本多虔夫記念高齢者生活研究室主催の講演勉強会で在宅医療について話すことになった。 自分の考えをまとめる良い機会である。在宅医の条件というものを考えてみた。
1はサイエンス的能力 2~10はアート的能力 その中でも3のリスペクトが最も大事。 リスペクトさえ持てれば他の項目はついてくるように思う。
The Lancet 2016年9月10日号 The art of medicine欄 Feigned feelingと題するエッセイを読む。
35歳の女性が初めての妊娠で流産した。彼女の部屋を多忙な医学生である筆者が訪れ、慰めの言葉をかける。
原因を聞かれてわからないと答えた後筆者は呼ばれて部屋を去る。
その時ふりかえると、悲しそうにみえた患者は態度が変わり何かを書き始めている。筆者はふりかえる。
じぶんの彼女に対するマナーやコミュニケーションの仕方を。それは正しかっただろうか。
そう問うとき患者はもはや患者ではなくひとりのアクターであった。
医学生にとって臨床能力とは安全性、完璧さ、知識、スキル、そしてケアすることつまり、思いやり(compassionate)、
親切、理解である。ひとことでいえば、共感的(empathetic)であること。
医学生はempathy(そのふりだけでも)を努力して身につけるように教育される。
Empathyという語はケアに関わる職業の属性として当たり前のこととされる。
患者の気持を理解するという最も単純な意味において医者にはもともと備わっている筈のものと思われた。
それ以外の何を医者は必要とするのかと思うほどそれは当たり前のことである。
だが、医学生のはじめに備わっている治療的パッションは医師としての経験を積むにつれ崩されていくことが
さまざまな研究に示されている。
それが臨床のプレッシャーのためであることは間違いない。
押し寄せる患者は物と化し(objectify)名前も覚えてもらえない。
学ぶべき膨大な医学的知識、確認すべき検査結果、多くのペーパーワークで若い医者は疲労困憊し
初期のモチベーションは薄れる。そのような環境で患者の物語を聴き、病いの経験を理解することができるのだろうか。
大事なのは医学生に思いやりのまねを教えることではなく、
仕事の過大な負担が患者との関係を崩す役割をしていることに焦点を当てることである。
ある朝筆者は外科チームと一般病棟の回診をする。
衣類がはだけたままベッドから落ちそうになっているのに放置されているひとりの患者をみる。
認知症で動いてしまうため薬で鎮静されているのであった。
このような光景はひとの尊厳への侵害とみなければならないにもかかわらず、みな忙しくて気にとめない。
医師の経験を積むほど我々は苦しみに慣れてしまう(immune to suffering)、防衛的になり、
そんなヘルスケアシステムのなかで機械のように働くことにシニカルになる。
シニシズムは、患者と距離をとることでじぶんを守る武器になる。我々はたぶん、暗黙の後ろめたさをもって、
empathyとは何としても第一に持たなければならないものではないことを発見する。
すべての患者は物語を持っている。病み、死に瀕し、襲う痛みのなかでその物語を語ることは
患者がケアに携わる専門職からレスペクトされ慰められ理解されるという感覚をもたらす。
同時にそれは患者が退院したあとじぶんの居場所で安全にくらしていけるかどうかの情報を医師に与える。
しかし多くの医師にとってこれらのことはソーシャルワーカーやチャプレンの仕事だと考え、
じぶんの責任ではないとしてしまう。
医師のプロフェッショナリズムの特質として、質(quality)、効率性(efficiency)、リスクマネジメント、
生産性、価値、そして利益ということがあげられる。ケアリング、思いやり、
親切そして研修医の経験の重要性については注意がはらわれることは少ない。
親切であること、思いやりのあることをロールプレイすることはできる。
しかし、どのような練習も、それは空しい共感(empty empathy)なのであり、
我々が遭遇する患者の病いの経験や恐れを理解し、対応することの備えにはならないだろう。
ほとんどの患者はほんものとにせものを区別する。
医学部でコミュニケーションスキルやケアリングついて教える努力はしている。
ある程度は身につけられるだろう。それで問題のない患者もいる。
だが患者とのへだたりの原因は深い。臨床研修の問題として考える先輩医師もいる。
不満を訴えることもなく単なる兵士として働く我々に問題があり
それは研修医のうつ病の高率な発症率と関係がある。
そんな日々での最もパワフルなレッスンはシニア医師が患者やその家族に対する人間的(palpable)
な絆のなかで個人的な存在感をみせてくれる機会に立ち会うことである。
このような経験はつかむことがむつかしく、その質を定義することは困難だがとても大事である。
というのもそれこそが意味深い医師患者関係の人間的基礎(moral basis)といえるからである。
真の親切、正直、関心、そしてケアされることは一度経験したら忘れない。
それらは、筋書き通りの練習をするアクターとしてではなく、
そのときたまたま患者となったひとりの人間へ同情(sympathy)をもって関係を結ぼうとするとき、
私たちが努力するべき目標になるのである。
以上が抄訳である。
はじめの、流産の患者の部屋を出るとき、患者の方をふりかえる場面が筆者の内省力をあらわしている。
患者が患者ではなくアクターになる。患者の方をふりかえることがじぶんをふりかえることになる。
患者へのじぶんの言葉そして態度をふりかえっている。
じぶんをふりかえることは患者の内面に思いをこらすことである。臨床医として必要な間主観的感性を感じる。
医学生のはじめに持っていた病む者、死にゆく者へのempathyが崩されていくという視点は、
アーサー・クラインマンが夙に述べていることだ。
それは医学的知識を身に着けていく上で崩されるというより埋もれていくといってもよいかもしれない。
筆者は苦しみへの免疫(immune to suffering)あるいは自己防御といった言葉でするどく表している。
これは、レヴィナスが〈傷つきやすさ〉(vulnerability)という言葉であらわしたものの対極にあるといってもよい。
「他者の苦痛に対する苦痛、他者の悲惨とその切迫を感じないでいることができないということ」
これをレヴィナスは傷つきやすさと呼んだ。臨床医が備えているべきこのような傷つきやすさを持っていては、
きびしい医学のトレーニングを生き延びることはできないということになる。なんともアイロニカルだ。
朝の救急病棟、夜間に入院した患者で大混雑、その匂いまでが思い浮かぶ。
その中でベッドから落ちそうになっている認知症患者への筆者のまなざしが印象的だ。
なぜこの患者の手をとり話を聴こうとするナースがひとりもいないのか。
こんなところへ入れられたら暴れて逃げようとして当然ではないか。こう問う筆者の純粋さに心打たれる。
患者の物語に耳を傾けること自体が患者をリスペクトすることにつながるという臨床の要諦が
さりげなく記されている。
よい臨床医になるためのロールプレイがempty empathyであるがゆえに
実際の臨床場面では役立たないだろうとされているところ、その通りであると思う。
ほんとうの共感か、そうでないかは患者はわかるのだろう。
それにしてもほんとうの(authentic)共感とはなんだろう。神経難病のひとにじぶんはほんとうの共感をもてているのか?
死に瀕している末期癌患者にじぶんはほんとうの共感を持っているのか?・・・わからない。
にせの共感ともいえない。かといってほんとうの共感といえる確証はない。
考えるほどにほんとうの共感がわからなくなる。
現役をとうに退いたH医師、今はひとりでくらしている。ある真夏日、食欲が落ち、立てなくなった。
訪問看護師を通じて僕に往診をしてほしいと連絡があった。先輩医師から往診を頼まれるのは光栄である。
診察をし、軽い熱中症のため点滴をした。
その日の2人目の往診は奥様とふたり暮らしのAさん。遷延する肩の痛みのため電話があり訪問した。
診察をし、鎮痛剤と貼り薬を処方した。
帰りの車のなか、このふたりの一見単純にみえる往診の背後にある事柄についてナースと話した。
H先生。働きざかりの息子さんを二人続けて原因不明の突然死で亡くされた。二人の健康な若い男性である。
一人でも考えられないようなことであるが、二人続けて起こった。現代のヨブではないか。
H先生は生きてこられた。
Aさん。社会的に優れた仕事をしていたひとり息子が認知症を発症。
介護も医療も完全に拒否し、部屋に引きこもり、やむなく施設入所(強制入院)となった。
その時の、痛苦からAさんはせん妄状態で徘徊し、転倒し左肩を骨折した。
それが治癒したあとも鋭い痛みが時々おそう。なぜケガをしたのかAさんは思い出すことができない。
ふたりの老年の背後には深い、癒されがたい創がある。
「わたしたちのふつうってすごいことなんですね」とナース。
人知れず悲劇を抱えて生きている人がいる。それを誰かがそっと聴き取るということ。
同情(sympathy・ Mitleiden)あるいは共感(compassion)のほんとうの意味を思う。
ふつうであること、へいぼんであること、なみはずれた不幸にみまわれない、
ふつうのせいかつをおくることの有難さ。ふつうってすごい。たしかにそうだ。
あたりまえにみえる僕たちの“ふつう”を見直すべきだ。
だが、ほんとうに“すごい”のは Hさんや Aさんが、それぞれ谷底に突き落とされるような日々を経て今は、
周囲からはふつうにみえる生活をしていることなのではないだろうか。
「台風が通った次の日、“大丈夫ですか”と電話が入りました。
誰かと思ったら、週一回来てくれる訪問看護師さんでした。」こう話すのは独り暮らしのAさん。
10年以上前から診ている。今日は月一回の往診日。
ご主人が亡くなった5年前、「先生、これから独りになります。生きていけるかしら?」
と彼女は主治医である僕に尋ねた。
そのとき僕は「年とっても独りでくらしているひとはたくさんいますよ」と答え、
それに加えて「大事なことは退屈しないことです」と言ったという。
僕は覚えていないのだが彼女は長いつきあいのなかで僕の言った言葉を心のノートに記録していて
勝手に僕の語録をつくっている。この「独りで生きることに退屈しないこと」というのも語録に入っているらしい。
そしてその通りにやってきて、おかげで今こうして独りで生きていますという。
僕は驚き、そして面はゆさを隠すためについ笑いがこぼれる。
それにしても、ご主人を亡くされたひとにその後の人生を退屈しないようにというのは
随分素っ気ない言い方だなと(じぶんでも少しあきれて)思うのだが、
よく考えると深い意味がこめられているようにもとれる。
比較的若いときに病いに倒れたが、その楽観的にもみえる生きる姿勢が彼女なりの“普通の生活”を支えてきた。
高齢にもかかわらず彼女のこころはしなやかだ。しなやかさはレジリエントな生き方に通じる。
彼女は僕から教えられているというが、おそらくそれ以上のものを僕は彼女から学んでいる。
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