臨床余録
2024年5月26日
「排除ベンチ」だって?

 ここ数日、日中は夏のような暑さだった。夕方になるとさわやかな微風が快く、散歩に出るようにしている。診療所から歩いて10分ほどのところ、県立図書館から左に折れると殆ど人は通らない道。少し歩き県立音楽堂を右にみて能楽堂の横を上ると掃部山公園に出る。井伊掃部頭の銅像が見下ろす広い庭の周囲には幾本もの桜の古木が黒い影を落とし、その下にはベンチが置かれている。大抵、老年男性が一人か二人坐っている。僕もそのうちのひとつに腰を下ろす。ベンチには何のためなのか金属製の仕切りが真ん中に取り付けられている。しばらく休んでから日が翳ってきたので子ども公園の方へ坂を下りていく。人は殆ど通らない。右奥には仕切りつきベンチが置かれている狭いエリアがあり、そこにホームレスかと思われる男性がベンチから落ちそうになりながら横たわっている。まわりを鳩がせわしく動き回るがその人は全く動く気配がない。大丈夫かなと思いながら通り過ぎた。

 さて、5月25日の朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」欄に「排除ベンチ置かれる街」というタイトル記事が載った。そうか、これだったのかと思った。ホームレス対策のひとつとしてベンチに横たわり野宿できないように金属の棒などをつける。その意図を隠すためにオブジェのようにベンチを加工したりして「排除アート」と呼ばれることもあるという。掃部山公園のベンチからはホームレスの人は排除されているのだ。何かうそ寒い感情に襲われた。

 「都市の再開発などで『きれいな街』」が広がっています。僕はそういう街への違和感をずっと抱いてきました。かつて都市の中で共存していた筈の貧しい労働者が見えなくなっているからです。」「『きれい』は無条件に街の魅力ととらえられます。しかし、『きれい』の向こう側にある問題を考えなければいけない。それは都市の公正さです。」こう述べるのは社会地理学者の原口剛さん。

 まさに「きれいは汚い。汚いはきれい」(シェークスピア:『マクベス』の魔女の言葉)である。闇をもたない光の明るさは危険だ。横浜の魅力はみなとみらいだという。そこには大きなマンション、救急総合病院、ホテルやショッピングセンター、レストラン、ランドマークタワー、映画館、美術館、国際会議場、臨港パーク、コンサートホール、保育園、ジム、本屋カフェ、何でもある。明るく清潔で安全。ないものがない?・・・ある。欠落、人間が生きていくために必要な欠落あるいは暗さがこの街にはない。光を受け容れる闇がない。ダブリンの街の路地裏にたむろしていたホームレスの陰翳がない。果たして横浜は公正な都市として誇れるのだろうか。

附記1
 「きれいは汚い、汚いはきれい」は「Fair is foul, and foul is fair.」の福田恒存訳。 この魔女の呪文のような言葉は、さまざまに訳されている。例えば、「明るいものは暗くて、暗いものは明るい」「輝く光は暗い闇よ、深い闇は輝く光よ」「いいものは悪い、悪いものはいい」「美しきは醜く、醜きは美し」など。
附記2
 超高齢社会の日本、汚いもの、暗いもの、弱いものを排除しようとする傾向が広がるなか、この魔女の言葉は生きるうえで大きな示唆を与えてくれるような気がする。
附記3
 「暗さの中で、太古の人間は悩み、不安、恐怖などを知ったであろうし、はたまた、死とか、終末とか、来世に思いいたったろう。・・・暗さは人にものを考えさせるのだ。」『夜は暗くてはいけないか:暗さの文化論』乾正雄

2024年5月5日
黄金週間と読書

 身のまわりに山積みにされていく本をみながら考える。このなかにじぶんが埋もれてしまう前に何とかしなければ・・・。純粋な医学書、定期購読雑誌、医療介護関係書籍、好きな文学書(詩歌、小説)哲学書、何となくたまっていく雑多な書類などなど。読まれるのを待ってそこにあるのかと思うとなかなか捨てられない。それにしてもなんとかしようと休日前に思う。読んだなかから2冊をとりあげよう。

1『死を生きる』   小堀鷗一郎

 副題として「訪問診療医がみた709人の生老病死」とある。外科医として長く病院に勤めたあと訪問診療医となって18年間の実践記録である。小堀医師は2018年に『死を生きた人びと』を出版している(この本については拙著『Dreaming Forward』の中で取り上げた)。本書はその続編といってよいだろう。前著にくらべて介護に踏み込んでいる。在宅で命を終えるためには医療ではなく介護が重要であることを事例に即して詳述している。説得力がある。看取ったのはごく普通の市井の人びとである。認知症や老衰や癌などありふれた病気で亡くなっている。何が特別なのだろうか。
 前著から僕が注目しているのは小堀医師の細部へのまなざし(あるいはこだわりといってもよいか)である。例をあげると
①87歳男性。胃癌再発、すべての医療措置を拒否する本人の意思に沿い自宅で看取ることになったが、集まった親戚の冷ややかな視線をあびることになる。玄関に送りにでた妻から「つややかな2個のリンゴ」を渡される。さりげないこのエピソードだがこのリンゴは淡い余韻を持って読む者の心に残る。
②72歳男性。脳出血。病院を自己退院したのちの最初の訪問時「彼は箒の柄にすがって室内を移動していた」。そのような彼に小堀医師はタバコの差し入れをし、一本ずつ渡しのみ終わるまで傍にすわるのである。この患者のすがる箒とタバコの吸い方も特異な輝きを放って迫る。
③97歳認知症男性。自分の状態を理解できず訪問診療の意味もわからぬままに、しかし医師の来訪を心待ちにする患者は「玄関の前で逆さにした植木鉢に腰を下ろして長時間待っていたこともあった。」とこの認知症の人の姿を描写する。逆さの植木鉢がすごい。
 「ある夫婦の物語」はプライバシーに配慮して小説形式で書かれている。面白い試みである。患者の妻、在宅主治医、病棟主治医、看護助手のそれぞれの視点でそれぞれのストーリーが語られる。患者の看取りに際して患者を巡るそれぞれの思いが交錯する様が立体的に描かれる。語り口から芥川の「藪の中」を思いだした。
 生活への独自な眼差しを通して人をみることは、その人生をみることにつながる。個々の患者のライフの頂点つまりculmination を実現すること、それが在宅看取りの鍵だとする。Culminationという語をもって在宅死をとらえる仕方は小堀医師の独自の思想といってもよいかもしれない。
 在宅医療のパイオニア黒岩医師との対談のなか、「死は日常のひとこま・・・医師は日常的に死とつきあっているはず。あえて極端な言い方をすれば、死に麻痺してはいませんか。」というインタビュアー尾崎氏の問いに「麻痺しているという言い方もできるかもしれないが、正確には生と死が透けて見えるというか、僕の中で区別できなくなっている。」という小堀医師の言葉は印象的だ。

 裏表紙にある次の言葉がこの本の中身を要約しているだろう。
「重要なことは、患者一人一人に語るべき豊かな人生があり、彼らがその辿ってきた自らの人生に深く根差した死に方を望んだ、という事実である」

2『戦争語彙集』
(オスタップ・スリヴィンスキー ロバートキャンベル)

 オスタップ・スリヴィンスキーはウクライナの詩人。
 彼が現在進行形のウクライナの人びとにインタビューしそれを一冊の本にした。ここでの語彙とはごく普通の日常語。それが戦争という非日常を背景として語られるとき言葉の意味が変容する。例えば「シャワー」という言葉。激しい砲撃をあびているときのシャワーを想像してみればよい。例えば「身体(からだ)」「自分の国のことを自分の身体のように感じるようになる。「バスタブ」は砲撃から命を守る場所にかわる。日常の詳細な事柄が生き延びる記憶となる。例えば、あとに残してきた犬のこと。
 この本の後半は訳者ロバートキャンベルによる「戦争のなかの言葉への旅」というタイトルのドキュメンタリーエッセイ。詩人とともに現場を歩き、人のはだかの、むき出しの言葉を拾う。そして人は言葉によって心のなかにシェルターをつくることができるのではないかという考えに至る。オスタップの「この(戦争の)経験が無い生き方に、もう私は戻ることはできないのです。友人が最前線で死ななかったような人の生き方には」という言葉が胸に刺さる。

附記1
 日本でも1985年に『戦中用語集』(三國一朗)という岩波新書が出版されている。
 「大本営」「転進」「八紘一宇」「千人針」「学童疎開」「引揚げ」などが取り上げられている。『戦争語彙集』とはだいぶ趣きが異なる。これらの戦中用語は死語になりつつあるが新たな戦争が待ち構えている今、用語を通して過去を振り返る意味は小さくないであろう。
附記2
  以前能登半島を旅行したとき珠洲市で買った珠洲焼のコーヒーカップがある。今回の災害後その甚大な被害の映像をTVで見ながらこのカップをとりだし眺めている。ざらざらした黒いコーヒーカップがそれまでとは違う意味をもって僕の前に置かれているような気がする。

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