アンクルKの他愛もない話

人形劇・影絵劇の台本 BGMを操作しながらナレーター気分になってお楽しみ下さい。

『泣いた赤鬼』(五)浜田 廣介

 

鬼どものすがたが、むこうにきえてしまうと、人たちは、はじめて、てんでに(はなし)をかわして、いいました。

「これは、どうしたことだろう。」

「鬼は、みんな、らんぼう(もの)だと思っていたのに。」

「あの赤鬼は、まるきりちがう。」

「まったく。まったく。してみると、あの鬼だけは、やっぱりやさしい鬼なんだ。」

「なあんだい。そんなら、はやく、おちゃのみにでかけていけばよかったよ。」

「そうだ。いこうよ。これからだっておそくはないよ。」

そんなふうに、人たちは、たがいに、かたりあいました。

村人たちは、安心(あんしん)しました。その日のうちに、山にきました。赤鬼の家の戸口に立ちながら、戸をとんとんとかるくたたいて、いいました。

「赤さん、あかさん、こんにちは。」

人間のことばを聞くと、赤鬼は、いっそくとびにとんででて、にこにこ(がお)でむかえました。

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「ようこそ、ようこそ、さあ、どうぞ。」

鬼は、いそいで、おうせつの()にあんないしました。

木のかべ、木の(ゆか)(てん)じょうも木のかわばりでできている、しっそなへやでありました。まるいしょくたく、(あし)のみじかい、ひくいいす、みんな、木でできていました。そうして、それらは、どれもみな、その赤鬼がつくったものでありました。

かべには、ちゃんと、あぶら()がかかっていました。そのがくぶちは、しらかばのきれいなかわで、できていました。それも、やっぱり、赤鬼がつくったものでありました。しかも、あぶら絵そのものが、その赤鬼の苦心(くしん)(さく)でありました。

その絵というのは、鬼と、ひとりの人間(にんげん)()が、かかれていました。

人間のかわいい子が、かかれていました。人間のかわいい子どもを、赤鬼が、(くび)のところにまたがらせ、しょうめんむきになっているのでありました。たぶん、その絵の赤鬼は、じぶんの顔をえがいたものかもしれません。六月(ろくがつ)ごろのみどりの(にわ)をはいけいにして、うれしそうな赤鬼と、子どもの顔とが、いきいきとえがきだされていました。

人たちは、へやをぐるっとながめまわして、手製(てせい)のいすに、どっかりこしをかけました。かけると、なんとも、ぐあいがよくて、だれのからだもしっくりと、はまりました。(こころ)の中までゆったりとおちつくことができました。

どうして、こんなに、()ぎわがよいのでありましょう。

鬼に、たずねてみましょうか。

いや、まて、ごらん。赤鬼は、じぶんでおちゃをだしてきました。おかしも、じぶんではこんできました。

なんと、おいしいおちゃでしょう。

なんと、おいしいおかしでしょう。

これまで、ずっと、こんなにおいしいおちゃをのみ、こんなにおいしいおかしをたべたという(もの)が、ただのひとりもいませんでした。村に(かえ)って、人たちは、鬼のおいしいごちそうを、口ぐちにほめたてました。鬼のすまいがさっぱりして、いやみがなくて、いごこちが、まったくよいということを、口をきわめてほめたてました。

「そんなら、おれもでかけよう。」

「きみは、きのう、いったじゃないか。」

毎日(まいにち)、いってもいいんだよ。」

こんなぐあいで、村から山へ、人たちは、三人、五人とつれだって、毎日、でかけていきました。こうして、鬼は、人間の(とも)だちなかまができました。まえとはかわって、赤鬼は、いまはすこしもさびしいことはありません。けれども、日かずがたつうちに、(こころ)がかりになるものが、ひとつ、ぽつんと、とりのこされていることに、赤鬼は()がつきました。

それは、ほかでもありません。

青鬼のこと――したしいなかまの青鬼が、あの日、わかれていってから、ただのいちどもたずねてこなくなりました。

「どうしたのだろう。ぐあいがわるくなっているのかな。わざと、じぶんで、(はしら)に、ひたいをぶつけたりして、(つの)でもいためているのかな。ひとつ、みまいにでかけよう。」

赤鬼は、したくをしました。

 

      挿絵:市川 禎男

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