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●享保2年(1717)
●享保3年(1718)
●享保5年(1720)
●享保8年(1723)
●享保17年(1732)
12月3日−福山藩領内宮内・出口村の農民数千人が年貢・夫役の減免を要求して強訴する。
藩側は年貢米2,000石を免除する。
福山城下で初めて富くじが行われる。
3月12日−三次藩および広島藩に全藩あげての大一揆がおき、広島藩は一揆側の要求を
ほとんど受けいれる。一揆を指導した者を斬刑その他に処し、その数255名におよぶ。
三次藩主の浅野長寔(ながざね)が嗣子がなく没したので、三次藩は廃絶し、
広島藩に還付される。
8月−福山藩が夫役賦課を石高とし,分地制限令・結婚年齢制限令を出す。
天野喜四郎らが伊予国西条藩に請われ、同藩の新居郡黒島表干潟開発を再開させる。
ウンカが大発生し、田畑の被害がはなはだしく、飢えに苦しむ者32万人、餓死者
8,000人余といわれる。福山藩も大凶作となる。