臨床余録
2019年1月27日
犬も歩けば

 午後の往診。比較的穏やかな天気なので車ではなく歩いていくことにした。少し時間の余裕があり運動不足解消の意味もある。狭い路地に家が密集している地域である。

 歩き出すとすぐに昨日診た男性に会う。おかげさまでよくなりこうして配達の仕事をしていますと挨拶された。しばらく歩くと、Kさん、毎日必ず歩いていますといっていたが、実際道の上で会い、これからボランテイアの折り紙の会に行くこと、帰りに買い物して帰ることなど立ち話。往診を終え帰り道、昨年在宅で看取った患者Yさんの家の前で奥さんに会う。さいごの在宅介護が大変だっただけにどうしているか心配していた。思いのほか元気に過ごしているのがわかり安心する。

 ひとりの患者さんの往診に歩いて行った今日、3人の方に会い、それぞれ有益な会話をすることができた。車で往診していたら3人ともただ通り過ぎるだけであっただろう。

 先月、「ばあばの家」(西区の支え合いサロンのひとつ)のミニ講演会で、今できる3つの貯金のうち〈からだの貯金〉について、とにかく歩くことが大事と話した。主にフレイルやサルコペニア予防という意味であった。ところが、今日わかったことは、歩くことは単にからだを鍛えるという意味の他、人に会う機会を増やすという意味がある。そこで話をする、こころが刺激を受ける、地域のつながりに加わる。つまり、歩くという〈からだの貯金〉をすることで、〈こころの貯金〉〈社会参加の貯金〉も同時にしていることになる。

『幸せのマニフェスト―消費社会から関係の豊かな社会へ』(ステファーノ・バルトリーニ)を読むと、車に乗らないことでどれだけ人の生きる関係性が豊かになるか、述べられている。
 
「自動車が我々の生活を支配しなくなり、それに代わる選択肢のある都市では、人びとはより良く生活し、より幸せを感じ、様々な社会関係を積極的に構築する。・・そのようなコミュニテイの中では住民はよく歩き、他者との日常的な相互作用の機会(出会い、会話、趣味の交流)が増える傾向にある。・・隣人と会い、短い会話をしたり、もしくは挨拶を交わしたりするだけでも、信頼は構築され、人や場所とつながっている感覚が生まれる。自動車に乗って孤立している時は、そのようなことは起きない」

 医者も歩けば棒にあたる。但し、ぶつかる棒は災難とは限らない。



2019年1月20日
にぎわしき孤独

 2018年に読んだ小説の1冊。 『おらおらでひとりいぐも』(若竹千佐子)
 これは独り居の老いゆく女性のいわば内省的哲学小説。めくるめく独り言の世界。東北の方言の豊かさがちりばめられている。文句なく面白く考えさせる内容だ。

「あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべがどうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ」
 こんな風にはじまる。
 主人公、桃子さんはひとりでいるとじぶんの心の中から色んな声が聞こえてくる。そして、じぶんの使う東北弁とは、言葉の最古層ではないか、ひとの心には何層にもわたる層がある、地球にあるプレートと同じだと気付く。

「おらが」と呼びかければ手付かずの秘境の心が出て来る、「私が」といえば、着飾った上っ面のおらがでてくる。

 桃子さんは心の中では多弁、しかし現実の人の前では失語症の人のように何も喋れない。
 老いることでやっと素の自分が溢れる出るようになるのを知る。
「穏やかで従順な自分は着込んで慣れた鎧兜、その下に凶暴な獣を一匹飼っていた。そうでなかったかい。獣を腕に包(くる)んでよしよしでもしてやるか。」
「猛々しいものを猛々しいままで認めてやれるなら、老いるという境地もそんなに悪くない。」

 子を育て、夫を見送り、自分が世間から必要とされることもない、きれいさっぱり用済みの人間になった、ならば生きる規範がすっぽり抜けたっていいだろう、そう思いながら、夫の墓参に向かう途次、足をいためて行きまどう、子どもの頃の思い出が夢のように浮かぶ、そして若い女が現われ、謎のように「溶け込みなさい、溶け込むんです」と桃子さんに言う。からだの表面が薄くなりほどけていく感覚、いわば夢幻様状態が美しく描かれる。

 夫周造は惚れぬいだ男、それでも周造の死に一点の喜びがあったとふりかえる。夫は自分を生かすために死んだという声(自分の声であり女の声でもある)を聴く。
「嘆き、怒りの次に桃子さんに現れたのは何ともいえない愉悦であった。 まぶしい、みな光り輝いている。・・」

 最終章、孫のさやかが訪ねてくる場面。それまでの様々な声に翻弄される狂気すれすれの世界から、春の穏やかな景色に連れ戻される。

「おばあちゃん、窓開けるね」
「あ」
「おばあちゃん、来て来て早く」
「はあい」
桃子さんは笑ったままゆっくりと立ち上った。
「今、行くがら待ってでけて」
「春の匂いだよ。早くってば」



2019年1月13日
私は悪いひと?

 理不尽な要求をしてくる患者を前に駄目なものは駄目と言う。それでもやめずに押してくる患者にこちらも負けずに押し返す。そうしないと診療がたちゆかないときがある。患者からみれば我々が理不尽にみえるのかもしれない。大変な努力のすえようやく患者の(どうみても)おかしな要求を退け、ほっとしたときひとりのスタッフが呟く。「なんだか私、悪いひとになったみたい」

  僕も思い出す。ある若い女性のこと。かぜで受診したのだが、ついでに、睡眠薬(ハルシオンとロヒプノールと指定)、腰の痛み止め、湿布、整腸剤、高脂血症の薬を出してください、と言う。他区から引っ越し、今までの医者はだしてくれたから続けて出してと言う。僕は少し驚き、なぜ駄目なんでしょうかと問う彼女に、詳しく説明する気持ちも失せかけている。詳しく診察をして、必要な薬はだす、必要でない薬はあなたが欲しくてもだすわけにはいかない。特に“ついでに”こんなに強い睡眠薬をはじめての人にだすわけにはいかない。知らぬ間に強い口調になっている。そんな自分自身に不快感を抱く。

『方法としての面接』(土居健郎)のなかに、リュムケを引用して「病者によって喚起される内的な構えは極度に鋭敏な試薬である。・・われわれは、分裂病者、躁病者、ヒステリー者、精神病質者、痴呆に陥りつつある者に対するとき、それぞれ全く別人となる。・・・大抵の医師は躁病者に対しては躁的に反応し、精神病質者には精神病質的に、神経症者には神経症的に反応してしまう。」

 冒頭の事例に戻ると、スタッフは悪い人になったわけではない。“悪い人”に対して、“悪い人的”に反応しているだけである。僕の場合も、ぶしつけな人の要求に対して、ぶしつけな人的に反応してしまったのである。

 土居先生は、精神科面接というやや異なる場面での対応について述べているのだが、「不快感情の効用」というパラグラフで、「ただ相手と共ぶれをおこしているだけなら大した意味はない・・新しい発展を期待するためには、面接者が相手との接触によって引き起こされた内心の変化の意味を洞察し、それを認識にまで高めなければならない。」と書いている。

 「認識にまで高める」とは、相手によって引き起こされた自分の不快な感情をみつめることで逆に相手の心の状態を推し測ること、そのことでより客観的に相手の問題を認識できるようになることである。冒頭の2事例でいうと、自分の不快な感情の向こう側に、その患者が社会的に孤立し生活に苦労している現実を透視することであろう。 そのような現実を背景に、“悪い人”は“悪い人”として振る舞わざるを得ない人なのであり、ぶしつけな人とはぶしつけに振る舞わざるを得ない人なのである。



2019年1月6日
スニーカーの用意を

 NEJM JAN 3 2019 “Walking away from conveyor-belt medicine”(ベルトコンベヤー医療から抜け出す)を読む。

 救急外来に地域の病院から、救急治療が必要な70歳の男性を送るというコールが入る。数年前にいれた大動脈装置が場違いなものになっている。大動脈瘤が大きくなり破裂寸前という。救急車が来る。救命のためのレースが始まる。

 コンベアベルトが動き始める。

 送られてきたスキャンを血管外科医と血管放射線科医が評価する。処置は複雑で思ったよりリスクが高い。患者の血管装置にあうものを大至急取り寄せる。high dependency unit(HDU)にベッドを準備する。麻酔科医、救急医、ナースの混成チームが患者を待つ。
 患者が到着し、付き添い医師から簡単な申し送りがあるが、患者自身については殆ど情報がない。しかし、見たところ元気そうにみえる。
 
 十分に手入れされたコンベアベルトはスプーリングしている。

 今までのところすべてうまくいっている、ひとつのことを除いて。それは、患者が奇妙なことを言っていること、彼はストレッチャーから降りて、何か食べたいと言うのだ。軽い驚きが周囲に走ったが、ストレッチャーがHDUに突進するのを止めることはできなかった。種々のモニターが付けられる。看護師はますます落ち着かず動こうとする患者をベッドから降りないように話しかける。「静かにして、お願いだから」、しかし無駄である。患者は腕を振り回し、点滴を抜いてしまう。彼は混乱しており、自分がどこにいるかわからない。
 家族がやって来た、そして彼を坐らしてほしいと頼む。ベッドに座らされた患者はやっと落ち着く。我々は彼を囲み、話を聞いた。彼は優しい父親であり仕事に身を捧げ皆に愛されていたが認知症の症状が出始めた。はじめ彼の妻にケアされていたが、癇癪を爆発させるようになり老人ホームに入った。そこで彼は終日歩いて過ごす。毎朝起きるとスニーカーを履いて歩きはじめる。止まるのは食べるときと夜眠るときだけ。頑なさを知っているワーカーやナースは彼を歩くままにしておく。「彼には歩くことが必要。それが生きるための彼なりのやり方。それが幸福なのです」と家族は言う。
 
 ベルトコンベヤーはスロウダウンする。

 我々は家族と話し、彼にとってのベストの方針を立てることにする。数分前まで明らかであったことがさほど明快ではなくなった。現代医学の底流にある“問題がある”ということと“それを治さなければならない”ということを同等にみる考え方がベルトコンベヤー医療をもたらしていた。それを止めるべきか。それは可能か。誰がその決定に責任をもつのか。
 二つのマントラ(スローガン)がこのハイテク医学時代を支配している:“患者の安全のために行動せよ”そして“できることはすべて行え”である。はじめの指示からいえば、行動しないことは患者を極度の危険に曝すことになる。あとの指示に従えば、利用可能なすべての技術的解決法を使わなければならない。 しかし、もし“安全”が患者のプライオリティー(最優先事項)でなかったとしたら?
 そして我々の技術的解決法が患者に益ではなくより多く害を与えるものだったら?
 我々は情報をつなぎ合わせ、プラスとマイナスを比べる。一方に、大動脈の破裂、引き続く死。他方に、機能の改善と自然の経過。さらに、患者は治療介入により歩けなくなるリスクがある。そして何より、彼が何を望んでいるかを尋ねることがむつかしいという点を無視することはできない。
 これらすべてが麻痺的不確かさへと我々を導く。殆どの場合、不確かさは、一種の内臓的自動運動(visceral automatism)に駆動されるが如く、上記の二つのマントラを完璧に満たすべく、我々をコンベアベルトを回す方向へと駆り立てる。
 このケースでは、患者にとって何がベストの選択なのか、全てのマントラはさておき、解決をさぐる。

 コンベアベルトは動きを止める。

 医者と家族は話し合い、患者の安全は諦め、血管修復のためのすべてのハイテク治療は控えることに同意した。
 我々は自分たちのレースは中止し、患者自身のそれを再スタートさせた。

 “これから彼のために我々は何をしたらいいのだろう?”
 “スニーカー”と一人が呟く。“我々は彼にスニーカーを用意しなければならない”
 6ヶ月後、彼はまだ生きている。自分の中で何が起きているか気にすることもなく日々のルーチンを過ごしている。例のスニーカーを履き、ノンストップのウォーキングを楽しんでいる。

 彼は逃げてしまった、しかしコンベアベルトは回り続ける。

以上が抄訳。
超高齢社会とハイテク医療。現代の問題を象徴するエッセイである。適度なユーモアと皮肉が味付けされて読みやすい。2019年のはじめ、世界的医学雑誌に、こうした文章が載る意味を考える。筆者はイタリアの救急医。この問題は、例えば、アトウール・ガワンデが『死すべきさだめ』の中で書いているし、小堀鷗一郎が『死を生きた人びと』の中で触れている。僕の在宅医療の現場でも毎日のようにぶつかっている問題である。世界の医療現場とつながっている感覚にencourageされる。



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