『春をつげる鳥 』前半 宇野浩二
むかし、北海道のあるところに、アイヌ人の酋長がありました。
そのころは、まだ日本の内地にアイヌ人がおおぜいいて、それぞれ部落がありました。
そうして、山へけだものをとりにいったり、ときには、隣の部落と戦争をしたりしなければなりませんので、結局、強い者が大将になるわけでした。酋長というのは、その一つの部落の大将のことです。
さて、この酋長は、このあたりでも、名高い、強い男で、どんな寒いめにあっても、どんな暑い日がきても、いく日もいく日もたべずにいても、苦しいとか、つらいとかいったことはいちどもない、というような男でした。
そういう強い男でしたから、この酋長は、いままでに、くまをいけどりにしたり、いのししをたたきころしたことが、いくどあるかしれません。それで、よその部落の酋長からも、こわがられていましたし、じぶんでも、この世のなかにこわいものはなんにもない、と思っていました。
この酋長に、ひとりの子どもがありました。
そんなに強い酋長でも、このひとり子だけは、なによりもかわいがりました。
それで、父の酋長は、どんなにきげんのわるいときでも、このひとり子の顔を見ますと、きげんがなおり、わらい顔になりました。 父の酋長は、いまにその子が大きくなったら、じぶんよりも、もっと強い、もっとえらい酋長にさせたいものだ、と、ふだんから思っていました。
ところが、その子が大きくなっていくようすを見ていますと、からだがいつまでも小さくて、顔の色が青白くて、やさしいばかりで、すこしも強くなりそうにもありません。
そのうえ、ほかの子どもたちのように、山のぼりをしたり、うさぎ狩りをしたりすることがきらいでした。 そのかわり、木の枝や草の葉を小がたなで切っては、それで笛をこしらえて、歌をふくことがじょうずでした。
そのころのアイヌ人のあいだには、男の子が十になると、試験のようなものがありました。それは、五日とか、七日とかのあいだ、山の中のほたって小屋にはいったきりで、なんにもたべず、なんにものまずにいるとか、あるいは、また、そのあいだに、ひと眠りもしないでいるとかいうような、修行なのです。
ちょうど、その酋長の子どもも、十になりましたので、ある日、いよいよ試験場の小屋にやられることになりました。
その試験場というのは山のほったて小屋です。父の酋長は「どうか、この子がぶじに試験にとおってくれるように。」と 心の中でいのりました。
挿絵:市川 禎男