『野ばら』後半 小川未明
冬は、やはりその国にもあったのです。寒くなると老人は、南のほうをこいしがりました。そのほうには、せがれや、孫が住んでいました。
「早く、ひまをもらって帰りたいものだ。」と、老人はいいました。
「あなたがお帰りになれば、知らぬ人がかわりにくるでしょう。やはりしんせつな、やさしい人ならいいが、敵みかたというような考えをもった人だとこまります。どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、春がきます。」と、青年はいいました。
やがて冬がさって、また、春となりました。ちょうどそのころ、二つの国は、なにかの利益もんだいから、戦争をはじめました。
そうしますと、これまで毎日、仲むつまじくくらしていたふたりは、敵みかたのあいだがらになったのです。それがいかにも、ふじぎなことに思われました。
「さあ、おまえさんとわたしは、きょうからかたきどうしになったのだ。わたしはこんなに老いぼれていても少佐だから、わたしの首を持っていけば、あなたは出世ができる。だから、ころしてください。」と、老人はいいました。
「なにをいわれますか。どうして、わたしとあなたとが敵どうしでしょう。わたしの敵はほかになければなりません。戦争はずっと北の方でひらかれています。わたしは、そこへいって、たたかいます。」と、青年はいいのこして、さってしまいました。
国境には、ただひとり老人だけがのこされました。青年のいなくなった日から、老人はぼうぜんとして日をおくりました。野ばらの花が咲いて、みつばちは、日がのぼると、暮れるころまでむらがっています。いま戦争は、ずっと遠くでしているので、たとい耳をすましても、空をながめても、鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙のかげすら見られなかったのであります。老人は、その日から、青年の身のうえをあんじていました。日はこうしてたちました。
ある日のこと、そこを旅人がとおりました。老人は戦争について、どうなったかとたずねました。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争はおわったということをつげました。
老人は、そんなら青年も死んだのではないかとと思いました。そんなことを気にかけながら石碑のいしずえに腰をかけてうつむいていますと、いつか知らず、うとうとと、いねむりをしました。
かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。見ると、一列の軍隊でありました。そして、馬にのってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊はきわめてせいしゅくで声ひとつたてません。やがて老人のまえをとおるときに、青年はもく礼をして、ばらの花をかいだのでありました。
老人は、なにかものをいおうとすると目がさめました。それは、まったく夢であったのです。それから一月ばかりしますと、野ばらがかれてしまいました。その秋、老人は南のほうへ、ひまをもらって帰りました。
挿絵:市川 禎男