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●天明2年(1781)
●天明8年(1787)
●寛政4年(1792)
●寛政7年(1795)
●享和3年(1803)
この頃より、各藩凶作続く。
小倉藩、学問所・思永斎を拡張し、思永館に改名。
5月17日−幕府が近年の災害のため,寛永寺・比叡山のほか出雲大社・宇佐八幡社・
鹿島神宮・香取社などに五穀豊熟の祈驚を行わせる。
小倉藩、石原宗裕に命じ、曽根新田(北九州市小倉南区)を開発する。
6月−幕府が日本海沿岸の諸大名に、漂流朝鮮漁船などの救助の徹底を命じる。
2月6日−小倉藩の家老犬甘知寛(いぬかいともひろ)が藩政改革をめぐる争いに敗れ、
蟄居となる(小笠原騒動)。