『赤いろうそくと人魚』(四)小川未明
あるとき、南のほうの国から、香具師(見せものなどの興行をする人)がはいってきました。なにか北の国へいって、めずらしいものをさがして、それを南の国へ持っていって、金をもうけようというのであります。
香具師は、どこから聞きこんできたものか、または、いつ娘のすがたを見て、ほんとうの人間ではない、じつに、世にめずらしい人魚であることを見ぬいたものか、ある日のこと、こっそりと年より夫婦のところへやってきて、娘にはわからないように、大金をだすから、その人魚を売ってはくれないかともうしたのであります。
年寄り夫婦は、さいしょのうちは、この娘は、神さまがおさずけになったのだから、どうして売ることができよう。そんなことをしたら、ばちがあたるといって、しょうちしませんでした。香具師は一度、二度ことわられてもこりずに、またやってきました。そして年寄り夫婦にむかって、
「むかしから人魚は不吉なものとしてある。いまのうちに、手もとからはなさないと、きっとわるいことがある。」と、まことしやかにもうしたのであります。
年寄り夫婦は、ついに香具師のいうことを信じてしまいました。それに大金になりますので、つい金に心をうばわれて、娘を香具師に売ることに、やくそくをきめてしまったのであります。
香具師はたいそうよろこんで帰りました。いずれそのうちに、娘をうけとりにくるといいました。内気な、やさしい娘は、この家からはなれて、いく百里も遠い、知らない、熱い南の国へいくことをおそれました。そして、泣いて、年寄り夫婦にねがったのであります。
「わたしは、どんなにでもはたらきますから、どうぞ知らない遠い南の国へ売られていくことはゆるしてくださいまし。」といいました。
しかし、もはや、鬼のような心もちになってしまった年寄り夫婦は、なんといっても娘のいうことを聞きいれませんでした。
娘は、へやのなかにとじこもって、いっしんにろうそくの絵をかいていました。しかし、年寄り夫婦はそれを見ても、いじらしいとも、あわれとも、思わなかったのであります。
月の明るい晩のことであります。娘は、ひとり波の音を聞きながら、身のゆくすえを思って悲しんでいました。波の音を聞いていると、なんとなく、遠くのほうで、じぶんをよんでいるものがあるような気がしましたので、窓から外をのぞいて見ました。けれど、ただ青い青い海の上は、月の光がはてしなく、てらしているばかりでありました。
娘は、またすわって、ろうそくに絵をかいていました。するとこのとき、おもてのほうがさわがしくなったのです。いつかの香具師が、いよいよこの夜、娘をつれにきたのです。大きな、鉄ごうしのはまった四角な箱を車にのせてきました。その箱の中には、とらや、ししや、ひょうなどを入れたことがあるのです。
このやさしい人魚も、やはり海の中のけだものだというので、とらや、ししとおなじようにとりあつかおうとしたのであります。ほどなく、この箱を娘が見たら、どんなにたまげたでありましょう。
娘はそれを知らずに、下をむいて、絵をかいていました。そこへ、おじいさんと、おばあさんがはいってきて、
「さあ、おまえはいくのだ。」といって、つれだそうとしました。
娘は、手に持っていたろうそくに、せきたてられるので絵をかくことができずに、それをみんな赤くぬってしまいました。
娘は、赤いろうそくを、じぶんの悲しい思い出の記念に、二、三本のこしていったのであります。