臨床余録
2014年 8月 31日  紀元前400年の老い

「ええそれはもう、ケパロス」とぼくは言った、「私には、高齢の方々と話をかわすことは歓びなのですよ。なぜなら、そういう 方たちは、言ってみれば、やがてはおそらくわれわれも通らなければならない道を先に通られた方々なのですから、その道がどの ようなものか、-平坦でない険しい道なのか、それともらくに行ける楽しい道なのかということを、うかがっておかなければと 思っていますのでね。とくにあなたからは、それがあなたにとってどのように思われるかを、ぜひうかがっておきたいのです。 あなたはもう、詩人たちの言葉を借りれば『老いという敷居にさしかかっている』といわれるその齢(よわい)にまで達しておら れるわけですから、それは人生のうちでもつらい時期なのか、・・聞かせていただければありがたいですね」(『国家』プラト ン)

この文章の「ぼく」とは古代ギリシアの哲学者ソクラテス。このあと、大部分の老人が感じる若さを失うことの悲哀について、 さらに“身内による老人虐待”についてケパロスは述べる。紀元前400年にあっても老いをめぐる問題は現代と共通するものが あることに驚く。ケパロスは一方、若さという猛々しい暴君の手からやっと逃れられた老年を無上の歓びとするソポクレスに ついて触れる。そしてこの章のさいごに「端正で自足することを知る人間でありさえすれば、老年もまたそれほど苦になるもの ではない」と述べ、大事なのは人間の性格なのだと付け加える。

ソクラテスとともに僕もこの老ケパロスの言葉から学ぶ。老いをどう受け止めるか、そこにその人間のすべてがあらわれるとも いえる。老いは2000年以上にわたってひとにとっての困難な課題であり続けている。

2014年 8月 24日  やまぼうしの郷(さと)

8月17日からの1週間は醫院の夏休み。とはいっても80数名の在宅患者を抱えているのであまり期待はできない。毎年長く休めて 3~4日のことが多い。患者さんの病状とじぶんの休暇を同次元においてよいのか。じぶんのプランに重きを置き過ぎると、許し がたい気持ちが仕事のなかにしのびこむことがあり、極力プランそのものを立てないようにしている。そうしないと、じぶんが 医者ではなくなるおそれがある。そんなふうでほとんどあきらめていたのだが、8月20日の午後、ふと空白がおとずれた。パート ナーが休み前に計画していた安曇野にぎりぎりでキャンセルせず発つことができた。長野新幹線、篠ノ井線、大糸線を乗り継ぎ 穂高駅に着いたのは夕暮れの色がくろぐろとしたアルプスの山のむこうの空にかかりはじめる頃だった。いせひでこの絵本の 原画が展示されている〈森のおうち〉はすでに閉まっていたが、その前をタクシーに通ってもらった。森の暗闇のなか夢のように 美しく小さな館は立っていた。山の中腹のホテルで一泊。翌朝テラスで食事。向こうにそびえるのは常念岳だろうか。ゆうようと トンビが舞い、時々ピーヒョロヒョロと鳴く。白い雲のかたまりが崩れ、まっさおな空の切れはしが見えてくる。小さい鳥が 弾丸のように飛び交う。よく見るとトンボもたくさん飛んでいる。しずかな陽が差し、蝶や蜂たちも近くの花々に群れている。 出発までの時間、ひとりで近くの散策路を歩いた。山小屋が点在するがほとんどひとはいない。細道をどんどんいくといつの 間にかまわりは大きく育ったやまぼうしばかりであった。いけどもいけどもやまぼうし。まだ赤くはないとげとげの小さな実を 枝いっぱいにつけている。まるでちがう世界に迷い込んだような心もちで僕はしばらくのあいだそこに立ち尽くしていた。

2014年 8月 17日  悪医とは

良心的で生真面目な35歳の外科医、彼に95%は治ると言われ、胃癌の手術をしたが再発した52歳の男性、この2人をめぐる ストーリーが交互に展開していく。小説『悪医』を読んだ。今年度の日本医療小説大賞受賞作。つらい症状で命を縮めるだけの 抗癌剤はせず、今の生活を大事に有意義に生きることを薦める医者と治療を諦めるのは死ねというのと同じ、と憤る患者。絶望の 中で患者は腫瘍内科医による治療、ついで免疫療法と巡り歩くが、ことごとく裏切られていく。一方、外科医も患者に投げつけ られた言葉が棘のように刺さったままじぶんの仕事への喜びを失う。そして外科医としてのじぶんへの問い(アイデンティティ・ クライシス)をかかえながら仕事を続けていかざるを得ない。患者は外科医をすべての元凶(悪の医者)として恨みながらその ずたずたの生活の中で2人の訪問看護師に出会う。彼女たちにじぶんの運命の過酷をさらけだしあたりちらしながら、しだいに 癒されていく。やがてホスピスに導かれじぶんの運命を受け入れていく。そしてある偶然から外科医がじぶんのことをずっと 忘れずに悩んでいたことを知り、死ぬ前に彼にさいごのメッセージを届けることを決心する。

読ませる筋立てである。医師と患者の両者の内面の風景が同時並行的に描かれていくのはなかなかスリリングだ。ひとりの患者が 癌と診断されてから死に至るまでの生きる世界をやや図式的(予定調和的)とはいえ大きな視野からながめることに成功している。 ただ、意外性はなく、みな現実にありそうな問題が浮き彫りにされているだけではないかともいえる。様々な立場の様々な思いや 感情がからみあう複眼的スタイルが生かされているのは作者の現役医師としての経験と作家としての力量によるのであろう。

2014年 8月 10日  ただ、毅然たれ

「すぐれた医師とはどういうものであるか、を私はここで頭ごなしには申しません。それは医療技術の現段階からの要請から、 公衆の意識からの要請にいたる、はばひろいものに支えられているものであり、半ば未来のものです。より正確にいえば、逆に 未来を先取しているものでなければ、“すぐれた医師”像ではありません。それを「医局」の中で矛盾とたたかいながらもと めて下さい。」
「けっしてくずおれてはいけない。くずおれたあなたへの同情は、死者への弔慰金と同じく、あなたの身につきません。それ だけでなく、まだ戦っている、あなたの仲間、あなた自身は知らないかもしれない仲間を深く傷つけ、挫折に誘い込むものです。 「ただ、毅然たれ」(カミュ)。猛犬も毅然としている男には必ずひるむものです。何もできないときでも、事態を冷静に観察 し、記録し、そこから教訓や法則をくみとることはできるはずです。」(『抵抗的医師とは何か』中井久夫)

インパクトのある文章だ。上記の「医局」を「医師会」に変えてみる。
われわれが挫折し崩れ去るとしたら、それは権力の強大さによるのではなく、自壊つまり内なる権力に負けるのであり、それは またわれわれがすぐれた医師ではなくなるときであるとも記される。

特権的閉鎖的ギルド組織としての医学界、医師会、政治的圧力団体としての医師会といった言葉が同じ著者の『日本の医者』の なかにでてくる。

たたかう相手、あるいは抵抗する相手はだれなのか、何なのか。じぶんのなかに見据えなければならない。

2014年 8月 3日  たったひとり

政治が100人のうちの99人を問題にするのに対し、文学は残ったたったひとりにまなざしを向ける。僕の感情は政治をきらう。 医者になったのはもしかするとこの文学のまなざしに出会ったためかもしれない。たったひとりを診ることのできる医者に なる。精神科医になったのもそれと関係があるかもしれない。社会からは見えない精神病棟のそのまたはずれにある保護室に 長年隔離されているひとり。そんなひとりにどうむきあうことができるか、じぶんにそう問いかけた。まだ20代だった。

 あたりの暗がりが徐々に大地にしみ込んで行くと、やがて燦然たる太陽が林の彼方に現はれ、縞目を作って梢を流れていく 光線が、強靭な樹幹へもさし込み始めた。佐柄木の世界へ到達し得るかどうか、尾田にはまだ不安が色濃く残っていたが、 やはり生きてみることだ、と強く思いながら、光の縞目を眺め續けた。(『いのちの初夜』北條民雄)

忘れることのできない終章だ。この本を読んだのも二十歳。ライという理不尽な病いに罹り、ひとの社会から追い出され、 押しつぶされそうになりながら、それでも「生きてみることだ」と強く思う精神のありように当時の僕は激しい衝撃を受けた。

そこから僕は歩いてきたのだ。
僕はまだ、かけがいのない“たったひとり”へのまなざしを失ってはいないか。

《 前の月   次の月 》

当サイトに掲載されている文章等は著作権法により保護されています
権利者の許可なく転載することを禁じます