臨床余録
2024年6月30日
トム・キットウッドを読む

 トム・キットウッドの『認知症のパーソンセンタードケア』を再読しポイントを記してみる。

イントロダクション
 認知症は従来「脳の器質的知的障害」として考えられてきた。それをキットウッドは標準パラダイムと呼ぶ。脳の神経回路はコンピュータのように不変ではなく環境の要請に従って変化する力動的なものである。標準パラダイムに対してはじめに人ありという新しいパラダイムが提示される。
 キットウッドが認知症の人と初めて出会ったエピソードが語られる。それを通して、一般に見られる症状のいくつかは脳の構造的な障害よりも、理解やケアの誤りによるものかもしれないと考え始める。(彼は自分が認知症の人のことが好きなのを発見したと書いている)
 彼が行った最初の研究のひとつは、その人らしさ(パーソンフッド)を損なう様々な行為を明らかにすること。これを認知症を取り巻く「悪性の社会心理」と名づけた。
 一方「認知症の回復(リメンテイング)」の概念は異端の主張として扱われた。(認知症が回復することはないというのが常識であったからである)その人中心のケアをパーソンセンタードケアと名づけた。ブラッドフォードデメンシアグループが設立された。ケアの質を評価する新しい方法をデメンシア・ケア・マッピングと名づけた。
 彼自身、認知症の人と介護者に強く関わるようになって精神的負担が重くのしかかる体験をし、認知症ケアの深層心理への探求につながる。無意識の防衛、強迫観念、対人関係の過程のことである。

 この本の第1章では全体の議論に統一性を与える概念として「その人らしさ」“personhood”の概念が提示される 第2章では認知症の精神医学的症状について簡単に見る 第3章どのようにパーソンフッドが損なわれるのか 第4章その人らしさを保つこと 第5章認知症の経験はどのようなものか 第6章その人らしさを保つ相互行為のあり方 第7章認知症ケアとサービス提供組織   第8章介護者に求められること 第9章認知症ケアの文化を変えるために必要なこと

 「認知症やその他の重度認知障害の人々に密接に関われば、多忙で超認知主義的で、異常に騒がしいお決まりの暮し方から、感情や気持ちに十分な居場所を与える生き方に変わることができ、実際にそうすべきである。認知症の人びとが、よく行われる抑制を受けず、多くの場合に感情豊かな生活を送っているならば、他の人たちに教えることができる大切なものがそこにある。・・・・私たちの多くは、ほとんど言葉どおり「頭のてっぺん」(新皮質の外側)に過度に依存して生きている。」

 “感情や気持ちに十分な居場所を”という言葉は大事な言葉だ。感情に十分な居場所があるとき、僕らは認知症の人の生きざまに共感することができ、さらに共感を越えてキッドウッドと同様に彼らを好きになることができるのではないか。良いケアをする一番の近道は認知症の人を好きになること、感情に十分な居場所をあたえることである。

 このイントロダクションで人中心の認知症ケアのエッセンスそしてキットウッドの思想の端緒が語られている。これからその中身に入っていきたい。

2024年6月24日
認知症診療パラダイムシフトとは

 「認知症診療のパラダイムシフト」というタイトルの論考や講義が昨年から目だってきたように思う。ひとつの要因は昨年認知症基本法が制定されたことだろう。正式名は「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」である。「共生社会」がキーワード。「認知症の人を含めた国民一人一人がその個性と能力を十分に発揮し、相互に人格と個性を尊重しつつ支え合いながら共生する活力ある社会」とされる。

 認知症基本法は2019年に国会に提出されたが成立しなかったという。その理由のひとつは、2019年には疾病対策としての予防に重点が置かれていたためとされる。2019年版では「国民は認知症に関する正しい知識を持ち、認知症の予防に必要な注意を払うように努める」とされていた。 今回は「国民は、共生社会実現のために、必要な認知症に関する正しい知識及び認知症の人に関する正しい理解を深める・・」となっている。予防という言葉が削られ、認知症の人の理解としたところがポイントであろう。予防し撲滅すべき疾患として認知症をみる見方から、だれでもがかかり得るお互いに支え合うべき疾患とされた。

 パラダイムとは物の見方、思考の枠組みということである。認知症基本法が制定されたことはひとつのパラダイムシフトと言ってよいかもしれない。

 疾患としての認知症を考えた場合、特にアルツハイマー病の診断において画像および脳脊髄液バイオマーカーの開発、治療面で抗Aβプロトフィブリル抗体(レカネマブ)が保険適応承認されたことも脳疾患というパラダイムのなかのシフトと呼べるのかもしれない。

 別の観点からみてみよう。トム・キットウッドのパーソンセンタードケアである。「認知症は「脳の器質的知的障害」として作り上げられ、わたしが標準パラダイムと呼ぶ医学モデルが影響力をもってきた」それに対して、「初めにその人ありというパラダイム」を対置する。「感情や気持ちに十分な居場所を与える生き方」「その人らしさ:パーソンフッド」を重視することで「特効薬と技術的解決を待たなくても、認知症の人が快適に暮らす方法を発見できるであろう」と述べ、「病気というレッテルにもかかわらず、認知症は病気扱いされなくなり、人間の状態の一部であると受け止められ始めている。」と語られる。彼の本が出版されたのが1997年。このときすでに共生社会の理念の萌芽をみてとることができる。本書の日本語訳を初めて読んだのが15年前。今また読み直しているところである。

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