花冷えの午後、大学の救命病棟の医師からコール。 僕が長く訪問診療しているKさんがデイサービス中、急に意識がなくなり搬送された。 救命処置を施したが亡くなられた。 診断書を書けないので警察に届け検屍となるがご家族から僕の名前を聴いたので連絡したという。 驚きとともにKさんの顔と奥さんの顔が浮かぶ。いま僕がすべきことは何かを考える。 経過を聴いたが、何故急に血圧が下がり救急処置に反応しなかったのかはわからない。 しかし、死をもたらす犯罪的行為がないことは明らかであり、警察を呼ぶという不合理を受け入れるわけにはいかない。 僕が大学病院まで行き、診断書を書くことを提案。救命医も同意、奥さんもそれを希望しているという。 他の仕事を切り上げ、タクシーで行く。救命病棟の処置室のひとつに奥さんが小さく座っている。 ベッドの上に手足の拘縮したからだが横たわる。穏やかな死に顔に救われた。 自宅に訪問するといつも笑顔で迎えてくれた彼はもういない。奥さんは静かに夫の死を受けとめている。 「私もぎりぎりでしたし、いつかこういう日が来ると思っていましたから」と述べる。 死因を推測し死亡診断書を書いた。 帰り際、救命医から「このようなケースでかかりつけ医に連絡してもめったに来てくれないので今日はありがとうございました」 と言われた。奥さんを悲しませる警察介入による検屍という手続きは避けることができた。 帰りのタクシーのなか、“医学の実践はサイエンスとアートから成る”というハリソン内科書の最初の文章を思い出していた。
〈会いたくて抱擁をしたこの人に介護のために同じことする〉(宮田隆雄)
朝日歌壇 永田和宏氏が第一席に採った歌。「恋の抱擁から介護のための抱擁へ。
厳しい現実であるが、どちらも共通するものは愛だと思いたい」と評する。
若いころ恋愛関係にあった彼女がいまは老い、眼のまえに病み衰えて横たわる。
かつての抱擁はいま介護のための抱擁となる。同じ抱擁だがちがう。
ひとつ次元の異なる抱擁といったらよいだろうか。
エーリッヒ・フロムが『愛するということ』(The Art of Loving)で書いた愛するということの重層性を思いだす。
燃え上がるようなものでなない。静かさを湛えた湖のようなもの。
それを維持するには努力が要る。介護というものが根源的にもっている人間的な意味を思う。
永田氏のいうように「どちらも共通するものは愛」であるが、
介護をとおしてひとはいちだん深い愛にみちびかれることもあるのではないか。
それを〈たましいの抱擁〉と呼んでみる。春が足踏みしている、きょう花冷えの朝に。
まだ寒い日が続く。「3・11後、私は変わったか」というアンケ―トを朝日新聞が実施している。
何をもって「私は変わった」というかはひとにより様々だろう。ぼくの場合は大いなる地殻変動をおこした。
生き延びるために、これだけは変えられないというものを考えた。じぶんに与えられた場所で今しなければならない仕事をすること。
これ以外のことは、言ってしまえば、どうでもよいことだ。
ひとつ肝に銘じるべきは、簡単に〈3・11〉と書いてしまうが、
それは決して東北のひとたちの3月11日の持つ意味と同じではないということである。
想像力の枯渇をおそれなければならない。
西区訪問看護ステーション主催の「移動・移乗に伴う福祉用具の利用方法」というタイトルの講習会に参加した。
反町福祉機器支援センター理学療法師山崎哲司氏が講師。
主な内容
1.在宅リハビリテーション事業の紹介
2.機能低下を予防するための福祉用具
3.離床を促進するための福祉用具
リハビリテーションの原義は、人間の復権である。ベッド上生活であったひとが車椅子を利用して ウッドデッキ上に出て春の陽光を浴びる、電車に乗れないと思っていたひとが外出支援制度を利用して電車に乗る そのときの 生きているよろこびの実感は当事者だけにしかわからないかもしれない。 だが医療や福祉に携わるぼくらは、そのことを可能にする事業があるということを当然知っていなければならない。
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