だれでも年をとる。だんだん動けなくなる。ひとりで風呂にはいるのが大変になる。
トイレに行くのに苦労する。しばしば失敗する。物忘れする。どのようなひともやがて死を迎える。
それまでできるだけ自宅にいたい。介護保険をフルに利用する。訪問医療も利用する。
何とか自宅でさいごを迎えられることもある。しかし、老々介護では限界がくることも多い。
さいごの頼みは特養(特別養護老人ホーム)である。
多くのご家族はそこに入れてもらったことで安堵する。
しかし、当人はどう感じているのだろうか。
施設入所とは、じぶんの居場所からの一種のdisplacement(強制移動)の体験である。
根こそぎに近い体験として受けとることもあり得る。
明らかな混乱を示さないとしたら、逆に感情を閉鎖して認知症は悪化するかもしれない。
あるいは、逆にそれまで十分なケアが受けられず、
時によるとあと一歩で虐待になりそうなほどの在宅環境の場合は、
入所により救われることもあるだろう。施設入所のよしあしをそれだけで述べることはできない。
あくまでコンテクストが大事である。
僕の患者さんのひとりが特養にはいり、ご家族からその様子が報告された。
それまで在宅で、患者さん主体の愛情深いケアをこころがけてきた方だが、
ご自分も心臓を悪くし限界と考え、特養入所となった。その安心感は大きく、
施設への感謝を口にされていた。しかし、毎日通ううち、
患者さんのいる階全体が何かにおおわれていることに気づく。
それは、あきらめと無感動と尊厳の欠如。みなそういうものとしてそこにいる。
そうみえるがそれでよいのだろうかとご家族は僕に問いかける。
介護や医療なしでは生きていけない高齢精神障害者のためのグループホーム「おきな草」はどうだろう。
僕が診ている、
看取りも含めたケアの施設だがひとりひとりにどうしたら幸せをもたらせるか(瞬間の幸福)を念頭に、
スタッフはその関わりの質を常に考えている。
それまでの長期にわたる精神病院での生活からの変化を入居者ひとりひとりはどう感じているだろう。
アトウール・ガワンデの『死すべき定め』の中に、医師ビル・トーマスの“実験”が描かれていた。
ナーシング・ホームに蔓延する3大伝染病―退屈と孤独と絶望―を叩くこと。
ホームの各部屋に観葉植物を置く、芝生をはがして野菜畑と花園をつくる。そして動物をいれる。
激しい反対を押し切って行われた、この31歳の若き医師の実験はめざましい結果をしめした。
3大伝染病が払拭されたのである。
上に述べた僕の患者のご家族も、犬を飼うこと、植物の世話をすること、
壁に明るい絵を貼ることなどを施設に提案したが何も返答がないという。
施設には固有の規則や方針があるにしても何か閉鎖的な印象を抱いてしまう。
スタッフが慢性的に不足しているという現状はあるだろう。
それでも、もう少しオープンにしてはどうか。
僕の立場から言うなら、例えば家族が希望すればそれまでのかかりつけ医が往診できるようにする。
関係性の維持は認知症ケアの重要な柱である。
施設にはいったら手のかかるケアは要らないということにはならない。
本人の意志の外から行われるdisplacementがもたらすネガティヴな影響をできるだけ少なくし、
可能ならポジティヴな効果を与えうるものにしたいものだ。
80歳ひとり暮らし男性Bさんの在宅担当者会議が開かれた。
新たな介護度がでたところで彼を支えるサービスを皆で考えようという目的。
呼びかけ人であるケアマネージャーさんの他、後見保佐人、デイケアリハ担当、
ベッドなど介護用品担当者、ヘルパー代表と最も身近で世話している担当ヘルパー、
それから主治医である僕が参加した。
脳梗塞後の歩行障害があり、
かるいめまいで繰り返し夜間救急車をコールし病院に搬送されては異常なしとして帰されていた。
訪問診療するようになってから救急車は呼ばなくなった。
かわりに僕への頻回のコールとなった。難聴の彼との会話はエネルギーを要した。
耳鳴に幻聴がまじるようになった。
それが薬の調整で落ち着き、ショートステイを組み合わせ、保佐人のやさしいまなざし、
ヘルパーの親身な世話が彼の不安を少しずつ和らげ、僕へのコールも劇的に減った。
さらにやる気のあるデイケアリハ担当が歩けない彼に寄り添い訓練を課し歩行能力が改善した。
そういう状態での今回の会議。3~4畳の狭い部屋。
ベッドに坐る彼のまわりに(まるで王様にかしずく家来たちのように)僕たちが床のうえにぺたんと座る。
それぞれの現場から彼に関する現状が報告された。
最後に、後見保佐人が1枚の紙を配り、
彼の今後を「事前指示」という側面から(彼自身では判断がむつかしいと思われるので)
皆で討議しようと提案。少し驚いた。皆もややきょとんとした感じ。
いざとなったとき救急車を呼ぶか、食べられなくなったときどうするか、延命措置をするかしないか、
などを各々4~5個の選択肢から選ぶ。日常性の中に急に非日常性がはいってきたような感じがした。
今の平穏がずっと続いてほしい、その先のことはできれば考えたくない、
そんな僕じしんの無意識に気づかされる。
しかし、つぎの瞬間、僕は思う。これこそが今必要なことではないのか。
着地が近づいてきたらじぶんがおりる場所がどういうところなのか、ある程度は考えておくべきではないか。
そこが何もない砂漠であっては困るのだ。
唐突ともいえるこの問題提起はそれぞれが考える宿題となった。
じぶんの終わりを思い描くことは、今を自覚的に生きることにつらなる。
死の自覚は生に深さをもたらす。
サービス担当者会議で事前指示につき話し合うことはそう簡単なことではないだろう。
だがそれを単にマニュアル的手続きとしてではなく、
当事者を含めそこに関わるひとそれぞれが自分の問題として考えられるならば、
それはそれぞれの生きる物語を深めることにもなり、ひいては在宅医療の質を高めることになるだろう。
月1回訪問診療している80歳女性Mさん。片麻痺はあるが独り住まい。
身の回りの生活動作は自立。家事はヘルパーさんの助けになるが料理はできるだけ自分でする。
先日ケアの担当者会議が開かれ入浴が問題にされた。
今はひとりでやっと入っているが事故のリスクがあり、昼間ヘルパーさんがいるときに入る、
あるいは訪問看護師に介助してもらう案が出された。
Mさんは長年眠る前にひとりで入浴する習慣がある。恰好はわるいが自力で浴槽もまたげる。
そのやり方を変える気はない。もう少しこのまま様子をみることになった。
以上を僕に報告したあと彼女は「息子には、お風呂で死ぬことも含めて、
私がどんな死に方をしても決して悔やまないでね、と言ってあるんです」と言った。
近隣の方の介助で僕の外来に通っていたやはり80歳代の独り暮らしのKさんが、
数日前お風呂で亡くなり検屍となった。
四肢の不自由がありケア付き老人ホームに入ろうと思えば入れるひとだった。
不自由ながら周囲の手を借りつつ自分の生活を律していた。
身体は衰弱に向かっていたが老いの品位を感じさせる方だった。
安全ではなく自分らしい生き方を選んだ結果の死。
彼女はじぶん自身の死を死んだと言えるだろう。
「高齢者にとって怖いものは死ではない、と超高齢者が教えてくれる。
死よりも、いずれ起こってくること-聴覚や記憶、親友、自分らしい生き方を失うことが怖い。」
「ナーシング・ホームの存在理由に何か立派なことがあるとすれば、それは安全である。
しかし、(ホームの中で)彼女は悲惨といえるほど不幸だった。
その理由は彼女が安全以上ものを人生に求めているからだった。」
(『死すべき定め』アトウール・ガワンデ)
高齢者における自律と安全の問題。この二つが両立すれば一番よい。
しかし、自律と安全はしばしば背反する。
上記の人たちから学ぶのは個々の人生へ謙虚なまなざしを向けることなく、
無条件に安全を目標としたケアが施されることへの警告である。
ガワンデが書くように、安全を求めた結果“悲惨といえるほどの不幸”をもたらすケアがありうるのである。
認知症とともに次第に歩くことが困難になってきたKさん。
近くの医師が内科的管理のために訪問診療をするようになった。
当初喜んでいた家族は何かおかしいと感じはじめる。
状態が落ち着いているが2週間ごとに訪問し、型通りの診察をする。
はじめの検査で特に異常がないのに1~2か月ごとに血液検査する。
病院で(特に症状がないのだが)心電図や胸のCTをとるように指示される。
腰の痛みに珍しい診断をつけていきなり強い薬を処方する。
疑問をもちながらもいざというときのためにその先生に続けてみてもらうしかないと家族は考えている。
毎年恒例の「社会保険診療懇話会」が医師会で開かれた。
「保険審査をめぐる諸問題」として、医療費の動向からはじまり、
審査支払機関(社保支払い基金と国保連合会)の在り方、審査体制と審査状況などが細かく説明された。
「データヘルス時代の質の高い医療の実現」が目標とされた。
ついで「在宅医療における診療報酬について」説明がなされた。
僕は、会の終わりのあいさつをしなければならなかった。
両先生にお礼を述べたあと、「医療の個別性」と「保険の画一性」は矛盾する、
だからこそ適切な医学的判断が大切という話が印象に残ったと話した。
続けて、最低限査定されない医療を目標とするべきだが、
ただ“査定されない医療が即ち質の高い医療ではない”ことを我々臨床医は銘記しなければならない、
と付け加えた。上に記したKさんのことが頭にあったのである。
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