定子 と 清少納言 

藤原定子  枕草子 

清少納言枕草子  イラストと随筆

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清少納言 清少納言は西暦993年頃、 女房として中宮 定子 に仕えました。
定子は16歳でした。 
( 中宮は  ちゅうぐう  と読み天皇の正室つまり皇后のことです。
定子は普通は ていし と読まれますが  さだこ と読む場合もあります )

清少納言は10歳年上なので26歳頃ということになります。   26歳といえばまだ十分に若い年齢ですが 宮仕え始めるにはかなり 年齢が行き過ぎだったそうです。

ところが清少納言が仕えて2−3年のうちに 定子の不幸不遇が始まります。

父親である権力者 藤原道隆 の死。
その弟で新権力者となった藤原道長からの圧迫やいじめ
その娘 彰子 を定子の座に置き換えようとするたくらみ 
奸計にかかって一門の者の不幸や不祥事

などさまざまなことが重なり不遇な立場に追いやられてゆきます。

定子は年若いながら聡明で教養があり、 清少納言とは心の奥深いところでつながってゆきます。   清少納言は定子との触れ合いで感性が 磨かれ、 枕草子が形ずくられていったと考えられます。

藤原定子 定子の在所は 清涼殿(天皇の在所)から遠くはずれて、 中宮(皇后)の在所にふさわしいとはいえない古い建物に 追いやられます。
定子は中宮(天皇の正室)でありながら恵まれない境遇におかれながらも、 つとめて明るく振舞い ことさら皆に敬慕 されたことがうかがわれます。
清少納言も 定子の不幸不遇が続くのに胸を痛めなかったはずはありません。
しかし 定子の不遇については 枕草子には一行もふれられていません。
枕草子の中の定子はいつも明るい光の中で微笑んでいるのです。

枕草子 枕草子は 作者がゆったりとした気持で 好きなことをつずっていったものではありません。
定子の不幸不遇の始まりと 枕草子が書き始められた時期 とはほぼ一致しています。  ですから  定子の不遇に心を痛める日常の中でずずられていったものです。
このことを理解しないと 枕草子を本当に理解することができないと 思われます。
 藤原定子 定子の館では自らつとめて明るく振舞うことで雰囲気を盛り上げよう とする清少納言の姿が痛々しい と言う人は少なくありません。
枕草子が現在に至るまで千年以上ものあいだ人々の心をとらえ続けたのはこうしたことが底流にあるからではないでしょうか。

定子は西暦1001年(ユリウス歴)初頭 24歳という若さで世を去りました。
清少納言の嘆きはいかほどだったでしょうか。
7年ばかりの二人の縁でした。
清少納言 それ以後、 清少納言ほどの才能豊かな人がぷっつりと宮仕えをやめ、 二度と世に出ることはありませんでした。
定子との 7年ばかりの縁 をひたすら大事に心に抱いて その菩提をとむらいながら その後の人生をひっそり送った のでしょうか。 
彼女にとって定子との出会いの時期だけが人生の総てであったとおもわれます。

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定子は藤原諸家の中でも没落しつつある出身の 中関白家 を守ろうとして 新権力者である藤原道長からの政治的圧力と 懸命に戦ってもいたのです。    しかし 虚しくも定子を最後としてその死去後は 中関白家 は没落の道をたどりました。
定子に忠勤をつくした清少納言は そうなることが分かっていながら没落しつつある敗軍の味方をしていたこと になります。   定子と共に政治的な圧力やいじめと戦ってもいたのです。
そのひととなりが分かりますね。

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枕草子とは 定子への 「鎮魂の書」 である と解釈される人は少なくありません。 
定子の館での楽しいことや華やかなことばかりを記し 悲しいことは一行も触れていなことで清少納言の心のうちが察せられます。   実際には 涙を流しながらつずった段も多かったと考えられます。 

そうした底流があることが 千年も人々に愛読される不朽の名作となったゆえんなのでしょうね。 
不遇の中宮定子ですが 枕草子によって永遠に輝かしく生き続ける存在となりました。   そして今日まで千年以上ものあいだ 数多くの 定子ファン を生んできました。
清少納言の思いは叶えられたことになります。

藤原定子 <*>
中宮(天皇の正室)でありながら不遇におかれた定子ですが 幸せな人だった ということもできるのではないでしょうか?
どんな境遇に置かれても 一条天皇 には最後まで深く愛されていました。   年若い天皇は新しい権力者の藤原道長に 気をつかいながらも 定子は無くてはならない精神的な頼りだったです。
そして一方では 自分を懸命に支えてくれる清少納言という才気あふれる女性を心の友に得たのです。

恵まれない身に追いやられても それでも自分を頼ろうとする人や 支えようとしてくれる人が存在することを知ったのです。   不遇であったゆえに却って 本当の人の愛を知った人であった ということができるのではないでしょうか?    

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定子を不遇に追いやることになった大きな原因である 彰子 はそのことに胸を痛めたといわれています。
定子亡き後 その長男を引き取り 自分の子のように可愛がりました。 そして父である権力者 藤原道長 の意に逆らってまで  その子を次代天皇にすることを望んだとさえ言われています。
彰子もよく出来人だったようです。
また 兄弟であるお互いの父親の権力争い に振り回され利用される娘同志として 心の通じあう所があったのでしょうね。
清少納言は宮廷を退官後 結婚(再婚)し一女を生んでいますが。 
ずっと後年 その娘 小馬命婦 は彰子の下に仕えているのです。
枕草子 定子への鎮魂の書 ともいえる枕草子の著者の娘を自分のもとに仕えさせたのは 定子に忠勤をつくした清少納言へのいたわりがあったからではないでしょうか。

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枕草子 退官後の清少納言についてはひどく落ちぶれたなどという 清女伝説 が生まれていますが 信憑性は全くありません。
二度結婚していますが 立派な息子と娘に恵まれているのです。
宮仕え後の消息を記したものは残されていないようですが 枕草子の作者とはいえ 古代のことなので中級貴族でしかない人の細かな消息までは記録が残らないのはやむを得ません。
実際は再婚し目立たない人生を送ったようです。 
晩年は京都東山の月の輪で出家したともいわれています。  尼となって定子の菩提をとむらいながらひっそり暮らしたのでしょうか。

なお清少納言については勝気な人であったとされることが多いようです。   しかし定子を守るためには勝気に振舞わなければならなかった為で あり実際には
”とても繊細で心に弱い面のある人”  だったと考えられるのです。
清少納言 定子や自分自身についても ”つらくて悲しいことは一行も書けない” ということから伺われます。  
これは外見上はともかく 心の内面の弱い人の特質です。
現代でも 日記を書く人達の中には 楽しいことや嬉しいことばかりを書き残し  ”つらくて悲しいことは一行も書けない” という 心の弱い人は少なくありません。
 

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清少納言と紫式部は宮仕えの時期が違ったため顔を合わすことは無かったようです。
紫式部は清少納言を批判する文を残していますが 「源氏物語」がまだ十分に世に認知されていない頃のことで 周りの人たち 皆が枕草子を 「面白い面白い」 と読んでいるのを見て つい批判的なことを述べてみたくなった といったところではないで しょうか。  

なお枕草子は もともとは筆者が自分のために書いたものであり 世に出すために書いたものではなかったのです。
源経房という宮廷の高官が家に立ち寄った際 置かれていた草紙をふと読むとなかなか面白いので勝手に持って帰り 写本を作って 世に出したというのがきっかけです。    世に流布し始めると清少納言はひどくあわてて困ってしまった のが実情のようです。
その後は加筆して体裁を整えたのです。

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定子の弟 藤原隆家 の活躍
不遇のうちに亡くなった中宮定子ですがその弟に  ”藤原隆家” という荒くれ者とか豪の者といわれるなかなかの気骨のある人物がいました。
定子死去よりずっと後年(西暦1019)、 わが国初の外敵進入とされる ”刀伊” という蛮族の軍団が襲来し北九州を荒らし回ったとき 藤原隆家は 九州の武士団をひきいて撃退するという大きな功績を上げたのです。  この勇猛果敢な人物により定子などが属した摂関北家は没落を脱し、政治 の第一線からは引いたもののその後もかなりな影響力を保持することとなったのです。

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三大随筆とよく言われますが、 単純に比較したり論議することは出来ません。
随筆という文学形態を誰も考えつかなかった時代に 飛びぬけて早く 清少納言が枕草子によって始めた というべきでしょう。
それから二百年後に現れた「徒然草」の吉田兼好は 枕草子を愛読し 大きな影響を受けたといわれています。
江戸時代には枕草子を参考にして 数多くの随筆が書かれています。
明治初期の作家 樋口一葉は ”いま清少” つまり清少納言の再来といわれていたそうです。

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なお 随筆文学 というものは日本独自の文学形態です。
外国(アメリカ)には Essey というものがありますが小論文のようなもので 日本の随筆とはかなり趣の違うものです。
随筆と同じと扱われ ”エッセイ” と日本語化している形態も日本独自のものなのです。    つまり欧米には日本でエッセイと呼ばれているような形の 文学ジャンルは存在しません。 
そういった文学形態を生み出した日本は誇るべきではないでしょうか。 
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