<枕草子第一段 秋>
秋は夕暮れ
夕日のさして 山の端
いと近うなりたるに
からすの寝どころへ行くとて
三つ四つ 二つ三つなど
飛び急ぐさへあはれなり
まいて雁などのつらねたるが
いと小さく見ゆるはいとをかし
日入り果てて
風の音 虫の音など
はたいふべきにあらず
現代語訳例
秋は夕暮れがいちばん良い。 夕日がさして山の端がとても近くなると 烏がねぐらへ行こうとして三羽四羽 二羽三羽が
飛び急ぐのさえしみじみとした情感がある。
まして雁などの列がとても小さく見えるのはとても興趣がある。 日が暮れて
しまって風の音や虫の声などは言うまでもない。
枕草子第一段は現代人にも分かりやすい文ばかりなので 下手な現代語訳など必要ありませんね。
このことと文学的にとても優れていることが 中高生の教科書に多く取り入れられる要素でもあるようです。
平安文学など日本の古典では 秋の夕暮れ は 三夕の歌 などに代表されるように たまらなく寂しいもの とされることがほとんど
です。 しかし枕草子では 色彩的て明るく情感のあるもの として描かれています。 清少納言の性格
の明るさそのものです。
まるで現代の 自由詩 のようなおもむきを感じさせる文章です。
”夕日が射すと山の端がとても近くなる”
とさりげなく簡単に描写していますが実に素晴らしい表現です。 山の端が ”近く見える” ではなく ”近くなる” と断定しています。
カラスたちが夕陽を浴びながら 近くなった山の端を目指して飛ぶ有様が立体画のように生き生きと見えるようです。 古代人にしてはずば抜けた鋭い観察眼ですね。
清少納言が好んで多用した 「をかし」 は現代のはやりの英語の
cool に似ているという人もいます。
RE:
秋の夕方をうたったものに有名な 三夕の歌 といわれる名歌があります。
寂しさはその色としもなかりけり 槇立つ山の秋の夕暮れ ・・ 寂蓮法師
心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ ・・ 西行法師
見渡せば花も紅葉も無かりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ ・・ 藤原定家
上記三人とも清少納言よりも100年以上も後の平安末期の歌人です。 いずれも現代人にも註釈など無くても分かりやすい歌です。
清少納言の ”秋は夕暮” と三歌人の ”秋の夕暮” の違いを考えるのも趣がありますね。
清少納言は虫の音の聞こえる初秋か中秋のものであり 三歌人は冬も近い晩秋の頃の風景でしょうか。
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