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●天明3年(1783)
●天明5年(1785)
●天明7年(1787)
●寛政4年(1792)
●寛政6年(1794)
●寛政7年(1795)
●寛政9年(1797)
●寛政11年(1799)
●享和元年(1801)
1月18日−大凶作のため、飯石(いいし)郡・神門(かんど)郡で年貢滅免や債務支
払い延期を要求して一揆がおこる(三刀屋[みとや]騒動)。
松江藩の藩校文明館を明教官と改称。
3月−清原太兵衛が佐陀(さだ)川の開削に着手し、斐伊川との河口を改修する。
松江藩の清原太兵衛による佐太川改修が竣工。
5月17日−幕府が近年の災害のため、寛永寺・比叡山のほか出雲大社・宇佐八幡社・
鹿島神宮・香取社などに五穀豊熟の祈驚を行わせる。
松江藩主松平治郷の指示で家老有沢家の菅田山荘に茶室菅田庵(かんでんあん)を建てる。
6月−幕府が日本海沿岸の諸大名に、朝鮮の漂流漁船などの救助徹底を命じる。
松江藩主松平治郷が『古今名物類聚』18巻を寛政元年、3年、6年、9年と4回
にわたって刊行する。
2月9日−松江藩が前年の困窮願いをうけて大原郡の6カ村へ融資し、村々は牛を購入して
畜産による困窮脱却をはかる。
12月−松江藩が、沿岸警備の唐舶番隊の整備およぴ沿岸諸番所拡充をはかる。
広瀬藩主松平直義が藩校漢学所を開設する。
松江の長岡住右衛門が楽山窯(らくざんがま)を再興した。楽山窯は延宝3年(1675)に倉崎権兵衛を
萩から招いて開かせたものでだが、中断していた。