認知症を早期に発見することでそのひとの何がかわるだろうか。認知症のひとのQOLを考えてみよう。
認知症のひとのQOLはどのように定義されるか。クオリテイ・オブ・ライフのライフは多義的である。
生命、生活そして人生という意味がある。
主として生活面に認知症のひとの問題はあらわれるのでそのQOLを生活の質と考えてみる。
たとえば、ゴミ出しができなくなる、食事の準備ができなくなる、旅行の計画を立てられなくなる、約束をわすれる、
薬を飲み忘れるなど生活面に問題が生じる。
そのとき、これら生活の困難を補うひと(介護者)がいて本人の尊厳を傷つけることなくうまく援助してくれるならば、
QOLはそれほど低下しないかもしれない。
介護者は第一に家族である。家族との関係性がキーポイントになる。
認知症と診断されることで家族との関係が貧しいものになるのならQOLは低下する。
例えば、認知症というレッテルが貼られることで今までできていたこともやらせてもらえなくなったり、
できないことをリハビリと称してやらされたりするなら家族との関係は悪化しQOLは低下する。
逆に、認知症と診断されてそれまでできなくて困っていたことを援助され安心感がうまれる場合、
家族との関係はさらに信頼に満ちたものになりQOLは向上する。
ひとの精神の領域を知・情・意、つまり知能、感情、意志(意欲)とすると認知症で低下するのは知の領域である。
情と意は比較的保たれる。したがって、情・意の領域で交流できる家族がいるかどうか。
つまり、できないことがふえても忘れることが多くなり、また言葉でのコミュニケーションは不十分でも、
そのひと自身は変わってはいないことを理解し、気持や表情で分かり合えることができるならば、
その関係性はもしかすると認知症と診断される前より豊かなものになるかもしれない。
介護者としての家族は認知症のひとにとって、歩くための杖、動くための車椅子あるいは自動車のようなものかもしれない。
そして、両者がスムーズに動くためには良い関係性という道路がなければならない。
附記:上記の認知症のひとを高齢者と置き換えても大きな間違いではないだろう。
認知症のひとの問題は超高齢社会を生きる我々ひとりひとりの問題といえよう。
ある施設の管理者の話である。スタッフのひとりから悩みを相談された。
障害者のケア施設で働くそのひとは、入居者にやさしくしなければいけないことはわかっている。
だから或る日世話しているひとりの入居者から言われたことばにむかっとしたがそれを我慢した。
しかし、つらいしごとをしながら何故そんなことをいわれなければならないのかと思った。
感謝のことばどころか、世話されて当たり前といった態度とともにスタッフの容姿などパーソナルなことに触れることばを浴びせる。
どっと疲れがおそう。そのうちぞわぞわとこころが波うち、その入居者に向けて乱暴なことばがつぎつぎと湧いてきた。
それを抑えようとして苦しくなりじぶんの駄目さ加減に涙がにじんできた。
そういうじぶんをどうしたらよいのか、このまま働いていく自信がなくなった。
医療や介護の現場での理不尽なことへの怒りをどう処理したらよいのか。実は、僕もそれと似たような体験がある。
長く訪問診療している独居の方で、片麻痺とともに腎不全や喘息を患っていた。
ある日の午後、ベッドに移動する際、腰をいためたので診て欲しいと電話があった。すぐは無理だが必ず診に行きますと答えた。
外来診療を終えて往診したのは午後7時過ぎになった。
部屋に行き「遅くなって申し訳なかった」と言うといきなりものすごい剣幕で「お前はなんという医者だ!患者の苦しみがわからない。
ほんとうの医者ならすぐ来て診てくれる。
神経内科医だなんて、こんなひどい医者はみたことがない」とベッドに立てかけてあった杖をふりまわした。
遊んでいたわけではない。仕事をやっと終えて急いできたのである。
「あんたこそなんという患者だ」と言ったあと僕はさらに爆発しそうな怒りをかろうじて抑えた。
カルテを眺めながら感情の高波がひくのを待った。するとどういうわけか笑いがこみあげてきた。嬉しかったのか。
そんなわけはない。軽蔑の笑いか。ちがう。
あけっぴろげなひとではあるが、そのレジリエントな生活ぶりには敬意を抱いてもいたのだ。淡々と診察した。
所見を述べ、対処法を告げ帰ってきた。なぜじぶんは面罵にさらされたあと笑えたのか。いまふりかえってもわからない。
じぶんでじぶんのことがわからない。
だが、わからないじぶんがいるということが、このエピソードに限って言えばなぜか、不快ではないのだ。
市内の総合病院連携室よりひとりの患者について相談された。すぐに診てほしいという依頼である。
理由をきくと、その人は精神的な不調があり今日仕事を休み精神科を受診した。
しかし、精神科はすべて予約制なのでその日にいきなり来た患者は診ることができないという。
その患者は外国人であり事情がわからず困っていてその日の診察を頼んだのだった。だが駄目なものは駄目とされた。
僕の診療所も予約制だが、その日に診てほしいという患者は原則的に断らない。
そのため予約の患者に待ってもらったり、僕やスタッフの昼休みがなくなったりすることもある。
とりわけじっくり話をきかなければならない精神科の患者を受けるときはそうだ。
しかし、外国から来たそのひとは困っているのである。引き受けることにした。それが地域の診療所の役割だ。たぶん。
このようなケースは少なくない。
その日に受診希望で当科に電話してくる患者さんは皆、病院は勿論、
複数の精神科専門のクリニックに頼んでも予約制なのですぐには診られないと断られている。
「精神的にバランスを崩してから15分とか1,2時間以内に治療を開始した場合、驚くほど順調に速く回復することがわかってきた。
早期治療とは24時間以内だと今は考える。」(「一精神科医の回顧」中井久夫:〈こころ〉の定点観測 なだいなだ編著より)
ここで中井先生は統合失調症について語っているのだが、精神疾患全般についても考えるべきかもしれない。
フィンランドのオープンダイアローグのことも思いだす。
精神科専門の先生方よ、中井先生と同レベルとはいわないけれど苦しい患者さんたちのためにもう少し頑張ることはできないだろうか。
個人では無理ならせめてその日に困っている患者さんを診ることのできる仕組みを作れないだろうか。
冒頭の患者さんの話を30分以上かけて聴き、状態の見立てをし、治療方針を説明し、病院の精神科への紹介状を予定したところ、
患者さんは「病院にはもう行かない、これからここで診てほしい」と述べた。
花冷えの1日、きょうも忙しかった。
カルテの整理を終え、午後8時すぎ、雨のなか家に向けて車を走らせているとき、ケータイが鳴った。
高速に乗る手前、急いで脇道に入り車を停める。今日の午後、外来で診た患者Sさんだった。
醫院の診察券には僕のケータイ番号も書いてあるので、だれがかけてもいいのだが、
多くは緊急コールで在宅患者の家族か訪問看護師である。だから外来患者のSさんとわかって少し驚いた。
数年前から僕の外来に通いはじめたひとり住まいの中年女性。
両親が日本の近隣国の出であり彼女は日本でうまれたが、幼小児期から差別に苦しんだ。
結婚したがDVで離婚、その後も仕事で苦労、外傷の後遺症で苦しみ、生きることの困難の連続に打ちひしがれていた。
紹介されて僕の外来に通うようになった。ひとことでいえば受苦の人生を生きてきたひと。
彼女はその苦しみを、何故かじぶんが当然負うべきものと受けとっていた。訴えはいつも控え目だった。
コンビニでささやかな食にありつくとき涙がとまらなくなると述べた。
そんな彼女が最近は神経症的な症状で身体の痛みを訴えるようになり、今日もどう対処したらよいか話し合ったのだが、
症状は重く、簡単には治りそうもなかった。
彼女の性格の純直さが極端に質素な生活環境のなかで、心身に歪みをもたらしているものと思われた。その彼女からのコールだった。
「外来で、今までせんせいに言おう言おうと思って言えなかったことがあります。
それは・・・“ありがとう”ということです。はじめからずっと、わたしの話を聴いてくれて、ほんとうに感謝しています。
それだけです。こんなじかんに、せんせいも疲れているのにごめんなさい」
僕は、少し戸惑いながら、ていねいな彼女の気持ちをそのまま受け取り、「わざわざ電話をかけてくれて、こちらこそありがとう。
いつもお話を聞きながらあなたの気持ちは伝わっていますよ」と答えてケータイをきった。
僕はまた車を走らせ、彼女のことを考えた。なぜ急に電話をかけてきたのだろう、それもただ「ありがとう」というだけのために。
いつも遠慮がちなひとなので不思議な感じがぬぐえなかった。
カーラジオのFMではしばらく前から、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」がかかっていた。
向こうがわの世界から湧いてくるような、その何とも暗い音のうねりに身をまかせていると、
ふと何か胸をつきあげるような感覚に襲われた。不意に熱いものがこみあげて来た。
この音の暗さは、まさに彼女の経験している世界そのものではないか。そうか。そうだったのか。
彼女は今夜、みずからの苦しいいのちに区切りをつけようとしている。
それを告げようとして、僕に最初でさいごのコールをしてきたのだ。ありがとうだなんて・・・。
ああ、なんということだ。なぜ、僕は、もっと早くそのことに気づかなかったのだろう。
以前、じぶんを傷つける衝動に駆られることがあると話していたではないか。
それを僕はどれだけ重く受け止めていただろう。死なないでほしい・・・・・。
いつのまにかラジオのレクイエムは終わっていたが、祈りのような余韻がながく続いていた。車の窓ガラスを雨がしずかに叩いていた。
NHKスペシャル 認知症1300万人 その解決策は 認知症を早くみつけて早く対応すること
などとあいかわらず言っているけれど どうなのかな 早くみつけて認知症と診断して さてそれからなにがあるのだろうか
加害者としての認知症 なんてわけのわからないことを言ってるひとよ 認知症とされたそのひとにとって
そう診断されることがどういう風によいことなのか 教えてほしい 僕らができることは
不安の井戸に落ちこんでしまったひとに 思いをこらすこと できれば手をさしのべて 認知症とされても
あなたはいままでと 何もかわりませんよと告げること かかりつけ医として 認知症のひととのつきあいは
とても長くなる 5年 10年 もっと長いかもしれない 老衰・自然死で看取ることも多いのだ だから
入り口の問題も大事だけれど じつは長期戦 診断して 処方箋書いて終わりではない 長いスパンで
全体をみなければならない そのひとの人生のまるごとがかかっているのだから
少しでも早くみつけてなにをするというのだろうか 同じことをくりかえしいうようになってませんか
すこしぼんやりしてきていませんか 衣類をじぶんで選べますか 物をなくして人のせいにすることはありませんか
トイレを失敗することはありませんか こんな詮索的まなざしでみられることは
患者さんからすれば侮蔑的ともいえるだろう ぼくらかかりつけ医ができることは
だからそのひとが認知症と呼ばれようとも どんなにぼけてしまおうとも なんにもわからなくなろうとも
そのひとがそこに居ることを しかとみとめ その存在の証(あかし)をしていくこと 人生のさいごまで
そのひとの威厳や尊厳を 保てるようにお手伝いをすること 認知症のひとにたいするかかりつけ医の役割は
ここにしかないのではないか
附記:スコットランドでは、2013年第2次認知症国家戦略としてその序文に、
「認知症と診断されるすべての人に診断後支援が提供されることを国家の責務とする」と明記した。
その結果、リンクワーカーによる診断後支援の制度を正式に取り入れた。
このような具体的施策があれば早期診断も意味があるのだろう。
日本では、これに学び京都府でリンクワーカーの養成が2年前からはじまり、昨年から活動をはじめている。
僕の近辺では、竹下さんを中心とした西区介護者のつどい「あけぼの会」、
認知症カフェ「わたぼうし」がその役割の一部を果たしていると思う。
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