心身の虚弱著しい80歳代の母と同居している息子さんから、訪問診療を依頼された。
時どき転ぶようになり、彼が働いている昼間はひとりになるので心配である。
母の様子をそとにいてもわかるような装置をつけようと思っているところですという。
そう聞いて、なるほどそういうことが可能な時代なのだなと僕は感心して聞いた。
そういえば、おひとりさんシリーズの上野千鶴子さんもどこかでそのことに触れていた。
さて、The lancet最新号(January 28 2017)Digital medicineというコラム。
Towards a smart medical homeというタイトルの記事を読む。
寝ているマットレスに記録されるバイタルサインや身体の動きから決められる最も適切な起床時間である午前6時15分、
Juliaは眠りから起こされる。
起立性低血圧の傾向はあるものの、廊下につけられたセンサーは彼女がトイレに行くときふらつきを検出することはなかった。
トイレに坐ると、すぐに血圧、心拍出量、体重、尿や便の検査が施行される。
彼女が鏡をみると飲むべき薬が忘れないように現れる。
Juliaの毎日はこの通りというわけではないが、これは未来のsmart medical homeのすがたの一部を示している。
スマホやセンサー技術の進歩は医学関連のデータをデジタル化した。
我々の住む環境はますますインターネット化された物に結びついている。
そのような技術の利用は未来のsmart medical home を可能にし、
それは健康チェックや慢性疾患の治療のための通院や入院を不要にするかもしれない。
多くの国でケアの実施が病院から家庭へ移されようとしているが、smart medical homeのニーズは今以上に大きなことはなかった。
Smart medical homeの革新は、退院後のモニター能力を高め、転倒リスクや気分障害のパタンを知り、
診断したり治療法をケアギバーが調整するための手段を作り出す。
疾病の防御や健康の維持はsmart medical homeに関する研究の大事な側面である。
床マット圧センサー、カメラ、赤外線、視覚動作センサー、
パルスドップラーレーダーなどは既に装備された高齢者アパートでは役に立つことが示されている。
リアルタイムでケアギバーに伝えられるセンサーからの統合されたデータは、家庭での緊急事態に気づく安全性管理を向上させる。
さらに、未来の服薬アドヒアランスはsmart pill box、レ線透視ラベル薬剤、表情認識、
スマホビデオ、テレビ、ビデオ付き鏡による嚥下モニターによって評価されるだろう。
我々が何を食べるかのモニターは、未来のsmart medical homeのもうひとつの領域となるだろう。
食事パタンはsmart 冷蔵庫やオンラインフードオーダーからの情報をもとに評価され、
モバイルスペクトロメータは食事量を測り分析する。
これら食事の情報と浴室のフロアやトイレシートから得られた体重データを合わせて、個人に合った食事プランが推奨される。
手首に付けられる装置により体の位置の変化、転倒、活動性などが検出される。
椅子やベッドに付けられる装置により心拍、血圧、呼吸数、血中酸素濃度などのバイタルサインが持続的にモニターされる。
さらに呼気、尿、唾液、指からの血液で急性疾患の遠隔診断と治療が可能になる。
Smart medical homeによりケアの提供に大きな可能性がある一方、その使い易さ、データのプライバシーや安全性、
統合と処理、そしてcost-effectivenessを示すエビデンスの課題もある。
多くの人はsmart medical homeによる緊密なモニタリングをオーウェル風のネガテイヴな監視的意味合いではなく、
医学的問題の短期のサーベイランスとして病院に入院するよりも好ましいものと考えるだろう。
この技術的進歩はケアの在宅供給へのニードとあいまって今後来るべき時代にどこでヘルスケアがおこなわれるかに関して大きな変化をもたらしそうである。
以上が抄訳である。
Smart medical homeとしてここに描かれているのは生活の過剰な医療化(medicalization)であり、直ちには賛成できない。
このような健康志向的生活から達成される“健康”は真の健康ではないと思う。
だが、技術の進歩には歯止めがなく、これからは機械との共存生活を覚悟しなければいけないのだろうか。
超高齢社会にあって僕が思うのは“smart home care”である。さて、何が“smart”なのか。
例えば、冒頭に記したケースのように老母の安全を守るための機械技術の控えめな利用などは、なかなかsmartではないか。
Smart home careとは何か。日々往診している患者さんやケアに苦労しているご家族が僕に教えてくれている。
数年前に夫を亡くし、ひとりでアパート暮らしのHさん。約20年前から高血圧と糖尿病で通っている。
100キロ近い巨体をゆするように歩いてやってくる。
食べてないの、水のんでも太っちゃうのよ、という彼女に専門栄養士を含め何度食事指導をしただろう。
じぶんに向けて「だめだねえ」と言って笑っている彼女をみると何も言えなくなる。
事実、彼女はみなから愛されていた。というのも彼女は料理上手。
昔から「外で売ってるのなんかたべられないよ」とじぶんで作るぬかみそでおいしい漬物を作り、近所の人に配って歩いた。
生姜焼きをたくさん冷蔵しておき、遊びにくるひとに分けた。
大先生(僕の父)にはこれね、とおいしいクッキーを持ってきた。
父が亡くなり僕が診るようになるころから、なんだか動くとはーはーするねえ、というようになった。
浮腫、胸部X線で著明な心拡大、心電図の左室肥大。心不全である。利尿剤を投与し改善した。
相変わらず100キロ。
「朝も昼も食べないの、六甲の水だけ飲んでね」「大先生は太ってるわりにはいいねとほめてくれたわ」と笑う。
そのうち膝が腫れ痛み、銭湯に行くのが困難になる。全身浮腫で105キロになり呼吸困難のため入院してもらった。
1か月後92キロとなり症状改善し退院。再び歩けるようになった。
近所のお店でお喋りするのが楽しみ。彼女がいると皆ひきつけられるようにお喋りに加わった。
なんだか足がもたつくのよ、フトンの上にひっくりかえちゃってね、
階段のぼるのが大変だけど隣の部屋の若い男の子がお尻を押してくれるの、と皆を笑わせる。
息切れ?息切れなんかしないよ、息切れするほど歩かないから、と僕を笑わせる。
やがて入浴のために通っていたデイサービスにも行けなくなった。往診するようになった。
むくみが手足腹部そしてまぶたにも目立つ。台所にたつのがやっとね、せんせい、利尿剤はふやさないで。
だって、部屋の中がおしっこのにおいになっちゃうから。
近所のYさんが私のこと入院させるというから絶対やだよと言ってやったよ、と僕を牽制する。
そして最後の往診の日だった。
台所に立てなくなったから居間に坐って野菜をきざむことにしたのよ、と少し寂しげであった。
苦しくなったらいつでも連絡して、と言って立ち上がる僕に彼女は「じぶんの体のことはじぶんがいちばんわかるのよ、
だからせんせい、・・大丈夫ですよ」と笑うのだった。それから1週間後彼女は亡くなった。
Hさんがいないのは寂しい。
しかし、彼女がよく言っていたように、彼女はじぶんの生活をじぶん本位に生き、そしてじぶん本位の死を死んだ。
妙な言い方だが、その死は何となく納得できるのだ。おそらく周囲のひとたちもそうだろう。だがそれは、とても悲しい納得だ。
その方は、平均寿命を少し越えた女性で物忘れは顕著だが身の回り動作は大体自立している。
女性特有の癌にかかったが高齢ゆえ手術はせず様子をみることになった。
最近、何かが変わってきた。すべてがゆっくりになった。言葉をめっきり喋らなくなった。
それだけでなく動作が奇妙に変わってきた。
たとえば食事で皿の上の料理の残りをきれいに野菜の葉でふき取るようにして口にいれる。
少し残った味噌汁にお湯を足してきれいに飲んでしまう。
床の上の眼にみえないようなごみや糸くずを拾いゴミ箱にすてる。
幼少期の時代の影響や生活習慣が生の終わりに再びあらわれてきているのだろうか。
以前この欄で「トウカエデ」と題して書いたことのある老女を思い出す。
ある日往診にいくとヘルパーさんが作ってくれた食事を、
ごはんもおかずも味噌汁も全くのこさずきれいにたべたあと卓袱台(ちゃぶだい)の上に、
箸、茶碗、皿、お椀が(食べたあとなのに)料亭で出されるときのようにきれいに揃えて置かれてあった。
まるで誰かがそこで食事するのを待つかのように。僕は感動した。その数日後、彼女は亡くなった。
老いた女性たちのおわりの美学についてしばし考えている。
独居の70代男性のこと。定年まで印刷会社につとめた。独身できまじめ。
若いころはよく姉妹を車にのせてドライブにつれていったという。
糖尿病のため他院に通院していたが、いつしか家にひきこもるようになる。
入浴しなくなり尿失禁も目立つようになる。病識は完全に失われ治療は拒否。介護も看護も受け入れない。
ヘルパーさんは中に入れてもらえず、買った食べものを玄関に置いて帰る。
遠方から姉の訪ねる日に合わせて往診をする。診察はかろうじてさせてもらえる。
著明な高血糖で危険である旨を伝えても「嘘でしょう。機械がおかしいんですよ」と全く意に介さない。
看護師がたびたび足浴だけでもどうですかとすすめるが「いいんですよ、そんなの」と拒む。
診察が長くなるとイライラして起とうとする。ゆったりした会話は不可能だった。それでも定期的に往診した。
冬のある寒い朝、姉から連絡が入った。トイレで倒れ冷たくなっているという。外来の合間、早足で駆けつける。
何がおきたか、どう対処すべきか、いくつかの可能性が頭をかけめぐった。
ふりかえると長いトンネルの中を手探りで進むような在宅診療だった。
いつ光がみえてくるのか、不安でもあった。そして、こういう結末もありうると思ってはいた。
狭いトイレの中、汚物にまみれたからだは歪み、手足は折れ曲がったまま硬直していた。
姉と、やはり駆けつけたケアマネさんと冷たい灰褐色のからだをベッドに移した。
下着をハサミで切り、からだを暖かいタオルで拭きながら姉は涙を流していた。
診察上外傷はなく犯罪を思わせるものはない。最後の診察から日は経っているが、想定外の死ではない。
警察は呼ばずに死亡診断書を書くことにした。
書きながらそれまでの在宅診療を思った。或る日の一場面が浮かんだ。往診時毎回血糖を測定する。
彼のいっぽんの指を僕の指が抑える。
その日も彼の指をとり、針を刺そうとしたとき、大きな声でいきなり「せんせいの手、おおきいねえ」と感心するように言った。
彼の顔には、はじめて微笑が浮かんでいた。
思ってもいない彼の反応に僕は驚き、そして思わず彼の顔をみつめ、笑いあった。
殆ど会話は不可能な、孤島のような彼の世界に少しだけ触れることができた瞬間だった。
昨年いちねんをふりかえり、いま思うこと。
恩師である本多虔夫先生が5月3日他界された。でも本多先生は生きている。僕が先生を思うとき先生はそこにいる。
その著書を目にするときに本多先生を思い出す。それでよいのだと思う。
7月、エッセイ集2『落葉の思想』を上梓した。じぶんという木から落された言葉を拾いあつめ一冊にした。
だが読まされるひとは迷惑かもしれない。そういう考えを持つことが大切だ。
昨年も幾冊かの本を読んだ。読むこと、読んで考えることは生きること。
その1冊を読むことで日常(さらに言えば人生)が変わる、そのような本を思う。
(1)『死すべき定め』アトウール・ガワンデ
米国の若き医師の老いと死に関する深い考察。原題は『Being mortal』
(2)『果報者ササル ある田舎医者の物語』ジャン・バージャー/ジャン・モア
「死のことを考えさせられるときーそれは毎日のことだがーわたしはいつも自分の死のことを考える。
そうすると、もっと懸命に働こうという気になるんだ」こう書いたササルは自死した。あのビュルゲルと同じように。
(3)『短章集』『短章集 続』永瀬清子
生きることへの丁寧なまなざしとはこういうことなのか、と思う。
(4)『忘れられる過去』荒川洋治
本を丁寧に読むとはこうなのか、と思う。
(5)『ドクトル・ビュルゲルの運命』ハンス・カロッサ
『果報者ササル』を読み、再読を促された。
こっちの方に行っては危ないと思いつつ、ビュルゲルの生きざまには惹きつけられる魔力がある。
Vulnerabilityという医師に必須な感性の持つ悲劇性が際立つ。
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