長く連れ添った妻を昨年亡くしたAさんのことである。重症の心不全で動けなくなった妻を長く介護した。仲が良いとは言えなかった。そばにいて気の毒になるほど妻から面罵を浴びることが多かった。こんなひどい人はいない、自分の事しか考えず、私はそのうち殺される、妻の訪問診療のたびにこんな風に罵られるのをみてきた。そばに立って彼は、まるで聞こえていないかのような無表情で喋らなかった。普通なら怒ってどなりかえしてもよいくらいなのに何故彼は耐えられるのだろう、と思っていた。訪問看護師が言うように認知症だからなのだろうか。だが妻が亡くなったときの態度はとてもしっかりしていた。少なくとも認知症にはみえなかった。僕の外来では、妻の遺影に毎朝話しかけお供えをしていますと述べた。もういないんだなあと思うんです、寂しいですねと語っていた。彼自身頻脈性の不整脈、息切れがあり、脈をおさえるため投薬していた。いつとはなしに治療は中断。家から出なくなり、食事もとらない、寝たままになった。しかしじぶんから助けを求めることはなかった。からだにむくみが生じ、呼吸が乱れるようになった。全くの寝たきりでトイレにも行けない。ヘルパーさんの介助で牛乳とサイダーしかとらなくなった。息子に財産のことは任したときれぎれの声で話した。両足の先が黒ずんできた。痛みは訴えなかった。無呼吸と過呼吸を繰り返すようになった。入院は希望せず。服薬も拒む。訪問看護師とヘルパーさんがこころのこもったケアを続けた。そして、3月21日、季節はずれの雪になった。ヘルパーさんが、Aさん、雪が降っていますよ、窓を開けましょうかと尋ね、「ハイ」と応えたように思ってみると彼の息が止まっていた。
報告を受け雪のなか丘の上の彼の家に向かった。丁度息子さんが来ており、ヘルパーグループの3人が彼を囲んでいた。涙を拭う彼女たちから彼のさいごの日々の様子を聞いた。このような慈愛に満ちたヘルパーさんたちにさいごまでケアされて彼は幸せだった。
彼の家を出、雪の丘を下りながら僕はおもう。彼は認知症なんかではなかったのではないか。二人には僕らにははかりしれない過去があり、それが彼に沈黙を強いたということはないのか。認知症的にならざるを得ない何かがあったのではないか。彼はじぶんがさらに壊れないように耐えていた。妻を心から思っていたから。そのあとの死にいたる経過は、妻のもとへ行く彼の半ば意識的な行為だったのではないか。これは僕の勝手な推測であるかもしれない。しかし、あとからあとから狂ったように降って来る雪を見上げながら僕の夢想はやみそうもなかった。
たましいの繭となるまで吹雪きけり 齋藤 玄
認知症臨床の第一人者、長谷川和夫先生(現在89歳)がみずから認知症であると新聞のインタビュー記事で明らかにした。鍵をかけたかどうか何度も確かめる、今日の日付がわからず、時間がどれだけ経過したかわからない、といった症状でMRIと心理テストを受け、嗜銀顆粒性認知症という診断を受けたという。
症状は軽度で進行もゆるやかのようだ。このくらいならあえて自分で認知症といわない人もいるだろう。この診断名への議論はさておき、ご自分で「物忘れ以上のものを自覚していた」と述べているので認知症であるのは確かなのであろう。みずからを〈晩発性認知症〉というカテゴリ―のなかに入れている。認知症になっても心は生きていることを強調し、認知症本人が発信することで、「隠すことはない」「年をとると誰でもなるんだな」と皆が考えるようになれば社会の認識も変わると語る。
認知症になったら、認知症としての自分の果たすべき役割を考える。なかなかできることではないだろう。
ところで、2018年3月22日のニューグランド医学誌にAlzheimer’s Disease in Physiciansというエッセイが載っている。〈職業的能力の評価と烙印(ステイグマ)を和らげること〉という副題がついている。
76歳の臨床医Dr.Reddは物忘れを自覚し、アルツハイマー病と診断を受けすぐに仕事をやめるように指示される。高度に専門化された診療をやめることは患者を放りだすことになる。苦境に陥った彼女は、擁護団体であるニューヨーク州医師健康協会にセカンドオピニオンを求める。診断は確かであるとされた。但し、認知テストの結果彼女の全体的能力は年齢に比し99%を維持、記憶力16から84%の間に入った。これらの結果を踏まえ、診療録を独立した監査役の監視にまかせながら、協会は彼女に仕事を続けることを薦めた。
Dr.Reddは年ごとの検査でわずかな低下を示したもののさらに4年間無事に働いた。計画通り80歳で退職し、彼女のすべての患者は適切に配置された。
アルツハイマー病はしばしば容赦なく無能力状態へと進む均質で強固な疾患とみなされている。この誤解は、患者に不当な烙印を押すことになる。実際は、アルツハイマー病はさまざまな病理と臨床経過を示す多彩なスペクトラムの疾患なのである。この多様性を認識することは患者のケアや政策実践を向上させ偏見を和らげる。
以上がエッセイのはじめの部分だが、ここに論旨は集約されている。このエッセイを読み、アルツハイマー病と診断されてもすぐに医師の職業的能力がゼロになるわけではないことを再確認したい。アルツハイマー病自体、多様な経過を辿ることを知るべきである。
ところで、人の知能を①流動性知能と②結晶性知能の二つに分けることがある。①は新しい環境への適応、推論、思考、暗記、計算などの能力であり加齢で低下する。一方、②は過去の経験が土台になる判断力、理解力などで加齢の影響は少ないとされる。結晶とは、「原子が規則正しく周期的に配列してつくられている個体」のこと。「苦心・努力・愛情などの結果、立派な形になって現れたもの」でもある。医師として学びつつ経験を蓄積し、結晶性知能の土台を作ること。そのことが、もしかすると医者が認知症になってもレジリエンスを保ちつつ仕事を続けることにつながるのかもしれない。
あの日から7年目、NHK『誰にも言えなかった~震災の心の傷 母と子の対話』を観た。当時3歳だった子は祖父母と叔父の死を経験する。その後母と暮らし5年ほど経ってから心身の不調を来し学校に行けなくなった。専門医の治療を通して震災後の自分は「無感情」だったと述べる。死んだ人たちを人形にして遊び、抑え込んでいた感情に向き合うそのプロセスが描かれる。感動的と言える。
番組でひとつ気になったのは母親の喋り方だ。それはとても奇妙でまさに「無感情」。異様に平静で抑揚に欠け、人形が話しているよう。そして思うのは、この年の子が自分を無感情だったと表現することの不思議さ。その言葉は母の無感情な話し方と妙に照応しているように見えるのだ。またこの年齢の子が死んだ家族の人形を作りそれで自主的に人形遊びするのも不自然だ。子のトラウマの背後には子を思う母親の深い悲しみが沼のように横たわっている。そう思うのである。
さらに考えると、この母と子の「無感情」はキャスパーズやフェルナンドのいうゼロプロセス(凍った記憶)のnumb feelingにあたるのではないだろうか。
「最も深刻なレベルでは、外傷体験は心を押しつぶすほど圧倒的となり精神はシャットダウンし“ゼロプロセス”あるいは凍結状態に入る。・・・“ゼロプロセス”の大事な特徴はそれが圧倒的すぎるためトラウマの経験をプロセスする能力を失うということです。・・・トラウマが重大であればあるほど情動や実際の記憶は凍結され、シャットオフされ、届きがたくなるのです。」(子供時代のdisplacement、そのパーソナリテイ形成に及ぼす影響:キャスパーズ・テユーターズ 2016 渡辺良訳)
このような無感情、ゼロプロセスからの回復はどのようになされるのだろうか。この子は被災した場所を訪ね、少しずつ震災について話しだす。だが大事なのは話される言葉そのものではなく言葉にだそうとするときの思いや感情であるだろう。伝えようとする言葉は、理解されようと発せられるがゆえに自分のなかのもやもやをひとに合わせて標準化というか、薄めて言葉にするからほんものではなくなる。通俗的、紋切り型になりがち。耳を傾けるのは、だから言葉でありながら同時にその背後にある海のようなこころの深さや重さなのだ。
7年目の3・11。テレビは朝から東北各地の復興の様子を映し、そこに生きるひとびとの今の言葉を伝える。貴重な記録だ。番組は全体に明るいレジリエントな色調にいろどられている。元気を出していこうという気分はわかる。だが同時に映像や言葉の背後にある、いまだ届きがたく深い、“海の沈黙”を思わざるを得なかった。
90歳の女性が娘さんと一緒に来院された。約半年前から認知症の投薬をはじめ月一回受診。友人とわたぼうしカフェに来たり、認知症の講義に参加したりして明るい方である。ご自分で「90歳相当の呆けです。仕方ないです。認知症ではないと思います。洗濯、掃除、買い物しています」などとお話をする。ご家族は本人が待合室にでたあと、「本人がいうことは全くちがう。なにもしていない。大事なものは失くすし、ゴミ出しもできない。衣類を後ろ前に着ようとしたり、ちっともよくなっていません」といった情報を伝えてくれる。
外来は混んでいたが、ここは大事なところと思い、認知症について、その中核症状と周辺症状の説明をした。そして中核症状にはその病理的背景(神経細胞脱落、脳萎縮など)があり脳に再生能力はなくそれ故、治療は困難である。つまり治療でもの忘れ自体がよくなることは困難。それを期待すると無理な訓練や不可能なリハビリ目標をたてることになり、本人は追い詰められ徘徊や興奮といった周辺症状を作りだすことになる。治療の目標は従って物忘れを主体とした中核症状はあっても本人のなかの残された機能(即時記憶、遠隔記憶、手続き記憶、感情機能、身体能力など)を生かせるような生活の支援をすること。そのことで本人が多少でも不安が軽減し生きる意欲につながること、である。
3月1日、認知症サポーター養成講座で、「認知症の基礎知識と治療」と題して講演したが、その大事なポイントのひとつが上記のご家族に話したことである。
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