臨床余録
2017年 7月 30日  介護を考えなおす

 本多虔夫記念高齢生活研究室による加藤忠相氏の講演「住みなれた地域で行きて逝く高齢者たち」を聴いた。
 介護というものをまず介護保険法の理念から考えていく。介護保険法第2条二項には『保険給付は、要介護状態等の軽減または悪化の防止に資するように行われる』と書かれ、同四項には『能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように配慮されなければならない』と書かれている。
 要するに、介護保険が使われるならそれは要介護状態がよくなるか、悪化が防止されなければならない、そしてよくなるという意味はより自立した生活が営めるということである。これに対して、今普通の施設で行われている介護は「療養上の世話」であり、施設のマニュアルやルールに従うことであるが、それは自立支援とはほど遠く、支配に近い。
 また、デイサービスの介護を考えてみる。そこで何がおこなわれているか、朝から夕方まで車椅子に5時間も6時間も坐らされて(普通のひとならこんな苦痛に耐えられないだろう)決められた体操や折り紙、遊びをやらされて、これがどのように介護保険の目標である自立した生活にむすびつくのだろうか。つまり、これは介護ではない。
 このような切り口から、彼の小規模多機能型施設での介護実践報告が展開されてゆく。その語り口はやわらかくわかりやすくダイナミックで、ひきこまれていかざるを得ない。
 うまくいったという成功事例とは彼の場合さいごまでそのひとを支えられたということである。認知症で膵臓癌の老人の場合、終末期にスタッフと温泉にいく、施設で行われるスタッフの結婚式に大事な役割をする、そして死を迎える。
 普通なら終末期は医療や看護の領域として介護スタッフは背景にひくことが多いが、ひとりの人間の一生に関わるうえで仕事が分断されるおかしさを説く。考えてみれば死は病気ではない、医療だけが診ることができるのはおかしい。死はすべての人間の共通の課題だ。ということで彼の施設では看取りも積極的に行う。訪問看護や往診があれば可能だ。
 訪問介護でスタッフが、そのひとの部屋の掃除をきっちりと終えたと報告する場合、長である加藤さんはそれを全く評価しない。なぜか。それは介護のプロがする仕事ではないから。介護のプロは掃除屋ではない。掃除をしてあげるのではなく、どうしたらそのひとが掃除ができるようになるか、環境を変えるとか意欲を引き出すといった「自立支援」をしないといけない。こうすると掃除できますよ、とか一緒に掃除してみましょうかといったアプローチをしなければならない。
 そして大事なことは、そのひとをほんとうに支援するにはそのひとがどういうひとか、何をしていたのかを知らなければならないということ。それをヒントに支援の方法を考えていく。
 介護の最終ゴールはそのひととの関係にあるということ。この辺にもありきたりの介護と彼の介護の違いがあるのだと思う。
 インパクトのある講演だった。

2017年 7月 23日  しっかり生きなさい

劉暁波(リウシアオポー)氏が7月13日死去した。反権力をつらぬき、それゆえの早すぎる死ともいえる。息を引き取る間際、劉氏は妻にひとことだけ「あなたはしっかり生きなさい」と話したという。胸を衝かれることばだ。しっかり生きなさい。彼の妻へのことばなのだが、これはいま世界に生きているすべてのひとにむけて発せられたことばだ。僕のこころの深い井戸に投げ込まれたひとつの石だ。しっかり生きよ。

日野原重明氏が7月18日他界された。その前日、日野原先生の同志ともいうべき故本多虔夫先生記念の講演会がありそこで奥様から本多先生の座右の書『WILLIAM OSLER A Life in Medicine』をいただいた。「整理していて捨てるのはどうかと思い、先生と久子先生なら読んで頂けるかと思って持ってきました」と言われる。OSLERは日野原先生の師である。偶然と必然のないまぜをおもう。ふたりの先輩医師からしっかり、そして善く生きなさい、という言葉がとどく。

2017年 7月 16日  きっと深い人生を

「柳田邦男 専門家連続インタビュー 認知症の常識が変わった」と題する特集記事「文藝春秋」を読んだ。

「アルツハイマー病は確実に治せる」および「本当に効く予防食品はこれだ」このふたつのタイトルでふたりの先端科学者の仕事の内容が出ている。正直にいうとがっかりである。文章を読むとどちらも研究途上、「確実に治せる」「予防食品はこれ」などととても言えないことがわかる。結論は出ていないのにこんな読者を驚かせるようなタイトルをだして科学者としてどうなのだろうか。対談の相手、柳田さんの話も精彩を欠く。その点、このふたりのあとに登場する高見さんは長年認知症の人と家族の会をひっぱってきたひとだけに言葉が重い。

「できれば認知症にならない方がいいですし、認知症の人の介護など経験しないほうがいい。私だって当然そう思います。しかし、もし認知症に巡り会ったなら、その経験は必ず自分の人生にプラスにすることができる。以前よりもきっと深い人生を送れるようになる。だから、私は認知症介護の経験を、悲しいだけのこと、嫌なだけのことと決めつける考えは間違っていると思います。「家族の会」は、これからも地道にそのことを伝え続けていくつもりです。」(高見国生)(文藝春秋 2017 8)

晩年の父を思い出す。一日、椅子に坐ってうとうとしていた。スーパーの新聞広告を何度も何度も眺めて果物や菓子に印をつけ、それをヘルパーさんに注文していた。デイサービスやリハビリ、訪問入浴などをすすめても頑として動かなかった。ときどき倒れて起き上がれなくなる。そんな父の手をひいてよく歩いた。臨港公園を車椅子で行ったときのこと、言葉はなくいつまでも海の彼方をみつめていた姿がまなうらに浮かぶ。やがて出て来る皮膚のトラブル、トイレの失敗。その介護の日々は今ふりかえると、(これはいつまで続くのかな、と思うときもあったのだが)なんと豊かな時間だったのだろう。だめになっていく父をみながら、僕は父のことをよりよく知っていったといえる。これが僕の父親なんだと何度も思いを重ねていく。なにもできないこどものような父をいとおしむ。得難い体験だ。小さく枯れていく父をケアしながら、そのような父を受けいれていくじぶんを僕は再発見していた。

2017年 7月 9日  クレド

“崇高な理念看板美辞麗句病院内情実態乖離” 飯田明

神奈川県医師会報の歌壇に投稿された短歌である。大きい病院の入り口をはいるとたいてい壁に病院の守るべき理念が掲げられている。高邁な理想が述べられているけれども、診療の中身をふりかえると実際とはかけ離れているのではないか。その実情を皮肉った一首である。

病院とは違いここは小さな診療所である。その日々の実践を支える指針のようなものを考えてみる。理念というより信条と言ったほうがよいだろう。

渡邊醫院(わたしたち)の信条(クレド)
私たちは 医療に 携わる者として
人びとの 苦しみに 耳を傾け
いたみを やわらげることに
つとめ そして かけがえのない
いのちを 生きる 一人ひとりの
“今”を 応援します

やや面映ゆいが、ときにふりかえるとこの言葉がじぶんを律してくれていることに気づく。医師だけの信条ではなく、醫院の、すなわちスタッフひとりひとりの目標であってほしい。まず耳を傾けること、そして単に薬を処方し、ありきたりの言葉をかけるのではなく、その生きる背景にまで思いを馳せ、広く痛みを和らげることをめざし、未来ではなく今を、治すのではなく、生きることを応援する、というところに主眼がある。醫院の存在が多少でも安らぎをもたらすものであってくれたらうれしい。この冷えびえとした暗い社会のなか、ぬくもりのある小さな灯(ともし)のような場所があってもよいだろう。そんな思いである。

2017年 7月 2日  Presence

アーサー・クラインマンの現役さいごのエッセイがThe lancet June 24 2017 The art of medicineに載っている。 タイトルは“Presence” 以下読んでみた。

私は50年前スタンフォード医学校を卒業した、そして今年、失うことの悲しみの感覚とともに、私の医師免許を返上し、臨床医としての仕事を公式に閉じた。臨床医、教師、指導医、研究者そしてfamily caregiverとしての私の経験をふりかえり、生き生きとよみがえるのは私のpresenceの記憶である。Presenceという言葉で私はもうひとりの人間との交流の強さを意味している、それはそのひとのためにそしてそのひとと共にそこに在るということにいのちを注ぎ込む。Presenceとは前方の他者の方に呼ばれることあるいは他者の方に歩み出すということである。それはactiveなものである。それは誰かの目をみつめること、あなたの手を連帯の意味で彼らの腕に置くこと、そして直接彼らに真性な感情をもって話しかけることである。Presenceは集中して聴くことで造られ、そのひとそしてそのストーリーが大事であると示すこと、そして注意深くあなたが理解されるように説明することである。それは身体的診察にも息を吹き込み、単なるポジショニングや触診や聴診などが機械的にではなく生き生きとなされるようになる。相互に交流し、診察し、治療するそのすべての流儀がまとまってとらえられるときそれがcaregiving(ケアすること)と定義づけられる。
 アメリカの有名な社会学者Irving Goffmanの使ったco-presenceという言葉はより想像力をかきたてる、なぜならpresenceは臨床医と患者そして家族介護者とケアを受ける者との双方から生命力(vitality)を引き出す人と人の間のプロセスだからである。それは彼らの感情の中でと同じように彼らの間の空間で生じる。Presenceは内側から引き出される。それはごく普通のものだが歓喜をもたらすものでもある。その経験は主だった人の間で共鳴をもたらす。私はここに居る。私は用意できている。この場合、証言する用意、苦しみに対応する用意があるということである。私はここにあなたのために居る。
 中国人は私がpresenceと呼んでいるものを大人では元気で陽気なものとして子どもでは輝かしいものとして特徴づける。伝統的な漢方薬剤師はそれを増強された生気とし健康とバイタリテイを示すものとみる。結婚仲介人や教師はそれを幸運や優れた生徒の徴候として探し求める。庶民はそれを社会的ネットワークや友情を元気づけるものと信じている。
 介護者の側からみると、ゴヤの画は医者に支えられ一杯の水を与えられる患者を描き、その蒼白で衰弱した状態に医者の頑健さが注がれているようにみえる。ケアはここでは再び生気を与えるものとして描かれている。Presenceは医学の歴史のゴミ箱から魔法でバイタリテイをよみがえらせる。
 私たちはそのabsenceによってpresenceを知る。健康保険プログラム代表者の電話での、かろうじて耳を傾けている官僚的無関心さ、そしてあなたにあなたの質問は彼らには重要ではないと思わせるそこにいる誰か、そうしなければいけないのでその動作のなかをただ通り過ぎていく。リエゾン精神医学コンサルテーションや総合的健康に関する仕事で私は医者、看護師そして家族でさえも患者や私に対してこの機械的な気の抜けた態度、ときに軽蔑的な、あたかも自動操縦装置のように上から見下ろしそこに人間がいないかのように振る舞う。この態度はbureaucratic caregiving(官僚的ケアのありかた)と定義づけられよう、フレイルで認知症のある高齢者が老人ホームで拘束され抗精神病薬を投与されるときに経験するケアである。そのような治療は、あなた自身はどうでもよい、施設が問題なのだというメッセージを伝える。グローバルヘルスにおいても我々はpresenceを、そして質の高いケアの他の側面を、ケアへのアクセスと同じように本質的なことと価値づけているだろうか。
 Presenceそして absenceは専門的な施設でのセッテイングに限られるものではない。家族介護者も、生命を与えられたりあるいは死んだも同然のケアに似た結末でこれらの状態を経験している。病院やクリニックと同じように、毎日の家族の生活のなかでひとのpresenceはひとつのmoral act、つまり我々にとって大事な他者の必要に応える責任のある行為である。そのような関係性のなかで、presenceは友情を活気づけ、親密さをより深い絆にする、そして病気のひとや元気を失った家族に生気を与える。感情がお互いにやりとりされるような関係のなかでは、当事者のつぎに介護者が頑張れるようにエネルギーを与えられ、大きなトラブルのなかでも魔法のように勇気づけられる。あなたの介護は決定的に重要であるだけにあなたは持ちこたえなければならない、そしてあなたはそれができる。
 じぶんのケアにおけるpresenceを想像することはあまりない。しかし内的修復を活気づけ、自身をケアすることを鼓舞する生き生きとした力のそもそもの欠如は退廃あるいは敗北を意味するのだろうか。抑うつはpresenceを削減あるいは除去する。逆に、我々は自身に生命をあたえることもできる。それが意識の外で行われるとき、多分それは神秘的なプラセーボ反応である。そして、我々は自身の内にある生き生きとしたものを意識的に作り出すとき、エネルギー、希望、健康を増進する行動を働かせることができる。
 それこそが、臨床医が長期にわたるその困難な仕事を維持するpresenceの繰り返される経験であると私は個人的に信じる。そしてこれは恐らくburnoutを防ぐあるいは克服する役割を果たしている。しかし、ここにはより大きな何かがある。Presenceの実践は仕事のなかに儀式化され、生活のなかに埋め込まれる、それは空虚なジェスチャーではなく、アメリカの偉大な心理学者で哲学者のWilliam Jamesが考えたように習慣というものがルーチンのなかに活気と意味を作り出す、そのような仕方においてである。
 ヘルスケアのなかに介護を再建する重い努力は、人間的な質の向上のため医学や看護の学生を選抜するプログラムの上に重ねられなければならない。これは単に学生が患者に対する反応をふりかえったり、臨床事例の討論のためのカリキュラムのなかに機会を作るということ以上のことを意味している。これは若い医師が患者のことばに耳を傾け深く反応しようとすること以上のことを意味している。時間のプレッシャーや仕事の要求がどうあろうと、彼らはその能力、資質、スキルそして自信を持たなければならないということを意味している。そして、医学という領域では多くの若い臨床医が疲労、うつ、不安そしてバーンアウトにとりつかれるということはよく知られている。研修の責任に伴う不確かさや期待が増強し、しばしばけなされたり、脅されたり、あるいは先輩医師にいじめられたり、人手不足の職場で働かせられたり、臨床からはずされたり、じぶんの弱さやさらに精神的に病むというステイグマをよびこむことになる。これらは知識やスキルを期待している人々のために存在する彼らの能力を侵す。新しい世代の臨床家を教え、指導する重い役割が我々にはある。
 病院関連感染症や医療ミスといった患者への害を明らかにするためのヘルスケアにおける質と安全を守る運動は、患者や病院を守るために成文化されるようになった。調査、監査、点数カード、臨床的統括などはすべてリスクをモニターするのに重要な役割を果たす。それに比べ、医師と患者、その生きた価値をめぐる治療的関係で表明されるケアの質を評価することはどちらかというとあいまいでぱっとしない。ケアの質を直接はかるものは、我々はまだそれを手にしてはいないが、主観的現実としてのpresenceや人間関係のプロセスとしてのpresenceを評価するものとなるであろう。システムとしての健康の研究において今やっと認められつつある民族学的、臨床プロセスが必要になるであろう。ケアの質の評価においてなぜこれらのことが健康ケア施設の中心を占めることがないのかをよく知ることは教育的といえるだろう。
 Presenceの感情的、倫理的結果は明らかに経済的行政的義務や価値の現在のヘゲモニーにチャレンジするものである。エビデンスに基づいた医学の考え方はケアの質を過小評価し、臨床経験の知恵や治癒のアートを覆い隠す。事態のこの悲しい有り様には十分論理的で科学的な理由はない。それは政治と計画的いじめ、そして医学のアートのなかの最も人間的なものに対する官僚的な敵意の結果である。しかし医者がそれを許したのである。我々は、ベストを尽くし患者や家族が欲するものを擁護することができなかった。歴史は、この時代にケアというものが消滅していく医学の専門性の共謀をあやまたず記憶するだろう。Presenceに集団的に背を向けるのは、アルゴリズム的医学の不誠実な実践が患者や医師の悲哀をよそにヘルスケアを支配する一つの例にすぎない。それでもケアリングな医師は少なくない。若いケアリングな医師は彼らのpresenceの実践を深めるように励まされなければならない。
 そして、そう、私は半世紀に及ぶ臨床の仕事に別れを告げる。臨床医であることが根深い人格の欠損から私を救ってくれた。臨床は人間であることの偉大な学びを与えてくれた。それは私の生の経験を豊かにし、深めてくれた。とりわけ、それはひとにそして私自身に対して私をそこに在らしめてくれた。

 And so I say goodbye to a half century clinical work. Being a clinician liberated me from inveterate personality faults. It taught me a great lesson in humanity. It has enriched and deepened my life experience. Not least it made me more present to others and to myself.

Arthur Kleinman

 さいごのパラグラフは原文を載せた。正しく読み取れているのか自信がない。そもそもタイトルのpresenceがむつかしい。この含蓄のある言葉のまえに立ち往生する。哲学的な意味では現前、現存、実存などだが、臨床医としては恐らくhumanity, caring, respect, reciprocity(互恵性), empathy, valueなどの意味をこめたのではないかと考える。あえて文中では日本語をあてずpresenceのままとした。恐らく彼の50年の医師生活のエッセンスがこの言葉にこめられている。味わうべき言葉である。

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