臨床余録
2017年 11月 26日  シナリオプラニング

ニューイングランド医学誌2017年6月20日号パースペクティブ欄Managing Uncertaintyと題するエッセイを読む。Harnessing the Power of Scenario Panningと副題がある。

 87歳のA神父はICUで挿管された状態で目覚める。多発肋骨骨折に癌転移。外科医の診断は致死率90%。神父は診断を聴いたが、車を気遣い、また運転できるかと問う。予後の予測は不確かなものではあるが、医師は統計学的数字に頼りこれをもとに患者と治療法を選択する。数字は不確かでありあまり患者の役にたたない。患者の現状と先行きを示すものでもない。
 予後不良という情報を示されてもしばしばひとは一種の視野狭窄になり、90%致死率という情報を10%の可能性を信じ、絶対にあり得ない元通りの生活を思う。患者はより多くの情報ではなく、データのより多くの解釈を必要としている。
 リスクの予測と同様に、経年的な石油の価格変動から来年の価格予測がなされることがある。
 1970年の大変動期、シェルオイルのエコノミストは“scenario planning”という言葉を広め、可能な情報を読み取ることで戦略決定を容易にした。正確な予後を強調するのではなく、このテクニックはありうる複数の未来を創り出す。各シナリオは様々な仮定のもとで起こりうることを視覚化する、例えば新油田の発見、中東の混乱など。
 臨床データ予測は経済学のそれより強固なものと思われる。それでも我々の予測はしばしば外れる。可能なシナリオを調べることは、個々のリスクを越えて患者が新たに可能な現実をみることを手助けする。
 シナリオプラニングは不確かさを受け入れ、それを理性的判断(reasoning)に役立つものとして使うことを我々に要求する。
 シナリオプラニングはエコノミストや医師に“私は未来を予測することはできない、しかし、もしすべてがうまくいくならその先はこうなるだろう。もし悪くいくなら、こう予測される”と言うことを可能にする。75%の呼吸不全の確率という代わりに我々は出来事(肋骨骨折と肺炎)と背景因子(癌)の間の論理的関連を示すことが出来る。そして、不明の呼吸状態を提示したのち今後の経過を明らかにすることができる。シナリオは患者に現在の状態をわからせ病因を理解させ結末を想像させる。
 A神父の場合、ありうる範囲ですべてがうまくいったらどうなるだろうか。すぐには抜管できす苦痛は続くであろう。抜管できたとしても年齢、癌の存在、肺機能低下からもとの自立した生活は不可能であろう。
 シナリオはリアルで理解できるものでなければならない。個人の生活史や健康や病の領域にわたる必要がある。シナリオはよく構成されその複雑な生のなかでも最も深い関心や価値を優先的に含むものでなければならない。患者の個性を際立たせることはその病の進行とそれが日常にどう影響しているのかについて新たな感覚を養う。
 シナリオを使うことは患者の意思決定を助ける。その目的は正しいシナリオを創ることではなく、どのように未来がひらけてくるのかストーリーを描くことである。このアプローチの力は患者の状況にあわせてアウトカムを柔軟に描くことである。医者の感受性によってシナリオの構成は違ってくるが、それは大きな問題ではないとされる。
 シナリオプラニングと予測すること(forecasting)は、柔道とボクシングほどの違いがある。最もよい結果は25%であると告げることはシナリオプラニングではない。
 外科医は、A神父と家族にベスト、ワースト、そしてmost likely なシナリオを話した。ベストシナリオでは家に帰れるかもしれないが、車は運転できず癌の進行からナーシングケアが必須となるだろう。ワーストシナリオでは挿管したまま死ぬことになる。外科医は注意深く、挿管チューブが神父にとって今一番必要と思われる他者と言葉を交わすこと(別れの挨拶も含め)を妨げていることを告げ、最もありそうな経過(呼吸不全による死)を説明。その際の緩和ケアの選択についても加えた。人々とのコミュニケーションこそ彼の生涯の仕事であることが共有された。A神父は抜管を望んだ。家族に囲まれてその日遅く彼は亡くなった。

 以上が要約である。医療における意思決定の問題がシナリオプラニングという概念で論じられている。エビデンスに基づく医学も単に疫学データだけでなく患者の意向、医師の経験や技倆が関係する実践だが、シナリオプラニングでは数字にはこだわらず、ベスト、ワースト、most likelyなシナリオを提示し、患者が選択する。そこがポイントである。人々との交流というものを生涯の仕事としてきた神父様という存在の意味が重要視されている。Narrative-based medicine あるいは価値に基づく診療value-based practiceとの共通点を思う。ALSの患者がレスピレータを選択するかどうかという岐路で、このシナリオプラニングは役立つだろうか。そんなことも考えている。

2017年 11月 19日  外来診療の意味

 高血圧のため外来に通院している患者さんは少なくない。血圧が高くても直ちに症状はないので放置している方もいるだろう。
 平成29年11月16日朝日新聞オピンニオン欄のトップに「月1の通院「管理料」の実態は?」と題する投書が載っている。その方のかかりつけ医は「お変わりありませんか。それではいつものお薬を出します。お大事に」。それで終わり。代診の医者は、血圧測定もなく「寒くなったのでお薬を倍にします」と言って処方するだけ。窓口支払いは490円。1割負担なので医療費総額はその10倍。内訳は再診料720円、外来管理加算520円、処方箋料長期投薬加算込みで1330円、さらに特定疾患療養管理料2250円。医師が服薬や運動、栄養など療養上の管理をすることへの対価とされている。しかし、この投稿者への医師からの指導は一切なかった。診療報酬の改定や高齢者の窓口負担の引き上げ案が検討されているが、その前にこのような診療の実態を知ってほしいという意見である。
 まことにもっともな意見というしかない。僕の場合は、どうだろう。まずいかがですかと具合を聴く。この時できればどんなに些細なことでも変わったことを話してくれると対話が展開するのでありがたい。病気の不安や心配だけでなくその方の生活、趣味、家族などを話題にする。カルテのSOAP式のPに指導的なこと、今後の予定などを書く。食事、運動、塩分など簡単に記すだけのこともあるが、必ず記載する。カルテは事務職がチェックし記載がないと、その日の診療後にカルテが僕の机に戻されることになっている。ただ、その記載に匹敵する十分な指導をしたかどうか反省することは多い。検査や投薬に頼らない質の高い外来診療をこころがけなければならない。外来を積み重ね、血圧というひとつの指標をとおしてその方の生活や人生に思いを馳せる、そんな時間がもてればよいと思う。さいごに「何かあればいつでも連絡ください」と伝える。診察券には医院の電話番号のほかに24時間連絡可能な僕の携帯番号が載っている。夜にかけてくる患者はめったにいないがこれは患者だけでなく、僕も安心なのである。医院から出た患者さんとつながっている感覚をもてるからである。
 ところで来年は診療報酬改定の年。全国保険医新聞をみると、「患者が受ける医療の水準を保つためには医療機関の経営安定が不可欠」と厚労省や財務省に要請した、とある。「2002年からの連続マイナス改定は『医療崩壊』につながった」と書いてある。だが、この投稿にあるような診療実態は医療崩壊ではないのか。そのようなふりかえりのない要求は恥ずかしい。

2017年 11月 12日  秋の深まる夕暮れには

「秋の深まる夕暮れには、風が色を変えるのが目に見える。すすきの穂波が不知火海の照り返しを浴びて、金色に透けるような日のことである。」

 こう始まる石牟礼道子のエッセイ「魂の秘境から」(2017年10月26日朝日新聞)には「なごりが原」という小タイトルがついている。なんという美しい文章なのだろう。エッセイでは続いて、幼い少女の頃のこころの原風景が描かれてゆく。水俣川の川口近くのすすきの原っぱは大(う)まわりの塘(とも:土手)と呼ばれ、少女のひとり遊びの舞台。四つん這いで磯茱萸の実を口に含む、いつの間にかお尻からふさふさした尻尾が生えている。コーンコーンとためしに鳴いてみる。するとさびしい風が吹いてたちまち狐は人の子にもどされている。

「大まわりの塘(とも)に 晩にはゆくな 神さまがたの土手じゃから しゅうりりぎんぎん すすきがゆれる ゆけどもゆけども すすきがゆれる」

 何とワクワクする世界だろう。夜になってここに集うのは村の大人たちが畏れ敬う川の神や山の神、ガゴと呼ばれる妖怪たちだったという。
 追憶はついで彼女の祖父と過ごした不知火海の漁の世界に至る。幼い彼女を小舟に乗せて海に漕ぎ出すと、祖父は大まわりの塘を眺め渡して、今生の別れのように「なごり惜しさよ」と呟いていたという。実は、大まわりの塘は、後年、チッソ工場が排出し続けたカーバイド残渣の下に埋もれることになる。まるでそのことを知っていたかのような、予言していたかのような祖父の言葉を彼女は今ふりかえるのである。

印象深い文章だ。

「年に一度か二度、台風でもやって来ぬかぎり、波立つこともない小さな入江を囲んで、湯堂部落がある。
 湯堂湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな舟や鰯籠などを浮かべていた。子どもたちは真っ裸で、舟から舟へ飛び移ったり、海の中にどぼんと落ち込んでみたりして、遊ぶのだった。」

 これもまた忘れがたい『苦界浄土』の冒頭部分である。「なごりが原」は〈苦界浄土〉の世界に連なっている。いま僕のてもとにあるのは、原田正純氏の「水俣病の五十年」というあとがきのある新装版。もう一度読みたくなった。

2017年 11月 5日  つらいんです

 「背中を縦に痛みが走ってそれが周囲に広がってとれないんです。右手はしびれがあいかわらずでお箸はもてない。じかに物に触れるとものすごいしびれが出るので夏でも手袋してます。左手はお茶碗はもてていたのにやはりひどいしびれで持てなくなったんです。」
 Sさん。60代女性。もう1年になるだろうか。頚椎症による難治性のしびれと歩行障害。往診時、いつも同じ訴えではじまる。治せないしびれであると専門の医師に告げられている。それを僕に訴える。つらそうな表情と声音。どのようなしびれなのか、どの程度ひどいのか、普段の生活で何がどうこまるのか、聴いてきた。リハビリのアドバイスを色々してきたが改善しない。ひたすら、そのつらさを訴え続ける。僕はなにもできない。だからそんなに言わないでほしいと心におもうこともある。しかし、それを口にだすことはない。話をさえぎることもしない。聴いていてつらくなる。でも話題を変えることはしない。その苦しみの具体を深く聴くことはする。つまり、しっかり受け止める。だが、わかったふりはしない。ひたすら聴くだけである。聴くことに耐える。聴くだけで何もできず申し訳ないと思う。何もできないならせめて聴き続けよう。大事なのは、聞くのではなく聴くこと。でも聴くだけで何も解決策を与えない僕を彼女はどう思っているのだろう。彼女は訴える。つらいんです、と同じ苦しみを訴え続ける。
 ということは、何か意味があるのではないか。このただ聴いているという受身的行為にも。
 きのう往診の帰り際に、彼女は、「いつもこんなことばかり、おなじことばかり長々と喋って、それをいつも聴いていただいてありがとうございます」と明るい笑顔で述べた。僕はそれまでの泣きだしそうな声の調子との急な変化に驚いた。なにかストンと胸を落ちるものがあった。聴くことには確かに意味がある。

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