第3回高齢者生活研究室講演勉強会、高齢期の生きがいを求めて-フランクルをてがかりに- 講師濱田秀伯 に参加した。
講演は、フランクルを中心に、ハイデッガーの哲学や宗教にも及び、中身の濃いものだった。
多様な思惟のありかたが提示され、聴衆が講演後に質問などを通して参加することができたのは良かったと思う。
僕自身のフランクルとの出会いは医学部時代。
内的挫折を経てなお医者になる意味、あるいは生きる意味などを求めて『夜と霧』『死と愛』『意味への意志』
などをむさぼり読んだ。精神科医への門にフランクルが立っていたといってもよい。
講演のなかで「創造価値」「体験価値」「態度価値」といった懐かしいことばに出会うことができた。
そういえば「ホモ・パチエンス」(苦悩する存在としての人間)もフランクルだった。
異常な環境のなかでも異常にはならなかった彼だが、「異常な環境のなかでは異常になって正常なのだ」ということばものこした。
癌で闘病していたひとりを思いだす。
知的な方で、いまじぶんが生きている日々を支えているのはフランクルと森田療法の言葉であると述べておられた。
本来ずいぶん離れていると思われるふたつがこの方のなかではひとつとなってその生を支えている。
そのことがぼくのなかに今もなおそのひとのすがたとともに残っている。
バス通りから 細い道をくだる 谷間の 木がこんもりと茂る奥の 一軒家 ひくい天井の かしいだ壁の廊下をゆくと ほのぐらいひかりのなか つめたい布団に ひとりの女性が ふせっている 夫を早くに亡くし 子どもたちは 去り ひとりで 飲食店のパートをしながら ほそぼそ暮らしてきた 食べる欲をうしない ふらついて転び 骨盤骨折 痛みで動けず 散らかり放題の部屋 ざんばら髪に 少し汚れた寝巻き 歯は欠け 顔も手も 煤けた灰黄色 せんせいにこんなところへ来ていただけるなんて とくりかえす 玄関の すりきれた靴 ぺちゃんこのスリッパ ざらざらの床 裸電球の ふるえる影 とおいれきしを 生きてきたひと ところで たとえば アンチエイジングの のっぺらぼうの つるつるのはだの どのような過去を 思い浮かべることもできない ようなかおにくらべて いま 目の前にいる 深いしわの刻まれた やせ細った ぼろぼろのひと それほどのじかんを生きてきた そのひとを まるで いるはずのない姉のように思い 話しかけようとしている じぶんがいる
西区に認知症カフェ「わたぼうし」ができて1年が過ぎた。
そのふりかえりのための地域ケア会議が後方支援している戸部地域ケアプラザで開かれた。
月に1回、平均20名が参加。参加者は本人、介護者、地域住民、看護師、キャラバンメイト、あけぼの会会員、社協、
ケアプラザスタッフ、医師など。
利用者の感想として、①同じ介護者と出会い、話をすることで癒される
②具体的な心配事を相談できる ③自由に参加できる ④認知症サポート医に医療面でのアドバイスをもらえる
⑤認知症初期支援チームにつなげることができる ⑥介護についてケアプラザのスタッフに相談できる などである。
僕自身の感想としては、診察室ではなくカフェでとなりあってコーヒーを飲みながら
その方と1対1で話をしたり聴いたりすることが新鮮であり貴重な時間である。
先日、ある患者さんは会社に勤めていた頃の同僚と僕が似ているといってしきりにはなしかけてくる。
その方がその後僕の診察室に来て「やあ!しばらく。また会えましたね」といってみせた笑顔は忘れられない。
介護に切羽詰まってあぶない状況のひともみえる。スタッフのひとりが個別的に訪問支援している。
全体としてにぎやかで明るい雰囲気。認知症を恥ずかしいこととしてオープンにしない家族がいたり、
迷惑をかけるとして介護を頼もうとしなかったり、壁はまだまだある。
だが、ありのままでいられる場、息抜きができる場、支えあいができる場として少しずつ前進しているのではないかと思う。
医師となって40年、開業して15年が過ぎました。
町医者は、開業医、ホームドクター、かかりつけ医とも呼ばれますが、
その原点は地域に住む人びとの生・老・病・死を見守るということです。
そこに必要とされるのはケアのまなざしです。ケアとは、ひとの世話をする、配慮する、介護するということです。
ちいさなクリニックの診察室で、あるいは往診先の居間や寝室で、人びとの生きている表情や息づかい、
病のありさま、老いのかたちを見つめてきました。
医学は年々進歩し、先端的診断技術や治療手段はますます発展するようにみえます。
すぐれた医者になるとはこれらの医学の進歩を身につけることとされ、原点にあるケアのまなざしは失われがちです。
どのように生きたひとでもさいごは一枚の木の葉が落ちるように亡くなります。
その方の人生への敬意をもちながらさいごを見届けるのも町医者の使命です。
ケアのプロセスを通して、残されたひととともに一種の達成感を持つこともあれば、深い悲しみが残ることもあります。
亡くなった方のすがたは消えずにこころのなかに生き続けます。
このエッセイ集は、“医師として善く生きるとは何か”
ということをひとりの町医者が臨床の迷路に立ち止まりながら書いたものです。
多くの方に読んでいただけることを願っています。(7月末発行予定)
いま、在宅で介護している人は557万人。認知症患者は462万人。
介護者の4人に1人が患者を手にかけたいと思ったことがあるという。日本のどこかで2週間に一度、介護殺人が起きているという。
7月3日NHKスペシャル「介護殺人」特集。番組は見なかったがネットの記事「介護殺人当事者たちの告白」を読んだ。
なんという暗さかと思う。夫が妻を、息子が母を殺す。被害者はみな重度の認知症を患う。
半数以上が介護を始めて3年未満で事件に至っていた。4分の3は介護サービスを利用していた。
「認知症のため意志の疎通がとれない」「牢獄にいるよう」「介護するためだけにじぶんがいる」
「地獄」「先の見えない介護生活」といった思いの断片が手を下した人から語られる。
さまざまな思いが湧く。介護の重さは間違いない。絶望的になることもあるであろう。
そこから先は当事者でなければわからない領域であり、僕がことばをはさむことはできない。
だが僕自身の仕事に関わる問題にじぶんに向けて問いを発することはできる。
介護されるひと、介護するひと、そのどちらにもこころをオープンにして僕は向き合っているだろうか。
「大変ですね」「頑張ってますね」で終わっていることはないだろうか。
「ケアをすること-より人間らしくなるための旅」という精神科医アーサー・クラインマンのエッセイがある。
認知症の妻をケアする現実とその意味を問うている。
「ケアをする人自身が実際に情動的なサポートを受けてみれば、効果的なケアを行なうためには何が必要なのかがわかる。」
「それは、実際にケアする体験に密着したことばを使うことにつながる。
そうすると、ケアすることは典型的な道徳的・人間的実践となる。
ケアは共感豊かな想像的実践となり、責任を果たす営みとなり、証人であろうとすることになり、
そして途方もない窮地を生きる人びとと結束しようとする実践になるのである。」『ケアすることの意味』(皆藤章訳)
ケアする人への情動的サポートがなされることがポイントとされている。
だが、単に情動的援助だけではなく、具体的(時間的、物質的、マンパワー的)援助が必要ではないだろうか。
ケアが道徳的・人間的実践であることに異論はない。
しかし、一般庶民の立場にたてば、そう考えることができるのは、具体的な援助が与えられたときないしはその後ではないだろうか。
また、親または連れ合いが認知症になる以前の関係、例えば幼小児期の親子関係、
結婚後の若いころの夫婦関係がどのようなものであったのか、それが介護に関わるときの心の態勢を規定するのではないか。
つまり、ケアという道徳的・人間的実践をあらかじめ妨げるような関係が存在するのだとしたら、
そのナラテイヴに耳を傾け、そのことで介護するひとをケアする、そのようなサポートも(具体的な援助に加えて)必要なのではないか。
介護殺人の実態をかいまみて、その絶望的暗さからの感想である。
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