臨床余録
2018年 5月 27日  さわやかな野性

「そして常に、黙って一人でじっと考え、道を切りひらいていました/両親にどんな教育をしてきたのか聞くと、「何もしていません」という答/やらされてこなかったんでしょう/強制されず好きでやってきた。だから素直に自分で選択し、自ら挑戦する」(山田正雄)
「その素晴らしさは運動能力以上に内面的な思考力や向上心で後天的なもの/両親は彼の好きなようにおおらかに育てましたが試合での反省や課題をノートに書かせていました。それが彼の言葉を大事にし深く考える力の原点/彼は効率ではなく自分の中の「内なる声」にシンプルに従うのです/より有利な契約を計算することは興味がない/社会の常識的な物差し、価値観からは離れたところにいる」(佐々木亨)
「自分なりのストーリーをもって、挑戦することが大事です。失敗しても、そこから学び、目標を達成するためにストーリーを修正していく。ストーリーを作れる子は、最初から正解しか学ばなかった生徒より最終的には伸びます/ストーリーを育てるには、子どもの内なる問題意識を大切にするべきです/政治をやる、起業する、研究者として何かを発見するには、既存の正解をいくら知っていても役に立たない。やはり試行錯誤し、仮説を検証し続けないといけない。そのために彼のように、ブランドにこだわらず、自分の原点を大切にすることが重要でしょう」(斎藤淳)

以上は5月22日朝日新聞「オピニオン&フォーラム」欄“「オオタニ」的人生哲学”3人のインタビュー記事より。「彼」とは大谷翔平。エンゼルスで驚くべき活躍を続ける。3人の評者とも共通して大谷翔平の生き方(まわりに自分を合わせるのでなく、自分の好きな事を追求するスタイル)を評価している。とりわけ彼が自分のストーリーを追求しているという視点はなるほどと思った。親や周囲の思惑を優先し、自分の内側から湧き出るようなストーリーを持たない子どもが増えている。(例えば、偏差値が高いというだけで本人の内面とは無縁に医学部を塾の教師は薦めるという。その結果どういう医者が育つかは想像がつく)僕は特別大谷のファンというわけではなかったが、テレビでみて何より彼の表情がいいと思った。そして言葉が自然だ。イチローや松井も個性的で好きな選手だが大谷はまたこの二人とは違う。さわやかな野性を感じる。

2018年 5月 20日  あなたは眼が美しいから美しい

 ひっそりと、ひとりの男性が旅立った。昨年グループホーム「おきな草」に来たときは66歳。精神病院からの紹介状には出生、成育歴不詳。親戚縁者すべて消息不明とある。22歳で統合失調症を発症。以後、入退院を5回以上繰り返す。交通事故で右大腿骨と骨盤骨折、希死念慮、過量服薬、火傷による右手拘縮、胃癌で胃切除といった病歴がある。15種類の薬が出されており減らすと興奮が悪化する、と紹介状には書かれていた。入所後、スタッフの話ではおおむね落ち着いており、出されるお茶に「うれしい」「おいしい」を連発し、「あなたは眼が美しいから美しい」と言ったりしていた。入所2ヶ月目、低体温、低血圧、徐脈といったエピソードを繰り返すようになる。薬を減らし様子をみたが敗血症に肺炎を併発し危篤状態に陥った。市民病院にお願いし窮地を脱する。薬は大幅に減らされた状態で再び「おきな草」にもどった。落ち着いた状態と興奮状態が繰り返された。5月某日食後意識がなくなり全身けいれんを起こした。意識が回復する前に次のけいれんが来る。深夜緊急往診した。みかん色の朝焼けがきれいに遠くの空を染めはじめる時間、彼は永眠した。おきな草入所7ヶ月目だった。親戚家族はいないとされていたが、スタッフの熱意で兄と連絡がとれた。他県から駆けつけてくれた兄に経過を説明する。こんなにきれいなところで、暖かい皆さんに囲まれ、外には美しい緑や花がみえる部屋で亡くなるなんて彼は幸せです、と兄は述べた。
 彼のいた部屋に坐り、おきな草の管理者櫻庭さんと言葉を交わす。5月のさわやかな午後だった。彼のここでの7ヶ月はどうだったんだろう。賢治のおきなぐさのように彼は「風が吹いたって、みずたまりがあったって、お日さまはあんなにきらきらかがやいているし・・」といって天に昇っていっただろうか。さいごに至る日々、僕らは彼に“瞬間の幸福”を経験してもらえていただろうか。看取りの意味を僕らはもう一度ふりかえっていた。

2018年 5月 6日  生死を詠う(しょうじをうたう)

やわらかに骨が息する「息ぬき」の土の枡あり故郷の墓地に(松本知子)
軍艦と呼ばれし島に寺があり病院もあり生死(しょうじ)のありき(香川文)
もう落ちる他なき滝に来た水と同じ思いで乗る手術台(橋本栄子)
「饑(ひも)じい」が死語となりても「饑じい」の沁みた五体が饑じいという(辻岡暎雄)
亡き友が最後に撮りし写真集何故か寂しく笑う人たち(石黒敢)
誕生から死を待つことが生きること2時間遅れる診察を待つ(北村耕三)

これらは5月6日朝日歌壇の、すべて永田和宏選歌欄の歌である。10首のうち6首、身近の生と死にまつわる物や事をとりあげている。他の3選者はこのような歌を1首も選んでいない。そのことに少し驚くのだが選者が永田和宏氏であることを思いかえし深く納得する。氏の最近の歌をあげてみる。

少しだけ君より先に逝きし猫トムと呼ばれて骨も残さぬ
病む妻を持てるは悲しかりしかど亡き妻を持つと今は言はるる
引きとめる念(おも)ひも力も弱すぎて君を失ひ夏を失ふ
ああしんど 幾たび聞きし幾たびを聞きてすべなく聞き流したり
よく生きたよくやったよと告げたきにこの世の夏がまた巡りくる
この頃だったかあなたがこの世を離れしは 歌を読みつつ不意なる涙
われといふ存在が君にありしこと立ちどまり立ちどまり歌を読みゆく
告げしことそれより多き告げざりしことも伝わり逝きたるならむ
裕子さん あなたと一緒に来たかったキンポウゲ咲く湖の岸
お爺さんになったのねえと現はれる焦げ茶のリボンの君がいつかは
コスモスの揺れの間に間に見えてゐし日本手拭があなたであった
かくも悲しく人を思ふといふことのわが生涯に二度とはあるな
         『午後の庭』永田和宏歌集(2017年)

生物学者であり歌人である永田和宏氏。7年前、妻であり現代の代表的女性歌人である河野裕子を亡くした。上記は最新の歌集であるが、その冒頭から彼女を失った悲しみの歌の連続である。あとがきにその頃は「彼女を思うこと以外は歌にならなかった」と書いている。

あなた・海・くちづけ・海ね うつくしきことばに逢えり夜の踊り場
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり
あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでおれの少年
『メビウスの地平』永田和宏歌集(1975年)

この歌集は20代のもの。ひりひりするような生のかがやきのなか、
河野裕子に出会ったころの若き永田和宏がここには居る。

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