臨床余録
2025年6月15日
われわれは試されている


 近所に独りで暮らす95歳女性Aさんのことである。地域の高齢支援課から電話があった。ケアマネージャーと話し合いを持ち、彼女を精神病院に入院させ専門医に診てもらうことになったという。その病院の医師から受け入れはオーケーという返事。そこでかかりつけ医である僕に診療情報を送ってほしいという。

 驚いた。彼女が何故精神病院に入らなければならないのか。かかりつけ医である僕には何の連絡もなしに精神病院入院の手続きが進められている。もちろん本人に説明もしていない。そんなことが許されるのだろうか。彼女が頻回に119コールをし、救急隊が病院搬送を繰り返してきたことは事実である。ヘルパーさんを怒って追い出すこともよくあるらしい。僕のクリニックでも色々あった。一時期、暴言や乱暴するなら来院禁止としたこともあった。そのことを本人は忘れてまた当院にやってくる。今回は救急病院からの手紙(慢性腎臓病末期G5という診断と頻回の救急受診への対応困難という現状が書かれている)も持参。

 ふりかえってみると、トラブルのひとつはコミュニケーションの問題があるのではないか。殆ど耳が聞こえないのだがそれを自覚できていない。それで一方的に話し続ける。返事をしても聞こえないので被害的になる。それでも繰り返し電話してくる。この1週間でも頻回のコールがあった。あるいは救急隊が困って(搬送するほどの異常がないので)僕に電話してくる。

 電話で会話はできないので、僕は白板を持って往診する。「まあ!先生が来てくれたの!」と大声で喜ぶ。字は読める、文字の理解もできる。白板をみて「こんないい物があるのね」と言ったりする。先日の酷暑の日の往診ではエアコンがオフのままの暑い部屋で37.4℃の発熱で頭痛を訴えていた。エアコンをオンにし、持参のカロナールをのませ、水分を与えた。それで彼女は薬まで持ってきてくれたと僕に「どうもありがとうございます、先生」と感謝の言葉をかけてくれる。次の日の電話は「薬をのみ忘れたけどこれからのんだほうがいいですか」という穏当なコールだ。

 一緒に暮らしていた姉を心筋梗塞で亡くし独居となったのが2002年。それから僕の醫院に来るようになった。以後何回もの空白の年月(心筋梗塞や大腸癌罹患)を生き延び、不規則ながら20年間彼女をみてきたことになる。しかし、Aさんの背景にある心の不安に僕は丁寧に対応してきただろうか。僕にも責任がある。反省すべき点が多々ある。

 95歳の慢性腎臓病末期の、“じぶん勝手”な、それゆえなかなかへこたれない、この一人暮らしの超高齢女性Aさん。迷惑対策の対象ではなく、どうやったらこのAさんという“大変なおばあちゃん”とうまくつきあっていけるか、みんなで知恵をしぼらなければならない。  




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