“Why animals make us better people”というタイトルの1ページの記事が『NATIONAL GEOGRAPHIC』今月号に載っている。
ナシジオワイルドチャンネルのスターである73歳の獣医、Jan Polへの質問という形式。
なぜひとと動物との交流がそんなに大事なのか、という問いに答えている。
「子どもたちのなかに動物を置いてみればいい、こどもはほかの何かよりもまず動物の世話をしなければならないことを学ぶ。
それは子どもたちに責任ということを教える。
必要な食べものをあたえること、ケアをすること、予防接種すること、馬たちの毛づくろいすることまで、子どもたちに教えている。
こうした経験はのちのち子をより善いにんげんに育てることになるだろう。」
なるほどと思う。そして僕の小さい頃をふりかえる。戦後の貧しい時代。
庭にはいつも鎖につながれている犬が一匹、それとすこしのニワトリがいた。
犬はいつも吠えてばかり、やさしく面倒をみた覚えがない。ニワトリをいじめる僕をおんどりが追いかけてきた。
父が庭で野菜を育てていた。庭に池があったので、春や夏にはおびただしい数の蛙が庭をぴょんぴょん跳ねまわる。
僕は兄たちとその蛙を投げ飛ばしたり、甕(かめ)のなかに閉じ込めたりした。
母が食べ物を買うために野毛の古書店に本を持っていき金に換えていた。そんな時代だった。
その風景がなにか悲しげなのは、死ぬまで鎖につながれていたあの犬のせいかもしれない。動物とのよい思い出はないのだ。
さて、ときは流れ、僕の子どもが小学低学年のこと、学校からの帰り道、仔犬や子猫をつぎからつぎに拾ってくる。
それを僕はなにかまぶしいものをみるような気持で受け入れた。子どもと一緒にかわいがった。なぜなのかわからない。
しかし、子どもに善い人間に育ってほしいから、などとは思わなかったのは確かだ。
長野県野尻湖沿いで2泊3日の休暇を過ごした。黒姫駅からずいぶん奥まったところ。ひとがあまりいない。 ポツンとこじんまりした静かなホテルで、周囲には湖と林しかなかった。 しかし、木々のそよぎや澄んだ風の音、湖面のひかり、ふかい空、雲のながれ、とぶ鳥たちのかげ、 かなたにうっすらとみえる黒姫山、これらは僕の生活圏では体験できないものだった。 本を読み、ゆっくりと食事をし、外を散歩した。久しぶりにビールを飲んだ。 夏休みの知らせはしていても2~3の患者さんからケータイに相談がはいる。さいわい大きな問題はなかった。 読んだ本は『預言者』(カリール・ジブラン)『ぼくらの民主主義なんだぜ』(高橋源一郎)『人間の死に方』(久坂部羊)など。 日常と隔絶した場所での読書はぜいたくな時間だ。中学生のころ、夏休みが終わると、 担任の先生は僕たちに休み中何冊の本を読んだのか訊いた。ふとそんなことも思い出す。短いがわるくない夏休みだった。
「貧しさこそ、真の出会いに必要であるということは、われわれを深く慰めてくれる」
霜山徳爾:朝日新聞5月27日「折々のことば」(鷲田清一)より。
貧しさといえば通常は、経済的な意味、あるいは聖書でのこころの貧しさという意味でつかう。
臨床心理学者である霜山氏は、貧しさを嬰児のほほ笑みにみる。その意味するところは深い。
「自らに閉じこもらず、といって世界とのかかわりで、全く一定に決められてもいず、相対的で、満たされない不十分な状態」
つまり「きわめて貧しい素朴な態度」だけが出会いを可能にするという。
ある若者の話である。中学1年の時、友達の家に遊びにいった。そこは2部屋しかない家でその狭さに驚いた。
そこにたまたまいた父親が息子の友達が遊びに来たのにだしてやる菓子がないということの悲しさを、
なぜか歌にして歌ってみせたという。若者にとってはその父親の振舞いが印象に残ったのだが、僕は聴いていて胸か熱くなった。
この父親には嬰児のほほ笑みと同様、出会いを可能にする「貧しい素朴な態度」が備わっているといえないだろうか。
ところで、医者として僕は、貧しさの代わりに痛みということばを思い浮かべる。ひとの生・老・病・死に必然的に伴う痛み。
とりわけ老い、病い、死に伴う痛みは逆説的に、真の出会いをもたらしてくれる可能性をもつ。
僕たちの臨床の意味はそこにこそあるといってもよい。
そして、痛みと共に在るひとと出会うためには(それは常に困難に満ちているのだが)
その痛みの深さまで僕たちはおりていかなければならない。開かれた「貧しい素朴な態度」をもって。
「老いてゆき、ぼけてゆく人にとっても、ぼけてゆくものの医学があるにちがいない。
ぼけているものの医学の側から、先端にいる医学者の医学を反対にてらしだすことも必要であろう。」 『神話的時間』
これは先日亡くなった鶴見俊輔氏のことば。
「ぼけてゆくものの医学」とは何だろうか。
ぼけは、今は、認知症と科学的に呼ばれるようになったけれど何が変わったのだろう。どこか冷たい呼称だ。
認知症とされるとひとは、いわば人生の表舞台からおろされる。日々の生活の周辺にやさしく追いやられる。
それに対して、認知症とされたひとが追い詰められながら作り出す独自な生き方の力学、
あるいはじぶんたちの存在が単なる医学的治療の対象に矮小化されていくことに対する異議申し立て。
ぼけてゆくものの医学とはそうしたものではないか。
WHOによると「健康状態とは、身体的、精神的および社会的に完全に良好であること(well-being)であり、
単に病気や病弱でないことではない」とされる。
この健康の定義によれば、神経難病や認知症は(治らないのであるから)、どんなに治療しても健康にはなれない。
しかし、2011年に、このWHOの定義を批判した新たな健康の定義がだされた。
「社会的、身体的、感情的諸問題に直面した際に適応し自らマネージする能力
(the ability to adapt and self manage in the face of social, physical, and emotional challenge)」を健康とした。
この定義によれば、認知症と診断されるような状態があってもそれとうまくつきあいながら生きているひとは健康ということになる。
これも鶴見さんのいう「ぼけていくものの医学」であろう。
“WHOの定義とは別に、「私にとっての健康とは」という一人ひとりの定義があってもよいのではないか。
それはだが、恣意的なものではなく、「これが私のいう健康です」と名づける行為を通して、
そのひと独自の生き方が浮びあがって来るようなものが望ましい。そして、「病気」でないことが「健康」なのではなく、
「病気」であっても、そのひとなりに善く生きることが達成されていれば、それはそのひとにとって「健康」といえるのではないか。
「病気」がいろいろな表情を持つように、「健康」もさまざまな顔を持ってよい。
「私の健康」は「あなたの健康」とは本質的に異なり、交換することはできない。”
「健康は生きる目的?」:メディカルエッセイ集『バビンスキーと竹串』より
これは以前に僕が書いた文章だが、これも鶴見さんのいう「ぼけゆくものの医学」の一端に触れるものかもしれないと思っている。
西区訪問看護ステーションが20周年を迎えた。ふだん、医者が看護のことを考えることはあまりない。
しかし、看護は医療の土台のようなもの、その大切さを認識し看護的まなざしを少しでも備えている医者は、
そうでない医者とくらべ患者への接し方が異なる。
また、看護師にとってもじぶんの領域に安住せず医者的まなざしをうけいれる態度はその実践を深いものにするにちがいない。
医者のまなざしと看護師のまなざしは双方で補いあいながら医療を支えている。
言いかえると、良質な医療には医者のまなざしと看護師のまなざしの両者が必要なのである。
さて、訪問看護は病院看護(主として医者の補助的役割)とは異なり、在宅患者の個々のニーズを探り、その生活に添い、
療養の世話をする。往診医の行き届かない点をきめ細かいケアで補い、介護する家族の負担や苦しみに耳を傾ける。
訪問看護は医療と介護の両者と連携をとり、在宅医療全体の要(かなめ)の位置にあるといえる。
今の日本は、長生きを願いつつ、長生きをおそれるというおかしな社会である。
在宅医療の発展はこんな社会の不幸を減らす力となりうる。その中心に訪問看護があると考えている。
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