『古い時計』 島崎藤村
「コンチワ、コンチワ、コンチワ。」と、時計がへやの柱の上でなっていました。
この時計は、古い古い時計でした。
この時計がとうさんのおうちで音のするようになってから、もう二十年あまりにもなります。その長い年月のあいだには、とうさんのおうちでも、あちこちとうつりましたが、この時計ばかりはかわらずに、とうさんのおうちにのこっていました。
そして、古くなればなるほど機械のいいことがわかってきて、いまでは、おうちの者にたいせつに思われるようになりました。
いったい、この時計は函館のおじいさんがはじめてとうさんのおうちを見にきたときに、買ってさげてきてくれたのでした。そのときから、とうさんのおうちでは、この時計の音がするようになったのでした。
それからも、おじいさんが函館のほうからとうさんのおうちへたずねてくるたびに、この時計があいかわらず動いているのを楽しそうにながめ、かちかちかちかち音のするおうちの中で、子供の顔を見るのを楽しみにしていました。
あのおじいさんも、もうなくなりましたが、時計はまだ動いています。さすが、あのおじいさんの見たてた時計だけあって、八角形のがんじょうなつくりから、いつまでも、機械のくるわないところまでが、おじいさんの気しょうにそっくりです。この古い時計の音を聞いていますと、おじいさんが子どもの名をよぶように、
「タロサン、タロサン、タロサン。」と、太郎をよぶようにも聞こえますし
「ジロチャン、ジロチャン、ジロチャン。」と、次郎をよぶようにも聞こえます。
「サンチャン、サンチャン、サンチャン。」と、三郎の名をよぶようにも聞こえます。
それからまた末子の名をよぶように、
「スエチャン、スエチャン、スエチャン。」とも聞こえます。
この時計の顔は、二十年あまりの長い月日とともに、古いしわのできたところまで、あのおじいさんににてきました。
長い針と短い針の動いていく一時から十二時までのローマ数字の中には、はげて消えかかったところもあるくらいです。
それでもこの時計は音をやめようとしません。あのおじいさんの愛情は時計にのこって、いつまでもとうさんのおうちに動いているのでしょう。
そのあたたかい心が、この時計にまでのこっていると見えて、とうさんのおうちで子供のために三時のおかしでもとりだそうとするときには、子どもの加勢をするのは、この古い時計でした。
「ドッサリ、ドッサリ、ドッサリ。」と、三時のたびに時計がなりました。
挿絵:市川 禎男
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