江戸時代より少しは狭くなっているとは思いましたが、行ってみて予想以上に狭い境内にビックリしました。
深川のはずれ、木場駅近くに洲崎弁財天社(洲崎神社)はひっそりとあります。
鬼平犯科帳第8巻「用心棒」では、高木軍兵衛が当社の境内にある茶店槌屋で浪人と喧嘩となり、これが契機となって盗賊馬越の仁兵衛に引き込みを強要されることになります。
1枚目は鳥居ですが、この鳥居の左後ろに波除碑があります。この深川一帯は寛政3年夏に高潮に襲われて壊滅的な打撃を受けたため、この碑を建てると共に、これより西の土地を明地にしたそうです。映画「海は見ていた」はこの情景を描いたものと思います。元々地名が示すように海に突き出た場所であり、元禄年間に海岸を埋め立てて築かれたと書かれています。

2枚目は本殿です。この右手にはすぐに海が迫っており、ものの本には海岸との間に茶屋が並んでいるのが描かれています。槌屋もそのうちの1件だったのでしょう。珍しいことに、茶屋から遠眼鏡で海の方を眺めている様子が見られます。景色は相当に良かったのでしょう。ものの本には、「この地は海岸にして佳景なり。ことさら弥生の潮尽(しおひ)には、都下の貴賎袖を連ねて真砂の文蛤(はまぐり)を捜り、または楼船を浮かべて妓婦の絃歌に興を催すもありて、もつとも春色を添ふるの一奇観たり。また冬月、千鳥にも名を得たり。」と記されています。

3枚目は狛犬ですが、一寸ヘンテコな感じがしませんか?普通はもっと威厳のある姿をしているものですが、何となく愛嬌があるように思えます。(これは鬼平と全く関係がありません。)
 

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