切絵図で愉しむ池波作品の舞台

2003年11/15の土曜日から12/13の土曜日まで毎土曜日5回の池波講座も今回は全部受講しました。受講した内容に沿って、鬼平やその他の舞台となった所を少しづつ訪ねていく予定です。
先週は、雑司ケ谷鬼子母神と王子神社(権現)、王子稲荷を訪ねました。順次、徐々に経巡りたいと思っております。

雑司ケ谷鬼子母神
鬼平犯科帳(文春文庫版)第7巻「隠居金七百両」には次のように記述されている:
雑司ケ谷鬼子母神は法明寺の支院で、本尊の鬼子母神は求児・安産・幼児保育の〔守護神〕である。
 雑司ケ谷は、当時、江戸市中の西郊・豊島郡・野方領だ。
 ものの本に、「・・・・・・常に参詣の人絶えず。よって門前の左右には貨食屋(りょうりや)・茶店、軒を連ね、十月の御会式(おえしき)には、ことさら群集絡繹(らくえき)として織るがごとし。風車、麦わら細工の獅子、水飴を、この地の名産となす」とある。
雑司ケ谷鬼子母神
鬼平では、たびたび「ものの本」との表現が登場するが、ものの本とは、「江戸名所図会」であります。ご承知のように、鬼子母神は、人間の子供を食べていた悪鬼が、お釈迦様に自分の子供を隠されて嘆き悲しんでいるのを諭されて、子供の守り神となったものです。だから、写真Aの雑司ケ谷鬼子母神の扁額に書かれている鬼の字には角がないのです。
 法明寺は威光山法明寺といい、日蓮宗の古刹で、近くの目白で掘り出された鬼子母神像を祀ったのが、雑司ケ谷鬼子母神(正式には法明寺鬼子母神堂)の起源です。
 江戸名所図会の挿絵には、参道に多くの店が描かれており、その繁栄ぶりがしのばれるが、現在は参道のけやき並木に数軒の飲食店があるだけです。境内の小さな駄菓子屋が大変に懐かしさを思い起こさせてくれます。
関神社
歌人蝉丸を祀ったもので、髪の毛の守り神とのこと。私もそのご利益に与りたいと思い、洒落で撮影したものです。
王子稲荷
ここは関東における稲荷社の総本山で、毎年の大晦日には関八州の狐全員があつまるものだから、当夜は音無川の岸辺を無数の狐火がゆらゆらと群れをなして境内へ入って来るのだそうな。(中略)
 鬱蒼たる樹林にかこまれた境内の外を音無川がながれめぐり、あたりは武蔵の国の田園地帯の風趣も濃厚で、近くの飛鳥山の桜花は江戸人の間に名高い。このように美しい景観をたのしみつつ、権現社へ稲荷社へ参詣し、音無川の岸辺にたちならぶ茶屋で酒食をすませて帰る。こうしたことが当時の人びとの遊山行楽の最たるもので、王子詣りは四季を通じて人の絶えたことがない。」と書かれています。
王子稲荷
天井画

装束稲荷
毎年大晦日に、関東の狐が王子稲荷社に参詣する前に集まって、衣装を調えた所が装束稲荷で、この傍の榎の元に集まり揃って参詣したときの狐火の多寡によって、翌年の豊凶を占ったそうです。現在も大晦日には、狐よりも人を誑かすことが上手い人間がここに多く集まり、王子稲荷まで行列をなして参詣するようですよ。

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