□「平成25(2013)年ブログ」NO.2  平成25年4月1日〜6月30日   ♪BGM 
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■「クラッシュしてしまったわが愛機」               平成25年7月17日

 だましだまし使い続けてきたわが愛機(PC)が6月29日に終にクラッシュしてしまった。サービスサイトに問い合わせ何とか再生を図ろうと指示された診断を試みたが、マザーボードがクラッシュしたようで立ち上げができなかった。この修理代だけで5.4万円以上掛るらしいので泣く泣く買い替えを決意した。思えば本機購入後5年6か月間小生の片腕として実によく働いてくれ、これからもこの機で更に充実した活用を考えていたので残念というほかない。

 少なくても10年ぐらいは持つだろうと思っていたのだが、小生の定年後の酷使が祟ったのかもしれない。お店の人によれば5年6か月も使ったのなら十分でしょう(4年程度が平均的耐用らしい)と言われたが、何とも侘しく、忸怩たる思いにかられ落ち込んでしまった。買い替えはしたものの放心状態が続き、新機での立ち上げに大分時間をかけてしまった。

 幸い自分で作ったデータのほとんどは、USBメモリーにバックアップしておいたので再生は大いに助かったが、WindowsのOSが8に変わっていたり、InternetExplorerが10にヴァージョンアップしていたことが立ち上げ遅延に拍車をかけた。酷暑の続く中、悪戦苦闘が続いている。最近第1期の立ち上げはようやく目途が立って来たので、本HPの更新に傾注して行こうと思っているところである。中核となる部分の再生にはまだまだ悪戦苦闘が続き、時間がかかりそうな雰囲気である。今年の夏は特に熱(暑)くなりそうだ。


悪戦苦闘の中、取り急ぎ6月のを振り返り日記を更新することとした。

■6月29日<わが愛機クラッシュ>
 我が愛機の電源が午後11時ごろ急に落ち、3-4回立ち上がりを見せたが再び電源が入ることはなかった。3-4回の立ち上がりは、いずれも50-60分ぐらいのクールダウンした後に起こっていたので、この時点では一晩休ませれば立ち上がるものと思っていた。むしろ、5月以降の状況からハードというよりソフトの問題だと信じて疑わなかった。

 翌日(30日)朝方に、電源を入れたところ立ち上がりの画面を表示した後、静かに画面が消えていき、その後は何時間待とうが電源は入らなくなってしまった。午後遅くにサービスサイトに問い合わせ診断を受けたところクラッシュしたことが判明。これから新しいことに挑戦しようと思っていた矢先だったので、ショックも大きくがっくりし落ち込んでしまった。

 7月1日に新機種を買い求め、2日以降立ち上げに没頭する日が続いている。この年になって何もかもが一遍に変わってしまうのを追いかけるのは容易なことではない。もうとっくに取り残された世代であることは重々承知の上だが、IT技術の進化の速さに今更ながら驚かされる。

■年6月22日<横浜駅西口での国連WFP活動>
 この日、夕方4時30分から7時まで横浜駅西口で国連WFPの募金活動に参加した。参加したお仲間は協会の職員2名のほか12名。2人一組で幟を立てパンフレットと募金箱を持ち、西口に出入りする通行人に声を枯らして募金を募った。この取り組みはここ数年に亘り毎年行ってきているが、小生にとっては今年が初めてのデビュー。まずは人通りの多さに驚いたが、無関心を装う方々が圧倒的に多く、こういった場所での活動の難しさを思い知らされた。

「通行人に声を枯らして募金を募った!」

 問いかけても問いかけても素通りされてしまうのには本当に閉口したが、通り過ぎる瞬間に募金箱にそっと投銭してくれる方や、ご苦労さんとねぎらいの言葉を投げかけ少ないけどと小銭を入れてくれる方もおられ、確かな手ごたえのある充実感を味わうことができた。我々の真摯な思いや行動が、西口の女神に通じたのかもしれない。予想を大きく上回る募金額が寄せられたことが確認できた時そう思った。来年も遣らずばなるまい、西口の女神が待っていてくださっているのだから。

■6月16日<あざみ野サロン:ワインとクラシックの意外な関係>
 横浜市民ギャラリーあざみ野で「神奈川フィルハーモニー管弦楽団による弦楽四重奏〜ワインとクラシックの意外な関係〜ソムリエを迎えて楽しいお話とともに〜」が開催された。神奈川フィルハーモニー管弦楽団企画プロデューサーの別府一樹さんとソムリエの金野孝則さんのお話は軽妙洒脱で実に興味深く、ワインとクラシック音楽に多くの共通点があり意外な関係があることが深く印象に残った。合間に演奏された弦楽四重奏団のクラシック音楽の響きが、その話に共鳴しているように思え久々に至福の時を過ごすことができた。

 「クラシック音楽もワインも明治に入ってから日本に本格的に伝わってきたが、現在の普及率はクラシック音楽は1%、ワインは2%程度です」。両者の共通する話の結びにそう言われたときに本当に意外な気がした。

 日頃ワインを遠ざけているわけではないからだ。でもワイングラスを片手に一人静かにクラシック音楽に耳を傾けるなどといった風流なことには縁遠かった。この日、10曲ほど聴いたがプッチーニ作曲 歌劇「トゥーランドット」より『誰も寝てはならぬ』が特別心に残った。この曲にワインが最も似合っていそうな気がしたからに違いない。この曲を手始めにワイングラスを傾けていこうと思った。
 なによりも世の名酒、名曲を逃す手はない。 「本公演の模様」はこちらから。

<神奈川フィルハーモニー管弦楽団による弦楽四重奏の当日の演奏曲目>
 ・F.ロウ作曲 ミュージカル「マイ・フェア・レディ」より『踊り明かそう』
 ・モーツァルト作曲 アレルヤ
 ・ベートーヴェン作曲 弦楽四重奏曲第2番より第2楽章
 ・J.シュトラウス作曲 皇帝円舞曲
 ・サティ作曲 ジュ・トゥ・ヴ
 ・プッチーニ作曲 歌劇「トゥーランドット」より『誰も寝てはならぬ』
 ・アンダーソン作曲 舞踊会の美女
 ・山田耕筰作曲 弦楽四重奏曲第2番
 ・チャイコフスキー作曲 アンダンテ・カンタービレ
 ・ヴェルディ作曲 乾杯の歌


■6月9日<横浜開港祭2013に参加>
 今年で32回目を迎えた横浜開港祭が6月8日、9日の両日臨港パーク・みなとみらい地区を中核として開催された。横浜の開港を祝う初夏の風物詩として市民の間には定着してきたようだ。今年は"Thanks to the Port"「開港祭を祝い、港に感謝しよう」をテーマに開催された。小生は両日横浜発祥の品や文化の紹介すると共に、開港当時の街並みを再現した開港発祥ストリートで、来客受け入れ案内のボランティアに従事した。

「横浜開港発祥ストリートの風景」

 両日とも絶好な日和に恵まれ、湾内と陸地で予定された行事に多くの市民が集まり祭りは大成功を収め慶賀の至りだが、暑さと終日サポートのため疲れ果ててしまった。地元の祭りが盛況に越したことはないが、大都市ゆえのことかどうか洗練され過ぎた印象が深く、徳島の阿波踊りや、博多のドンタク、もっと言えば青森のねぶたや札幌の雪まつりとは大分趣が異なる。横浜の本質は何かといったお祭りにかける訴求が乏しいように思えてならない。「全国から百万人単位の来客を呼べるお祭りができれば最高なのだが」。疲れ切った頭の中をそんな愚痴が駆け巡った。
「横浜開港祭の模様」はこちらから。


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■ WFP「TICAD X公式サイドイベント」に参加            平成25年6月2日

2013年6月1日から3日まで、横浜にて第5回アフリカ開発会議(略称TICAD V)が開催された。主催者の案内によれば、本開発会議とは、Tokyo International Conference on African Developmentの略で、アフリカの開発をテーマとする国際会議となっている。日本が主導し、1993年から5年おきに国連や世界銀行などと共同で開催してきており、今年第5回目の開催を迎えたとのことである。本会議の詳細案内については、 こちらのサイトで確認して頂けれたらと思うが、世界主要経済大国のアフリカへの開発援助競争はこの20年で熾烈を極めてきており、わが国の開発援助の方向が根底から揺さぶられてきているように思われる。特に某国のなりふり構わないやり方への対応が我が国にとって大きな課題となっているようだ。

「アフリカン・フェア2013会場入り口の風景」

 今年はそういった背景の中横浜で開催され、横浜市は国連WFPの協力の下「レッドカップforアフリカ」キャンペーンを実施しながら、挙げて本開発会議を支援していた。そんな中、小生は本国際会議のフォーラム、シンポジウムが行われたパシフィコ横浜アネックスホールの会場に設えられたWFPのブースで国連WFPの広報宣伝活動に従事した。

 小生がボランティアに従事したのは、6月3日の10:00〜14:00であったが、訪問者はこのシンポジウムに参加した人達で、こういった活動に興味を待った方や、現地で仕事をされていた方などが多く、寄せられた質問や意見は専門性が高く、いい勉強になった。アフリカ人をはじめとした外国人も関心を示していたが、とりわけ若い学生さんとの交流には心ときめくものを感じた。

「会場に設置された国連WFPのブース/リーダ殿の広報・宣伝活動風景」

 一方、食料難民が止まることなくことなく現出している状況がある中で、シンポジウムで援助のあり方への警鐘ともとれる意見が出されたことを聞くと、この種の援助・支援問題の根の深さを感じないわけにはいかない。自分なりに実体を把握して行動の拠り所としなければならないのかもしれない。本活動を通じ、ファクトファインディングに徹しなければならないと思った次第である。


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■2013年「月プロ恒例の軽井沢研修」                平成25年6月1日

 月プロ恒例の研修旅行は今年第5回目を迎えた。第1回目を平成20年5月に那須の保養所で実施し、以来平成23年(東日本大震災のため中止)を除き毎年軽井沢の保養所で実施してきたので、今年は第5回目を迎えたというわけだ。

「5回目を歓迎してくれた軽井沢保養所は真っ赤なモミジが迎えてくれた」

 メンバーは平成22年に坂本君が加入、そして今年関根君が加入し総勢7名となった。現役組3人と定年組4人のメンバー編成なので、年によって参加できないメンバーも出てくる。今年は坂本君がやんごとなき理由で参加できなかったが、軽井沢のあのカラスがとても寂しく思ったに違いない。後ほど旅行記の中で触れたいと思うが、思い返せばこの5回の研修は、毎回不思議な事件に遭遇し想定外の想い出を刻んできている。  果たして今年はどうであったか。研修の一部始終を振り返り記録に留めることとしたい。

(参考)月プロ恒例研修のあゆみ
実施回  実施時期   実施場所  参加  思い出深い事件
第1回 H20年5月 那須保養所  5名 「かえる事件」
第2回 H21年5月 軽井沢保養所 5名 「巨大犬からかい事件」
第3回 H22年5月 軽井沢保養所 5名 「軽井沢からす騒動事件」 (ご参考)
第4回 H24年5月 軽井沢保養所 6名 「碓氷峠クマ事件」    (ご参考)
第5回 H25年5月 軽井沢保養所 6名 「???????」

 毎年幹事を務めてくれている黒ちゃんから、保養所の確保ができたとの連絡を受けたのは2月27日。1年前から計画されている本研修が今年も実施される運びとなった瞬間である。この連絡が如何に大事で待ち遠しいことだったか。毎年、現役の輩の平日日程確保の難しさがある上に、定年組のジジイ達がいろんな活動に精を出している所為でやたらと忙しく、日程調整に困難を極めるのだ。今年も困難を極め、結局5月31日(金)から6月1日(土)しか都合が付けられなかった。だからこの日程に合わせた保養所の確保できなければ研修を断念せざるを得なくなるので、本連絡を祈る思いで待っていたのである。

 本連絡が入るまでは落ち着かないが、5回も重ねているので連絡が入ればあっという間に今年の研修計画は決まった。ところが、この中には我々の研修にいつも付きまとう不思議な意図への対応が見落とされていた。もっともこんなことを予め想定するのは困難なのだが、昨年あれほど”雹(ひょう)”や”霰(あられ)に苦しめられ、はたまた意図もしなかった想像を絶する山歩きに導かれたことを思えば、今年も何か起こるといったことは想定出来た筈なのである。

 特に、今年は例年より2週間以上早く梅雨入りし我々の日程を直撃していた。その予想もしていなかったことに加え、それが直前の予報では梅雨の真っただ中だというのに、我々の日程の間だけは晴れの予想に変った。これはいくらなんでも調子良すぎで、何かがおかしいと感じ、何かが起こることを暗示する兆候だったと気付かなければならなかったのだ。

 「のど元過ぎれば(1年過ぎれば)熱さ(不思議な意図を)忘れる」といったメンタリティしか持ち合わせていないメンバーはやすやすとそれを見過ごしてしまった。例のカラス(軽井沢の女神)が ”雹(ひょう)”や”霰(あられ)”の洗礼をお与えにならないよう、気分を損なわれないように“酢味噌”や“生ウド”を用意することを計画に織り込んでおかなければならなかったのに・・・・・。

 5月31日の朝、今年新しく加入した関根君は独りで、そのほかは例年の通り中谷車と黒瀬車に分乗して、それぞれの拠点から現地を目指し出発した。上天気に恵まれ計画は寸分の狂いもなく実行に移されたかに見えた。ところが黒瀬車が駅を出てすぐに渋滞に巻き込まれてしまい、第一合流地点(横川サービスA)への到着が大きく遅れてしまった。

 計画によれば当日は第一合流地点に11:30分に到着し、昼食を一緒に取った後、軽井沢保養所には13時ごろ到着することにしていたので、我が黒瀬車が12時になってしまったのは大きな誤算と言えた。それにしても、他の2組は計画より30分以上も早く11時に到着していたことをどう考えるべきか。未だかつてこのように大きな時間差が開いたことはなく、計画を狂わせるようなことはなかったからだ。

 何かがおかしいことは静かに進行していたのだと思う。普通なら当日が31日の晦日だったので当然渋滞を予想してたはずなのに、それに気付かせない不思議な采配に操られていたとしか考えられないからである。そしてその予想を失念し、渋滞に巻き込まれたことが今年の研修に大きな影響をもたらす伏線になっていたのだとすれば、それは例のカラス殿への配慮が足りなかった所為なのかもしれない。

 計画から大分遅れた昼食となったが、現地入り計画を可能な限り厳守しようとドライバーたちは頑張った。そして今年は例年遣らない飲食物の現地調達を、高速を降りた軽井沢郊外のス―パで行った。無論、毎年恒例となっている夜の懇談の為の仕入れであって、アルコールを中心とした買い物である。幸い、我々が欲するものは全て揃っており満足な買い物となったが、ここで、何かがおかしいと気付いていれば、“酢味噌”や“生ウド”を調達していたと思う。ところが、そこまで気が回る輩はいなかった。全てお見通しのカラス殿には面白ろう筈はなかったであろう。加えて、朝から予定が狂いっぱなしで悶々とし、緊張を強いられていたドライバーは、このお店で十分満足のいく買い物ができたことと、時間を取り戻せたことでほっとした気の緩みを感じたに違いない。目的地までもうすぐ。テニスコートがちらつき、カラオケがちらつきルンルン気分が高揚していく中、本日、本年旅行最大の事件が待ち受けていた。

 山間の道路は細くうねっていてドライバー泣かせの道が続いていた。保養所までもうあと1-2分の所に十字路があり、我が車がそこに進入した瞬間信じられないことが起こった。右方向から我が車に向ってきた軽トラックが、ブレーキもかけずに突進してきたのだ。運転席の真後ろにいた小生はウインドウ越しに、数センチしか離れていない車を見て絶叫した。「もうあかん!」そう思った時に、我が車は交差点を抜け出ており、間一髪のところで衝突を免れた。当方が一時停止しなければならなかったらしいが、山間部だからお互いに注意をしなければならなかったはずであろう。

 ルンルン気分は吹き飛び、同乗者は真っ青で放心状態。発する声が言葉にならない。それにしても、人里離れた山間部の昼下がりに両車が狂いもなく出会う確率とは・・・。渋滞に巻き込まれなくて、計画通りに第一合流地点に着いていれば、昼食も買い物も全て計画にゆとりがもて、緊張を強いられることもなかったに違いない。そして、その十字路にはその時間に入ることもなかったに違いない等々、ifを重ねることばかりが頭の中を駆け巡った。幸いにして事故を免れたが、それは、カラス殿が手荒い洗礼を与えることで、彼の恩寵に気付かせようとした彼一流の歓迎の意志表示だったに違いなく、 “酢味噌”や“生ウド”が用意されなかったときから仕組んでいたのであろう。

 例のカラスにこと寄せ比喩的に綴ってきているが、どう考えてもあの場所で、あの時間に、両車が衝突まがいの遭遇をするとは思えない。さらに言えば、両車が注意を怠るようなことが同時に起こるとも思えない。偶然にしては出来過ぎている気がしてならない。だから、これは人智を超えた世界から予めセットされた試練だったのだと思うしかない。そしてそれは旅行が確定した時に既にセットされていたのであろう。日頃から神仏に恩恵をねだるばかりで、崇めず、無関心過ぎてきていることへの警鐘なのであろう。今般はそれを気付かせるための究極の試練だったのかもしれない。幸いにして事故を免れたのは、未だ神仏の変わらぬ慈悲とご加護のもとに置かせて頂いているからであろう、肝に銘じて感謝しなければならない。

 カラス殿は、これらのことを分かられせる為に、第1日目のしかも到着間際の1番大事な時を見計らって、1番大変なことを仕掛け給もうたが、余りの驚ろかせようで気もそぞろになっていることを慮ってか、当日は2の矢3の矢を仕掛け、徐々に気付いていかれるよう特別な計らいを見せた。

「菅原さんと温泉に行く予定が・・・この後とんでもないしごきが。」「カラス殿の命を受けたお二人のしごきは筆舌に尽くし・・・」

 一番驚かされたのは小生だったであろう。言いかえれば警鐘をもっとも深く受け止めなければならない人間と言える。その人間に楽は させまいとテニスに引っ張りだし2時間たっぷりとしごきの修行を命じられたのである。当日小生は菅原さんと温泉巡りをする予定であったが、菅原さんを急な痛風に追い込んでまで問題児をしごきあげる業に言葉もない。2の矢は、ひょっとして菅原さんにカラス殿の使徒聖ペテロ役を命じられたのかもしれない。

この後お銚子が運ばれて軽井沢研修夜の部は盛大に盛り上がる。

 夕食は例年追加の酒で賑やかになるのだが、今年はお銚子2本ぐらいで片付けようという雰囲気だった。明らかに大事件を引き摺って いたからである。ところがこれもお見通しだったのか、気がつけば、お銚子が随分運ばれ軽井沢研修夜の部の始まりは、例年のにぎわい を取り戻しつつあった。これは明らかに3の矢の仕掛けであろう。例年なら、このままカラオケになだれ込むところだが、3の矢にはそこにもうひとひねりの仕掛けが組み込まれていた。我々より先に20名位のグループが9:30まで占拠してしまったのだ。たった5分ぐらいの差で先を越されてしまい3時間近くも待ちぼうけを食らうなんて想定もしなかったが、この待ちぼうけこそ3の矢の的だったのかもしれない。5回を重ねる中、本会が歩いてきたことを振り返り、警鐘を素直に受け止め、これからもさらに面白く繋がっていくことを懇談・確認させるにはこの時間帯をおいてなかったであろう。関根君に特別の泡盛を持参させたのも、この意義ある時間帯の為に他ならない???

泡盛で精進潔斎したジジイ達は憑かれたように歌った!

 泡盛で精進潔斎した面々がこの後、カラオケで盛り上がったのは云うまでもない。何時ぞやは、カラス殿の思し召しで素敵な家族に囲まれ至福の時を過ごしたこともあったが、本日は、下手をすれば先行の組のジジイ、ババア達と時を共有しなければならなかった虞があった。カラス殿は本日宿泊の状況をみて、我々に3の矢を仕掛け最良の時間を与え給うたに違いなく感謝をしなければならない。それにしても我がジジイ達はよく歌う!!!

相変わらずジジイ達の目覚めは早い。

 相変わらずジジイ達の目覚めは早く、早朝から本日も精一杯満喫しようと張り切っていたが、昨日が昨日だけに慎重な旅を心掛け、とりあえずは、例年お決まりのコースとなった軽井沢銀座に出向き、そこから先は、決して熊の出る山道にはいかないことを確認した。




10時前の軽井沢銀座は、人出もまばらだったが・・・。

 10時前の軽井沢銀座は、人出もまばらだったが、日差しが強くジジイ達には少しきつめの銀ブラとなった。4回も行っていれば馴染みの店も出来ており、おだての言葉をかけられると吸い込まれるように立ち寄ってしまい、思いもかけない買い物をしてしまう。小生はウエストポーチのほか革の帽子まで買わされた。アイスクリームを買わされた者、帽子を買わされた者、種種(くさぐさ)のお土産を買わされた者、こうした散財もカラス殿の仕掛けなのであろう、抗うことは出来ないのだ。

軽井沢観光協会で「熊は出るのよ!」と言われて・・・

 気がつけば、軽井沢観光協会の前にいた。例年遣り過ごしていたが今年は中に入り見学することとした。中には観光案内の冊子や地図類、民芸品、写真等が所狭し、と陳列されていたが、軽井沢全体を把握するのにはとても行き届いた配慮がなされていた。小冊子や地図類を手に取りながら、旅の計画に思いを馳せた。そこに品のいい案内の方(年輩のおばさん)がおられたので、ついつい立話を始め昨年遭遇した熊事件の話を持ちかけた。例の峠の茶屋のおばあさんの、「嫁いで50年になるが熊に出会ったことはない」という話をし、山道の看板の真偽を問うてみた。案内の方はおごり高ぶりも見せずに「熊は出るのよ!」と仰った。「えぇー」と絶句。この一言に昨年の 疑念が吹き飛び、峠のおばあさんの顔を思い出した。またしてもカラス殿に、と思わざるを得なかった。

 軽井沢観光協会で手にした“歩く軽井沢”というガイドブックには、手軽なウォーキング・登山のコースが17紹介されていた。その内既に3-4を周ったが、まだまだ多くの未踏地(未訪問)があることを知った。1年に1コースを踏破するとして全部を踏破するにはまだ10年以上かかることになる。失われた20年の真っ只中、仕事を通じて苦楽を共にし、その価値観の共有を縁として結ばれたかけがいの無い仲間達に、軽井沢のカラスが明示する未来は実に洋々としており、新たな生き甲斐へ誘(いざな)ってくれているのである。悩んでなんか、病気なんか、怠けてなんかいられないのだ、日々健康維持をおさおさ怠らず、毎年全員が元気でこの研修に挑戦していかなければならないということである。

「関根君はアウトドア派で博識家であった」「軽井沢研修第2ステージの第一歩をめがね橋に標した」

 そんなことを思い描きながら、今年はその第一歩を碓氷第三橋梁(めがね橋)に標した。この地で第一歩を踏み出すアイディアを出したのは、新加入の関根君であった。失礼極まりないことだが、彼がアウトドア派であり地理にとても明るく、その上博学豊かなご仁であることを、アイディアを出され案内してくれるまで気付かなかった。誠に恐縮の至りだが、大変心強い仲間を迎えることができたことを頼もしく思った次第である。我らジジイ達ばかりに任せておいては、この計画も絵に描いた餅にしかならないと思し召したのであろう。彼をこの日の使徒ペテロとして差し向けたカラス殿の采配がまた一段と冴え渡っていた。

「積み上げられたレンガの一つひとつに・・・」。

 巨大な橋梁は迫力に満ち来訪者を圧倒していたが、我々の来るのをずっと待ちかまえていたように見えた。積み上げられたレンガの一つひとつに、後世の為に苦労に耐えた先人の思いが刻み込まれているのが感じとられた時に、この思いを伝えるために我々を長い間待ち続けていたのであろうと思った。昨年は、八咫がらすに引き合わされるなど毎年粋な計らいを見せてくれるが、今年は月プロの軽井沢研修が新たなステージに入ったことを自覚させるのに最も相応しい場所へ誘ったと思った。我々はこれからの十年、後世の為に何を印すのか、そんなことを問われている気がしてならなかったからである。

「これからの10年は忙しくなるぜ!」

 だから、先人が打ち立てた巨大な橋梁の前に立ち、今年も仲間が元気で再会でき、面白可笑しい有意義な時を共有できたことを告げ、来年またこの場所に来て新たな挑戦を開始することを誓った。皆さん、カラス殿(神仏)の思し召しと日頃の恩寵に心から感謝を捧げ、第二ステージに入った月プロ軽井沢研修で後世の為に何を印すのかに果敢に挑戦していきましょう。「これからの10年は忙しくなるぜ!」と 橋梁から囁かれている気がした。

<追記>
@テニスを始めてすぐに1羽のカラスが様子を窺いに来た。明らかに坂本君と“酢味噌”と“生ウド”の在り処をチェックしにきたに違いない。目的が達せられなくてすごすごと飛び去った姿がとても寂しそうだった。坂本君、カラスを悲嘆に呉れさせてはいけないよ。

A碓氷第三橋梁周辺に、「山ヒルに注意」と書いた立て看板がやたらと目についた。熊事件の二の舞かと思ったが真相は分からずじまい。来年あの案内の方に確認しなければ・・・。

「山ヒルに注意」の真相を来年確かめたくて・・・。



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■「平成25年5月」を振り返って                   平成25年5月30日

 今5月は、孫が4月に1歳になって迎える端午の節句の賑やかしや、畑の手入れ、目白押しに予定されたボランティア活動そして、OB仲間との恒例になった軽井沢旅行など息つく暇もないほどの忙しさが予定されていた。

 ところが5月に入って早々に、引き摺っていたPCへの付加が頂点に達し、動きが急速に悪化、挙句にはイライラが募り操作を誤ったことでとんでもないトラブルを引き起こし、PC使用に関するモチベーションが極端に落ちてしまった。見るのも触るのも嫌になったほどで、こんな感覚になったのは初めてのことである。

 加えて、田舎の姉の体調不良が知らされ帰郷しなければならないことが重なり、気苦労やらなんやらで精神的にもゆとりが持てず、何もしたくなくなりいくつかの予定をキャンセルするなど今5月は本当に憂うつな日々となってしまった。

 当然そのあおりは本HPにも影響が及び、更新する気さえ湧かずこの1カ月はほとんど手つかずの状況となってしまったが、姉の体調不良も大したことではなかったことや、PCのトラブルシュートも目処がついたので、ここにきてようやく本HPの更新を行う気が起こってきた。

 すっかりやる気をそがれていたので、「平成25年5月」を振り返ってもろくな記事にはならないが、そんな時期にあったればこその想いを綴ることも意味あることと云い聞かせ、この1カ月を近間から振り返ってみた。

■ 5月25日<国連WFP tvk秋じゃないのに収穫祭イベント>

「このブースの前で終日立ち尽くし募金を訴える・・・」

 テレビ神奈川と日本大通り活性化委員会が主催するこのイベントは2007年から毎年開催されている。「神奈川の地産地消」を応援する目的でスタートしたこの祭りには、NPO団体のPR、親子連れで楽しめるワークショップなども含め約100ものブースが出展する一大イベントとなってきている。今年も5月25日、26日の両日にわたって日本大通りをメイン会場として開催された。国連WFPは今年も出展させていただき、両日に訪れる多くの人々に世界の飢餓を訴え募金活動を行った。小生は、25日に参加し終日ブースの前に立った。多くの方々、特に子供たちから激励と暖かい募金が寄せられ、引き摺っていた憂うつな気持ちがこの日完全に払しょくした。
人の為に一途に遣ることが結局は自らの為にもなっていることに改めて気付いた。

■ 5月24日<嵌り込んだ盆栽の世界>

「盆栽に癒されて・・・」  先月13日に「ミニ盆栽」に挑戦した記事を掲載した。手をかけて鉢植えをしただけに愛おしく、我が子の様な気持ちになり毎日2回せっせと水遣りや、場所替えをしながら面倒を見てきた。ところが2週間経った4月の下旬頃には葉っぱに元気がなく赤茶けてきてしまった。5月に入って憂うつな日々と重なり一層気分が萎えてしまったが、この子だけは何とかしなければとの一心で、先生にメールを打ちご指導を願った。
 どうやら水やりのタイミングや早手回しで与えた肥料が良くなかったらしい。ご指導通りにしたところご覧のように元気な姿に再生してきた。この喜びは如何ともしがたく、憂うつが続く日々の中どれだけ救われたか計り知れない。思い入れの趣味を持つことの大切さを実感している。


■ 5月19日<国連WFP Walk the World>

「ゲスト:エリック・ワイナイナさんと」 今年も、国連WFP主催のイベント「Walk the World」が5月19日に横浜みなとみらい地区:臨港パークを主会場に開催された。当日は3,600名近い参加者があり、ゲストに迎えた男子マラソンオリンピックメダリストのエリック・ワイナイナさんとともにウオーキングが実施されイベントは大いに盛り上がった。
 当日は朝早くから会場入りして会場誘導や募金活動に専念した。天気やゲストの人懐っこさにも恵まれて昨年を大きく上回る募金を頂いた。こんな活動に参加できる有難さや、嬉しさがこの月特に身にしみた。ワイナイナ氏とのツーショットからそれが垣間見える。

「お仲間の熱い意気ごみが伝わる打上」「WTWを支え切った仲間達の素敵な笑顔」  イベント終了後は当然のようにお仲間との打ち上げが会場近くのお店で・・・。毎年恒例になっているようで今年も20名近い仲間が参加した。世界の飢餓に取組む熱い意気ごみがアルコールの量に比例して伝わってきた。素敵な仲間と熱気に包まれたこの「ひと時」に何にも替え難い価値が垣間見える。それを求めて来年も・・。


■ 5月16日<帰郷>

小料理屋の壁に踊る「かたいけの」  田舎に住む姉の体調が芳しくないとの連絡が入った。離れて暮らしていると芳しくない状況の程度が良く分からず、兄の電話では切ったりハッタリをしなければならないような雰囲気が伝わったのであわてて帰郷した。結果は自分の思いこみから病気を誘引しているようで、物理的には何ともないことが分かった。2年前と同じことの繰り返しだったが歳を重ねているので心配の種は尽きない。掛り付けの大病院にカウンセリングを受けながら治療する心療内科があると思っていたが無いらしく、投薬だけで済ませてきたらしいことも心配の種で、離れて暮らすもどかしさを思い知らされる。

 そんなこんな思いに駆られながら、2年前にもいった小料理屋を覘いてみたところ、相変わらずに越前和紙に「かたいけのぉ」と墨書された伸びやかな平仮名が紙面一杯に踊っていた。福井弁で「元気ですか?」と問う挨拶語である。今まで使わなかったこの言葉も、歳をとるごとに互いを慮る心のほとばしりに聞こえふるさとの言葉の重みを感じるようになった。今年も一段とその重みを味わされ、故郷の兄弟に向かって「かたいけのぉ」と言っている。

(参考)2年前の記事「かたいけのぉ」はこちらから。

■ 5月10日<横浜市民ギャラリー「あざみ野」>

「情報誌あざみ野配布し隊」メンバーの戦略会議  横浜市民ギャラリーあざみ野で「アートあざみ野配布し隊!」なるプロジェクトが発足したのは3月28日。同ギャラリーでもっと多くの方にもっと気軽に美術・芸術に触れていただければとの思いから、あざみ野に横浜市民ギャラリーがあることや主催事業を知ってもらう為の活動を展開することで、とりわけあざみ野地区にあるお店や施設に情報誌を置いていただこうとする活動である。

 既にパイロットで進めた経験を活かし、本日は2班に分かれて主要施設(主に歯科診療所)を訪問することとした。事前の戦略会議で作戦を練り、いざ出陣となったが机上で思うほど楽ではなく、暑さにも追い打ちを掛けられ苦戦を重ねた。でも終わって見れば、11施設を訪問して6か所から承諾を頂いたのでかなり善戦したと思う。これからまだまだ進めなければならないが偏に「配布し隊」の力量にかかっている。なにせ歳を取っているので口は上手いが体力が伴わないところが本隊の弱点である。若手の方々に隊員になっていただきたいとおもう。そして老若力を合わせて「COOL AZAMINO」を実現していきましょう。


■ 5月4日<散策>

「田植えを待つ田には蓮華草の花が咲き乱れて」  5月に入ってPCの負荷が高まり、挙句には操作を誤ってトラブルに見舞われるなどゴールデンウイークという言葉さえ恨めしく思う月開けとなった。何にもしたくない日々が続いたが、家に籠ることだけは避けようと外に出かけることを心がけた。幸い家の近く(横浜寺家町付近)は市の保護もあって、里山を含む一体が自然のままを維持している。そんな中、田植えを待つ畑にれんげ草が一杯咲き乱れ、子供らが思い切り遊んでいる風景に出くわした。毎年のことでとりたててと思ったが、今年ほどその風景が懐かしく心洗われる思いをしたことは無かった。打ちひしがれていたこともあって殊更にそう思えたのかもしれない。自然の営みに奇抜なところはないが、じっくりじっくり時を刻みその都度都度に見せる営みの確かさに人の心を打つものが感じられ大いに癒された。自然を見ること、そして触れて感じることの大切さを思い知らされた。

「ソラマメの逞しさに元気づけられて」  そんな思いを抱きながら散歩を続け我が畑へと歩を進めた。しばらく来ないうちにソラマメが青々と繁殖しており、実に触れながら、その逞しい繁殖力に敬意を表した。「自然界では落ち込んでいる暇などはないのだ」と語りかけられているような気がした。


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■「日清オイリオ磯子春まつり2013」                平成25年4月21日

 今年も、日清オイリオ磯子春まつり2013が、4月20,21日の両日に行われた。本祭りの趣旨等については昨年レポートしているのでそちらをご覧いただくとして(昨年の状況はこちらから)、今年の状況の特色を挙げれば、雨模様の悪天候で歴史的に寒い中(主催関係担当者のお話し)の開催となったことだ。

 20日の午後から降り出した雨は、翌日の午前中いっぱい降りやまず、北風に煽られた海辺に近い会場はとても寒く、イベント日和としては大変厳しい環境と言えた。そんな中、主催者の日清オイリオ殿のこの上ない温かいご配慮とご支援を頂き、国連WFPの広報、募金活動は、想定を超えた成果を上げることができ、我々に新たな多くの感動を与えてくれた。ほんとうに嬉しくボランティア冥利に尽きる思いがした。

 小生は21日に参加した。当日9:20の集合時には雨、風が吹きすさびとても屋外でのイベント遂行は困難かと思われたが、10:00の開場と同時に、何人もの来場者が続き会場に生気をもたらした。主催者殿によれば入場者は昨年の半分ぐらいとのことであったが、この悪天候の中、来場者が駈けつけてくれること自体驚きで、正に感動もんと言えた。

 だから、こんな状況に直面した我々が、モチベートされないわけがなかった。雨の中傘を差しながら来客を招じ入れ、未来を背負う多くの子供たちに、飢餓状況を説き、啓蒙に懸命に取り組む姿は神々しくさえ見えた。そして聞いてくれた子供らにマジックバルーンで拵えた剣やプードルを差し上げながら、「食べ物を大切にしてね!」、と訴えかけた。その最後の念押しを素直に受け止めたくれたことが笑みで象徴されたとき、WFP活動への親和性をさらに高められたと思った。

「雨の中傘を差しながら来客を招じ入れる」「未来を背負う子供たちに、飢餓状況を説き・・・」

 誠に喜ばしい限りだが、それはまた、数百本に及ぶ風船を膨らませ、手指を攣らせながらも懸命にねじり回す裏方の風船作りに徹した仲間との相乗作用がもたらしたものであったとも言えるだろう。

 目的を押さえ、阿吽の呼吸で行動出来るチームワークは本当に頼もしい、望外の感動を享受出来るのはこういったチームにいるからであろう。これからも望外の感動を求めWFPの活動に関わっていければと、しびれる指に息を吹きかけながら思った。

「手指もしびれる裏方の風船作り」「阿吽の呼吸で行動出来るチームは頼もしい!」


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■「初孫の一升餅祝い」                      平成25年4月20日

 早いもので、初孫はこの4月20日で満1歳を迎えた。まだ意味ある言葉のおしゃべりは出来ないが、5歩、6歩と歩けるようになったことに目を見張る思いがする。自分の子供がどうだったかを思いだせないのがもどかしい限りだが、この子の成長に伴走し家族の紐帯を考えさせられる1年だったように思う。といえば格好よすぎるが、早いはなし、この子に心を鷲掴みされ、惑溺するジジイ馬鹿に呆(ほう)けた1年だった、と云った方が落ち着く。

 恐らく先さまのジジイ殿もご同様なのであろう。この日、一升餅祝いを行ったが、両家の爺、婆がまたしても張り切ってしまったなか、共同戦線を張ったジジイ達の隠れた張り切りようは格別で、孫を抱きかかえる両腕がそれを象徴していた。挙句、孫の口からほとばしった言葉がジジイ馬鹿をこれでもかと有頂天にしてしまった。それは「お父さん」、「お母さん」と呼ぶより先に「ジイジイ」と言ったのだ。婆たちは「そんなことは云っていない」と否定したが、否定すればするほど嫉妬の世迷言としか思えず、ジジイ達は密かに笑いをこらえることに苦労した。そして、孫のこの英断をこの上なく嬉しく思った。

 彼は、取り巻きに笑みを振りまきながら祝いの役割を務めた。さすがに彼にとって、紅白二つの一升餅は重すぎ3,4歩 歩くのが精いっぱいだったようだが、そんな中で、誰を最初に呼ぶべきか迷っていたに違いない。

「紅白二つの一升餅は重かったよ」「誰を最初に呼ぶべきか迷ったよ!」

 喧しいババア達の愛情表現には及ぶべくもないが、ジジイ達のぎこちな愛情表現だからこそ、素朴で純粋な愛が彼を捉えたのかもしれない。だから彼は躊躇せず「ジイジイ」と言ったのであろう。さらに、豚もおだてりゃ木に登るじゃないが、ジジイもおだて、有頂天にさせりゃ・・・・といった下世話なことも、この1年で学んだのかもしれない。

 理由は何でもいい・・・。初めて発した言葉が「ジイジイ」であったことが、どれだけ嬉しかったことか。家族の間からは顰蹙を買いそうだが、ここまでやられれば、これからも徹底したジジイ馬鹿を通さなければならない。彼を最初に抱いたとき、心を鷲づかみにされ、最良のジジイになると誓ったのだから。



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■「ゴールデンウェーブ in 横浜」での活動             平成25年4月16日

 2009年、横浜開港150周年を機に横浜のゴールデン世代(65歳以上)が、日本中、世界中の合唱仲間に呼びかけ、「ゴールデンウェーブ in 横浜」と銘打った国際シニア合唱祭を開催するようになった。と本合唱祭のパンフレットに案内されていた。今年は第5回の開催となるようで、4月15日、16日の両日、開催名誉会長に日野原重明先生をお迎えし、竹下景子さん司会の下横浜みなとみらい大ホールで実施された。

 開催委員会事務局に、国連WFP横浜支部が本コンサート会場で世界の飢餓を訴え、温かい援助の手を差し伸べていただけますようにとの広報と募金活動をさせて頂くことの意義深さにご賛同いただき、今般初めて、WFPの活動をすることとなった。

 全国から、そしてアジアの国から73チームの合唱団が参加し、それぞれの持ち歌を披露された。活動の合間に歌声を聴き、その歌声にまさにご案内の通り、ゴールデンエージに相応しい人生の豊かさや、優しさを育む響きと、大航海を無事乗り越えてきた風格を感じることができた。そして、ステージの合間合間に彼らから暖かい援助の手が募金箱に寄せられたとき、歌声以上に人を思いやる優しさが感じられ感動を覚えた。

 国連WFP協会親善大使をされている司会の竹下さんが、司会の合間にWFPの広報をされ我々の活動に援護射撃して頂いたこともあって、募金は想定を超えた額となった。とても有難いといわねばならない。終了後、楽屋口に竹下さんを訪ねお礼を申し上げた。彼女は一言「本当に良かったですね ! 」といった言葉に、何のてらいもない、ただひたすら純粋にWFPに寄せている気持ちが伝わり感動の波はさらに高まった。

「来年は合唱団の一員として参加したい !」

 今回小生は、都合で16日しか参加できなかったが、ボランティアの利他の精神を改めて思い知らされた。来年以降も本合唱祭に出ずにはいかないだろう。地元(青葉区)から2チーム参加していたことも今回初めて知った。ボランティアに参加するだけではなくて、合唱団員?として参加することも視野に入れなければと思った。

「ゴールデンウェーブ in 横浜」はこちらから。


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■「ミニ盆栽に挑戦」                       平成25年4月13日

 横浜市民ギャラリー「あざみ野カレッジ」主催の「ミニ盆栽をつくってみよう!」に参加し、初めて盆栽作りに挑戦した。1か月前に講座の案内がきたが、盆栽の響きが余りに爺むさく思ったので返事を躊躇していた。でも、どう考えても自己の年格好はごまかせるわけもなくジジイの領域にあることは間違いないのだから、勝手な思いにとらわれるのはばかげていると思いなおし、友人の"松ちゃん”を引き釣り込み参加を申し込んだ。

 "松ちゃん"も一瞬躊躇したが、すぐさま翻し「面白そうじゃん !」と言いながら参加を決意した。当日会場に参加した受講生は約30人。我々よりずっと若い世代の方が参加しており、しかも女性が多かった。とりわけ小学生の男の子が参加していたのにはびっくりしてしまった。ステレオタイプに、盆栽は老人の遣ることと思っていたことを恥じ入るばかりであった。

 講師の山崎智恵先生から盆栽の意義を説かれた時、これは大変興味深い趣味になると思った。講師の話が大変魅力的であったせいであったからかもしれない。それからの2時間、先生のご指導の下楓の盆栽作りに没頭。慣れない鋏をいじくりまわしながら根さばきと植え付けを行い、無駄な枝や葉っぱを切り落としながら雑木林をイメージした盆栽に仕上げていった過程は、正に悪戦苦闘の連続と言えた。そしてその極致は、出来あがった盆栽の鉢の隙間に砂を埋め、仕上げに苔を張り付ける作業であった。苔を薄くはぎとり張り付ける作業は本当に難渋を極めた。

「講師の話が大変魅力的であった」「悪戦苦闘を極めた苔の貼り付け」

 これだけ手をかけたものが、愛おしくないはずがない。まるで我が子が授かった時のような思いがする。この子を育てあげるため、日当たり、風通しのいい場所を当てがえ、1日2回の水やりに専念することに喜びを感じる。

 この秋にはきっと見事な紅葉で報いてくれることであろう。盆栽を誤解していた者の、盆栽の魅力に取りつかれた思いがつい口を衝いて出てしまう。

「盆栽の育て方を説く講師に耳をそばだてる」「我が盆栽、愛おしくないはずがない」



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■「WFP横浜支部イベント推進G会議より」              平成25年4月12日

 この日、WFP横浜支部イベント推進Gの4月の定例会議が開催され、下記主要行事3案件についてボランティア活動対応を協議した。どれも当支部にとってはビッグ行事だが、Bの「ウォーク・ザ・ワールド for アフリカ」は、5年ごとに開催されるアフリカ開発会議が、今年第5回目を迎え横浜市で開催されることとなり、横浜市が「ヨコハマforアフリカ」と銘打ったアフリカ応援キャンペーンを実施する一環に、国連WFP協会が協力して実施するものでとりわけ意義深い行事となる。

 (参考)主要行事
@4月20,21日に開催される日清オイリオ春まつり参加対応の件、
A4月15,16日に開催されるゴールデンウエーブ in 横浜 第5回 国際シニア合唱祭での活動対応の件、
B5月19日に開催されるWFPウォーク・ザ・ワールド for アフリカ実施対応の件

 この会議に横浜市文化観光局アフリカ開発会議担当部長の山崎さんにお出でをいただき、第5回アフリカ開発会議横浜開催に向けて:「アフリカ応援キャンペーン ヨコハマ for アフリカ」:についてご説明を頂いた。

 ご説明によれば、今回のアフリカ応援キャンペーン「ヨコハマ for アフリカ」は、「ともに成長する」「身近に感じる」「おもてなしをする」を取り組の3本柱として、市民の皆様に「アフリカを身近に感じて」いただき、日常生活の中でアフリカを応援して頂くことを目的としており、支援キャンペーン「レッドカップ for アフリカ」は4月1日〜5月31日まで開催されるとのことであった。

 キャンペーン参加店舗で買い物や食事をしたり、募金することで国連WFPのアフリカにおける学校給食支援を応援出来るので、皆さん方にも是非御協力を頂ければと思う。また、5月19日に開催される「WFPウォーク・ザ・ワールド for アフリカ」にも是非是非ご参加を頂ければとご案内申し上げる次第です。

 5月19日には、私が現場で精一杯のお手伝いを致します。皆さん方のお出でを心からお待ち申しあげております。

なお、「第5回アフリカ開発会議横浜」と「WFPウォーク・ザ・ワールド for アフリカ」の詳細は下記をご参考にしてください。
 @「第5回アフリカ開発会議横浜」はこちらから。
 A「WFPウォーク・ザ・ワールド for アフリカ」はこちらから。



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■「自治会の総会」に初参加                    平成25年4月7日

 この地に住んでから約30年、一度も自治会の活動に携わったことはなく、いわんや総会などといった会合には出たことはなかった。昨今、「ZATUBOKU」や「ひまじんの会」といったボランティア、自由人の集まりに参加し始め、お仲間の先輩諸氏達から自治会活動の意義深さを洗脳され、本総会に出て見る気になった。

 事前に送られてきた議案書を読みこみ総会に臨んだ。主要議題は、前年度の総括、今年度の事業計画と予算、新年度役員の承認といったところだが、670世帯を超える自治会なので予算額もそこそこ大きく、事業計画も多岐にわたっている。活発な質疑もなされたが、総会は2時間をかけて全ての議題を承認し無事閉会となった。

 シャンシャン総会とは一味違う印象ではあったが、事なかれ的運営を否定できるほどの印象は伝わらなかった。聞けば、最近は特に役員の成り手がいなく、執行部を構成するのも難儀しているようだ。だから任期は1年しかなくなにをやるにしても、事なかれ的にしか取り組めないとのことのようだ。

 そういう自分も30年間無関心を貫いてきたわけだから批評することは出来ないが、この歳になって初めて出席し、現場を見て、これは何とかしなければ、とついムキになる自分に忸怩たる思いがした。

 遣らされて遣っている方達は、たとい事なかれに流れても懸命に自治会を支えてきたに違いなく、経験者のお仲間達のボルテージが高くなるのに共感を覚えずには居られなかった。加えて彼らは、事なかれを何とか打破しようとここ数十年頑張ってきているらしいのだ。そんなお仲間にささやかれると、ついついほだされてしまう。

 30年間無関心だった空白を埋めなければならないのかもしれない、自治会の為に何ができるのだろうと総会の会場で自問させられた。                                     

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■「愚痴がほとばしった今年の花見」                平成25年4月2日

 地元の社会福祉協議会・お花見実行委員会から、4月2日に開催される「お花見へのお誘い」を受けていた。4町内が合同で計画したもので町内にある公園に集まり花見の宴を催すというもので、主にお年寄りと子供が対象となっている。

 我々も年寄りの世代と言われても不思議ではないが、殊更にお年寄りと言われるには抵抗もあって、参加することに躊躇していたが、我々のもっと上の世代の方達をボランティア精神を発揮し、盛り上げ支援することが目的とのことで断りづらくお誘いを受けたZATUBOKUのお仲間たちは全員参加することとなった。

 もっとも、お弁当にビールがついて600円という参加費も魅力であったので参加することにしたのだが、あいにく当日は雨が降りお花見にはもっとも適さない天気となってしまい、代替会場の小学校に着いたときにはずぶ濡れとなってしまった。こうなれば、花よりも、ボランティアすることよりも食い気とばかりに、車座になったお仲間たちは一斉に弁当にがっついた。

 今年は花見の時期が大きく崩れた。当初の見込みでは4月の上旬が見ごろと言われ、それに合わせて計画が立てられた。ところが、それが2週間以上も前倒しになり花見の計画は大きく狂ってしまった。と思いきや、その後急に寒くなり見ごろがずるずると伸びていったので狂いの調整を始めた者も多かったと思う。でもその間の寒さや降雨はとても花見をするどころではなく狂いの調整は難航した。

 この日も、ずれたおかげで満開に近い木の下で思いもよらない花の宴を楽しめたはずなのに・・・。天は、我が方の不純な気持ちを見透かしてか厳しい試練をお与えになったのかもしれない。

 昨今の状況は、あたかも景気回復の道を歩きはじめた如く株価が跳ね上り、活気に満ちた喧騒を呈してきている。今年の桜の開花は予想を超えた早まりであった。そのため心なしか色付きが淡く白っぽい印象であった。本来予想していた通り4月上旬までじっくり耐え、準備をしていたならば色付きも良い本格的な満開を持って、万人を楽しめたに違いない。突然の気候変更に刺激されたため、あわてて開花をしたものの色付きも悪く、鑑賞の日程も狂わせた挙句、その後の天候急変を受け、いたずらに見ごろの状況をずるずる引き延ばしていったものの、万人の期待には応えられなかったことに、現況が符合しているように思えてならない。

 実体経済が良くなっている訳ではない。その兆候が確かな政策に裏付けられているわけでもなさそうなことを思うと、もう少し冷静に世の中を見ていかなければならないのかもしれない。雨にたたられるのだけはまっぴら御免を蒙りたいところだ。雨が降りそぼる今年の花見の帰り道でそんな愚痴が口をついた。



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■「最悪になってしまった平成25年度の幕開け」           平成25年4月1日

 前日、ジムから帰ってきたら町内のZATUBOKUの有志から電話があり、6時ぐらいまで集会場にいるので出てこれないかとのことであった。時計を見たら5時30分、なにをやっているかはおおよそ見当がついていたが、小生を必要とされる何か特別の理由でもあるのかと見当違いの思いこみに駆られ集会場に出かけた。

 案の定と言うべきか、見当違いの思いこみをこれでもかと思い知らされたと言うべきか、酒盛りの真っ最中で来るのが遅いじゃないかとなじられ、なみなみと注がれたコップ酒をあてがわれてしまった。

 最近は何かにつけ会合の後には酒盛りが付きものになっており、当日は有志で木を植える会議をやったらしい。小生が飲み始めると、その会議の模様を誰彼なしに得意げに説明しかかるので、いちいち反論を試みたところ、てんやわんやの大騒ぎ、煩いことこの上ないことになってしまった。

 ジムから帰ったばかりで身体が水分を欲している中、アルコールの通りも良く短時間のうちに酔いが回ってしまった。酔いのまわりと比例するように議論が白熱し、挙句には場所を変えて遣ろうということになった。いつものパターンで、ここに付きあっていては後悔を繰り返すのは目に見えているのだが、神経をマヒするアルコールの力には抗えなかった。

 ここでも大変盛り上がったらしい。らしいとは自分では覚えがないのだ。こうなるとその結末は言語を絶する苦しみを味わうことになる。4月1日の新年度から新たな心境でいこうと思っていた考えも、強烈な二日酔いに妨げられてしまい1日中床の中で自己嫌悪に陥る羽目になってしまった。

 何回繰り返したら気付くのか、最悪になってしまった新年度の幕開けに、ほとほと学習能力の低さを呪うばかりである。



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