臨床余録
2017年 5月 28日  男たちーその1

 その男性は独り暮らし、ある夕方、外で倒れて動けないので通行人が救急車を呼んだ。しかし病院には絶対行かないと救急隊を追い返してしまう。何とかアパートの自室に戻ったところを区の担当が訪ねた。動けないだけでなく言っていることがおかしいので診てほしいと連絡があった。看護師とふたりで診にいく。古いアパートの一室、薄暗い明かりのなか、衣類や食べ物、古い鍋やコンロなどが床にころがり、足の踏み場もない。ズボンは濡れ失禁している。意識は少しもうろうとしていて、やっと立たせて着替え。ぼんやりした表情。歳をきくと「300年生きてきた。50年間食事していないし眠っていない、皆からまだ生きているのかと言われる」といったようなことを脈絡なく話す。幸い骨折や局所的麻痺はない。介護保険を申請し、高齢福祉課とケアマネージャーに本人の同意を得ながらまず生活の整備と支援をお願いすることにした。診察を終え、いったいどういうひとなんだろう、何の病気だろうと看護師と話しながら帰ったのだが、彼女は「でもとっても面白いひと、お友達になれそう」と笑う。こういう看護師がそばにいて、こういう「面白いひと」を往診できる幸福を思った。
 毎週往診した。診察拒否はない。部屋が掃除され介護ベッドが入り、少しずつ人間的な環境が整う。支給された食事をとり、意識ははっきりとしておりきちんと応対できる。多弁で、話す内容は相変わらず「警察にいけば一千万円すぐもらえるよ」など荒唐無稽。それでも往診の日は清潔な衣服に着替えて待っていてくれることもある。先日は近くの公園でひとりベンチにすわりタバコを吸っているのをみかけた。まわりには誰もおらず彼の孤独をみたように思った。
 現実とはかみ合わない世界で暮らしている彼だが、生活を介護によって支援し、定期的訪問診療による医療的見守りをし、アパートの一室でのじぶんの居場所が確保されていけば生きていけると思う。大事なのは彼の世界を否定せず認めること。生活史を聴くと(それも脈絡を追うのに苦労するのだが)おのずから彼に対するリスペクトが僕のなかに生まれてくる。

2017年 5月 21日  不確かさに耐える

 Tolerating Uncertainty-The Next Medical Revolution?:不確かさに耐えること、それこそが来るべき医学の新しさなのではないか、という N ENG J MED Nov3 2016 のエッセイ。BECOMING A PHYSICIANというシリーズで医学生ないしは若い医師向けだが、僕のような老医にも内容はいつも示唆的。医師としての初心を忘れないためにも(脳と心のアンチエイジングのためにも)読んでいる。

“咄嗟にわたしのこころを撃ったのは、どのような生の質が偉大な人間をつくるのかということ、・・・それは事実や理屈をいらいらと追い求めるのではなく、不確かさや不可解さ、あるいは疑わしさといったものと一緒に生きていくことができることである”―ジョン・キーツ 1817年

 医師で詩人でもあったキーツのこれらの言葉は、我々に人間が不確かさという黒でも白でもないグレイの濃淡の世界を生きていることを思い出させる。確かさの追求は、人間の心理学の中心課題ではあるが、それは正しく導くこともあるし間違うこともある。
 科学者は不確かさが存在する場合を理屈の上ではわかっているが、医学の文化はそれを認めたがらない。
 しばしば我々は患者のグレイの濃淡の物語をきちんとカテゴリー化されラベルの貼られた黒白の診断に変換しようとする。その意図しない結果はこうであるー正しい答を得ることにとらわれ、反復したり進化したりする臨床推論を過度に単純化するというリスクをおかす、それは個に添う人間的な患者中心ケアとは反対のものになる。
 不確かさを認め受け入れるようにすることは我々医師にとって、患者にとって、そしてヘルスケアシステム全体にとって極めて重要なことだ。そのような革命が起こりさえすれば我々は来るべき医学の時代を生き残ることができるだろう。
 今日の医学では、広く不確かさは意識的、無意識的に抑圧され無視されている。その抑圧は、不確実であることが我々の中に脆弱性を、先に何が待っているかわからない恐れを注ぎ込むという直観的センスをもたらす。それは落ち着かない感覚を生み、グレイの濃淡を逃れ、黒白の世界を欲するようにしむける。我々のプロトコールとチェックリストは黒白の側面を強調する。医師はしばしば不確かさを表明することによって、無知が患者や同僚に明らかになるのを恐れる。そこで内側に隠す。我々はまだ、みかけ上の安全をもたらそうとする合理的伝統に強く影響されている。
 医師は不完全なデータや少ない知識によって決めなければならいことが多く、それは診断的不確実性を生じ、患者の予想外の反応を引き起こす。プロフェッショナルとして生き延びるための大切な要素は不確かさへの耐性、そして未知への好奇心であろう。
 確かさへの要求と不確かさの現実の間の葛藤によって非常な緊張が創られている。不確かさへの医者の不適応は仕事に関連するストレスをもたらす。医者が不確かさを受け入れることができないことは患者に有害な影響を与える、過剰な検査による疑陽性のリスク、医原性疾患そして患者からの情報を差し控えることである。さらに、確かさの感覚を早く得ようとすると、決定へのプロセスを早く終わらせてしまうリスクが生じる、そして我々の隠された仮定や無意識のバイアスをもたらし、診断的エラーを伴う。
 不確かさに耐えることが今ほど必要とされることはない。テクノロジーの発達はめざましく、ボタンひとつで夥しいサービスや製品にアクセスできる。デジタルネイテイヴである現代の医学生は構造、効率、予測性を求め、“正しい答”を知ることに執着し、それが得られないと満足できない。こうした態度は、不確かさを脅威と受け止める可能性を高める。オンラインで情報にアクセスする度合いが増えるにつれて医学生は医学のグレイの濃淡の世界つまり患者のベッドサイドで過ごす時間がより少なくなり、直接的で特有な現実よりも整理された一般的な情報を吸収しようとしてスクリーンの前に坐ることにより多くの時間を費やす。彼らのオンラインの経験は確かさというものが簡単に手に入る黒白の世界の感覚を強化する、それは21世紀の医学を生き延びるために必要なパースペクティブとは対立するものである。
 不確かさへの耐性を涵養すること。我々のカリキュラムは一つ以上の正しい答のある可能性、患者の価値観への配慮といった点を強調する方向へ修正されなければならない。教育者は、“what”と問うのでなく“how”“why”と問うてもよいだろう、そうすることで人の健康や病をグレイの濃淡により捉える考え方を提示し、健康や病がきれいに範疇化できるものではないこと、不確かさとともに心地よく居ることができること、確かさというものが必ずしも最終目標ではないと認めることを学生たちに促すのである。
 診断とはダイナミックなものであり、展開するものであり、複数の変化するパースペクティブを説明する反復過程なのである。我々は“diagnoses”というより“hypotheses”について語ってもよいだろう、それにより患者や医者の期待を変化させ、文化におけるシフトを容易にする。このシフトには患者と直接不確かさについて話し合うこと、病のナラティブ、診断的感受性と特異性、治療結果の予測困難性などが含まれる。科学的不確かさについて、患者が方針決定に参加する場合、不確かさをリフレイムすることで不安を減らし脅威というより乗り越えるべき課題としてそれをとらえることができるようになる。
 医者としての我々の価値はグレイの濃淡世界に存在する。そこにおいて不確かさとともに生きるように患者をサポートするのである。
 オスラーの格言は言う。“medicine is a science of uncertainty and an art of probability: 医学は不確実性の科学であり蓋然性のアートである”皮肉にも不確実性のみ確かなことである。確実性とは幻想である。

 以上が抄訳である。
 ひとの健康そして病の世界は考えてみればすべてグレイゾーンの中にある。診断や治療も黒か白100%確かということはない。医学は確率の問題ともいわれる。日々の臨床のなかでその不確かさにどう向き合っているだろう。
 患者のベッドサイドに坐り病いの背後の物語に耳を傾ける。それは患者の感情や思考、その生活の困難、人生観や価値観、医師への期待などを知ることでそれを診断や治療に役立てるためだ。ただ、内なる物語を聴けば聴くほど唯一の正しい答からは遠ざかってゆくかもしれない。物語を聴く力(narrative competence)を身につけるにも時間が要る。それに耐えられないと、確かさを求めてネットの情報にアクセスし唯一正しい答を得ようとする。ベッドサイドに坐るのではなくコンピュータースクリーンの前に坐る。そのほうが簡単に確かさが得られるようにみえるからだ。若い医師だけではない、僕のなかにもある陥穽だ。どうしたらよいのか。すべて不確かなら何をたよりに患者の病める世界に向き合えばよいのか。
 不確かなグレイの濃淡世界のなかで生きている患者のナラテイヴに耳を傾けること、そしてもし医者がそこに共感やリスペクトをいだくことができるならば、患者との間にはひとつの信頼関係が築かれ得る。それは不確かさに耐えるちからとなるのではないか。不確かな雲のような医学の世界にあって医者と患者との間に信頼関係という確かな橋をかけるのである。

2017年 5月 14日  じぶんの時間は誰のもの

「医師こそ働き方改革を」という特集が日経メデイカルに載っている。

「聖路加国際病院の医師たちはこれまで、朝6時くらいに出てきて夜は7時、8時くらいまでいるのが当たり前という感覚でやってきたが、 労働基準監督署に時間外労働が長すぎると指摘された。 私自身、「自分の時間は患者のもの」と言う感覚で働いてきたが、そういう価値観を変えざるを得ない状況になって、 すぐに改善策を講じることにした。」(福井次矢)

 この聖路加国際病院院長の言葉にみずからをふりかえり忸怩たる思いに駆られることのない医者がいるだろうか。 “自分の時間は患者のもの”この潔い言葉に驚かされ、そして撃たれる。
 僕の場合、確かに直接患者に接していないときにも絶えず患者のことが気にかかる。 車の運転中も、電車の中でも、宴会の最中でも、外国旅行先のホテルの中でも、気にかかるのはじぶんの患者である。 特にその人生のさいごに直面している患者がいる場合はそうだ。これは健康によくないともいえる。 だからできるだけ仕事以外の時間は患者のことは忘れ、割り切ろうともしてきた。しかし、うまくいかないのである。 患者のことはさておいて生活を楽しもうと思っても楽しめるものではない。さて、どう考えたらよいのか。
 医者であるじぶんの時間はじぶんだけのものではない。 さりとて、聖路加の福井先生のように「じぶんの時間は患者のもの」と断言する勇気はない。それなら、じぶんの時間は誰のものなのか・・・。
 こう書いている夜の更け、在宅患者の家族から僕のケータイに電話がはいる。 ふりかえれば24時間連携の在宅療養支援診療所をひとりでやってきた。それは間違いなく労働基準監督署の基準を越えているだろう。 開業して16年間、ほとんど休んだことがないのだ。
 それにしても、医者の仕事を会社勤務の仕事と同等に考えてよいものだろうか。 例えば、プロのアスリートたちの朝から晩までの猛練習の時間が長時間労働であると規制されることはないだろう。 それと似たことが医者という職業にはつきまとう。だから、1流のプロフェッショナルをめざして早朝から夜まで働いている聖路加国際病院若手医師たちの勤務時間を外側から規制する福井先生の苦渋の決断に同情する。

附記:じぶんのやらなければならない仕事とじぶんがやりたい仕事、このふたつが一致するとき、 それがどんなに苦しい仕事であってもそれは最高の生きがいをもたらすだろう。 それは長時間労働だとかワークライフバランスなどという言葉では括れない生きることの価値や意味に関係しているのである。

2017年 5月 7日  終末期:僕にとってのガイドライン

(今年にはいり、ご自宅で看取る方が続いた。じぶんは一人ひとりをどのように診ているのだろうか。ふりかえってみた)

食べられなくなってきたとき
食事量が減ってきたときケアするひとはとても心配になる。食べないと死んでしまうと。 しかし、食べられないということは、もうからだがそれ以上の食べ物を必要としていないということなのである。 その時、無理に食べさせようとすることはかえって患者を苦しめることになる。 「食べない」のでそのまま見ていると少しずつ食べられることもある。そのひとのからだの状態を尊重して見守ることである。

動けなくなってきたとき
特にトイレに行けなくなったときが一番つらい。じぶんで尿や便の始末ができないということは、ひととしての威厳が損なわれる。 極端にいえば、ひとりでトイレに行けなくなるということは生きている意味がなくなると考えるひともいるだろう。 介護するひとはそのことを承知していなければならない。

痰がのどでごろごろしているとき
寝たきりのひとであればまず横臥位にして痰を口から自然に流れ出るようにする。 口を開けてくれるならガーゼを指に巻いてかきだしてもよい。 よほどひどければ吸引器を使用するが、患者にとって苦痛を伴う処置であることを承知していること。 点滴などで必要以上の水分が入ってないか検討する。

床ずれができそうなとき
体位交換(できれば2~3時間ごと)赤くなった皮膚にフィルムを貼る。褥瘡予防ベッド(エアマット)に変える。

便や尿の処置
動かず力めないので便秘になりやすい。適切な食事や薬でもでない場合は座薬や浣腸を使う。訪問看護師にケアをお願いすることが多い。

皮膚のトラブル
褥瘡以外にも寝たきりになると皮膚のかぶれ、ただれなど(特におむつをせざるを得ない場合)いろいろなトラブルに遭遇する。 特に外陰部などデリケートな部位は尊厳に満ちたケアが必要である。

熱がでたら
熱が出たからといってすぐに薬で下げなければならないということはない。まずはタオルなどでクーリングに努め、水分補給をすればよい。

眠れないとき
睡眠―覚醒のリズムが乱れるので不眠になりがちである。眠れない苦しさ、不安が強いときは軽い睡眠剤からためしてよいだろう。 ただ、不眠の背景に呼吸障害がある可能性に留意しなければならない。また、処方に際し薬剤性のせん妄にも留意すること。

痛みが強いとき
問題は癌による疼痛である。WHO方式の疼痛緩和ラダーに沿って薬剤を試みる。ほとんどの痛みはこれにより緩和される筈である。

息が苦しいとき
COPD、肺癌、心不全、神経難病などの呼吸苦に対しては、モルヒネ系麻薬および抗不安薬を組み合わせて使用する。 少量の在宅酸素を加えることもある。痛みよりもコントロールが困難なことが多い。

不安なとき
寄り添うこと、聴きそして話しかけること。じぶんが考えじぶんで行動することができなくなる、自律性を失う不安。 じぶんであるという基盤が失われる、いわば存在の不安。 じぶんを支えてきた矜持と生きている意味を見失う深い不安(スピリチュアルペイン)をどのように受け止められるかが一番むつかしい。 パニック様状態では抗不安薬をためす。

〈看取りに際して〉

名前を呼んでも応答せず目をつぶっている、うとうと眠っていることが多くなる。うなされたり興奮したりする(せん妄)こともある。 眠っているように見えても耳は聴こえることもあるので、家族はそばで話しかけたり手を握る、からだに触れるなどさいごのお別れをするように促す。 苦痛は多くの場合やわらいでいることを告げ家族に安心してもらう。食事は取れず、わずかの水分しかとれなくなる。 家族は心配するが、点滴は喀痰をふやし、むくみを生じさせて却って本人を苦しませることを話す。とれるだけの水分を補給する。 やがて、水分もとれなくなり、尿がでなくなる。旅立ちが近いことを家族に告げる。 からだとこころがそれぞれの使命を終え、ひとつのいのちが燃え尽きていく。それを見守る。 ガーゼなどで唇を濡らす、スプレーなどで口の中を潤す。手足の先が冷たく、赤紫色になる(チアノーゼ)。 血圧が低下してきていることを話す。呼吸が緩慢になる、あるいは浅く早くなるなど変化がでてくる。 亡くなる前に痰のからみ(喘鳴)がみられたり、 喘ぐような呼吸(下顎呼吸)となり、苦しそうにみえるがからだが反応しているだけで苦痛はもう感じないということを話す。 これらは亡くなる際の自然な経過であることを告げる。かけがえのないひとりのいのちの成就に立ち会う厳粛な時間である。

ご臨終を告げたあと、僕はその方の訪問診療の経過をふりかえり、印象的なエピソードをご家族に話し、 その方が僕にとってどういう方であったかをお伝えする。 老いや病いと向き合いつつそのひとなりに善く生きてきたということをご家族と共有できることが望ましい。 そのとき多くのご家族は故人がどんなひとであったかを示すエピソードをいくつか披露してくれる。 短いけれどもそのような時間を残されたご家族と持つことが大切に思える。その方の家を出て、歩きながら「こういうべきであったな。 じぶんはまだ駄目だな」と反省することも多い。 葬儀を終えてご家族が挨拶にみえるときもう一度その方をふりかえる時間(ほんの立ち話的になることもあるが)も意義深い。 ひとが亡くなる前と後では流れる時間の質が違うことを知るのである。

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