臨床余録
2018年12月30日
culmination

 今年読んで特に印象に残った本の1冊である。

『死を生きた人びと』(小堀鷗一郎)
〈訪問診療医と355人の患者〉というサブタイトルがある。

 病院の外科医であった小堀医師が在宅医療に関わることになる。関わった患者の事例それぞれが特別なものとは言えないのにそれぞれがユニークな輝きを放っている。なぜだろうか。恐らくそれは小堀医師の各患者に対するまなざしが平凡ではないからであろう。1例1例から何らかの学びを引き出し、メッセージを取り出す。その手際に惹きつけられる。事例を紹介するのに決してemotionalになることがない。文章に感情語が避けられている。 
 例をあげてみる。
 事例16「医師は治癒・延命を何よりも重んずる」というタイトルが付いている。
 重度の間質性肺炎で入院中の患者。俳句の趣味がある。看護師に「こんなところにいるくらいなら死んだほうがましだ」と話す。退院は無理とする病棟医の反対を押し切って退院させた患者を初回訪問し「帰れてよかったね」と語りかけるが、患者は小堀医師が持参した俳句に関するエッセイの拡大コピーを食い入るように読んで返事をしない。翌日訪問看護師に歯を磨いてもらいながら「嬉しい」を連発。その日の午後、家族が買い物から帰ると呼吸をしていなかった。それからしばらくの間、小堀医師は病棟主治医から冷たい視線を浴びることになる。
 ここで僕が注目するのは医師が患者の好きな俳句に関する文章を持参したというそのさりげない配慮である。こういう医師を僕は信頼する。
 しかし、なかには、患者の死をうまく受け入れられない家族がうつに陥る事例があり、その記載が客観的、傍観者的すぎやしないかと思わせるものもある。

 「2025年問題への最も効果的な対応策は、かかりつけ医、すなわちホームドクターを持つことに尽きる。」という考えに僕は同意する。但し、かかりつけ医がその役割に自覚的であるという条件が必要であろう。
 さいごに、小堀医師はその医療の目指すところを“culmination”という言葉を使って説明している。
「最高点、頂点、最高潮、全盛」といった意味である。
 僕なりに考えると、そのひとをつないでいる糸。別の言い方をすると、その人生を生かしめているそのひとらしさということになるであろうか。それを在宅患者のなかに見出せるかどうかが医療の質を決めると思う。



2018年12月16日
何のための担当者会議

 長く訪問診療しているひとり暮らしの高齢女性のことである。12月某日、友人からの手紙やその友人が作る来年の手製のカレンダーをみせてくれる。この1年に訪れた場所の花や樹の風景の写真がひと月ごとに貼られていて楽しい。彼女はひとりだけれど独りではない。こうして彼女のこころの貯金は絶えず補われているので豊かである。

 その彼女が顔を少し曇らせて「先生、聞いてくれますか」と話しはじめる。
 先日、初めてケアマネ、訪問看護師、ヘルパー、杖を借りている会社の人たち大勢が彼女の家に集まって会をもった。彼女の最近のからだの具合に話題が集中した。鼻血をよく出すことに触れられて、いやだなと感じた。皆に取り囲まれて何故そんなことを話すのかしらと思った。次に、ヘルパーさんが最近彼女のパットを片付けようとして凄く重かったということを言ったので彼女はびっくりした。重くなったパットを巡って皆が意見を交わした。何故そんなことまで皆に知られなくてはいけないのか。何もかも知られなくてはいけないのか。他の老人と彼女はちがうといった話もしている。そんなこと言ってほしくない。皆ちがうのは当たり前なのに。ひたすらこの集まりが早く終わるのを彼女は願った。そして、皆が帰ったあとひとりになり涙が滲んできたのだという。

 ケアマネジャーが招集した担当者会議が行われたのだろう。彼女に対するケアはどうあるべきか、各部門から意見を出し合う。ここに落とし穴がある。彼女から僕は担当医でありながら色々なことを教わってきた。そして、今彼女が述べたこともそうだ。僕はショックを受ける。彼女の凛とした顔をみつめる。僕が何気なくやりすごしてきた点について彼女は語っている。それは、まさに人間には品位というものが備わっていること、人間には動物にはない人間としての尊厳というものがあるということだ。それはどんなに年をとって身体は駄目になっても、認知症になっても、失われることはない。そのことを考えることなく介護に携わるとき、その行為は介護ではなくhumiliatingな(屈辱を与える)ものとなり得る。そのことを彼女は言っている。
 一生懸命会議をやりながら、残念ながら誰ひとりとして彼女が今どう感じ、なにを考えているのかに思いを馳せていない。つまり彼女と人間的なつながりを持たないまま義務的に会議を遂行しているだけだ。一番大事なことを忘れたまま、介護や看護の仕事が行われている。彼女が、本当に大切なことは何かを教えてくれている。



2018年12月9日
認知症フレンドリー社会とは

 『認知症フレンドリー社会』(徳田雄人)を読んだ。ATMコーナーで立ち往生する人の話が初めにでてくる。この高齢者は普段の生活では自立しているのだが、ATMの前に来ると手順がわからない。
 やがて85歳以上で2人に1人が認知症になる。予防にばかり目を向けていざ自分が認知症になったときのことを何も考えていない現状への警告。長生きすればするほど認知症になる確率は高くなる。認知症フレンドリー社会とは「認知症があっても、日常生活や社会生活が不自由なく送れるような地域や社会」のことである。社会の側が認知症のひとに対応できるようにアップデートする必要がある。

 認知症フレンドリー社会に対して現在は認知症対処社会である。それは例えば、夕方娘の帰りを待ちきれず外に出て迷子になる認知症のひとを家から出さないようにするような社会の在り方である。それに対してフレンドリー社会では近所の方がその人の不安を鎮めるように一緒に外で娘を待ってくれる。
 認知症のひとの取材からみえてきたこと、認知症のひとを生かすものは従来言われているような、専門医とのつながり、症状の進行を抑制すると言われる薬、介護情報といったものではなかった。認知症の人や家族の暮らしの質や幸福には、趣味の会やスポーツクラブの人びととのつながりの方が大事なのであった。また、認知症の症状が同じ程度であっても、住む地域や環境によって、暮らしの質が全く違うということもわかった。認知症の人の暮らしの質は、症状の軽い重いではなく、周囲の人や環境の側が、認知症に伴って起こることをどのようにうけとめているかによっている。

 認知症の課題は医療モデルからケアモデルへ移行し、現在はコミュニティモデルへと移行している。
 英国の認知症アクション連盟(プリマス):認知症の人や家族の暮らしを考えるとき、生活に関わる産業や組織がそれぞれできることを行う。例:交通、金融機関、図書館など。バスの運転手のヘルプカード、スーパーでの対応の仕方などそれぞれが考えて目標を設定し翌年に確認する。日本では大牟田の認知症SOSネットワーク、富士宮市の認知症当事者参加施策、町田市のアイステートメント、Dカフェなど。
 「認知症であっても、まちへ出て、買い物や移動などの場面で、商品サービスを普通に利用できる状況があれば、認知症の人とそうでない人がまざっていく社会になるのではないかと思います。町のあちらこちらで、日常的に認知症の人が他の人と接触し、話をしたり、意見を交わしていれば、わざわざ研修会をしたり、ニーズ調査を全国でしたりする必要もなくなるかもしれません。」

 以上がこの本の概要。
 人との会話の中の意味や価値、役に立つ話や情報などに僕らはとらわれ過ぎてはいないか。有益な事や役に立つ情報社会から少し離れて、認知症の人の世界に入り、じっと耳を傾ける余裕を失っている。認知症の人とまじって生きていく想像力を持てないでいる。
 先日診た認知症の女性、夜になると家を抜け出し、パジャマのまま近くのスナックにいってしまう、と家族の話。それを聴いて僕はそれは困りますねと考え込む。しかし、この本を読んだ今思うのは彼女を家の中に閉じ込めるのではなく必要なのは、パジャマの彼女をさりげなく受け止め一緒にスナックに行きカラオケを歌う、そんな優しさなのだということである。
 丁度、西区で「お店版 認知症ガイド」が作られたところ。「お店で働くあなたへのお願い」として高齢者や認知症の人がお店に来たときの接し方が当事者の立場に立って書かれている。先日のNHK首都圏ニュースであけぼの会の竹下さんがコンビニなどに配布してお願いしている様子が放映された。
また讀賣新聞には記事として載ったらしい。西区が“認知症フレンドリー地域”となっていくとしたら嬉しい。


2018年12月2日
ばあばの家に招かれて

 NPOたすけあいぐっぴいの中村久子さんから20周年記念講演を頼まれた。
 ぐっぴいは西区で介護事業を展開するワーカーズコレクテイヴグループ。西戸部にある「ばあばの家」は地域の支え合いサロンで、人びとに親しまれている。僕の母校である一本松小学校のすぐそば、学童期遊び回った地域で往診でも毎日のように近くを通るが、そこに入るのは初めてである。

 〈さいごまで自分らしく生きる〉というタイトルで話をした。自分らしくという言葉はあちこちで聞くが、あらためて自分らしさって何だろうというところから話をおこした。ひとそれぞれに皆その人らしさを持っているがその人らしさって何だろう。そもそも自分とは何だろう。一人の中に色々な自分がいる。場面や相手によって自然に使いわけている。ところで、人は皆ひとりひとりちがう人生を生きている。人は皆自分の人生という物語を生きている。人は皆自分の人生という物語の主人公である。その物語の主人公を生きる生き方の中にその人らしさはあるのではないか。寝たきりになってもさいごまでそのひとらしさを生きた68歳のALS男性患者の事例を紹介した。彼の自分らしさは自立ではなく自律に由来し、それは尊厳とリスペクトに関係した。
 以上がイントロダクション。
 ついで、西区の高齢支援課平野さんが中心になって作った「西区在宅療養ガイド パート2」に沿って話した。このガイドのよいところは人の高齢期を〈元気なうちから〉〈身の回りのことが大変になってきたら〉〈人生の最終章を迎えたら〉の3つに分け、それぞれのステージで考えること、やるべきことが書かれていることである。まず〈元気なうちから〉しておいた方がよいこととして、僕の造語
①こころの貯金 ②からだの貯金 ③社会参加の貯金の3つをあげ、それぞれにつき考えを述べた。
 老いること(エイジング)につき、日野原重明先生のクリエイテイヴエイジングの紹介、僕の恩師である本多虔夫先生のハッピーエイジングの考え方、そして先生の晩年(本多先生らしさに貫かれた生涯)を辿り、そのリビングウィルを紹介した。僕の考えるヘルシーエイジングについて、そもそも健康とは何か、考え方を掘り起こした。
 ついで〈身の回りのことが大変になってきたら〉するべきこと、医療と介護の具体的な連携の仕方について、病院とかかりつけ医の役割の違いを事例をあげて説明した。
 さいごに〈人生の最終章を迎えたら〉考えるべきこととして在宅診療、看取り、アドバンスケアプラン(ACP)の意味と仕方について、6事例をあげながら話した。はじめから在宅看取りありきではなく、在宅診療を重ねるうちに患者や家族と医師との信頼関係がはぐくまれ、それが在宅の看取りにつながること、ACPはその信頼関係の存在が前提であり、それがないところで終末期医療の場所や延命治療の可否の話し合いはするべきではないことなどを話した。
 〈まとめ〉として、“自分らしく生きる”とは、その人生の物語の中の自分を生きるということ。その生き方の中に“その人らしさ”は出る。介護の側からみると、“その人らしさ”をみつけることがケアの質を高めることになる。
 〈元気なうちから〉やっておくべきことは、ヘルシーエイジングを迎えるための3つの貯金:
①こころの貯金 ②からだの貯金 ③社会参加の貯金。
 〈身の回りのことが大変になってきたら〉考えることは、かかりつけ医とケアマネと良い関係をもつこと。
 〈人生のさいごは〉、自分らしさの集大成。アドバンスケアプランニングの過程に自分らしさが生かされるようにしたい。

附記:“3つの貯金”の考えは、ERIC LARSON著『ENLIGHTENED AGING』の中の Mental Reserves Physical Reserves Social Reservesによる。




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