臨床余録
2018年 9月 30日  犬の名は

ニューイングランド医学誌、2018年10月4日号。“The Name of the Dog”を読む。

 病院研修の第一日目だった。緊張して白衣に身を包む。白衣のポケットにはお気に入りのペン、Littmannの聴診器、Sabatineのポケットメデイスンなど必要なものすべてが入っている。
 Attending(担当主治医)を印象づけるほどではないにしてもその日を何とか終え、それなりに自分の役目を果たすことができたと思った。しかし、attendingがもたらしたひとつの問い(question)が私を突然動けなくした。朝の回診時私は犬の散歩中出現した胸痛のため入院した患者のプレゼンをした。Attendingは私に「その犬の名前は?」と尋ねた。
 私はその問いに立ち往生した。何故犬の名を知る必要があるのかわからなかった。書物や研究のどこをさがしても犬の名前が鑑別診断に役立つとは書いてない。しかし、attendingは我々を患者のベッドサイドに連れて行きそれを尋ねた。「ロッキー」と患者は答えた。そして引き続き短い会話がなされたが、それはその日診た患者の誰よりも豊かな(colorful)ものであった。それはひとつの変容(transformation)をもたらしたのである。その時には十分その意味を享受できていなかったが、それは病院のガウンの後ろにひとりの生きているひと(actual person)がいるということであった。
 4年後の今、私はあの時の問い以上に有効なものを身につけて来ただろうか。何人かを紹介しよう。
 はじめはスパニッシュソープオペラを毎朝楽しんでいる患者。私は通訳を交えて患者と番組を共に見、殺人事件の筋をお互いに語りあったりした。そのうちに患者の困難な移民計画の相談にのり、同時に治療はどうしていくか話しあうようになった。それは患者と私がともに番組の邪悪な殺人者の目撃証人であるということ、そのことで患者は私を信頼し、治療チームに協力してくれるようになった、そう思うのである。
 その問い(犬の名は?という問い)は治療に背を向けるむつかしい患者を診るときの私のguide-postである。次の患者は62歳の女性心不全患者。Herbal medicineを信じ、薬を“toxic chemicals”として拒否していた。毎日彼女はIvory coastやチリの鉱山の奇跡の治療をもたらす植物の載っている記事を私に渡す。私はそれを処方することはない、しかし一日の終りにその記事を彼女に返しながら、彼女とその記事について話しあうことにしていた。彼女は退院するとき、私にかかりつけ医(primary care doctor)になってほしいと言ってきた。すぐに我々は契約を結んだ、そこで私は彼女の持ってくるblack cherryやmilk thistleの研究記事を読む、そして彼女ははじめは拒否していた私の処方する新しい薬(ACE inhibitor)をのみ始めることになったのである。
 ・・・私の研修のはじめから持ち歩いている(犬の名は?という)その問いは、もう一つの変容をもたらした、それは患者が医師の白衣の奥の私をみつけるのを助けるということである。
 研修の間、電子カルテを埋めるのに多くの時間を費やし窓のない部屋に閉じこもり、押し寄せる仕事と格闘するうち、医者が自分自身を見失うのは容易である。しかしもし私が後輩医師にアドバイスをするとしたら・・、“必ず犬の名を聞くように”というだろう。

 以上が抄訳。僕の患者さん達にも犬を飼っているひとは多い。このエッセイを読んでから、彼や彼女たちの犬の名を尋ねることにした。皆、瞬時驚き、でもすぐに笑顔で名前を教えてくれる。自分たちのかわいい犬にかかりつけ医が関心を持ってくれる。嬉しくない筈はないだろう。間違いなく患者―医者関係にプラスである。
 ある高齢女性。月に1回受診する。挨拶のあと、日頃の生活について尋ねる。庭が広いというところからそこで遊ばせる犬の話になった。ところでその犬の名前は何ていうの。こう尋ねると、ラッキーとキララよ、と答がかえってきた。散歩が大変ですね。いいえ、庭に遊ばせておくの。でも時々どこからか猫が来てね、うちの子たちをひっかくのよ。猫の方が強いの。犬の種類?2匹ともチワワなの。男の子と女の子だけど避妊手術してある。喧嘩はしないわ。私は独りだけどこの子たちがいるから大丈夫。でもこの子たちを残して死ねないわねと笑う。いつもは戦時中の疎開の話を決まってする。他の記憶は殆ど落ちてしまっているのだが、今日は犬の話ができてよかった。いつもより生き生きとして帰って行った気がする。過去ではなく今生きている世界に僕も参加させてもらう。そのことで彼女の世界が少しでも豊かで安心できるものになればよい。犬の名は?という問いの力を思う。
 犬の名前に相当する物を患者ひとりひとり皆もっている。上のエッセイでいえば、ソープオペラでありherbal medicineである。その時その人を生かしめているもの。それを感知し問いを発すること、そこに臨床の妙味がある。

2018年 9月 23日  臨床におけるフレキシビリテイとは何か

朝日新聞に“それぞれの最終楽章”という週一回掲載される欄がある。今回は石飛幸三先生のシリーズ平穏死である。先生の“平穏死”については僕が世話人のみなと認知症セミナーで話していただき、またその著書も読ませていただいた。平穏死という先生の作った用語はその意味するところ延命治療と対比され医療の世界に大きなインパクトを与えたと思う。さて、記事では積極的に医療を提供しない先生の考えに反対する家族のことが取りあげられている。誤嚥性肺炎で入院治癒したのち、その息子が母に胃ろうをつけてくださいと頼む。あと2か月でひ孫が生まれる。おばあちゃん子の孫は絶対にあかごをみせたいという。それにたいして石飛先生は、「腹が立ちました。母親の意志などおかまいなしです。いい加減にしろ、それはあんたのエゴだ。誰の人生でもない、母親の人生なんだ」と怒りをぶつける。別の認知症の母親の娘は「先生の考えは知っています。本も読みました。でも、母がどんな姿になっても少しでも長く生きてほしい」と述べる。「事情はそれぞれです。親が生きていることで心の平衡を保ったり、介護が自らの存在証明になっている人もいるでしょう。しかし1分1秒でもただ長く生きてほしいと願うのは、愛情ではなく執着です」「ポイントは医療を提供する、しないの判断に「その人のためになるのか」という視点が貫かれているかだと考えています」と石飛先生はしめくくる。

むつかしい問題である。老衰で衰弱過程を辿るひとに僕は原則として胃ろうはすすめない。ひとの亡くなる過程についてよく説明し「胃ろうも点滴もせずにこのまま静かに見守るのが一番自然で本人にとっても安楽な状態です」とお話しする。殆どのご家族は納得されて在宅で看取ることになる。ただ、このように説明しても食べられなくなったので胃ろうをお願いしますといってくるご家族はいる。日ごろから愛情深くケアしている家族で胃ろうをつけたあとも旅行を計画するなどQOL(患者と家族の関係性の質)が保たれる場合はあえて反対はしない。石飛先生のいう「その人のためになるか」という視点は大事だが、その人と家族の関係性の視点も大事だと思う。医者にとっては大事な患者であってもその死は“3人称”の死である。それに対して子にとって親の死は“2人称”の死であり、その違いは弁えた方がよいと思う。

2018年 9月 16日  医者にとって死生学とはなにか

 医師会医学研修会「アートとしての医療~なぜ医療者に死生学・死生観が必要なのか」という島薗進先生による講演を聴いた。現在の医学教育は生物学的医学に偏りすぎている。難治疾患のターミナルや老衰の患者のケアにはそれでは対処できない。避けることのできない死とどう向きあうのか。生物学的医学は答えられない。そこに必要なのがアートとしての医療。こんなイントロダクションで始まった講演。
 はじめに社会関系資本:social capitalという視点が詳しく紹介されるが、僕にはこの概念と医者が抱えるひとの生死の問題との接点が見いだせなかった。次に、アーサー・クラインマンが紹介された。しかし彼の思想の中心であるケアすることの意味、医療の核にあるべきその意味が失われている現状が十分述べられることはなかった。ついで、東北の故岡部医師の実践、カフェドモンクの試み、臨床宗教師という仕事、深沢七郎の『楢山節考』のおりんばあさんの物語。日本の庶民文化のなかの死生観をみつめること、などに触れられる。『いのちの文化人類学』波平惠美子著に関連してお盆の集まり、その中に死者もいる、生者と死者がともに集う、墓参りの意味などが述べられた。
 医者にとっての死生学とは、おそらく臨終の患者における死を考えるだけではみえてこない。平凡な日常のなかの眼に見える世界をこえたもの、例えばお盆や彼岸の行事、葬式その他の仏事などの中で死者と交流する、そんな庶民の経験を共有するなかから死生学は育まれるであろう。日常のなかに宗教性は潜んでいる。例えば、島薗先生が例としてあげた食事の前に手を合わせ「いただきます」と述べる、食べ終わったら「ごちそうさまでした」とお辞儀すること。習慣的で無意識的ではあるが、確かに日本人の宗教性を示しているともいえる。
 在宅医療はドライでマニュアル的な看取り診療であってはならず、このような人々と死生観を共有できるとき、在宅医療は真のアートに近づくといえるであろう。

2018年 9月 9日  お餅のように扱うな

85歳のAさんは70歳までトラック運転手。20年前離婚し子どもはいない。Aさんの妻は別れたものの夫のことが心配で、銭湯で仲良くなった友人のTさんにAさんの食事や掃除などの面倒をみてほしいと頼んだ。しばらくして前妻は亡くなる。そして10年前からふたりは一緒に住むようになる。3年前Aさんは脳梗塞に倒れた。当院には車椅子で初診。入院した時のことを聞くと、「口のなかに10回くらいつっこまれて(痰の吸引チューブ?)口がすっかりパーになったよ。誰がやっても治らない」とつっけんどん。診察すると「同じことばかりするな」と怒り出し、持ってきたジュースを口に含みペッと吐き出した。面白いひとだなと思い、2週間後の予約をした。あとでTさんがおわびの電話をかけてきた。時々興奮して騒ぎ出す。本人はもう行かないと言っているので何かのときはお願いします、という。以後ほとんど寝たきりで認知症もすすみ失禁状態となる。ある日、胸が苦しいとコールあり往診すると、「(胸は)苦しくない、(この医者に)どこかで会ったことあるな」とほっとするようなことを言う。別の日、全身のむくみがひどくなったとコールあり、往診。衰弱は顕著で確かに顔、手足体幹すべてむくんでいる、寝た状態から起こそうとすると「お餅のように扱うな!」と怒った。亡くなったのはこの日からしばらくしたある明け方。緊急往診した。看取りの場で「言うことをきかないひとで先生にはご迷惑ばかりかけて。でもほんとはおとなしいひとなんです」とTさんは涙をぬぐう。あなたがしたような介護をできるひとはいない、Aさんはほんとうにしあわせだったと話した。それにしても、「お餅のように扱うな」と怒られたことを何度もふりかえる。味のある言葉だと思う。

附記:銭湯で知り合った女性同士が仲良くなり、妻がじぶんの元夫の面倒を頼むというはじまりも面白いが、頼まれた女性が同居するようになりさいごは看取りまでするというストーリーは平凡ではない。銭湯というなつかしい場所からはじまる人生の展開がひとのこころの機微に触れてくる。西区の下町の医者としてこのような人たちとつきあうことのできるのは幸運といってよいだろう。

2018年 9月 2日  夏休みらしくない夏休み

今年もどこにも行かずひきこもり。たぶん軽いバーナウト。長く生きて老齢ともなれば人生のおおかたの問題に対処できるようになるのではないかと昔思ったこともあるが、実際はそんなことはまったくない。その季節には季節の生のアポリアがある。そのことを思い知る。休み中、数冊の本を読んだ。そのうちの2冊をあげる。

1『死を生きた人びと』訪問診療医と355人の患者:小堀鷗一郎

在宅で看取った患者のどんなひとりにも注ぐまなざしが優しさや暖かさを含みつつ何よりも丁寧で深い。そのひとの看取りから何を学ぶかという視点がしっかりしている。在宅看取り医はこうあるべきだというところから出発しない、飽くまで患者とじぶんとの関わりがプライマリーにある。柔軟で型破り的なところもあり驚くとともに感心する。機械的(マニュアル的)多職種連携への批判。オートメーション医療でなくオーダーメイド医療。「2025年問題への最も効果的な対応策は、かかりつけ医、すなわちホームドクターを持つことに尽きる。」(全く同感である。しかし、問題は「かかりつけ医」の中味なのだが)そして最終章近くで述べられるculmination(最高点、頂点、最高潮、全盛)という言葉の前で立ち止まる。個々の患者のculminationを実現すること、それが看取りの鍵だという。これは僕が2年前のランセットのart of medicineで読んだDr.Faberの“いのちの糸”に近いものかと思う。あるいはひとの身体性や精神性を深い次元でささえるスピリチュアリテイといってもよいかもしれない。筆者は森鴎外の孫である。

2『医師の感情What Doctors Feel』:ダニエル・オーフリ

副題は:「平静の心」が揺れるとき。医師の行動の裏にあるもの。感情。ジュリアというひとりの患者への医師の感情を縦糸に様々な物語が展開される。読み物として面白い。医師たるもの自らの感情を当然コントロールできなければならないという暗黙の了解がある。しかし、実際は医師も生身の人間であり、感情に支配されることもある。医療の現場で経験する悲しみ、苦しみ、無力感。「平静であるべき心」が大揺れに揺れて壊されてしまうこともある。「感情的」という言葉が否定的なひびきを持つように、医師にとって「感情」は軽視されがちである。だが医師が翻弄され窮地に陥る状況(抑うつ、自死、薬物依存、燃え尽き、医療訴訟など)を彩るのは感情である。医療に現実に伴う様々な感情を無視するのではなく誠実に向き合うには何が必要かをこの本は描いている。

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