鬼平舞台探訪記9
2005/5
今回は、鬼平舞台の中心的な場所、本所です。
弥勒寺。鬼平犯科帳第10巻「お熊と茂平」には、「真言新義の触頭江戸四箇寺の一つであって、本尊は薬師如来。参詣の人々の絶え間なく、土地(ところ)ではそれと知られた裕福な寺である。」と書かれています。故に盗賊に狙われるのですが。
この門前に、若き日の鬼平と馴染みのお熊婆さんの茶店〔笹や〕があるという設定で、しばしば登場します。「江戸名所図会」の挿絵では二の橋通りを隔てて植木屋があり、隣に茶店が描かれていますが、尾張屋版切絵図「本所深川繪圖」ではその場所が宗對馬守の中屋敷となっています。余談ですが、当寺には按摩の元締め杉山総検校の墓があります。
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本所回向院。鬼平犯科帳第12巻「いろおとこ」では、同心寺田金三郎が亡兄に係わり合いのあるおせつに本堂前で巡り合うという設定で、「諸宗山無縁寺・回向院は明暦三年の江戸大火の折、焼死した十万八千余人を埋葬し、増上寺二十三世貴屋上人をもって回向せしめた。これがはじまりである。」と記されている。 | |
鬼平には無関係ですが、鼠小僧次郎吉の墓。御大層な戒名です。以前太田さんが書かれたように、江戸中村座木戸番の長男で建具職人(又は鳶職人)との説が一般的ですが、木挽町の船宿の倅で、勘当されて渡り仲間をしていたため武家屋敷の内情に通じていたとの説もあります。鼠小僧が捕縛されたのは天保三年で、鬼平の時代より後です。この墓の後ろには、山東京伝、竹本義太夫の墓があります。 | |
法恩寺。鬼平犯科帳第14巻「尻毛の長右衛門」には、「花洛本圀寺の触頭で、江戸三箇寺の一つであり、表門を入った両側には塔中が押しならび、境内の稲荷の小祠(こみや)を中心とした庭園の桜花が、いまや咲きひらこうとしている。」と書かれている。この法恩寺の西側の出村町に平蔵が通った高杉銀平道場があり、剣友岸井左馬之助ともども隣の〔出村の桜屋敷〕の孫娘おふさに憧れを抱いていたとの設定です。実在しない桜屋敷は、臥竜梅で有名な亀戸・梅屋敷から創作したのではと思っています。 |
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