臨床余録
2017年 12月 31日  ワヒード

 20年以上前から診ているひとり暮らしの女性が歩けなくなりベッド上生活となった。「じぶんでじぶんのことができなくなったらその時が私の終わり、先生よろしくね」と暗に安楽死を僕に頼んでいた。必要な薬を飲まず全身に浮腫が広がった。僕は覚悟した。外国にいる家族への年末の旅は断念した。
 ふと思いだす。医者になりたての頃、年末年始は毎年ドヤ街寿町の炊き出しボランティアに参加。妻や子どもたちも連れていき、餅つきもした。公園の一隅にはられたテントのなか石油ストーブに手を温めながら相談に来るコトブキの人たちを診た。家庭の正月のぬくぬくとした華やかな雰囲気が好きではなかったこともある。寒風のなかで垢に汚れぼさぼさの髪の男たちのしもやけやあかぎれの手足を、やはりボランテイアで来ている看護師やコトブキに住んで活動しているスタッフたちと一緒に診ているほうが僕にはよかった。冬の間ひとりの死者もださないことが目標、だから“越冬闘争”だった。もう昔のことだ。
 さてそんなわけで年末、家にひとりなのだ。ゆっくりと本を読む。それに眼が疲れるとバッハやベートーベンを聴く。BBCを観る。
 たまたまやっていたドキュメンタリー番組に引き込まれる。ワヒードというアフガン生まれの青年医師。ソ連侵攻のアフガンで生まれ、家族でパキスタン難民キャンプに逃れる。劣悪な環境で結核にかかるが生き延びる。このとき彼は医師になりたいと思う。彼の賢さに気づいた両親は家財を売って、15歳の彼をロンドンに送る。着いた1週間後に彼は仕事を見つける。3つの仕事を掛け持ち故国の家族に仕送りする。勉学への希望断ちがたく独学で英語と科学を学び、夜間学校に通う。5科目でAレベルをとりケンブリッジ大学医学部にアプライする。面接試験の日、ネクタイを結んだことのない彼は他の受験生の親に結び方を教えてもらう。面接を終え、「喜んで君を大学に迎えたい」という手紙を受け取る。生涯のthe happiest dayだったという。しかし、彼の並外れているのはそれからの獅子奮迅の活動ぶりだ。放射線科医、救急医となった彼は、しばしばタリバンの攻撃で壊滅状態の母国の病院に行き何が必要かみきわめる。テレメディスンという先端技術を駆使しアフガンの医師と連絡しあい、むつかしい症例に最高レベルのアドバイスをしていく。“Do you have a case to discuss today?”といった言葉で彼の1日は始まる。24時間365日アフガンの医師たちは彼とつながっている。彼の活動にNHSの幹部が注目し、彼のスキルをNHSに生かしたいと申し出る。BBCがテレメディスンに生かせる最も先端的な技術を彼に教える。彼のまわりに数多くの医師たちがボランティアとして加わる。アフガンだけでなく彼は今シリアやイラク、アフリカにまで活動の輪を広げようとしている。アフガンの街を見下ろす小高い丘に立つ映像のなか彼が呟く。「じぶんはここで助けられた。今度はじぶんが助ける番です。これは私へのセラピーなのです。」
 こころ動かされる番組だ。このような若い医師がいるということは今のこの世界にとって希望である。同時にイギリスという国のふところの深さを思う。もし彼が英国ではなく日本に送られていたらこのような展開はあっただろうか。

2017年 12月 24日  こころはどこにあるか

内臓感覚という言葉の意味を知りたくて三木成夫『内臓とこころ』を読んだ。講演形式なので比較的平易な言葉で語られているのだが、中身は深く1回読み、また読みかえした。伝説的名著と言われるだけに凄い本だ。はじめに内臓感覚の成り立ちとして膀胱感覚、口腔感覚そして胃袋感覚があげられ、それぞれの感覚とこころの関係に触れていく。内臓は小宇宙と呼ばれ、宇宙のリズムが最も純粋なかたちで宿る。人間の身体は、大きく分けて、運動(筋肉)や感覚(外皮)そして伝達→神経系(脳)の3つを司る動物器官(体壁系)と腸管(吸収)腎管(排泄)そして血管(循環→心臓)の3つを司る植物器官(内臓系)から成る。人間の生老病死の苦しみは何を縁として起こるのかをつきつめると「無明」がある。仏教でいうところの無明とは脳の働きとは無関係であり、内臓感受にとって快ならざる状態のことであり、これが人間苦の究極の引き金になる。例えば、空腹が縁となって百八煩悩が夏雲のように湧き上がってくることがある。つまり、人間のこころの動きは、脳ではなく、内臓(はらわた)の動きにのっとっている。内臓不快が機縁となって、頭ではわかっていながら、どうしようもなく気になりだす、じぶんは無能力だとか、これは不治の病でないかとかといったこころの病の方へいく機序も述べられている。後半では「こころの形成」として1歳児の指差し、2歳児の言葉の獲得、3歳児の象徴思考といった論稿に展開していく。これらが胎児期からはじまる生命記憶との関係で論じられているのがユニークである。巻末の養老孟司の「情が理を食い破った人」という解説は若くして急逝した先輩医師に対する優れた理解と尊敬に溢れ暖かい文章だ。

2017年 12月 17日  お礼をいえなかったんだよ、先生

「入院してリハビリは一寸きびしかったけどこうして歩けるようになったんだよね。K先生はね、朝と夕方必ず2回診にきてくれた。色々励ましてくれてね。で、退院するとき挨拶しようと思っていたんだけど、できなかったんだよ、だから渡辺先生からお礼を言っといてよ。渡辺先生が言ったとおりいい先生だったよ」
 これは以前、この欄の「男たち:その2」で紹介した彼である。アルコールで寝たきりになり坐ることも困難だった。髪もひげもぼうぼう、風呂にもずっと入ってないので垢だらけ。毎週往診していたがある時、「先生、また歩きたいからリハビリの病院を紹介してくれない?」と言い出した。在宅医療を応援してくれる同じ区内の病院を紹介した。K先生はそこの院長。どんな患者に対しても朝と夕方必ず顔を見に行き、話をする。この患者さんのような男性から「いい先生」と言われるのは“ほんもの”のいい先生なのだ。今の彼は、じぶんで風呂に入り、近所を歩けるまでに回復した。散髪にもひとりで行く。
 さて、別の患者さんの最近の話である。肺炎で地区の有名な大病院に入院。点滴その他の入院時の指示が出され、看護師が処置を行う。幸い肺炎は改善に向かったが、看護師につらさを訴えても親身に聞いてくれない、色々不満や希望をいうと反抗的な患者とみなされる。早目に退院させてもらったが、驚いたことに若い担当医は入院期間中ほとんど姿をみせず、一度も診察をしなかったという。
 病院の規模も役割も異なるのは確かだ。しかし、この際立った対照はどこからくるのだろうか。いくらスマートで医学ができてもヒューマニテイに欠ける医者では困る。働く場がどこであろうと、医者患者関係の本質は変わらない。医学の実践が医療である。オスラーの言葉:“The practice of medicine is an art, based on science”を思いだそう。

2017年 12月 10日  行かない理由

某メデイカル雑誌で「かかりつけ医の未来」という特集のはじめに医師1000人に在宅診療についのてアンケートをおこなっている。在宅診療をおこなっていないが78% そのうち「今後も取り組むつもりはない」が71%である。 在宅診療をしていない医師の理由がいくつかあげられている。

2017年 12月 3日  介護は出会い

 平成29年11月29日朝日新聞「声」欄「介護:どう思いますか」特集。「介護生活したら見えてきた」ことについて4人が投稿している。
 このうち56歳男性の記事に注目した。タイトルは、“両親の介護「俺って幸せかな」”この方は、介護しながら2つのことに気づく。ひとつは、両親が身をもって「人が老いる」ということをじぶんに見せてくれていること。要介護1の父、要介護5の母を働きながら介護している。両親ともできていたことが段々できなくなってくるが、それなりに「きちんと生きていく姿勢」を体現している。「ありがとう」という感謝の言葉も忘れない。ふたりの笑顔をみると、結構じぶんは幸せかなと思う。もう一つは、会社の同僚のありがたさ。仕事に遅れたり休んだりしても、「お互い様」といった暖かい言葉をかけてくれる。これらを発見できたのも両親を介護する生活があったから。両親が長く穏やかな日々を送れるように介護を続けたい、と結んでいる。
 この方は介護を肯定的に受け止めている。
 ひとを介護することには出会いの要素があると思う。介護されるひとのなかにそれまで知らなかったなにかを発見することである。必ずしもよいことばかりではないであろうが、そのひとの生きている時間はおそらく深くなる。介護されているひととの関係性も深くなるといえる。アーサー・クラインマンはひとをケアすることは、ケアされるひととの関係を通してケアするひとがより人間らしくなっていく苦難にみちた旅のようなものだと述べた。老いて何もできなくなっていく親のなかに新しい親のすがたを見出すこと、介護をしているじぶんもきのうまでのじぶんとは違うことに気づく。それを〈出会い〉と呼ぶこともできる。出会いは向こうからやってくる。介護はつらい出会いに満ちているかもしれないができればこの男性のようにポジティブにとらえられたら、と思う。

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