臨床余録
2016年 8月 28日  わたしのまえとうしろ

“われ無しで子らはもう生きわれ無しでもう生きられず老いたる父母は”
小島ゆかり『馬上』

 今、母親としてのわたしを必要としなくなるまでに子どもたちは成長した。 それと同時に、子としてのわたしを必要とするまでにわたしの両親は老いてしまった。 わたしもかつては母なしでは生きることができなかった。そのわたしは成長し、今ここに生きている。 しかし、やがてわたしも老い、生きるために子どもたちを必要とするときが来るだろう。
 ひとりの女性の感性を通してひとの一生というものが巧みに表現されている。 あかごから寝たきりの老人に至る人間の姿勢と歩行のかたちの変化によりひとの生・老・病・死を考えさせる 「ヤコブレフの図」を思い出す。この図によると、ひとの育児と介護は左右対称、どちらも自然と思う。 その自然な育児と介護がさまざまな困難を、ときには悲劇を引き起こしている。それが現代だ。

2016年 8月 21日  欠落が欠落している

研究会のあと、みなとみらい地区けやき通りを歩いて帰る。ブロックの一角でマンションが建設中である。 このマンションも他のマンションと同じく僕が往診に苦労するような入り口のロックシステムをつけるだろう。 ここに住むひとのことを何気なく思う。となりは大きな交番、そのむこうは有名な救急総合病院。 うしろは国際会議場、臨港パーク、その向こうは海。 左にはホテル、コンサートホール、みなとみらい線の入り口、ランドマークタワー、右には新しくできたショッピングセンター、 そのむこうに美術館。便利で安全で清潔。そして何でも手に入る。保育園もジムも本屋カフェも、何でもある。 ないものがない・・・・・。ほんとうか。ないものがある。欠落。にんげんが生きていくために必要な欠落がない。 欠落が欠落している。それが理想のみらい都市?

2016年 8月 14日  なぜ、あなたなの

 「家族には、断然反対されましたよ。なぜ、あなたなの、って。私自身、恐怖もあったし、最後まで迷いました。 でも、今そこに酷い苦しみや悲しみを味わっている人が何万人もいることを知っていて、 私はそれに対して何かができるかもしれない医者の免許を持っている。 なのに何もせずにいるということが、自分として許せなかったんです」
 こう述べるのは日本の某総合病院救急科医であり国境なき医師団(MSF)のメンバーでもあるひとりの若い女性医師。 アフガンのクンドウズから戻り、日本の病院に再就職したばかりで、西アフリカのエボラ出血熱の流行のためMSFの緊急募集に手を挙げた。 シエラレオネのボーにMSFが開設した病院に派遣される。子どもを含めた死の日常。自分もまた死と背中合わせの日々。 死にたいする人々の悲しみはとても深い、ひたすら悲しみをあらわにする。しかし、そこにとどまらない(とどまれない)。 前に進む。外から日本をみると、環境的に幸福であるだけ、死を後悔や恨みといったネガテイヴな色合い強くみているのではないか。 日本では死が(不自然なまでに)とても不幸なものとらえられているようにみえる。
 クンドウズの病院がアメリカの空爆を受けMSFのスタッフ14人と患者あわせて42人が亡くなった。 彼女が指導した現地ドクター達も死んだ。彼らの彼女に対する感謝の言葉を思い出す。 「たぶん、悲しんだり何かを憎んだりする私を、彼らは喜ばない。 いつも笑顔で優しく教えてくれて有難い、と言ってくれた、そんな自分であり続けることが、 私にできるせめてものことだと思っています」「私自身は死ぬのはそれほどイヤではなく、 いつ死んでもいいような充実した人生を歩みたいと思っています」

 以上が記事の要約である。これにさしはさむ言葉を僕は持たない。 ただ、ここに真にまともな人間がいる、痛々しいまでに人間的な感受性と行動力を備えた若い医者がいると思うのである。

2016年 8月 7日  ほかへ行ったら何もなくなっちゃう

 地域ケアプラザ主催のケア会議に出席した。 12年前から通院している僕の患者Hさん(独り住まい高齢女性)の事例検討である。 長屋式のアパートの一室に住む。 水道が故障して出なくなったが、空いている隣の部屋の水道とトイレを使っている。 毎日近くのコンビニに買い物とおしゃべりに行く。 長いつきあいの八百屋さんや肉屋さんに黒いダイヤル式の電話(プッシュホンは使えない)で注文し、 時々つけで届けてもらう。最近、ごみ出しができず決められた以外の場所に捨てるので苦情がでている。 大家さんは家をなおすつもりはなく引っ越しをすすめる。 民生委員が訪ねると家にはネズミ、蛇、ハクビシンなどがいてとても人が生活できるような場所ではないと思えてしまう。 介護保険でヘルパーさんを頼んでもなかに入れないだろう。こどもを含め親族とは縁を切り全く関わりがない。 昼間からビールを飲んでいるときもある。このようなひとに地域ではどのように関わっていったらよいであろうか。 これが会議のテーマである。
 血圧は非常に高く心肥大が著明で心房細動があり、心不全や脳梗塞のリスクがある。 最近は医院に歩いて来るのに何度も休む。しかし予約日に必ず来る。  本人は「困ってることなんてないです。ここにいて不便はありませんよ。 人が声かけてくれるしね、みな親切でいい人ばかり。ここで死にたいの。先生、検査や病院だけはかんべんして。 ここがいいわ。ほかへ行ったら何もなくなっちゃう」という。いつも笑顔であり、暗い顔をみたことがない。
 さまざまな意見がそれぞれの立場からだされた。確かに、家族のいない80歳を越えた女性が引っ越すのは容易ではない。 今それなりに生活しているが新しい環境では大変だろう。 彼女の命を守るという目標や清潔な人間らしい住まいにしたいという希望が一方にあるが、 それが彼女の今の生活をこわすことにならないか。 本人は「私はこれでいいんです、困ってないんです」といっているのである。 本人の生きる権利をどう考えたらよいのか。 命を守るためにまわりのひとたちでルール作りをしたらどうかという意見もあった。 ルールというかたい決めごとにするのではなく、今までどおり見守り、 それもゆるい見守りをしていくのが一番よいのではないかという意見が最後にでた。 正攻法的に日常生活自立支援事業、成年後見制度の財産管理、 身上監護といった面からアプローチする考えもあると思われたが、時間切れとなった。
 僕は、「みんないい人ばかり、ここに住み続けたい」という彼女の言葉を聞くと、 西戸部という地域にいて少し誇らしい気持ちになる。と同時に彼女を大したひとだなと思うと述べた。 そういう気持ちでこれからも彼女を診ていけたらいいと思っている。

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