ISに支配されたシリアの学校に行き続けたいと言い張ったため、
たばこを体に押しつけられ40箇所もの焼跡を持つ14歳の少年。バルカンから苦難の旅の途上、
事故にあい顎を骨折したまま治療をうけていない少女。爆弾による古い創をかかえたままの多くの患者。
ミュンヘンのメデイカルテントでボランテイアの医師たちが1000人を越える難民たちの診療にあたっている。
信じがたい長い道のりを歩いてきたこの人々の足は傷つき、多くの子どもたちは脱水と低体温におかされている。
・・テントの中の医師や看護師は、
このような状況にもかかわらず保たれている難民たちの人間としての威厳(dignity)に心を動かされていた。
政治家やメデイアはこれらの人々の流れを“数”でしかみていない。
・・人びとはそれぞれ個人的なすさまじい物語をかかえているというのに。
上の文章はニューイングランド医学誌2015年10月22日号「パースペクテイヴ」欄に載ったものである。
このあとエッセイはアメリカやドイツでの難民受け入れについて、治療が行き届かないための伝染病の蔓延などについて、
医者や看護師のほとんどはじぶんのフリーの時間に参加するボランテイアであること、コミュニケーションの困難、
そのメンバーの誰かが病気で離別するとき家族のいだくおそれ、子どもが最もvulnerableであり、
多くの子がトラウマを受けていること、などについて述べている。さらに、先進諸国ではみられない感染症が流入していること、
スタンダードな治療、予防接種などがなされるべきであること、これら難民は主にミュンヘンでケアをうけることになるだろうこと。
以上がこのエッセイの主旨である。
さて、10月24日朝日新聞の記事である。
「安全に暮らしたい 綺麗な暮らしを送りたい 美味しいものが食べたい 自由に遊びに行きたい おしゃれがしたい 贅沢がしたい
何の苦労もなく生きたいように生きていきたい 他人の金で。
そうだ難民しよう!」という文を添えて日本の漫画家がフェイスブックにイラストを投稿した。
それが国際的な議論を呼んでいる。
イラストは「セーブ・ザ・チルドレン」のレバノン難民キャンプの6歳の女の子の写真を借用している。
この漫画家が冒頭の40箇所のたばこの焼跡を持つ少年の痛みを想像することは絶望的に困難であろう。
死を賭して難民を選んだ人々の運命に関して、
実は日本人にも責任があるということを彼が知ろうとすることはおそらく永久にないだろう。
古い雑誌を整理していて日本医事新報2013年12月号の巻頭エッセイ「となりの認知症」という面白いタイトルが目を引いた。
「「認知症の人」という見方をやめてしまうことが、
良好なコミュニケーションの第一歩になる」「認知症と呼ばれる人とのコミュニケーションの目的が、
ケアのための説明や説得である場合、かえってうまくいかないことが多い・・。
援助のため向き合う関係は、時に息苦しいものだということを、しっかり認識する必要があるのだ。」
「認知症と呼ばれる人にとっては、援助を受ける前に、
自分が一人の人間として対等な関係の中で認められることのほうが大切なのだ。」
「どんな病気であれ、最期まで侵すことのできない領域がある。生きているかぎり、人は生きている身体であるということだ。
身体はことばや論理以前の表現と感受性を手放すことはない。
コミュニケーションの根源である身体に注目することが、認知症と呼ばれる人とつながる鍵になる。
となりにいることから、すべてははじまる。」
驚いた。僕が考えていたことに近く、さらにそこから思考を深めている。西川勝氏。長く看護、介護の仕事をしてきたひと。
早速その著書のひとつ『ためらいの看護』(絶版)を中央図書館で借りて読んだ。
鷲田清一の哲学カフェに参加することで思考を鍛え、そのことで看護師としての仕事を深く豊かなものにしている。
最近読んだ臨床に関する書物のなかでは傑出している。
ついで『となりの認知症』も読み始めた。疾患としての認知症や介護度ではかられる認知症は遠くからみた認知症。
遠すぎてその人の顔はみえない。では近づいてみる。相手に自分を重ねるように寄り添うと相手は息詰まる。
自分も不安や恐怖を感じてしまう。「では、遠すぎもせず近すぎもしないのは、いったいどこなのでしょうか。
それは「となりに居る」ということだと、ぼくは考えています。相手と自分とが同じ場に生きるものとしてとなり合わせることが大切です。」
なるほどと思う。思考がしなやかだ。
いま僕の頭に浮かんだことは、診療所や在宅で認知症のひとと向き合うのではなく、
認知症カフェでそのひとととなりあわせに座ってコーヒーをのむことである。
スベトラーナ・アレクシェービッチの『チェルノブイリの祈り』を僕は2012年8月シアトル行きの飛行機のなかで読み始めた。
そして日本に帰るまでの夏季休暇中に読み終えた。
前年3・11大震災後の原発事故の影響がどの程度なのかフクシマの人々の不安を共有しようとしていた。
同じように巨大原発事故に遭遇したチェルノブイリの人たちのことをはじめて身近に思った。
人々の声を聞き取ることを通して書き上げられたこの本を読みながら、
理不尽な事態にまきこまれた人びとの悲しみの感情に圧倒された。
巨大原発事故の真実は国や学者の説明ではなく人びとのこころの中にこそある。
これはチェルノブイリの事故をめぐる人びとの悲しみの一大叙事詩だと思った。魂がゆさぶられた。
この本の著者が、2015年のノーベル文学賞を受賞した。
一日本人の感性の鉱脈が世界につながったような気がして僕はうれしかった。
幻覚と妄想で夜も眠れず、昼も外からの攻撃を受け続ける。身もこころも「ぼろぼろになってしまいました」と述べる40代女性。
「疲れました、どこかでやすみたい」と区の担当のスタッフに訴えた。
生活態度はみずからに閉じこもることなく活動的、人あたりも悪くはない。独居生活もそれなりに自立している。
その彼女が「疲れたからやすみたい(入院したい)」とひどく憔悴した表情でいうのである。
これは何とかしなくてはならないと思った。僕が信頼している病院の医師にあらかじめ電話でお願いした。
とてもいい病院だからと彼女には話し、詳しい紹介状を書いた。
そして入院し、1カ月たち、退院してきた。様子をきいた。入院して3日目には出たくなった。
自由入院だから出ようと思えば出られる。でも、と思った。今出たら先生の顔がないじゃないの、と思いがまんしたという。
病院の先生は毎日おなじことばかりきくんだもの、眠れたか、食べられるか、それしか聞かないの。
退院するとき「えー、もう帰るの」ってみんなからいわれたよ。
表情豊かに語るいつもの彼女にもどっていた。入院前は薬は最少量しかのんでもらえなかった。
せっかく入院したのだから薬が増え、症状も軽くなっているかと思っていた。
ところが、薬は入院前の僕の処方とまったく変わっていなかった。そして、幻覚妄想も相変わらずある。
にもかかわらず彼女は「楽になりました」と述べ、とても元気になったようにみえる。
僕は考える。もしかすると本当の精神医療とはこういうものではないか。病院とは疲れたら休める場所。薬は2次的。
医者の言葉も最小限。患者のこころにずたずた入り込まない。症状を強引に消そうとは考えない。静かに見守る。
そのことでみずから恢復する力に期待する。
今後どうなるか。まだまだ色々な困難が予想される。
しかし、今はなにより僕の「顔をたててくれた」彼女に「よく頑張ったね」といってあげたいような気がする。
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