臨床余録
2018年 4月 22日  ノブレス・オブリージュ

 朝日新聞4月19日「オピニオンとフォーラム」欄。“医師の働き過ぎ”というタイトルで3人(医師、弁護士、医療ネットワーク)のインタビューが載っている。
 ひとりは30代の女性医師の話。多くの医師は診療スキルを上げるために自身の労働環境をあとまわしにして心身の健康を崩してしまいがちになる。長時間労働を美徳とする慣習がある。医療行為は労働と教育の両面があり長時間労働を問題化しにくくしている。医師個人ではこのジレンマを解決できない。医師の疲労度を病院側が把握して健康管理を徹底すべきである。病院でも在宅医療でもひとりの医師が多くの患者を診ることはできない。グループ診療が広まる必要がある。以上が要旨である。極めて穏当な意見であろう。ただここには、医者の診療スキルを上げること、医者の健康を守ることが主張されているが、医者とは何か、誰のために働くのかという本質に触れる言葉がでてこない。
 「医者は人びとのために働く責任を負っています」「苦しいひとを応援する人間になりたいと思って医者になったのです」これは現在活躍するひとりの女性児童精神科医が若い頃、新聞インタビューを受けたときの言葉である。プロフェッショナリズムとしての医師の仕事の本質が「人びとのために働く責任」そしてその「責任を負える人間になる」という言葉にかいまみることができる。
 医学のプロフェッショナリズムとは何か。David Thomas Sternによれば、①Excellence ②Humanism ③Altruism ④Accountability である。冒頭の30代医師の話はExcellenceの獲得に傾きすぎてはいないか。プロフェッショナルとしての医師を目指すならHumanismやAltruismの話が何故でてこないのか。
 冬の平昌オリンピックを観ていて思った。医者は冬のアスリートと同じだ。彼らアスリートに時間外労働はあるだろうか。常に自らを高め、優れた技と力やスピードを得るために休みなくトレーニングを続けている。医者も同じではないか。
 僕はひとりの町医者だが、時間外労働も時間内労働もない。町医者に時間の外はない。冒頭30代女性医師は在宅医療の現場で働いておりひとりでは無理なのでグループ診療を行っているらしい。僕は、ひとりでどこまでできるか、とことんやってみて駄目なら他の医師との協働を考えようと思ってきた。そこまでいかないで、中途半端なグループ化はなれあいを生む。そう考えていまだに独りで在宅をやっている。
 ひとりの医師になることは、医師として選ばれることである。ノブレス・オブリージュ。選ばれたものは、苦しまなければならない。

2018年 4月 15日  哲学者と医者と死

The lancet April14 2018 の The art of medicineより。“医者は哲学者より善き死を死ぬことができるか Do doctors die better than philosophers?”というタイトル。以下抄訳。

 死を語ることは一種の流行(modish)となった。常に自己の死を認識していることはスピリチュアルな健康の本質的な要素である。私の著書The way we die nowを出版以来、多く書いたり喋ったりしてきたので私が自分の死をよりよく用意できているのではないかと聞かれる。
 自分ではよくわからない。人と同じように、心の深部では死をうわさのようなものとし、遠くの他者に起こるものとみなしている。勿論、曖昧な抽象的な仕方ではあるが、死を不可避のものと受け入れている。私も健康が不安になると死の恐れに襲われることがあると告白しよう。しかし、普通は、死について瞑想するよりは今晩の夕食について思いめぐらすほうが多いのである。昔と比べ、死の想念を日常から追い払うくらい我々は長生きするようになった。近くに死の迫ったときしかそれを考えない。アイルランドの作家Nuala O’Faolain は転移性肺癌の診断後インタビューを受けた。「我々は自分が死すべき存在であると考えない素晴らしい生の法則がある。「人よ、汝は塵にすぎない」という言葉を我々は覚えているようにみえる。しかしそれは信じられない。1年以内に死ぬ可能性があると知ることと死ぬのを確実に知ることとは絶対的な相違があるのである。」
 現代哲学は主に言語、知識、そして意味についての不毛な探索に関わっているとしばしば非難されている。しかし遠い昔哲学者は二つの問いに直面していた、いかに生きるか、いかに死ぬかである。モンテーニュは有名なエセーに「哲学することは死ぬことを学ぶこと」と書いた。これは彼がプラトンの影響をうけたキケロから借りた言葉である。この主張は疑われることがない。もしこれが真実なら、哲学者は非哲学的な同朋に比し善く死ぬ筈だが、そうなっていない。哲学者の死を扱った書籍によれば、善く死ぬ哲学者もいるが、ひどい死に方をするものもいる。哲学者が非哲学者に比べ有利な点はないようにみえる。ヒュームやヴィトゲンシュタインは哲学者の死を死んだ。死について賢く書いたセネカは高貴というより笑劇に近いぶざまな死を死んだ。
 若いモンテーニュは死に脅えていた、「これほどしばしば死を目の前に見せられるとその想念が頭から離れなくなり喉元を締め付けられる感じがする」と述べた。彼は友人、弟、そして6人の子どもの内5人を亡くした。常にそれを考えることによって死を飼いならすというストア派の考え方に従ったが、悲劇は彼をミゼラブルにするだけだった。36歳の時馬から落ち死の手前までいく経験をするがその時痛みも恐れもないことに驚く。死を心配するなという言葉が彼のいかに生きるかの答となった。いかに死ぬべきか思い煩うな。その時になれば自然がいかにすべきか教えてくれる。ところが実のところ、彼は化膿性扁桃腺炎で非常に苦しみ59歳で死んだ。(当時の平均寿命は40歳)
 トルストイもモンテーニュと同様死に取りつかれていた。『イヴァンイリッチの死』は死に関する偉大な瞑想録のひとつ。イリッチは死病にかかるが、その身体的痛みよりも大きなスピリチュアルペインに苦しむ。というのも家族と医者が共謀し彼に真実を隠していたからである。トルストイ自身の死も威厳を奪われ幻滅させられるものであった。82歳、彼は勇気を奮い立たせ家出し妻のソニアに別れを告げる。肺炎にかかり田舎の駅で亡くなる。
 トルストイはロシアの百姓(peasant)、ナロードは死を神の意志として受け入れ「むつかしい不幸な死は平民には極めてまれ」と書いた。モンテーニュも無学のひとはソクラテスと似た死を死に、セネカの死よりも善き死を死んだ。自然がかれらのケアをした。無名の民衆がヒュームやヴィトゲンシュタインと同じく高貴の死を死んだ。哲学者は支配(control)を維持しようとしてこの世をうまく去ることができない。哲学するとはいかに死ぬかを学ぶことである。哲学とは人々にどの百姓も生まれながらに備えている自然のスキルを学び直す(unlearn)のを教えることのようである。
 私は医者として困難な仕事に向き合いながらもっと思慮深い生活を送ってこなかったことを時々悔やむ。しかし、私の仕事はじぶんにひとつ有利な点を与えてくれる。医学の限界に気づいていること、とりわけ終末期の病院ケアの限界を認識していることである。哲学者はより善い死を死ぬことはできない。だが、医者はできるかもしれない、無駄な治療に続く病院での死の機会を減らす考えを持ちうる。しかし、私はいわゆる善き死(good death)という言葉に疑念を抱く。この観念は極めて主観的なものであり、十分理解されていない、しかも今、善き死は、抗生物質を処方するのと同じように、医者が処方することができなければならないものといったコンセンサスさえできつつある。私は何が善き死を構成するのかはっきりとわからない。しかし、悪い死(bad death)がどのようなものであるかは知っている。
 不治の病気にかかったらどのような治療を好むかというサーベイで圧倒的に多くの医者は積極的治療ではなく緩和的アプローチを選ぶ。アメリカの医師は大衆に比しadvance directivesを選ぶことが多い。How doctors dieの著者は書く。「いつも他者の死を遠ざけるべく闘っている医師は自分の死に対しては平静に(fairly serene)受け取る。彼らは何が起こるか知っており、何が選択できるか、そしてあらゆる医学ケアにアクセスできることも知っている。だが、彼らはジェントルに去っていく」
 医者たちへの講演で、そのような状態になったら胃瘻を選ぶかどうかよく尋ねる。いつも大部分の医師は断ると答える。すると、我々医師は自分ならやろうとしない治療を患者にしているということになる。コスト効率性を考えることなく標準的フル介入を行う現代の過剰医療につながる問題である。イヴァンイリッチの医師と同じように、患者や家族に対し、我々はしばしば芝居じみた雰囲気の中で臆病に逃げ回り共謀してはいないだろうか。
 モンテーニュのように、死に対処する最も良い方法はそれが目に見え近くなるまでは忘れることであると私も思う。我々の殆どはモンテーニュが高度老年とみなした年齢まで生きることになるだろう。その時になったらそれを心配することにしよう。さてそれはさておき、私は象牙の塔ではなく、闘技場の埃の中に自分を置くことができ、自分が哲学者ではなく、医者であることの運命に感謝しよう。私はすでに今日のディナーのことを考えている。

 以上が抄訳。本文1ページ目の下にはThe Death of Seneca(1614)というルーベンスによる画がカラープリントされている。大きな盥に裸の死にゆくセネカが天に眼を向けて立ち(皇帝ネロの家来と思われる)数人が取り囲む異様な雰囲気(grisly, messyと書かれている)の画である。哲学するとはいかに死ぬかを学ぶことである。にもかかわらず哲学者は善く死ぬことができず、哲学を考えたこともない無学のひとが最も善く死ぬことができるという事実をどう考えたらよいのか。また、good deathとは何か、曖昧なままそれを医者が処方することへの警告も学ぶべきだろう。
 それはさておき、今晩のおかずのことを僕も考える。このエッセイを書いたアイルランドの医師と同じように。それは極めて健全なことだと少し安堵する。今日の夕飯のことを考えることができなくなったら、いよいよそのときが近いのだと覚悟しよう。

2018年 4月 8日  計画された偶然

桜が散り果て、春の嵐が吹き荒れる夜、ふと思いつき、本多先生や近藤誠(大学時代のボート仲間)にならって、じぶんのためのリビングウィルを書いてみた。
          いのちを 授けられて70年 夫として 医師として
45年 町医者として18年 わたしは 生きてきま
した そして いま 人生の終わりに際し わたしは
あるがままに じぶんの定めを 受け入れます いま
意識がないなら そのままにしてください 人工呼吸
器 胃瘻 鼻腔栄養 点滴 高カロリー輸液 昇圧剤
輸血 透析など 延命のための治療は すべて希望し
ません わたしが 願うのは 人工的に 永らえる
いのちではなく 自然のままにゆく おのずからなる
さいごです

書き終えて安堵感を覚える。じぶんに一種の切りをつけたからであろうか。あえて“死”という言葉を使わなかった。これからの僕は、おそらくいましばらくは生きて、やがて、陸と空のあわいのはるかな地平の方へ、ゆっくりと歩いてゆくことだろう。だが、もっと急に、「人生、はい、終わり」と告げられるような事態も考えられる。そのときリビングウィルは多少の役には立つだろう。それにしても今夜の風は凄いな、と思い、眼をつむっていたら、緊急のケータイが鳴る。独り暮らし寝たきりのHさんだ。ヘルパーさんが訪問したら、胸が苦しい、くるしいと訴えるので僕を呼んだのだ。春の疾風のさなか、夜の野毛山を愛車FITで飛ばした。ヘルパーさんと隣家の友人に背中をさすってもらっていたHさん、泣きながら「せんせい ありがとう でも せんせいは 死なないで・・」と言うのだ。僕は、少し熱くなって、「ありがとう、Hさん」と答えながら、不思議な感情の渦のなか彼女の手を握っていた。

附記:僕がじぶんの死を想像しリビングウィルを書いたその夜、患者から呼ばれ「せんせい、死なないで」と言われる。何とも不思議な体験である。自著『落葉の思想』のなかで「意味のある偶然」というタイトルの文を書いたのだが、最近、旧友の看護師東めぐみさんから「計画された偶然(Planned Happenstance)」(Mitchell-Krumboltz)という考え方があるのを教えられた。複雑な患者の世界に向かうとき出会う偶然も、問いとしてじぶんをふりかえり共感につなげていくことができるという。

2018年 4月 1日  伝達の中味

 診療報酬改定の伝達講習会が開かれた。担当医師による1時間の説明のあと終わりのあいさつを頼まれた。三つばかり感想を述べた。
 一つ目。地域包括ケア診療等かかりつけ医の機能がさらに評価される。これをどう受け取るか。病院とかかりつけ医との違いがあるのだが、かかりつけ医が診るべき患者が病院に押し寄せている。これは、かかりつけ医が自分の役割を果たしていないから、と受け取るべきではないか。かかりつけ医が自分をふりかえり頑張らないといけない。(かかりつけ医は〈患者〉全体を診る専門医、病院医師は〈臓器〉を優先して診る専門医)
 二つ目。在宅医療がさらに評価される。今後、高齢化がさらに進めば、病院や診療所に通えない患者が増えていくだろう。そのときかかりつけ医は待っているのではなく、在宅診療に進むべきではないか。
 三つ目。今まで認知症サポート医の評価がされてこなかったが、今回点数化されることになった。長谷川式検査が点数化され早速毎回検査してもよいのかなどの質問があり、検査の乱用が懸念される。長谷川和夫先生自身、朝日新聞のインタビュー記事でいきなりこの検査をすることへの危惧を語り、またこれで診断できるものでもないと述べている。認知症サポート医として注意しておきたい。

 以上のような挨拶をした。相変わらず、点数に合わせて医療が行われる現状があらわな講習会である。点数に関係なく、患者の必要に応じて“社会的共通資本としての医療”が施されるという理想(needs-based care)にはほど遠い。

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