さい




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  • ■ 「恒例月プロの軽井沢研修」
    平成27年5月17日
  • 「恒例月プロの軽井沢研修」
    「恒例月プロの軽井沢研修」
     研修と称し会社在職の頃席を同じくした仲間と、毎年泊り掛けの旅をして旧交を温めてきた。この旅も回を重ね今年で7回目を迎えた。
     どういうわけか、この研修は第1回目の出だしから不思議な事件(※注を参照)に遭遇し、爆笑、苦笑の思い出深い旅行を重ねてきた。その一つひとつを心の中に記し留めてきたが、記事に起こし本HP上に掲載したものもある。下記に紹介しておくのでお暇な折にお読みいただければ幸いである。

     そもそもこの研修は、会社で築かった仲間の友情を末永く続けていこうと企画したもので、1年に1度の再会時には、お互いに心身の健康を維持するため、大いに体を動かし、そして大いに飲みかつ食べながら、語り尽くすことにしている。テニスで身体に負荷をかけ、負荷がかかった分をアルコールで補填し均衡を整つつ、款談とカラオケで心の健康増進にこれ努めるということである。

     こんな真面目な企画に、心の隙を突かれるようなことは微塵もないのだが・・・。軽井沢を舞台に事件が蠢動し始めたのは、第2回の「巨大犬からかい事件」からである。そして第3回の「軽井沢カラス騒動事件」で、この事件を操る主(ぬし)が正体を表した。(是非第3回の記事をご覧ください)。以降毎年、この主殿の巧妙な企みに誑(たぶら)かされ、一喜一憂・爆笑苦笑を誘引する奇妙奇天烈な事件に心の隙を突かれてきた。

     今年も、この主殿(軽井沢八咫烏)の仕掛けられた巧妙な企みに、マンマと嵌ってしまい一喜組と一憂組に分かれてしまったようだ。その顛末は・・・。

  • 「女性達との競演」
    「女性達との競演」
     今年こそは心の隙を突かれまいと心して臨んだせいか、テニスで3時間を超えた身体への負荷も、アルコールの補填も、款談とカラオケも想定通り順調に完璧に進んでいた。ところが、部屋に戻ってさらなるアルコールの補填と款談に入った時から雲行きが怪しくなってきた。カラオケの部屋から女性(にょしょう)の美声が聞こえてきたからである。

     主殿の仕掛けは実に巧妙であった。女性だけで、しかも午後10時を過ぎてからカラオケを始めるのを未だかつて見せたこともない上に、我々にだけ聞こえるように歌声を漏らすなど信じ難いことを起こし、更に、意志に反したさらなるアルコールの補填を続けさせ、心の隙を突かれまいと心していた意志を、たやすく砕いてしまったからである。これらは後刻思い知らされたことで、このときは全く気付かなかったのだ。

     漏れてきた美声の刺激に、我々の意識作用とは無関係に、カラオケ室に取って返すや、恥ずかしげもなく彼女達にジョイントを申し出るという反応を示してしまったのだ。まさか「パブロフの犬」に見る条件反射を演じさせられようとは・・・。心の隙を突かれた瞬間であった。さらに、彼女たちが我々のオファーを快く受け入てくれるなど、我々の意識下で最も信じ難い「まさか」が起こった時、心していた意志が脆くも砕け散ってしまったのだ。

     初めてお会いしたにもかかわらず、当方がジジイ達の集団であるにもかかわらず喜んで迎えてくれ、歌も話しもお酒も弾み、カラオケは大いに盛り上がった。聞けば、3人は母娘で、姉が現役の社員、そして彼女の妹と母親とのことだ。どう考えても、彼女らとのジョイントはあまりにも突飛過ぎて想定を超えていた。明らかに見えざる何かの意志によるものとしか思えない。主殿の仕掛けは微に入り細を穿っていた。

     今年の事件は、条件反射により創造された珍事なひと時で締めくくられると思ったが、主殿は、我々の絆に1本のくさびを打ち込み、我々の友情を確かめるべく新たな展開を用意していた。

     酔いに任せ(そもそもこのこと自体我々の意志ではない)、彼女らの翌日の予定を聞きだすことができた。午前中はテニスをするらしく、よろしければ、テニスを教えてくれないかとの要望を受けた。こんなうまい話は何処を探しても見付けられないだろう。喜んだのは、当方のテニス愛好家の2人であった。残りの4人の内2人はテニスはしない、小生を含む2人は、昨日3時間を超える付加を掛けられたためテニスどころではなかった。いつもなら、朝から6人揃って2日目の研修を行うのだが・・・。

  • 「一喜組の微笑み」
    「一喜組の微笑み」
     結局、彼女らの要望に応えられるのは愛好家の2人だけ。翌朝は、泣く泣く一喜組と別行動をすることとなった。こんなことなら昨日は3時間もやるのでなかったとか、昨晩はしゃぎ過ぎ、飲み過ぎなければよかったなど一憂組の吐息が、軽井沢保養所の朝もやをついた。7回目にして初めての別行動に違和感が漂ったが、それでも、一喜組が気を利かせ、午後一で合流する軽井沢銀座に、彼女たちをエスコートしてくれるはずと固く信じて、いつか来た碓氷峠の熊野皇大神社でときを待った。

  • 「一憂組の落胆」
    「一憂組の落胆」
     一憂組の期待は無残にも打ち砕かれ、合流した時はいつものむさくるしい輩が2人だけ。「どうしたぁ?」と聞くのも、落胆した気持ちを表に出さすのも憚れ、軽井沢の銀ブラは例年になく足取りは重かったが、今年も、街を外れた蕎麦屋で昼食をとり研修を締めくくることとなった。その時、外からカラスの鳴き声が聞こえた気がし、「はぁっと」息を大きく吸い込んだ瞬間、今年も主殿の巧妙な企みに誑(たぶら)かされていたことを思い知った。

     どう考えても、カラオケのジョイントは、余りに出来過ぎており偶然の出会いとは言い難い。むしろ、前夜に我々を大いに楽しませた狙いは、翌日の悲劇の効果を高めるための仕掛けだったのではないか。我が友情の絆の深さを改めて探らんとする、主殿の深謀遠慮な試練なのであろう。だから、騙されてはいけないのだ。我々をより深く結び付けていこうとされる主殿が思し召す試練なのだから。来年はどんな仕掛けで、くさびを打ち込んでくるのか。軽井沢の研修はやめられそうにない。

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
    ※注(不思議な事件とは)
     このグループでは、周りに起こるちょいとした事柄を大げさに脚色して、爆笑と苦笑の織り成す日記(思い出の物語)に仕立て上げるのを慣わしとしている。だから、この日記に仕立て上げられそうなちょいとした事柄を不思議な事件と呼んでいる。

    ※(参考)月プロ恒例研修のあゆみ
    実施回  実施時期   実施場所  参加  思い出深い事件
    第1回 H20年5月 那須保養所  5名 「かえる事件」
    第2回 H21年5月 軽井沢保養所 5名 「巨大犬からかい事件」
    第3回 H22年5月 軽井沢保養所 5名 「軽井沢からす騒動事件」 (ご参考)
    第4回 H24年5月 軽井沢保養所 6名 「碓氷峠クマ事件」    (ご参考)
    第5回 H25年5月 軽井沢保養所 6名 「もうあかん事件」    (ご参考)
    第6回 H26年5月 軽井沢保養所 6名 「富岡製紙工場説明員の自己陶酔事件」
    第7回 H27年5月 軽井沢保養所 6名 「???????」

  • 「恒例月プロの軽井沢研修」
    「テニスコート脇での談笑」
     そもそもこの研修は、会社で築かった仲間の友情を末永く続けていこうと企画したもので、1年に1度の再会時には、お互いに心身の健康を維持するため、大いに体を動かし、そして大いに飲みかつ食べながら、語り尽くすことにしている。テニスで身体に負荷をかけ、負荷がかかった分をアルコールで補填し均衡を整つつ、款談とカラオケで心の健康増進にこれ努めるということである。そう言えば、隣の巨大犬はどうしちゃったのかしら???

  • 「恒例月プロの軽井沢研修」
    「碓氷峠県境を跨いだ茶屋」
     一憂組は、落胆を晴らそうといつか来た峠をめざし、茶屋のおばあさんと3年ぶりの再会を果たした。「ところで、熊は出るんでしょうね?」3年ぶりの質問に、相変わらずおばあさんの答えは・・・。  

    「恒例月プロの軽井沢研修」
    「熊野皇大神社」
     一喜組が気を利かせ、午後一で合流する軽井沢銀座に、彼女たちをエスコートしてくれるはずと固く信じて、いつか来た碓氷峠の熊野皇大神社でときを待った。

  • 「恒例月プロの軽井沢研修」
    「警告!!!」
     茶屋のおばあさんの答えは、相変らず???であったが、峠の目立つ箇所には、ご覧の縦看板で警告が発せられていた。



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  • ■ 「横浜市の歩け歩け運動に参画」
    平成27年4月14日
  • 「横浜ウォーキングポイント」
    「横浜ウォーキングポイント」 
     横浜ウォーキングポイントという事業が、横浜市と凸版印刷、オムロンヘルスケアの協同で昨年11月から開始された。40歳以上の横浜市民を対象とした「歩け歩け(健康増進)運動」である。案内パンフには、歩数に応じたポイントが付与され、ポイントに応じて抽選で景品が当たると銘打ってある。さらに登録すれば、歩数計がいただけるとのことであったので、昨年12月中旬に登録申請を行った。

     昨年9月から受付開始し、先着5万名までとなっていたので、2月に入っても何の連絡もないのは、この応募に漏れたのだとあきらめていたところ、2月25日に歩数計が届き、近間の協力店舗に行って初期設定をするように、とのメッセージが添付されていた。早速初期設定を行い2月27日から本運動に正式に参加することとなった。

     開始してから約1か月半が過ぎた。この運動を支えるシステムは、自分の記録を詳細チェックできるのはもとより、全参加者の中でどの位置にいるかも良くわかるようになっており、緩やかに競争心を煽られたりして、一人でやるよりも効果が上がっている気がする。今のところ1日1万歩を目指して歩いているが、飲み会が続いたりして思うように進んでいない。3月の実績は1日9,099歩だった。もうちょいで1万歩と張り切っているが、4月の今までに実績は8,594歩。目標から遠ざかりつつあるので、何とか巻き返したいと思っているところだ。

     で、世の中にはすごい人もいるもんだと感心させられる。何と1日20万歩も歩く輩がいるのだ。こんな輩がいることを知るだけでも刺激になるが、当面は1万歩を何とかクリアーすることを目標にいこうと思っている。最近は1万歩病に陥ってしまい、家に帰り着いた時歩数計を見て、未達の時には近所をグルグル回り、目標を超えるまで家に入れなくなってしまった。

     「何もそこまで強制的にならなくても」といった、余計なお世話の声も聞こえてくる。が、将来ヨイヨイだけは何としてでも避けたい。この病が嵩じることでそれが避けられるのなら、とさらに頑なになってしまうのだ・・・。Help me



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  • ■ 「馬場邦彦氏」の講演を聴く
    平成27年4月26日
  • 「馬場邦彦氏」の講演を聴く
    「馬場邦彦氏」の講演を聴く

     国連WFP応援団の勉強会を兼ねた連続講演会『子供たちに未来の為に』の第2回目を、科学技術士 気象予想士 馬場邦彦氏をお招きして本日開催された。「あなたの周りの水の話」と題し、水が地球上の生物のすべての貴重な資源という観点から講演を頂いた。

     師は、船で世界中の国を回られたそうで、講演の話はその貴重な体験に基づかれておりとても興味深いものだった。何より90歳というご高齢にもかかわらずとても元気で、まだこれからも世界を駆け巡りたい、と仰られるバイタリティ溢れるお話しぶりには圧倒されっぱなしであった。

     大気の存在(大気があるお蔭で、水が地球外に行かない)やその位置、大きさ(引力)、自転の速度などなど、地球がどれほど恵まれた惑星であるかとのお話に、改めて、生物としてこの地球上に生を受けたことがどれほど幸運なことだったのかを思い知らされた。

     暮らしに必要な水の量は、WHOによれば最低1日5リットルだとのことだが、ごく普通の文化的な生活であれば200リットル以上必要とするらしい。ところが、我が国は、恵まれた気象条件によってきれいな水を潤沢に使える環境にあることから、我が国の水の消費実態は1日300リットルと群を抜いているようだ。この地に生を受けたことにも幸運と思わなければならないのだろう。加えて、大量の食糧輸入国であることから、大量の水の輸入大国でもあるらしい。

     水の視点から考えると、我々は大変な浪費、無駄遣いをしていないかが問われている気がしてならない。大量の水を輸入していることでそのあおりで迷惑をかけている国があるのではないか、持てる国の欲望(横暴)は抑制していかなければならないと思う。

     地球上の真水はたった2.5%でその内70%は南極大陸の上にあるとのこと。それが、昨今の温暖化によってその貯蔵機能が失われつつあるようなのだ。何としてでも食い止めなければならないが、各国のエゴが調整できず困難を極めているのが実状である。先述の欲望の抑制を一人一人、1国1国の問題として取り組んでいかなければ、未来は展望できない。師の講演を重く受け止めた1日となった。

     ところで、南極の厚い氷の下に巨大な湖があるのをご存じだろうか? 初めてお聞きする話に地球にはまだ未踏の世界があることを知った。これらが人類の幸せのためにあることを切に祈るばかりである。

     


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  • ■ 「日清オイリオWFP活動」
    平成27年4月18日
  • 「日清オイリオWFP活動」
    「日清オイリオWFP活動」
     4月18日、19日の両日に日清オイリオ殿の横浜磯子事業場を会場とした「日清オイリオ横浜磯子春まつり」が開催された。本行事は、同社のCSRの一環として、事業場の敷地を開放し、地域の住民に喜んで頂けるような工夫を凝らした数々の催しを開催しながら実施されているが、今年もその会場の一角をお借りして、国連WFPの広報・募金活動が実施された。

     18日、お仲間たちと朝9時から16:30まで終日WFPの広報と募金活動に取り組んだ。当日は好天気に恵まれたが、風が強くブースのテントが揺れ、掲示ポスターが飛んだり、風船で作ったノベルティグッズが飛んだりして右往左往させられたが、大変多くの来場があり、近年にない活況となった。

     我々の話に耳を傾け、善意の小銭を握った小さな手を募金箱に伸ばす天使達に、お仲間の顔は感動に満ちていった。この天使たちは、飢餓で苦しんでいる多くの同胞に思いを馳せてくれたに違いない。そう信じればこその感動であろう。この日も多くの浄財を頂いた。この会社のお蔭で、この天使たちのお蔭で何人かが確実に救われる。感動を極めていくにはまだまだ道のりは長いが、一歩づつ愚直に行くしかない。来年もまたこのボランティアに出ずばなるまい。


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  • ■ 「久々のチームZ15の集合」
    平成27年4月13日
  • 「久々のチームZ15の集合」
    「久々のチームZ15の集合」
    いつまでも離れられない定めに支配されているのかもしれないこのチームが (この表現で掲載した記事をご参考までに)、この日久々の再会を果たした。彼らと寝食を共にして会社の人事システムの開発取り組んでいた時からもう45年。最新のコンピューターシステムエンジニアーと自負していた彼らでさえ、今は化石世代と揶揄されかねないIT全盛の時代を迎えている。

     本世界に首を突っ込んで者だけに、半導体IC技術に支えられたIT、通信テクノロージーの発展を過小評価したはずはないと思うが、飛躍的な加速性を包含したこれらのテクノロジーの性質を、誰もが見落としていたのかもしれない。その見落としのちょっとの差に、化石化へ拍車をかけられているとしたら・・・。激変したこの45年に複雑な思いを寄せながら杯を続けた。

     見落としのちょっとの差で化石化に拍車をかけられたとしても、何よりも、人にとって優しく安全で頼りがいのあるシステムの創造に拘ろうとしてきた世代には焦りはない、と豪語する。便利性は飛躍的に向上したが、一方で、いじめや詐欺等々のIT犯罪がこれまた大飛躍し、社会の安全性が大きく揺らぎ始め来ているからである。

     「ここらで、IT社会への進展速度を、人が人らしく生きるための真の哲学で調整しなければならないのではないか」。と化石人間たちの悔しさにも、嫉妬にも取れそうだが、凛とした自負心溢れる正論が続いた。これからは、化石人間たちが本領を発揮すべき時代なのかもしれない。化石人間に誇りを持っていこうと咆哮し、久しぶりの再会を締めた。



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  • ■ 「Vリーグ女子決勝戦観戦」
    平成27年4月4日
  • 「Vリーグ女子決勝戦観戦」
    「第15回女子Vリーグ優勝を果たす」
     「会社の女子バレーボールチームが、10年ぶりにVリーグの決勝戦に駒を進めることとなったので応援に駆け付けられたい」、と元会社の某上司から緊急な指示が飛んできた。20数年ほど前、かの上司の下で強化スポーツの一翼(男子バレーボールチーム)を担わされ、社を上げた一体感の醸成に取り組んでいた日々を思い出し、何とも懐かしく気もそぞろとなった。

     全く未知であったバレーボールの世界で、場内が興奮(高揚を極めていく一体感)の坩堝と化すその真っ只中に立ち、優勝決定戦に臨み、勝利者となった時の感動は未だ忘れない。感動を共有し極まっていった一体感は、会社の業績向上に寄与しなかったわけがなかろう。この世界に没入した者の密かな矜持である。だから、この矜持を共有するお仲間であれば、この指示に従うのは当然の義務なのである。当日入っていた予定をすべてキャンセルし、勝利を期し前夜はアルコールで精進潔斎して応援に出かけた。

     相手は、最近富に強くなってきたHチーム。リーグを1位で通過してきているだけあって、実力は抜きん出ており、我がチームの勝利を予想する記事は何処を探しても見当たらなかった。不安がよぎったが、10年ぶりに醸成を極めていく一体感の中に同化できるだけでよい。と、ハードルを低めに冷静に応援に臨んだ。

     1セットを22:25で取られた。予想通りの展開。敵情を見れば余裕綽々のベンチ。勝利の女神から見離された気がしたがムキにもなれず、2セット目のホイッスルを待った。ところが、このセットから何かが変わった。攻撃にも守備にも勢いが増し、相手を翻弄し続け、このセットを25:22で取り返した。以降その勢いは止まらず、第3、第4セットを19,22点に抑え優勝を勝ち取ってしまった。

     第3セットを終わった段階では、敵将にはまだ余裕が伺え、我が方には特別目立つ選手がいるわけではないので、まさかこんなにスムースに勝てるとは到底思えなかった。大方の予想を裏切ったのだから番狂わせともいうべきかもしれないが、チームワークとベンチの采配を見ていて、番狂わせではなく当然の帰結だったのではないか。赤い応援用の法被を着て、勝利の雄叫びを上げながらそう思った。

     もう当事者ではないが、この優勝はことさら嬉しかった。社を離れても、間違いなくこの家族の一員と思っているからである。ここ10数年、家族のことが気にならない日はなかった。だから、10年ぶりに高揚を極めていった一体感に同化できた感激は言葉にならない。元上司の差し出す手を握り感動を共にした。そして、家族の一員であることを誇りに思った。

     元上司とお仲間と3人で久々の優勝を祝し杯を上げた。感動を噛みしめる中「10年も待たせるのは如何なもんか」と苦言もでたが、それはスポーツチームにだけ呈した訳ではない。「そろそろもっと大きな感動、一体感に浸れることをやり遂げてくれてもいいのではないか」。社を離れた家族の思いは期待に満ち満ちていた。

  • 「全く未知であったバレーの世界」
    「全く未知であったバレーの世界」
     20数年ほど前、かの上司の下で強化スポーツの一翼(男子バレーボールチーム)を担わされ、社を上げた一体感の醸成に取り組んでいた

  • 「優勝決定戦に臨み勝利者となった」
    「優勝決定戦に臨み勝利者となる」
     全く未知であったバレーボールの世界で、場内が興奮(高揚を極めていく一体感)の坩堝と化すその真っ只中に立ち、優勝決定戦に臨み、勝利者となった時の感動は未だ忘れない。感動を共有し極まっていった一体感は、会社の業績向上に寄与しなかったわけがなかろう。この世界に没入した者の密かな矜持である。

     次は、現役のころのバレーボールについての感想です。お暇な折に見ていただければ幸いです。 (ご参考)「たかがバレーボール されど バレーボール」


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  • ■「ご隠居達のお花見」
    平成27年4月1日
  • 「ご隠居達のお花見」
    「ご隠居達のお花見」
     今年も地元地区社会福祉協議会主催のお花見が催された。多世代交流の一環として毎年開催されており、小生も地域活性化活動の一環として、お仲間たちとともにこの花見に出かけた。今年で3回目となるが、この3年間参加するメンバーは変わり映えのないご隠居達ばかり。「ひまじん」と自称し「Old Clever Man」を自負してやまないちょいとうるさ型のお歴々である。

     この1-2年は異常気象の影響を受け、お花見も生半な気持ちでは参加しづらくなってきている。今朝も花見をするには少々寒さが勝り、生半可な気持ちに拍車がかかったが、誰言うとなく発せられた「さぁ出かけるぞー」の一声(これには地域社会に対する思い入れが込められている)に、お仲間の気持ちは固まった。「雨が降ろうがやりが降ろうが花見には参る」、誰にもそう思わせた「一ひまじん」の一声に「Old Clever Man」の矜持が垣間見えた。

     まさか、「花見」如きに朝から集合をかけられ、決意を迫る激を受けようなどとは思いもしなかった、と嘆く我は、この会ではまだまだひよっこ。「ひまじん」を自称するには、3回ぐらいの花見の経験では如何ともし難く、まだまだ修行が足りないことを思い知らされる。「たかが花見、されど花見」、ひまじんを自称するご隠居達のこの花見(地域社会)に対する思いが滲んでいる。

  • 「さぁ出かけるぞー!」
    「さぁ出かけるぞー」

     誰言うとなく発せられた「さぁ出かけるぞー」の一声(これには地域社会に対する思い入れが込められている)に、お仲間の気持ちは固まった。「雨が降ろうがやりが降ろうが花見には参る」、誰にもそう思わせた「一ひまじん」の一声に「Old Clever Man」の矜持を垣間見る。

    「たかが花見、されど花見」
    「ご隠居達のお花見今が盛り」

     「たかが花見、されど花見」、ひまじんを自称するご隠居達のこの花見(地域社会)に対する思いが滲んでいる。

  • 「ご隠居達の箱庭」
    「ご隠居達の箱庭」
     住まいから2-3分、横浜市と東京都町田市の県境には自然豊かな里山が散在している。正に自然の宝庫、ご隠居達の箱庭である。この地に住み始めてから30年、この環境からご隠居達の心は揺さぶり続けられてきたのだ。「ひまじん」は一夜にして育まれたのではない。

  • 「ご隠居達の里山の春」
    「ご隠居達の里山の春」
     人を愛し、地域を愛し、自然を愛する「ご隠居達」が、もっとも気に入っている「里山の春」が今年も訪れた。


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