臨床余録
2017年 10月 29日  介護をうたう
きみの名はよし忘れてもきみありてわれここにありありがたきかな(原子朗)
ながく共に生きて来た妻の名前を忘れてしまう。たとえそんなことになったとしてもきみはそこにいる、そして私はここにいる。それだけでよいではないか。きみがいて私がいる。それはなんとありがたいことであるか。
腰に巻くパットをはずすとき触るる妻のゆまりの温かくして(金井秋彦)
トイレに行くことができず寝たきりの妻のおむつを交換する。そのとき手に触れた妻のゆまり(尿)が温かかったという歌である。老いてこどものようになった妻へのいとおしさが温かいゆまりに託して歌われている。
坂の上に湧く白き雲 いまはただその雲めざし車椅子押す(桑原正紀)
比較的若くして重い脳障害を負った妻ののる車椅子を押して坂をのぼっていく。坂の上に湧く白い雲をめざして。「いまはただ」が断念の重みを伝える。いつ消えてしまうかわからない雲を目指すというところに不安と同時に切なる思いのようなものが出ている。
ほのぼのとほほけほどけてゑむ母に黒いモヘアの帽子かむせる(日高尭子)
上の句の「ほ」音のリフレインが母のほどけゆくさまを美しく描く。黒いモヘアの帽子が絶妙だ。その帽子をかむせる動作に作者の母への心もちがみえる。
2017年 10月 22日  一通の紹介状

 精神科グループホーム「おきな草」にひとりの患者が某精神病院から入居した。主治医からの紹介状をまず読む。病名として統合失調症、既往歴として消化器疾患、現病歴として9年間入院していたこと、薬を減らすと症状が悪化することが書かれている。処方として朝食後薬9種類、眠前薬13種類。他には何も書かれていない。病気のはじまりがいつでどのような経過を辿り、どのような症状があったのか記載がない。精神障害者保健福祉手帳用診断書を書くのにこれでは困る。過去の教育や職業について何も記されていない。家族についても何も書かれていない。従って、この方がどのような人なのか全くわからない。余白の多い、極めて簡素な紹介状である。病気のために情報が得られなかったのだろうか。そうならばそう明記されるべきで、それはそれで大事な情報である。
 この方に初めて会う。自己紹介した。車椅子上で表情はやや硬いが普通に挨拶。インフルエンザの予防注射について説明、バイタルサインを記録、そのときこの方の右手が麻痺し拘縮があることに気づく。それでもペンを一生懸命もち、名前を書いてもらえた。
 このような身体障害の存在、その原因についても紹介状には書かれていない。
どう言ったらよいだろうか、この方に対する人間的な関心が読み取れない。あるのは何かさむざむとした光景だ。なぜこういう紹介状が通用するのか。患者が、身よりのない慢性の精神病者であるからなのか。おきな草が精神病患者のさいごの看取りの場所だからなのか。従って、詳しい情報など要らないと無意識に判断されたのだろうか。人生の終わりに近いからこそそれまでどう生きてきたかという情報は、そのひとの生の証しとして重要なのではないか。

2017年 10月 15日  往診は医療の原点

 在宅診療には、定期的に患者を訪問する訪問診療と患者のコールに答えて行う往診がある。訪問診療は1カ月に1~2回行うが安定している患者なので精神的に負担は少ない。往診は急に具合が悪くなり診てほしいと頼まれる場合で緊急事態に対応するため緊張しストレスフルである。
 例えば今2人の在宅患者をふりかえってみよう。
 ひとりは、慢性心不全で長く病院に通っていたが、歩行時呼吸苦で通えなくなり、訪問診療となった方。高齢であり本人は長年住み慣れた自宅で亡くなることを希望した。在宅酸素療法に喀痰吸引が必要だった。食事が摂れなくなり頻繁に痰がらみ、息苦しさを訴え、定期訪問以外にケータイで時々呼ばれ往診した。訪問看護師がまず呼ばれるが苦痛が改善されないと僕に連絡が来る。終末期の場合患者さんよりも診ている家族が不安になる。このとき往診できないと家族は見ていられず救急車を呼ぶことになる。だから夜間はきついのだができるだけ往診の希望に応えるようにしている。家族の不安を共有し、診察をして現状の評価をする、慢性心不全の辿る経過、今できることを説明する。このまま診ていきましょうということで家族が安心することが大事である。この方の場合、苦痛を緩和する薬を投薬し本人の希望通り、在宅で看取ることができた。
 ふたり目は、膝が悪くなり他区の内科に通えなくなった高齢独り暮らしの女性。初回の往診時、今までの医師から週2回受けていた栄養の注射を在宅でもしてほしいと希望する。高齢だが屋内ADLは自立している方である。注射は必要ない旨説明した。それよりも彼女自身のことを知りたいと思い、ご家族のこと、今までの生活の歴史について聴いた。結婚、子育て、近所関係など戦後の苦労を話しだしたら止まらなくなった。20分も聴いただろうか。貴重な話を聴かせてもらったお礼を言い、またこの次聴かせてほしいと伝え退去した。栄養剤の注射はしなかったが“時間の注射”(日野原重明)をしたのである。
 さて少し驚いたのだが、初回往診の次の日の夕方、この方から「かぜをひいたらしく頭が痛い、、往診してほしい」とケータイにコール。長く診ている人なら大丈夫だから様子をみて、と言ったかもしれない。だがこの方は訪問診療を始めたばかりの方である。すぐに往診した。単なるかぜかもしれないがそれにきちんと応えることで今後の診療のありようが違ってくる、僕は医師として試されている、そう思ったのである。
 以上、ひとりは在宅診療の終わりに際して、もうひとりはその始まりに際して、往診の持つ意味をふりかえった。この特別なとき以外でも、常に往診は訪問診療とは違う意味を持つ。それは、患者あるいは家族が一番困っているとき、それに応えるということであり、定期的訪問診療よりも大切と思える。往診をどれだけ適切に行えているかが在宅医療の質の指標となりうる。
 10月7日の日本医事新報に、「救急(外来)は医療の原点である」という記事があった。これにならって「往診は医療の原点」と言ってもよいかと思う。

2017年 10月 8日
本多先生の遺したもの(在宅医療と介護に関連して)

 本多虔夫記念高齢生活研究室の勉強会講義を終えるにあたり作る小冊子に下記のコメントを寄せた。

 本多先生は「最近の医療では医学を重視するあまり病人に対する配慮がおざなりになっていると思えてならない。」(「ハイテク医療と医師の使命」慶應義塾医学部新聞:論壇 平成26年2月20日)と述べ、医学は先進的に発展したが、本来患者のためであるべき医療は貧しくなっている現状に危惧を抱いておられた。“The practice of medicine is an art, based on science.(医学の実践は科学に基づくアートである)”とオスラーは述べた。臨床、とりわけ在宅医療はアートの要素が大きい。ひとは生活のなかで病むが、その病むひと全体に取り組めるのは医療というより介護(ケア)である。
 本多先生は、横浜市民病院にいる頃、病状が進行して通院できなくなった脳卒中や神経難病の患者さんの自宅によく出かけられた。勤務医でありながら、在宅での患者の困難に思いを馳せ往診していたのだと思う。神経内科専門医としての診察と同時にかかりつけ医的な細かい配慮を忘れなかった。そこに貫かれているものは病む者、苦しむ者に対するhumanity(人間性)でありhumility(人間としての謙虚さ)であっただろう。今思うと僕は、このように自分のするべきことを黙々とさりげなく実行する本多先生の姿から多くのことを学んだような気がする。

2017年 10月 1日  在宅医療と介護(小冊子用まとめ)

 本多虔夫記念高齢生活研究室講演会が本多先生の遺志をつぎ1年間6回行われた。一応のまとめとして小冊子を作ることになり、僕はじぶんの講義を以下のようにまとめた。

 在宅医療の必要性が叫ばれている背景に超高齢社会がある。2010年から始まった地域包括ケアシステムは、地域でひとが老いや病を迎える際に自分の住む場所でさいごまで生きることを支える仕組み(aging in place)であり、在宅医療と介護は大事な柱である。
 在宅医療は認知症や神経難病など慢性に経過する疾患や癌の終末期、フレイル(老衰)などが対象となる。
 在宅医療は疾患ではなくひとを診る。介護はそのひとと生活を支援する。従って、在宅において医療と介護の連携は不可欠である。
 病院での医学的治療(キュア)が功を奏しなくなるにつれて介護(ケア)の比重が大きくなる。そのひと(主体)に働きかけそのひとを生かす生活づくりをしていくのは医療ではなく介護である。キュアからケアへ。
 アーサー・クラインマンは慢性の治らない疾患をもつひととどう向き合うべきか問いかける。ケアという人間的(実存的)行為はケアするひとが、より人間らしくなるための一種の旅である。それは医師となる若者の心の原点にあり、医師の実践の中心となるべきものであるが、医療技術の進歩は皮肉にもケアのこころを医師から奪ってしまった。
 在宅医療はケア(介護)中心の医療であり、究極の患者中心医療である。患者の希望に沿った医療と介護が施され、結果として自然な看取り(平穏死・自然死)が可能となる。在宅での看取りはかかりつけ医の大事な役割である。
 在宅医療はたやすい仕事ではない。認知症、癌終末期、心不全など非癌疾患の終末期、神経難病、独居者、介護拒否、老人虐待、介護殺人、介護うつ、介護離職、看取り、などさまざまな難題に直面する。在宅医としての修練を積むと共に多職種協働interdependenceが必須となる。

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