臨床余録
2016年 6月 26日  本多先生の遺したもの(3)

 平成5年5月20日「慶應義塾医学部新聞」の切り抜きをみている。 「論壇」に「医学教育改革に際して:教より育に重点を」と題する本多先生の投稿記事が載っている。 ジョンスホプキンス大学の改革を紹介。①知識を詰め込む教育からじぶんで効果的な勉強ができる医師を育てる。 講義を少なくして本を読む時間を十分に与える ②情報処理のできる医師を育てる。 特にコンピュータを使いこなせるように教育する ③医療の社会的、経済的、倫理的側面にまで関心をもつような教育をする。 そのために病院の外来、診療所での先輩医師の診療の見学、往診にも随行させる。 日本でも検査技術の進歩はめざましくエコー、CT、MRIや種々の血液検査で精度の高い診断がつけられるようになった。 一方、高齢の患者が増え、急性疾患より慢性疾患が多くなり、脳死、臓器移植、安楽死、 遺伝子治療など医療倫理に関わる問題もクローズアップされるようになる。 このように医療環境が変わってきているのに日本の医学教育は相変わらず暗記主体の教育である。 求められているのは、洪水のように押し寄せる新しい知見から必要なものを選び出す能力、 患者とコミュニケーションをうまくとる能力、患者を取り巻く環境にも関心をもつ人間性などである。 病院の指導医はこれらを若い医師に教える責任があるが、むしろ自ら良い医師に成長していこうとする下地が大切であり、 それは学生時代に育っていることが望ましい。教よりも育に重きが置かれるべきである。

 以上が要旨である。20年以上前の論稿だが現代にも通じる視点であろう。

 「良い医師に成長していこうとする下地」は確かに教えられるものではない。 ただ、医学部に入るときはみな良い医師になろうと思っているのではないか。 ひとをケアするという素朴なヒューマニテイを(多少の濃淡はあるにしても)みな備えているのではないか。 問題なのは、医学部を卒業するときにはなぜかその新鮮なモテイベーションの土台が削がれていることである。 医学教育の何かがその下地を削ぐ方向に働いているのではないかと『病いの語り』の著者、アーサー・クラインマンは述べていた。
 医学はますます専門分化し、医師は先端的診断能力や治療技術を身につけることが要求される。 それが良い医師になることとされ、医学部での教育もその下請け的なものになっているのではないか。

 「臨床医の本来の任務はその人間が病気から受ける衝撃全体を最も効果的に取り除くという目的の下に、 病む人間をマネージすることであり、単に病気を診断したり治療することではない」 (『THE EFFECTIVE CLINICIAN』PHILIP A. TUMULTY)
 これはジョンズホプキンス大学の内科教授の言葉である。 本多先生はこのような伝統のある大学病院で学んだことを、我々に伝えようとしてくれていたのだと思う。

2016年 6月 19日  いまできること

 日本ALS協会神奈川県支部平成28年度総会が西区フクシアで開かれ、顧問医のひとりとして列席した。 昨年から顧問医に加わっていただいた横浜市大神経内科教授田中章景先生の講演「ALS研究・治療薬開発の概況」を聴いた。 すぐに期待できるというほどではないけれど希望はある、というメッセージが伝わってくるものだった。
 交流会の最後まで参加した。 発症してまだ短い期間の方、胃ろうを始めた方、BiPAPをつけた方、レスピレータをつけた方、 10年以上の経過で今はトータルロックトイン状態の方のご家族、遺族の方々、 そのスペクトラムの広さがこの会の質を示している。
 在宅リハビリについて、喉頭全摘についての問いがあり、僕のわかる範囲で答えた。 東京本部から見に来ている幹部の方のひとりが医者も参加して活発な会であると感想を述べていた。 寄り添うというほどのことではない、積極的に貢献しているわけでもない。 だが初めから交流会の最後まで参加する(ただそこにいる)ということはできる。 医者として働いてきた40年以上の時間の嵩(かさ)だけは背負っている。

 きのうは、認知症カフェわたぼうしに行き、コーヒーをのみながら皆のはなしを聴いていた。 そこに坐ってにこにこしているだけなのだが先日、 他区からの見学者は認知症カフェに医者が来てくれるなんてうらやましいと言っていたそうだ。

 僕もだんだんdoingという在り方(何かをする存在)からbeingという在り方(ただそこにいるという存在) になりつつあると自覚しているが、一方ただそこに居るという在り方(being)も、 上記ふたつの会を通して考えると、ひとつの行為(doing)のかたちとして考えることができるかもしれないと思っている。

2016年 6月 12日  安楽と安らぎ

“不快の源そのものの一斉全面除去(根こぎ)を願う心の動きは・・・ その対面の機会そのものを無くして了(しま)おうとするものである。”

 藤田省三のこの言葉が6月11日朝日新聞の折々のことば欄に紹介されている。 鷲田清一氏は「心地よいものだけに囲まれていたいという欲望。 それは、見たくないものは見えないようにしておく・・欲望へと膨れ上がる。」 とまとめ、「『安楽』への全体主義」の心性に触れている。

 藤田省三の論稿「『安楽』への全体主義―充実を取り戻すべく」を読んだ。
 僕らの日常はいやなこと、不快な出来事に満ち溢れている。 その個別的な苦痛や不愉快に対してその場合ごとに対応しようとするのではなく、 不快という生物的反応を呼び起こす原因そのものを根こそぎ無くしてしまいたい、そのような心性を安楽主義と呼ぶ。 それは、「異なる文化社会の人びとを一掃殲滅することに何の躊躇も示さなかった」かつての日本の軍国主義の心理につながる。
 今日の社会は、このような一面的な「安楽」を優先的価値とする。 「それは、不快の対極として生体内で不快と共存している快楽や安らぎとは全く異なった不快の欠如態なのである。」 これを「安楽への隷属状態」と呼ぶ。
「能動的な「安楽への隷属」は苛立つ不安を分かち難く内に含み持って、今日の特徴的な精神状態を形づくることになった。」 「安らぎを失った安楽」という逆説が出現する。
 安楽への隷属に私たちが定住するとき、そこで払うべき代償、それは「喜び」という感情の消滅である。 ある目標の達成のためには、多少なりとも不快な事、苦しい事、痛い事などの試練に遭遇するものである。 そして、その試練を耐え克服して道を歩みきったとき、その時に獲得される物は、単なる物だけではなく、 成就の「喜び」を伴った物なのである。
 試練を経ず、完成した物だけを享受する生活からは、喜びの感情は経験できず、忍耐、工夫、持続といった徳も失われる。 生きる時間の経過は、山や谷といった立体的構造を失い平板な道となる。
 安楽追求の不安は安楽を保護してくれそうな者への過度の依存をもたらす。会社、そして国家である。
 「一切の不快の素を機械的に一掃しようとする粗雑なブルドーザーに私たちの心が成り果てた結果、・・「物」の概念を始め、 生活の中心に関連する、 「安らぎ」・「楽しみ」・「享受」・「喜び」等の諸概念の意味内容がことごとくニュアンスを失って「熨(の)されて」了ったという、 情意生活の上で殆ど致命的な損失―に取り巻かれて今日の日々を暮らしている。」

 読みながら、なるほど、その通りだ、と何度も思う。 「安楽への全体主義」の心性が僕のなかにもあるからこそ、よくわかるのだろう。 ほんとうの安らぎ、ほんとうの喜び、そしてほんとうの楽しみを僕はいま日々の生活のなかで体験しているだろうか。 平らな道を安楽な車にのって走っているだけではないのか。 毎日の生活、ひととの関わりの仕方をふりかえり、失われたものを少しずつでも取り返したい。 安楽への傾きを遠ざけ、「忍耐を含んだ平静な自己克服の喜び」をいつも手にしていたい。 それこそがどんな仕事であろうとその行為に充実をもたらし、 それだけが「安楽への隷属」に対する最も根本的な抵抗であると藤田は論をしめくくっている。

2016年 6月 5日  本多先生の遺したもの(2)

 本多先生の回診を時々思いだす。研修医のプリゼンテーションを聴きながら患者の診察を始める。 小脳症状の診かた、バビンスキー徴候の有無、不随意運動の診かた、 眼底の診かたなど教科書を読んでいるだけでは決して身に付けられない神経学のスキルを僕たちは学んだ。 頭痛を訴える患者の眼底は必ず見なければならなかった。病歴の曖昧なところを聴き直し診察所見と合わせて病態を明らかにしてゆく。 精神医学の難解さとはまた異なる神経学のむつかしさに戸惑いながら、一方神経系の複雑な構造と機能を知っていく喜びも大きかった。 市民病院に勤めて間もないころ、回診のあと必ずひとつ本多先生に質問をすることをじぶんに課していた。 回診は診断や治療方針をあきらかにするだけでなく教育の機会でもあった。 そして必ず患者に声をかけ励ましの言葉を与えていたことも忘れられない。 先生は僕たちに何か目標を立てて勉強するようにアドバイスした。
 カルテは自然に本多先生の書き方をまねしていた。SOAP式で時々英文で書かれたのをコピーさせてもったこともある。 今僕が書くWd(well-developed)
 Wn(well-nourished) Alert and coop  in no distress unremarkable  reassuredなどの使い方はその時覚えたままだ。 必ず問題リスト(problem list)を作ること。そこには高血圧、脳梗塞など医学的問題のほかに独り暮らしなど社会的問題も記された。 そしてReview of systemとして当面の神経学的所見以外の頭の先から足の先までの異常を見落とさないこと。
 退院した患者をもう一度みなで見直すサマリーカンファレンスが毎月開かれた。診断、検査、治療などをふりかえる。 サマリーは一篇の小論文を書くつもりで書くこと、個々の患者が教科書的な知識とどこがどう異なるのかを記すことが大事とされた。 亡くなった方の中から選んで病院全体でmortality conferenceが開かれた。 論文は医学にcontributeするものでないと意味がないとされた。
 ニューイングランドジャーナルのcase record読み合わせカンファレンスは不定期にしかし持続的に続けられた。 これを通して症例を系統的に論理的に診る仕方を学ぶことができた。 世界の先端的医学を学びまた英語のジャーナルを定期的に読むという習慣が自然に身についたと思う。
 ALSという最もchallengingな神経難病に対して本多先生は(本多スケールと僕は呼んでいる)独自のスケールを考え、 進行の度合いを評価する研究をしていた。 手指や舌など多くの前角細胞が関与する筋肉には多くの点数を与えるユニークなものである。
 (療養中の先生から「今後、この病気が解明されていく段階でこのスケールが役に立つときがくるかもしれないのでよろしく。」 とスケールがプリントされた青い表紙の小冊子が送られてきた。 それから2カ月もたたないうちに先生が亡くなるとはその時は思いもしなかったのだ。)

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