臨床余録
2024年11月10日
トム・キットウッドを読む:第9章
文化を変える

1 ケアの文化とより広い文脈
 西洋社会の文化では、知識が高い位置を占め、人間の感覚は隅に追いやられ、工業生産や戦争のために高齢者や心身に障害のある者は収容された。 ポスト産業主義の精神、情報への異常なまでの関心、自律的で自分の能力に自信を持つ個人の極端な重視、経済第一主義などの文化的背景はその人らしさを大切にするパーソンセンタードアプローチとは全く相容れない。

2 新しい文化と古い文化
 これまで認知症の性質を理解するために二つのパラダイムを比較してきた。パラダイムはそれぞれ「ケアの文化」を示している。古い文化から新しい文化への移行は、欠けている項目を付け足すようなことではなく、全く新しい観点から認知症の特徴を見直すことである。

 新しい文化では、認知症の人を恐ろしい病気を持った人とするような病人扱いはしない。新しい文化は認知症の人それぞれの独自性に焦点をあて、彼らが達成したことを尊重し、彼らが耐えてきたことに思いやりを持つ。生命の源泉として感情を再び取り戻し人間の存在が本質的に社会的であることを重視する。どのような症状を持つかはケアの質に決定的に依存する。

 古い文化は一般に、認知症の人々の心理的ニーズの存在を否定するか、安定剤で消し去ってしまう。そして認知症の人を疎外と隔離、忌避と拒絶の中に置く。古い文化には最低限の相互行為しかなくその殆どが基本的な身体介護である。

 新しい文化は心理的ニーズに応えることに全力を傾ける。その結果安らぎやゆとり、癒しのケアがもたらされ得る。安心して自分の障害を受け入れることができ、認知症である事実を恥ずかしいと感ずることがなくなる。新しい文化が提案していることは知的能力が低下している人々を同じ人間として見ることである。集団的無意識の中に長く隠されていたコミュニティの感覚を再び取り戻すこと。そこは平等にお互いを受け入れることができる場である。このような励ましがあれば私たちは自分たちの老いの事実と死ぬ前に認知症になるかもしれないという可能性さえも容易に受け入れることができる。

 認知症の再検討は、人であることは何かについて新鮮な理解を私たちにもたらした。今はやりの個別性と自立性の重視は根本的に疑問に付され、本当の相互依存関係に光があてられた。弱さや限りがあることや、死にゆくことや、死が受容しやすくなり、技術ユートピアの尊大な希望は完全に取り去られる。理性は不当に長い間占拠していた台座から降ろされ、私たちは感覚を持つ社会的存在として本姓を取り戻すことになる。心の癒しについて計り知れないほどの豊かな概念を見つけることになるだろう。



 『DEMENTIA RECONSIDERED the person comes first』Tom Kitwood を読み終えた。第1章から第9章まで大事な論点のまとめになっていると思う。

 日本語訳は『認知症のパーソンセンタードケア 新しいケアの文化へ』高橋誠一訳である。だいぶ省略したが、わかりやすく加筆した部分もある。

 今回再読したきっかけは、2023年に認知症基本法が制定され、認知症の人との共生社会の実現が理念として定められたことである。認知症の人と共に生きることとは、認知症の人を排除せず同じ人間として認め共に生きることである。逆に言えば、それまでは人として排除してきたということになる。共生社会の実現と言っても、認知症の人を深く理解しなければ共に生きることはできないだろう。

 認知症の人を理解する仕方として従来からの脳病理医学的理解の仕方(標準パラダイム)があるが、そうではなくキットウッドは新しいパラダイムとしてその人らしさに焦点をあてる認知症の人の見方を提示し論じている。認知症基本法における共生社会の理念は、まさしくこの第9章における新しい文化の概念と響きあう。

 2023年にもうひとつ大きな動きがあった。脳のアミロイド斑を除去してアルツハイマー型認知症を治すというレカネマブが登場したことである。この治療法の臨床的有効性はまだ明らかになってはいないのだが、これこそアルツハイマーのパラダイムシフトだとあちこちで講演が行われている。

 一方、キットウッドはその人らしさ(personhood)に焦点をあてたケアによって認知症は回復する(rementing)と述べている。その言葉の内実を知るには彼の思想のすべてを詳しく読む必要があった。

 認知症の人のニーズの5項目(慰め、結びつき、共にいること、携わること、自分であること)や前向きな働きかけの12項目、そして悪性の社会心理の17項目、デメンチアケアマッピングという方法をケアにむすびつけること、などを考えると、認知症の回復rementing(標準パラダイムでは不可能とされてきた)もありうることに思えてくるのである。

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