臨床余録
2016年 1月 31日  (やまい)詩歌(しいか)

 ひとりの若い女性。12歳のとき遺伝子異常による稀な腫瘍性疾患にかかる。 女性としてかけがいのない身体臓器を切除せざるを得ない。 理不尽な運命にうちひしがれながらも短歌という表現手段を得る。最近出版した歌集がぼくに送られてきた。 そこから10首選んでみた。

①ぐさぐさと潰したままの苺パイ胸にしまって春がもう来る
②劇薬を受け取りそばに置きしまま冷えし弁当ひとり食べおり
③洗顔の後にしばらくタオルあて泣く真似をしてはじめる朝
④看護師の表情の無さに救われる予期せぬことのばかり起こりて
⑤人々のこころの木立のあることにささえられつつこの部屋を出よう
⑥手術していくつ臓器を亡くすのか知らされなかった十二歳の日
⑦放射戦治療をどうして受けるのか聞かされなかった十三歳の夜
⑧十三歳でさらわれた子たちに言わないで「娘時代のたのしさ」なんて
⑨勝ちに行く帰るところがなくっても内蔵写真のような夕焼け
⑩ただそこにこうべを垂れていればいいやまない雨はいつか来るから
               『ゆきふる』(小川佳世子)

 1首目、苺パイは食べるもの、それをぐさぐさに潰したまま胸にしまっている。苺パイは比喩である。 若い女性だったら大好きなもの。それをあえてぐさぐさに潰してしまう。「ぐさぐさ」という荒い表現に気持ちがでている。 しかも、それを捨ててしまうのではなく胸にしまっておくというのだ。哀切ともいうべき感情をおぼえる。
 2首目、身体の激痛を和らげるための薬(医療系麻薬か)を渡される。その時の感情はいわく言いがたくつらいものであろう。 それを冷えた弁当をたったひとりで食べているという下句で受け止めている。
 3首目、ほんとうは号泣しているのだ。しかし、それをそのまま短歌にしたら詩としては成り立たない。 泣く真似をせざるを得ないところに苦しみはある。
 4首目、看護の基本からいうとここは「表情の豊かさに救われる」となりそうだが、逆に「表情の無さに救われる」のである。 深く病む(生死の淵にいる作者はおそらくスピリチュアルな次元で苦しんでいる)ひとに寄り添うとは何かを考えさせる歌だ。
 5首目、ひとの「こころの木立」も比喩である。こんもりとした緑、その下に行くとふとやすらぐものがある、 そのことに支えられている。
 8首目、なぜかカズオ・イシグロの『私を離さないで』を読んだときの何ともいえずすっぱいような重い悲しみの感情を思いだす。
 9首目、帰るべきところがなくても負けるわけにはいかない。生への意志のようなもの。血のような夕焼け。
 10首目、歌集のさいごの歌。祈りの歌である。

 作者はなぜ病気を持つじぶんを表現するのに散文ではなく短歌という詩型を選んだのであろうか。 もしじぶんの病気をひとに伝えることが主な目的ならば散文でよいであろう。 しかし作者は病気ではなく苦しむじぶんを表現しようとした。他人にわかってもらうことを一義的な目標とはしていない。 そのような時は散文ではなく詩がふさわしい。作者にとって感性の型が詩のなかでも短歌に最もあうのであろう。

2016年 1月 24日  ひとはぼけていないようです

 「空襲だから早く防空壕へ入らなければ、田舎の客が来ているからもてなしを」などと真夜中に脈絡なく喋りつづける。 困った家族からの依頼で往診した。93歳女性。 「ひどくおかしいけれど人はぼけていないようです」という息子さんの言葉が印象に残った。薬手帳をみせてもらう。 認知症の薬、安定剤、抗うつ剤、などが他院から処方されている。 それらの薬を整理していくうちに夜間のお喋り(せん妄)はおさまってきた。そのかわり「夫は船乗りでした。 あちこちついていきました。ハワイにも。先生、死にたくなっちゃうの」などと言うようになった。 くりかえし「死にたいの」という言葉をきかされる。それもごく平静な表情で、多くは微笑を浮かべて語られるのである。 おそらく病的な希死念慮とされ安定剤や抗うつ剤が処方されたのだろう。 しかし、長く生き年を重ねてきた結果として、このように死への願望をいだくことはあるのではないか。 それを病気としてしまってよいであろうか。生きることの苦しみの部分に直接触れる言葉はない。 しかし「食べること、見ること、着ることが好きだったんだけど、いまは何にもないの」と言う。 訪問を重ねるうちに僕が来るのを楽しみに待ってくれるようになった。「私は、若い頃はずいぶん活躍したんですよ。 婦人部の会合の檀上とかでね、演説といったって好きなこと喋っていただけなんだけど、死ぬときは先生、 いっぷく盛ってしずかにゆかせてくださいね。私はしあわせです。長生きしました。94歳ですから。 死ぬときは苦しいんですか。早くあの世で楽になりたいんです。きょうも雨。先生は雨男。 若いころはさぞいい男だったんでしょうね。あら、先生、もう帰っちゃうの」といいながらいつも笑顔で送ってくれた。 残念ながら最近は言葉が出なくなってきた。 彼女と共にした最後の日々の記憶をしかととどめること、それが広義の看取りの意味だと思う。

2016年 1月 17日  わたぼうし

 第3土曜日午後の往診が済んでからわたぼうしカフェに行くと、 すでにおおぜいが細長い楕円形のテーブルを囲んでなごやかな雰囲気である。 僕が認知症のご主人を在宅で看取ったNさんに会う。時間が巻き戻される。何度徘徊で警察のお世話になったかわからない。 会うといつもニコニコして穏やかなひとだった。食べられなくなりさいごは眠るように亡くなられた。 奥様であるNさんは今カフェの手伝いをしたり、認知症で困っている方の話を聴いたりしている。
わたぼうしの意味を調べてみた。「真綿をひろげて造ったかぶりもの。もと男女ともに防寒用。 後には装飾化して婚礼に新婦の顔をおおうのに用いた。かずきわた。おきわた。ひたいわた」が文字通りの意味。 もうひとつ「樹木などに積もった雪」という意味もある。これは枝に積もった雪が帽子のようにみえることからであろうか。 やわらかい詩的なイメージだ。ふんわりとひとりひとりを包みこむ綿のぼうし。このカフェの雰囲気をあらわしているようだ。

2016年 1月 10日  いづこの闇へ

わが眼の底に咲く紫陽花を診たる医師暗室を出ていづこの闇へ
                    塚本邦雄『緑色研究』

眼の底は医学的に言えば眼底。眼底検査を受けているのであろう。そこにみえる紫陽花とは眼底出血か。 その著明な変化をみても医師は何も言わず。患者を置いたまま暗室を出ていく。なぜ医師はでていくのか。医師はどこへいったのか。 わからない。それを「いづこの闇へ」という結句の中に終わらせる。暗室の闇の中に置かれた患者。 出て行った医師も闇のなかに向かっている。闇と闇の交響。その心の劇が短歌という詩に凝縮されている。

2016年 1月 3日  すべてがうしなわれたようにみえながら

ひとり居の女性 70歳 乳癌切除のあと 放射線療法を受けた 左うでが腫れ ほとんど使えなくなった 数年たって  放射線を受けた胸壁に 数個の潰瘍ができた いつのまにか しんぞうに水がたまり うごけず 食べられず 胸壁の潰瘍は悪化  それはまるで 膿汁に満たされた ちいさな池のよう まいにち 看護師が訪問 せっけんで泡をたて洗浄し 軟膏を塗る  いっこうに改善のきざしはみえない 背中のとこずれもふかくなった 咳をするときずがひどくいたむ はずだ けれど  くるしい とはいわない つらい と声にうったえることもない しずかに目をつむり耐えている ようにみえる なぜ  耐えられるのか 夫をうしない 家事のできる健康なからだをうしない 美しいからだをうしない 子は去り 仕事をうしない  経済的基盤をうしない 人間関係をうしない そして ただ しずかにその日を生きている ように見える 話しかけると  かすかにほほ笑む だけ ことばはない そこに のこされているもの 彼女を生かしめているもの 僕は考えつづける  それをことばにあらわすことは 永久にできない にしても

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