ニューイングランドジャーナル2014年12月11日号“The Disease of the Little Paper”というエッセイを読む。
筆者の父は退職した医師。訪ねると「面白いケースはあったかい?」と聞くのが常だった。
それはいつも筆者を不愉快にし、父とうまくいかなかった思春期の怒りや葛藤を再燃させるような気がした。
父は専門医、じぶんは総合内科医であり、じぶんは患者との長く親密な関係性を保つことで満足を得ており、
曖昧な診断をつけて喜んでいる専門医とは違うのだということを父に話した。
父は哀れげな眼でわが子をみつめ、肩をすくめるのだった。
それから、彼はじぶんがどんなに賢く献身的で患者に愛される医師であったか、いくつかの逸話を話す。
戦時中、患者の尿からペニシリンを回収し、それを他の患者に注射したこと、
職員がストを起こしたときみずから掃除や洗濯をしたことなど。
最も筆者を苛立たせたのは、女性たちの“la maladie du petit papier”:小さな紙の病気と父が呼んだものである。
彼女たちは彼の診察室に入ると財布から折りたたんだ小さな紙をとりだし、長々しい訴えを読み上げはじめる。
父はひとつひとつの症状に注意深く耳を傾け、「はい」とか「なるほど」とかうなずく。
長いリストのさいごに至ると彼女は「ああ、先生、随分よくなりました」と言う。
女性たちが必要としているのは聴いてくれるひとなんだよ、と父は言った。
父が亡くなったあと、筆者は父が述べていたことを調べてみた。
それは喪のプロセスに必要であり、記憶よりもエビデンスが欲しかった。
1944年の雑誌TIME9月11日号に軍の病院で淋病患者に打ったペニシリンを尿から回収し別の患者に利用する新しい方法がリポートされていた。
アメリカ史のウェブサイトで1970年代ニューヨークで低賃金病院労働者のストライキがあったことが確認された。
la maladie du petit papierについてオンライン医学辞書では、
神経症的な患者が症状の夥しいリストを紙に記録するような状態と定義されていた。
この用語は、おそらく神経学者シャルコーの活躍したサルペトリエール病院で19世紀後半に作られたと思われるが、
決して良い意味合いのものではない。シャルコーの弟子のひとりが、反ユダヤの論文の中で、
あるユダヤ人をひどいリストメーカーとして記載している。
ウィリアム・オスラーも症状リストを持参するひとりをneurastheniaと表現して素っ気ない。
1985年のジャーナルで、プライマリーケア医のJohn F. Burnumはじぶんの患者を調査し、
紙のリストを作る患者は決してノイローゼ的ではなく、単に情報を順序だてて明確に伝えようとしているだけだと記した。
この小さな紙に何故悩まされるのだろうか。患者は短い診察時間を効率的にしようとリストを作る。
症状を書きとめるだけで症状が軽くなることもある。
おどかされるように思うので紙のリストに怒りを感じるのだろうか。
患者は医師からその場をコントロールする力を取り上げる。
患者が小さな紙を取り出したその時、診察室がシフトするのを感じる。
問題を取り仕切るのは患者となり、医者のスケジュールは遅れ、手綱は弛緩する。
ふりかえると、医者にあるまじき患者への怒りは恥ずかしい。書かれるリストはじぶんを脅かすものではない。
患者の自己表現にすぎない。
父は正しいことがわかった。原因不明の頭痛や胃痛を持つ患者が、
症状を書いた封筒を医者に渡すだけで気分が楽になることを経験する。
リストを書くことはさらに深い安心感を与えるかもしれない。
文字化されると不安はより具体的になり、無視しがたくなる。
小さな紙切れは、私はにんげんです、私の苦しみはほんとうですという一種の宣言になる。
自認する強迫的リストメーカーである作家スーザン・ソンタクなら同意するだろう。
彼女はかつて、リストを書くことは、価値を授け、価値を創り、そして存在を保証することであると述べた。
奇妙なことだが、父の死後10年、今これを書いていて彼をよりなつかしく思う、
と同時に彼を失った痛みが和らぐのを感じる。ひとは時に聴いてくれるだれかをほんとうに必要とする。
以上が抄訳である。
僕はふたつのことを思う。
ひとつは父のこと。もと町医者だった父が亡くなる数年前からひとりでは歩けなくなり、食事のあと手をひいて居間に連れて行く。
笑みを浮かべ必ず「ありがとう」と言った。そして別れ際にいつも「きょうおうしんはなんにんいくの?」と聞いた。
3人と答えると「そう、たいへんだね」と言った。毎回そんな風だった。
外科医となりすぐに応召された父はニューギニアで片目を失った。
しかし奇跡的に生き残り、戦後小児科を勉強して開業した。じぶんは勉強らしい勉強はしなかったからと謙虚であった。
いわゆる自慢話は聞いたことがない。亡くなって5年。
地域の往診に行くと家族が大先生に診てもらいましたと感謝される家が今も多いのに驚く。
もうひとつ、小さな紙のこと。認知症の本人ではなく家族が本人の様子を紙に書いてきてくれる。
その場で聴きにくいことも書かれてあり診察に役にたつ。これらはしかしla maladie du petit papierとは異なる。
僕の外来にはこの病気のひとは幸いいないと思う。
医者が対話のための時間を十分とることができ、
電話を含め24時間いつでもコンタクトできるという状態であれば小さな紙にびっしりと症状のリストを書いて外来に持ってくる必要はないのかもしれない。
介護関係者の集まりで或る若い女性と話す機会があった。5年間の介護ののち祖父を在宅で看取った。
認知症そして老衰で亡くなった。周囲から家で看取れてよかったですねと言われる。
しかし、どうもじぶんはそう思えない。どういうわけか在宅での看取りをひとにすすめる気になれない。
これでよかったのだろうかという問いが残った。在宅ケアを肯定的にふりかえることができないのだ。
なぜなのだろうか。僕は不思議だった。在宅ケアは確かに大変な苦労が要る。
多くの場合ご本人は施設や病院へ行くのをいやがり自分の住み慣れた家での療養を希望する。
家族も本人の意向に添うように努力する。在宅介護や看護のスタッフが協力する。
以前から診ているかかりつけ医が訪問して本人や家族をサポートする。在宅ケアは苦難を伴う旅のようなものだ。
だが、その旅の終わりには何らかの達成感がもたらされることも少なくない。
冒頭のケースの場合、ケアを受ける本人の意志を汲み取ることが困難であったこと、
訪問医が在宅専門クリニックであり、来る医師が定まらず、さいごの看取りの医師もはじめて来る医師であったこと、
など不運であった。しかし、彼女はそれらに原因を帰するのではなく、またじぶんは介護に向かないと考えて、
背を向けるのではなく、じぶんがなぜ在宅介護にポジティブになれないのか、じぶんに向けて問いかける。
介護するじぶんとは何か。ひとはどのように介護に向き合っているのか。
介護するひとの苦労やストレス、支えあるいは動機、といった内面に関心を向ける。
今、彼女は介護するひとの心理をテーマに大学で研究を始めた。
介護のいわば外側の制度や仕組みではなく、介護するひとの内側に眼を向ける。とても大事な視点だと思う。
こうした試みから介護というものの人間にとっての意味が見直され深まっていくことを期待したい。
BBCのニュースの合間、Deep north of Japanという日本の東北を紹介する短い時間帯がある。
東北新幹線、神社、紅葉、温泉、日本食、祭、カモシカやサルなどの野生動物、雪山、スキー、武道などが、
和太鼓の切れのよいリズムを背景に英国人女性の目をとおして、スナップショット的に描かれる。
何度みても飽きない優れた映像だ。新しさと伝統、そして自然の美しさがバランスよく、他の国にはない日本の東北の素晴らしさを紹介している。
日本人であることが誇らしく思えてくるような内容だ。
ところで、訪問診療しているひとりの女性のことが浮かぶ。ある病気で下半身が麻痺しベッドに寝たきりである。
まだ元気なころ、東北にじぶんの墓を作った。
作ったといってもいわゆる樹木葬の墓なのでなだらかな山の斜面の一画にヤマツツジを植えただけである。
死んだら東北の自然に還る。それが彼女の理想。先に亡くなった夫がそこには眠っている。彼女から樹木葬についての本を借りて読んだ。
なぜ樹木葬なのか。ひとつは、自然破壊へのアンチテーゼとして、もうひとつは人間関係や家の永遠性から自然の永遠性への回帰。
驚いたのはこの本に支援者の声として、元市民病院の内科医、故N先生の奥様のインタビュー記事が載っていたことだ。
開業されてから在宅医療に熱心に携わった。先生は癌にかかりその何人かの受け持ち患者を開業したての僕は依頼された。
64歳で亡くなるすぐ前まで日曜日も往診していた。医学で患者をしばるようなことはせず、血圧などもさげないほうがいいと言ったりしていた。
フランスで学び、パイプをくわえて芸術家風であった。
市民病院の頃からどういうわけか僕のことを買ってくれて、「きみみたいのをほんとうの医者というんだよ」とむつかしい患者がいると僕を呼んでくれた。
そのN先生が東北の山に眠っているとは知らなかった。クリスチャンであった先生が自然葬を望んだのはよく考えれば不思議ではない。
東北に発祥した自然葬を、日本人の死生観のあらわれとして考えてみる。Deep north。東北は深い。
政治の世界だけではない。医学の世界にあっても、なにがほんとうかわからない時代になった。
全国保険医団体連合会雑誌に「医療現場におけるニセ医学の傾向と対策」というタイトルの論文があり、
その中で近藤誠の「がん放置療法」が週刊現代の医学記事などと同列のニセモノとして論じられている。
「言うまでもないことだが、早期のがんであれば治癒切除が可能である。
術後補助化学療法によって再発のリスクを下げることもできるし、
進行がんであっても化学療法によって生存期間を延長させたり、QOLを改善させたりできる。
・・がん放置療法に根拠はなく、近藤医師の主張をうのみにしてがんを放置すると、
治療から利益を得るチャンスを失うことになる。
・・不確実さに不安を持つ患者が、「わかりやすい」ニセ医学に引きつけられるのであろう。」
(酒井健司:朝日新聞医療サイト「アピタル」コラム連載中の医師)
最新の近藤誠の本、「僕はあなたを「がん治療」で死なせるわけにはいかない!」
(文春ムック 平成28年12月)を開いてみた。
2013年開設したセカンドオピニオン外来の実践報告のような内容。
がんにはほんとうのがんとがんもどきとがあるという視点に立ち
「手術や抗がん剤治療が寿命を延ばすというエビデンスは存在しない」という従来からの彼の主張に変化はないようだ。
一方、上記の医師は化学療法によって生存期間を延ばすことができると述べている。
どちらがほんとうなのか。がん患者を専門に診ているわけではない町医者の立場からはっきりとはわからない。
しかし、この本を読み、近藤医師のいくつかのことばに注目した。
「標準とされているがん治療の九割以上は間違っている」
「無数ともいえる患者が「がん」ではなく「治療」で命を落としている」
「がん医者らはがんを治療しなかった場合の経験も知識も皆無であるにもかかわらず、
・・・「抗がん剤治療を受けなければ三カ月で死にます」などと患者を脅します。
ムダな治療を受けなければもっと長くいきられる可能性がきわめて高いにもかかわらず、です」
「僕の提唱している放置療法は「何もしない」わけではなく、
「症状を緩和するための治療は、むしろ積極的に受けるべき」と主張しています」
「外来はあくまで患者さんたちに考えるための材料を提供する場であって、
僕の考えに従ってもらったり結論を出してもらったりする場ではない」
「だから、患者さんが熟慮の末に選び取った結論であれば、僕は基本的にそれを是とします」
「僕は「目の前にいる患者さんがどうしたら最も健やかに最も安全に長生きできるか」だけを考え続けてきました」
どうだろうか。上記のような言葉に僕は近藤誠の成熟と誠実さを感じる。
彼は、もう世の中を変革しようなどと大上段に構えてはいない。
目の前のひとり、かけがえのないそのひとりに役に立つことだけを考えている。その姿勢に僕は共感する。
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