臨床余録
2016年 2月 28日  グレンツゲビート

 西区グレンツゲビート研究会が開かれた。Grenzgebietとは「境界領域」というドイツ語。 今年で38回目、つまり38年間続いている会である。ぼくら開業医同士の境界、あるいは開業医と病院との境界。 その各専門領域のボーダーを越えてお互いに学びあう場が必要であり、それがこの会であるという風に理解している。 例えば、英国では各GPはすべてジェネラルなのでグレンツゲビートのような研究会はおそらくないであろう。 日本の開業医がみなそれぞれの専門領域を持つという特殊性のなかにこのような会の意味がある。 今年は、内科系(脾梗塞を起こした抗リン脂質抗体症候群、部分発作重積を来した脳炎など) 外科系(そけいヘルニアの内視鏡的手術など)に加えて精神科(うつ病のリワークプログラム)や泌尿器科、 産業医からの発表があった。 また、胸鎖関節の微脱臼と開口障害の関係というユニークな演題が整形外科チームの柔道整復師から発表された。 専門領域をもつ医師がそれぞれじぶんの辺境において他領域の臨床をまなぶ良い機会とえる。 西区在宅医療相談室の活動報告もあった。 看護領域からの発表もあると医師と看護師との境界をまたいで更にひろく患者のための医療を考えることができるだろう。 境界の壁は低い方が見通しがよい。究極的には壁がなくなるほうにいくのだろうか。
 朝日新聞「私の視点」に若い女性医師が2017年度から変わる専門医制度 (総合診療の方向へ専門医の質を高めるというお題目)に危惧をいだく理由を述べている。 地域医療に負の影響がでる可能性に触れている。
 医師の専門性はどうあるべきか、むつかしい問題だが、 38年間続いているこのグレンツゲビート研究会はひとつの方向を示していると思う。

2016年 2月 21日  せんせい、あとどれくらいですか

ひとり暮しの83歳の女性を看取った。 不安定狭心症でステント治療をおこないながら老人ホームや子どもの施設に腹話術をして回っていた。 歩くと苦しいから家で安静、というのではなく、苦しくてもひとの喜ぶ顔を見たくてボランティア活動を続けていた。
日記を書く習慣があり、ぼくの診療所に来る前のエピソードをコピーしてみせてくれた。 少し忘れっぽくなったと自覚し、或る〈ものわすれ外来〉を訪ねたときの文章である。

「何だか判らないまま、当日私は喜び勇んでやってきた。別室の個室へ通され、すぐ尋問のようなことが始まった。 ドキドキ・・・「今日は何年何月何日ですか?」・・・「どうしてここへ来たのですか?」 初対面の検査士にいろいろ質問され私の頭はこんがらがってしまった。 何の心の準備もないまま、これが認知症の検査とは知らずにやってきて。希望した覚えもなく。 ヘンナ!・・「午前11時までに○○クリニックに頭のMRIをとりにいってください」 ・・・・・トンネルに入ってガーゴーと騒音が面白かったけれど。こうして認知症患者がひとりできあがった。」

ユーモアを感じさせながらなかなか辛辣だ。
そんな彼女だったが、しだいに認知症がすすみボランティアもできなくなった。 ぼくの外来にくるとほっとしますといつも言っていた。今年にはいり食欲が落ち動けなくなり、あっという間に床ずれができた。 それまで拒んでいた介護ヘルパーさんや訪問看護師に入ってもらった。一時食べられるようになったが、発熱し肺炎を併発した。 「病院はいやです」といっていた。とるのは水だけになった。 ある午後の往診時、痰がらみの咳の合間、やっと聞こえるくらいのかすれ声で「せんせい、あとどれくらいですか?」と尋ねた。 「良くなるから大丈夫ですよ」とぼくはこたえたのだが往診を終え歩きながら「ああ、もう彼女は死を受け入れている。 天国のおかあさんが呼んでいるのかな」と思ったのだ。 (彼女には「世界一のママ」「母と並んでお針」というとてもいいエッセイがある) その数日後、春の嵐の吹き荒れる夜半、腹話術の人形たちがとなりの部屋で見守るなか息を引き取った。

彼女を通して看取りについて考えた。看取りとは、心臓と呼吸が停止したことを確認し「ご臨終です」と宣言することではない。 死にいたるそのひとの生きた記憶を家族とともに振り返りながらこころの中に丁寧に仕舞いなおすこと、それが看取りだと思う。 午前1時半、駆けつけたご家族に病状経過を話すとともにぼくからみて 彼女がどんなに素晴らしい生き方をしたひとであったかをお話ししたのである。

2016年 2月 14日  こころは年とともに成長する

 「高齢生活研究室」第1回講演勉強会に参加した。本多虔夫(まさお)先生が代表、濱田秀伯先生、福井次矢先生らがシニアアドバイザー。 本多先生が「高齢期を生きて経験したこと、見聞したこと」と題して講演された。先生は今82歳。 65歳で横浜市民病院など市の病院を定年で辞められたあとのいわば後半生(第2の人生と表現された)について話された。 70歳から勤めていた舞岡病院を2日前に退職された。第2の人生の特徴をフレイル(虚弱)という言葉で説明。
 ①身体的フレイル(筋力の衰え)
 ②精神的フレイル(不安、寂しさ、認知機能の低下)
 ③社会的フレイル(ひきこもり、生きがい喪失、友人を失う)
 フレイルの対処法として、活動性、生きがい、そして心をきたえること、から だの衰えを心の強化でおぎなう
 つぎに、病(やまい)への対処法。病気探しはしない、早期発見早期治療は若 いひとのこと、高齢者には有害。必要なのは病との共存。医師にじぶんの生き方をわかってもらう、医師と病むひととの共同作業が望ましい。
 穏やかなさいごをめざすためには欲張らないこと、スローライフをこころがけ、さいごまで生きる目標をもつこと。

 そして本多先生ご自身がいま膵癌にかかっていることを明かされ、手術も抗癌剤も選ばなかったと述べられた。

 平易なことばで深いことを話されたと思う。 特に、身体の衰え、知的能力の衰えは避けようのない老年にあって、こころ(おそらく思いとか感情などの領域)はさいごまで成長するということ、このことは強くぼくの印象に残った。 脳は萎縮する、しかしこころのひだは多彩にそして深くなると言いかえてもよいだろう。

2016年 2月 7日  心のセーフティーネット

 2016年2月3日、朝日新聞「ひと」欄に20歳の女性の記事が載っている。「母が自殺し、自らも自殺未遂をした。 児童養護施設でいじめにあい、公園の水を飲んで空腹をしのぐホームレスを経験した。」中学校に通えず転々とする。 施設の新聞を辞書で調べ字を覚えた。現実を忘れたくて図書館を訪れ、短歌と出会う。「1首1行。すっくと立つ短歌に一目ぼれした。」じぶんの絶望の体験を短歌に詠む。 「短歌があるから私はひとりぼっちじゃない」という。不登校や夜の街で働く人と好きな歌を披露しあううちに自然に悩みを打ち明けられる関係ができる。 「短歌は心のセーフティーネット」になれるのではないかという。第1歌集を出した。その1首。「目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ」
 ぼくは少し驚く。短歌という日本の伝統的な一詩型にこのようにアプローチし、このように自らの生に取り込んでいる例を知らない。 「短歌は心のセーフティーネット」とはとても新鮮なことばだ。

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