「眼科医の眼が私の眼の上をホバリングしている」こう始まるのは7月4日付けランセット誌の“The art of medicine”。
彼は今、私の左眼の内直筋の下にフックをかけて縫合をしている。
私は彼の罠(わな)にとらえられ頭を動かすことも、まばたきすることもできない。
私は彼の色とりどりの虹彩の収縮を見、頬にかかる彼の息を感じ、彼の眼は私の眼の隅々を覗(のぞ)く、
しかし我々はお互いを見合うことはない。
だが、一瞬のことではあるが、形勢が逆転し、私は彼を見る、突然私は窃視者(voyeur)となる。
というのは、彼は私が彼のことを見返しているのを見ることができないのだから。
施術が終わり、私が起き上がり眼の涙をぬぐうと黄色の蛍光物質に染まったぼろぼろしたものがこぼれ落ちた。
私は眼科医の方に向き、施術の間、“彼を見ている眼”として私の眼を診ていたのかどうか、
私が彼を見返しているのがわかっていたか、尋ねた。
彼の眼は大きく見開き、しばらくの間なにも喋ることなく私をみつめた。
そして「私はついぞ、そんなことを思ったことはない」と答えた。
1週間後の外来でのこと、眼科医は前回の私の質問が彼を突き刺した(my question stuck with him)と述べた。
別の患者の眼を手術中、突然その眼、つまり“手術されている眼”が変わり、“術者を見ている眼”になる。
すると手が震えだす。じぶんを見ている眼、見張り番のような眼を今診ていると思うとひどい混乱に陥った。
そのため術中に患者の眼がじぶんを見ることが出来ない反対側に道具もすべて移し、
ようやく手術を終えることができたというのだ。
私達はおかしくて笑った。
彼は優秀な眼科医である。しかし、私は少し心配である、彼に自意識というものを私が感染させてしまったのではないかと。
以上はエッセイのほんの一部だが大いに示唆的である。テーマは医学における“みること”についてである。
眼科は直接みることがすべてだから、わかりやすい。しかし、眼科以外の領域にあっても多かれ少なかれ、同様であろう。
患者を見ることは患者から見られることである。ひととひとが向き合うということは双方の主観が向き合うことである。
そこに生まれるのは〈間主観性〉である。上記の眼科医は従って〈間主観的感性〉に目覚めたといってもよい。
ふるえはそのいっときの代償といえるだろう。
「この季節には新鮮な生野菜をたくさん食べましょう」ひとり暮らしのNさんのところに月一回くる栄養士さんがアドバイスする。
Nさんの毎日の食事内容を聴き取り、何が足りないかをチェックする。からだに必要なバランスのよいメニューをすすめてくれる。
フレッシュな野菜と言われれば、そうだなと思う。しかし、生野菜でおなかをこわした経験があるNさんはあえて生野菜を避けてきた。
でも若くていかにも健康そうな(生野菜のような)栄養士さんにそう言われると食べなければいけないのかな、と思う。
そんな話を最近来てくれるようになった訪問看護師に話した。この看護師さんはベテランで、風貌もおおらかでゆったりとしている。
話をよく聴いてくれる。
そして無理に生野菜を食べなくても、じぶんのからだにあった温野菜でよいのではないかと、アドバイスしてくれた。
Nさんは安心した。そして、この看護師さんを温野菜のようなひとだな、と思った。
85年間生きて来たNさん。今までの食生活がからだにあっているからこそ現在の自立したひとり暮らしがあるのである。
生野菜のフレッシュな刺激を受けやや動揺したNさんであるが、温野菜の暖かさを再発見したようである。
消化管腫瘍の治療のあと、肺に転移が見つかった。その方は、高齢でもありそれ以上の検査や治療は望まず退院した。
訪問看護師、ケアマネージャー、そして往診医として僕が、ひとり暮らしの患者さんの家に集まった。
それまでの経過、今の状態を確認し、患者さんを交えて今後のプランを共有するためである。
食事、排泄、屋内移動など基本的な日常動作は自立。痛みや呼吸苦など問題になる症状もなかった。
週2回の看護師訪問、隔週の医師訪問、24時間緊急コールの契約など在宅医療の計画をたてた。
その後、一度「動けない」とコールがあり看護師が緊急訪問したが特に異常は認めなかった。
つぎの日、僕が訪問。診察上落ち着いていた。しかし、「夜は不安になりますね」と述べていた。
帰り際に緊急コールの確認をしたのだが、おそらく彼の不安とかみあっていなかったのだろう。
その日の夜、みずから救急車を呼び入院した。
訪問のたびに本人の話をまず聴き、診察をし、大丈夫ですよといったreassurance(安心感)を与えることに努めてはいるが、
上記のようなケースからはもう一度なにが問題であったのかをふりかえる必要がある。
介護や診療のプランは最低限の安全を基準に立てられる。
この患者さんの場合も、われわれのプランで療養生活はとりあえず安全と判断していた。それはまちがってはいなかったと思う。
だが、それは患者さんの療養生活を外側からみて、判断したものだった。
退院したその日に自宅で開催された担当者会議をはじめ、その後の訪問も本人の気持ちの揺れをくみ取るには十分ではなかった。
つまり〈安全〉というお墨付きを与えても、患者さんにとってのほんとうの〈安心〉を与えられてはいなかったのだろう。
そこまで考えなければほんとうの在宅医療とはいえないのだと思う。
あるひとりの統合失調症の患者さんに関する地域ケア会議が開かれた。僕が10年近く診ているひとだ。
幻覚妄想状態であるが日常生活は大体自立している。転居したが、そこでも被害妄想著しく警察に訴える。
しかし思うようには取り合ってもらえない。孤立状態。部屋から出られなくなり脱水状態で救急搬送された。
からだはよくなって退院したが、そのあとも精神症状には改善の兆しがみえない。
会議は地域ケアプラザが主催、ケアマネジャー、区役所の障害担当の方中心に数名、警察官、地域民生委員などが集まった。
僕は1時間半の会議のおわりの30分参加を依頼された。
最近、頻回に開催されるようになった地域ケア会議は認知症のひとの問題が取り上げられることが多い。
今回のような統合失調症の事例は初めてである。
訪問の際、「おかしなこと」を話されるが、どう対応したらよいのか、認知症のひとと同じでよいのか、ちがうのか。
「あそこに見えるでしょう、ほら、おかしいのが、一緒に行って助けて」といわれることもあった、こんな時どうしたらよかったのか。
こうした疑問が出されること自体、新鮮に思えた。これまでなら「おかしなひと」「精神科」で済まされていたであろう。
それが今ここに皆で集まりどうしたらよいのか考えている、そのことに僕は驚き、そして嬉しく思った。
まず耳を傾けること、幻覚妄想の内容を確認し、患者がつらく苦しい状態にあることを受け取ること、
受け取ったことを相手に伝えること、幻覚妄想が本人にはリアルであることは認めつつ(つまり否定はせず)
しかし自分には体験できないことをやわらかく伝えてみたらどうだろうか、こんな風に僕は話した。
会の最後に、幻覚妄想が目立つけれどもこの方はふつうに買い物したり家事をしたりできる、つまり健康な部分がある、
その健康な部分でふつうに接していくことが大事だと思うということを付け加えた。
以前この欄でフィンランドのオープンダイアローグについて紹介したことがある。
最近、精神科医斎藤環氏による著・訳として『オープンダイアローグとは何か』という1冊の本になった。早速読んでいる。
楽観的すぎるかもしれないが、今回の地域ケア会議を萌芽として将来の地域におけるオープンダイアローグを夢みている。
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