『赤いろうそくと人魚』(三)小川未明
娘は、大きくなりましたけれど、すがたがかわっているので、はずかしがって顔を外へだしませんでした。けれど、ひとめその娘を見た人は、みんなびっくりするような美しいきりょうでありましたから、なかにはどうかしてその娘を見たいと思って、ろうそくを買いにきた者もありました。
おじいさんや、おばあさんは、
「うちの娘は、内気ではずかしがりやだから、人さまのまえにはでないのです。」といっていました。
奥の間でおじいさんは、せっせとろうそくをつくっていました。娘は、じぶんの思いつきで、きれいな絵をかいたら、みんなよろこんでろうそくを買うだろうと思いましたから、そのことをおじいさんに話しますと、そんならおまえのすきな絵を、ためしにかいてみるがいいとこたえました。
娘は、赤い絵のぐで、白いろうそくに、さかなや、貝や、または海藻のようなものを、生まれつきで、だれにもならったのではないが、じょうずにかきました。
おじいさんは、それを見るとびっくりいたしました。だれでも、その絵を見ると、ろうそくがほしくなるように、絵には、ふしぎな力と美しさとがこもっていたのであります。
「うまいはずだ。人間ではない、人魚がかいたのだもの。」と、おじいさんは感嘆して、おばあさんと話しあいました。
「絵をかいたろうそくをおくれ。」といって、朝から晩まで、子どもや、おとなが、この店に買いにきました。
すると、ここにふしぎな話がありました。
この絵をかいたろうそくを山の上のお宮にあげて、そのもえさしを身につけて、海にでると、大あらしの日でも。けっして、船がてんぷくしたり、おぼれて死ぬようなさいなんがないということが、いつともなく、みんなの口ぐちにうわさとなってあがりました。
「海の神さまをまつったお宮さまだもの、きれいなろうそくをあげれば、神さまも、およろこびなさるのにきまってる。」と、その町の人びとはいいました。
ろうそく屋でが、ろうそくが売れるので、おじいさんはいっしょうけんめいに朝から晩まで、ろうそくをつくりますと、そばで娘は、手のいたくなるのもがまんして、赤いえのぐで絵をかいたのであります。
「こんな、人間なみでないじぶんをも、よくそだてて、かわいがってくだすったご恩をわすれてはならない。」と、娘は、老夫婦のやさしい心に感じて、大きな黒いひとみをうるませたこともあります。
この話は遠くの村までひびきました。
遠方の船乗りや、また漁師は、神さまにあがった絵をかいたろうそくのもえさしを手にいれたいものだというので、わざわざ遠いところをやってきました。そしてろうそくを買って山にのぼり、お宮にさんけいして、ろうそくに火をつけてささげ、そのもえてみじかくなるのをまって、またそれをいただいて帰りました。
だから、夜となく、昼となく、山の上のお宮には、ろうそくの火のたえたことはありません。ことに、夜は美しく、ともしびの光が海の上からものぞまれたのであります。
「ほんとうに、ありがたい神さまだ。」というひょうばんが世間にたちました。それで、きゅうにこの山が名だかくなりました。
神さまのひょうばんは、このように名だかくなりましたけれども、だれも、ろうそくにいっしんをこめて絵をかいている娘のことを、思う者はなかったのです。したがって、その娘をかわいそうに思った人はいなかったのであります。
娘はつかれ、おりおりは、月のいい夜に窓から頭をだして、遠い北の、青い青い海をこいしがって、なみだぐんでながめていることもありました。