臨床余録
2014年 2月 23日  雪

2月7日と14日の大雪はすごかった。2回とも診療所に泊まることになった。8日の早暁、寝袋のなかの僕はケータイで目覚める。 癌の終末期のKさんからのコールだった。降りしきる雪のなか、動物園の向こう側のそこに向かって急ぐ。かけがえのない ひとつのいのちの終わりが僕を待っている。痛いほどの寒気と白のさくさくとした感触をまだ覚えている。雪で植木が路の上に 寝かされたようになっている庭をかき分け、外灯が静かにともる家に着く。すでに呼吸がなかった。その死を包むおだやかな 空気に救われた。看取ったあと、ご家族から、「先生ともう少し色々な話ができればよかったです」と言われた。まだ、だれも 通らない朝の雪道をひとり帰る。傘に降る雪のさらさらとした音をききながら、もう急ぐ必要はなかった。2年前、僕の父を 看取った日も大雪だった。雪は容赦なく降りつもる。うしろをふりむくと、じぶんの長靴の跡がたちまち雪に消されてゆく。 このまま、ただただ白い雪の世界の奥に吸い込まれていくことを想像する。ひたすらバッハを聴きたくなった。

さて雪の数日後、外来にみえた独り住まいのSさん(80歳女性)の話である。
14日、雪と風がいよいよ激しくなった夜半、戸をたたく音に、「こんな夜だれかしらと出ると、雪のふぶくなかを真っ白に 雪をかぶったすらっと背の高い女のひとが立っていました。セブンイレブンのふくろにお粥、カップラーメン、ひじき、 サツマイモの煮物、切り干し大根、ハムが入っていてそれをわたしに渡すんです。それだけでなく蓋が閉まらないほどおでんの はいったうつわも持っていて、それも置いていく。今までみたことのない人で何もいわないで帰ってしまう。私はうれしいいん だか、苦しいのか、のどがつまって何も言えなかったんです。今の長屋(雪の重さで戸が開かなくなったけれど近所のおじさんが なおしてくれた)に引っ越してきて50年、こんなこと初めてです。どこの誰だかわからない。翌日雪のなかをセブンイレブンの 店にいってきいたけどわからない。わるいし、こわいし、そのままほおったままにしてあります。おでんだけは食べたくなって 食べたけど。きのうも家の玄関をあけておいて道を通るひとを一日ずっと眺めたけれどそのひとは通らない。ただ、そのような 女のひとが雪のなか山の方から下りて来るのをみたよというひとが近所にいます。まるで雪女、そう、確かに私は雪女に 会ったんだわ。先生、そう思いませんか」

僕は彼女の話をききながら不思議な世界に引き込まれていく。現代版「笠地蔵」ではないか。実は彼女の隣の家には、 やはり独り居のOさん(84歳女性)が住んでいた。Sさんととても仲がよく、お互いに助け合っていたが、昨年急死した。 その日、Oさんから具合が悪いという連絡を受けて、朝の外来前に僕は往診した。しかしブザーをおしても大声で呼んでも 出てこないのでSさんら近所の人と相談。一緒に裏の雨戸をはがしてやっと中に入った。そして、居間で座布団を抱え坐ったまま うつ伏せのOさんを発見した。すでに事切れていた。そんな記憶もSさんの話に色を添えて、この雪の一夜の出来事は非日常的、 幻想的な世界へ僕をいざなうのだ。

応々といへど敲くや雪の門 去来
地の涯に倖せありと来しが雪 細谷源二
雪はしづかにゆたかにはやし屍室 石田波郷
雪降れり時間の束の降るごとく 石田波郷
雪はげし抱かれて息のつまりしこと 橋本多佳子
山鳩よみればまはりに雪がふる 高屋窓秋
音なく白く重く冷たく雪降る闇 中村苑子
雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし 飯田龍太
雪まみれにもなる笑ってくれるなら 櫂 未知子
雪の日のそれは小さなラシャ鋏 中岡毅雄

2014年 2月 16日  認知症予防でなく認知症準備を

「日経メデイカル」2月号の表紙に大きくfeature「認知症は病気じゃない」と出ている。ずいぶん思い切ったタイトルなので 期待してページを開いた。「認知症は従来の医療ではとらえ切れない。検査で診断して薬を処方するだけではなおすことは できない。“病気”ととらえて抑え込もうとするのではなく、患者の“個性”ととらえて(認知症という個性と向き合い) 本人の生活を支える視点が大切」とある。

「個性」という語に違和感があるがその他はその通りだと思う。但し、これは医師ではなく編集者の文章のようだ。4人の 医師の実践につけられたタイトルはそれぞれ「認知症の患者が望んでいるのは普通の生活を続けること」「悩む家族を救う 法則を編み出す」「家から出すことも治療の一環」「認知症の始まりを誰より先に自覚し、不安を感じているのは本人」 というもので、特に新しいことはなく、その中身を読んでも「認知症は病気ではない」という意味の実践をしている医師が いるようにはみえない。

本特集「認知症は病気じゃない」というタイトルはいわば羊頭狗肉である。商業紙に期待する方がわるいのだが。それは それとして認知症を患者の“個性”ととらえるとはどういうことか。個性とは「個人に具わり、他の人とはちがう、その 個人にしかない性格・性質」(広辞苑)である。「認知症という個性」なる表現は日本語としておかしい。認知症は個性 ではないだろう。認知症の現れ方はそのひとの個性の修飾を受ける、というのならわかる。

「認知症とはひとが老年期を生きる在り方のひとつ」といってよいのではないか。「老化あるいは退行のひとつのかたち」と いえるかもしれない。老化は病気ではない。だから認知症を「病気」とするにはためらいが生じる。

「人は必ず老いる。・・老人の三割とか四割とかが、そうなって(認知症になって)ゆくのだとしたら、それを「病気」と 呼んでもかまわないのだろうか。」『101年目の孤独』(高橋源一郎)ひとりの文学者の言葉である。こう問うたあと著者は、 或る宅老所では認知症をあえて「病気」とは考えず穏やかにケアが実践されていることに触れる。このような文脈で 「認知症は病気か」と問う仕方は僕にはとてもまっとうに思える。

認知症は予防できるという話を聞くことがある。認知症予防法とかいう本もでている。ずいぶん無理をしているなと思う。 認知症は老年期を死に向かって生きるプロセスに現れるひとのすがたである。それは退行ではあるが解放であることもある。 痛みや苦しみでありながら、また同時に癒しや救いであるかもしれない。老化のひとつのかたちであるならば、それは努力に よって避けることは困難である。誰と替えることもできないじぶんの人生のさいごをじぶんで生きていくしかない。そこで もし必要なことがあるとしたらそれは「認知症予防」ではなく、「認知症準備」なのではないか。たとえば、一日いちにちを 丁寧に棄てながら生きること、そんな風にも考えている。

附記
1.「認知症準備」という言葉は『驚きの介護民俗学』の中の「介護準備」という言葉がヒントになっている。
2.上記の論はいわゆる「若年性認知症」を除いた老年期にあらわれるアルツハイマー型認知症を念頭に置いている。

2014年 2月 9日  渡邊房吉と特定秘密保護法(渡邊房吉を読む③)

「醫者と患者」という章を読む。

「患者が病気の治療を醫者に乞うのはその醫者を信用すればこそである。醫者はその信任に感激して、おのれの所有する 学術、技能、経験との全力を傾注して治療にあたる。その治療は物質的にはかられるものではなくて精神的のものである。 蓋し醫者と患者との関係は、誠意と誠意との交渉、真実と真実との接触であらねばならぬ。赤心と赤心が触れあって そこに純乎たる融合と理解とが生ぜねばならぬ。」

ここには房吉の非常に理想主義的な医者患者関係が披瀝されている。誠意と誠意はよいとしても真実と真実、赤心と赤心など という言葉は読んでいてすこし恥ずかしくなる。房吉の個性(あまりにもナイーブな)もあるであろうが、時代の空気を感じる。

「患者はなんら隠し立てする所なく、赤裸々に傷病上に関する全ての事実をありのままに醫者に打ち明け、いささかの 虚偽不純もその間に挟んではならぬ筈である。・・この腹蔵なく披瀝された秘密に対し、医師は当然「業務秘密」として 軽々しく口外し、妄りに漏洩すべからざる義務を負わされている。」

さてここで唐突だが、昨年12月6日成立した特定秘密保護法を思いだす。「特定秘密を扱う公務員に対する適正評価について、 行政機関から照会をうけた病院は回答義務が生じる」とされている。つまり、特定秘密を漏らした疑いのある患者の医療情報を 提供しなければならなくなる。

一方、僕たち医師に対する、より高次の倫理規定として世界医師会による「ジュネーブ宣言」がある。

The health of my patient will be my first consideration. I will respect the secrets that are confided in me, even after the patient has died. 

この2つの文章がさしあたり重要だ。1948年第2回世界医師会総会で採択された。第2次世界大戦での日本の医師たちの犯罪が 背景にあるとされる。第731部隊による細菌兵器、人体実験などの行為だ。これらの行為の資料は戦後米国に引き渡され、 代わりに医師たちは戦犯としての訴追を免れた。

「思ふに醫者と患者との間に於ける此の如き誠実なる関係は、本邦古来の家族制度に由来するところも少なからざるべく、 延いては本邦の良風美俗と賞賛せらるる「開業醫制度」に負う所、鮮少ならぬであらう。」

房吉独特の日本の開業醫制度礼賛である。ここまではよいとして

「私共の先輩祖先は・・いつも國を率きゆるの気概と態度とを持っていた。おのれを国家に献ぐるの至誠と熱意とを以て 醫業を行っていた。古来醫者を「國手」又は「國醫」と云ふ。『上醫は國を醫し、其の次は人を救ふ』といふ語に基づける ものである。」

すぐれた医者はまず国をいやし、(そのことによって)ひとを救うということであろう。だが業務秘密としての患者の情報を 守ることと国家の要請とがぶつかるとき医者はどうするか、房吉の言葉でいえば、國を醫することと人を救うことが両立 しないとき國手あるいは國醫と呼ばれる医者はどうするか、それについて房吉は何も述べてはいない。時代は違うが房吉も その孫である僕も医師として同様の義務を負い、また本質的には違わない困難を抱えているように思う。

ここまで書いてきて、ふと僕の祖先である江戸時代の醫師、渡邊玄泰のことが浮かぶ。弘化4年(1847)農民の窮状を憂えた 玄泰は江戸に出て門訴(*)を企て、投獄される。2年後、獄死した。

ここには「民を救い、(そのことによって)国を醫する」ともいうべき意思がある。受け継がれるべきこころざしである。

*門訴(もんそ)とは、江戸時代の一揆などにおける訴願の一形態で、百姓たちが領主や代官の屋敷の門前に集結して訴えを 起こすこと。時には門内に押し入って、鍬や棒による実力行使も行われた。大名や旗本の江戸屋敷にまで押し掛ける例 (万石騒動など)があり、江戸幕府も1771年(明和8年)に門訴を強訴に準じるとして、首謀者は遠島とした(『御触書天明 集成』48)。(「ウイキペデイア」による)

2014年 2月 2日  『驚きの介護民俗学』(六車由実)を読んで

“・・気鋭の民俗学者は、あるとき大学をやめ、老人ホームで働きはじめる。気づくと彼女は、「忘れられた日本人」たちの 語りに身を委ねていた・・”という本の帯のことばにまず惹きつけられた。

読後つよく印象に残ったのはふたつ、いわゆる傾聴と回想法への批判的まなざしだ。

傾聴がひとの話を聴くことによりその(語られる言葉を理解するというよりも)思いや気持ちに寄り添うという方法であるのに 対し、民俗学的聞き取りはひとの話を聴き、ひたすら書き取ることにより飽くまでその言葉を理解しようとする。脈絡のない 話しかしないと思われる認知症のひとに対しても試みられる。それが僕には新鮮でありインパクトがある。認知症のひとに 対しては言葉での会話は困難と考え、僕たちはつい傾聴や寄り添いといった安全地帯に逃げてしまいがちなのだ。

また回想法(特に集団的)が聴く側の枠(方法)に沿って被介護者が過去を回想し、その効果が評価されるものとなっているのに 対し、それとは異なりいわばopen-endedな姿勢で耳を傾けるのが民俗学的方法。従って何が語られるかは全くわからない。 もちろん評価もしない。そこに驚きがある。予定調和的な答を想定し驚きを予め回避しがちな回想法を批判している。

このような民俗学的聴き取りの方法が介護される人々にとってどういう意味があるのか。ケア的効果があるのかどうかは わからない。ただ、その生きられた人生の厚みを知ることはそのひとに敬意をもって介護することにつながるということを この本は主張する。実際の介護の現場ではしかし、一人ひとりの人生を知るだけの時間の余裕などないという現実のきびしさも 著者は訴える。

日頃の外来や在宅診療では患者さんの生まれ、家族、仕事、好物、趣味などを含めた生活歴を聴くようにしている。少しずつ 聴いた断片をつなぎ合わせてそのひとの生きて来たストーリー(ナラテイヴ)組み立てる。それを背景にするとそのひとに とっての病いの意味が明らかになるときがある。Narrative-based medicineと呼ばれるものだ。この本はその文脈でいうと、 narrative-based careということになるであろう。

さいごにもうひとつ著者が実践している重要な仕事はさまざまな人の生きた証しをそれぞれの『思い出の記』として本人および 家族にのこしていることである。僕の在宅の患者さんにも人生の『思い出の記』を書いてあげられたらと思うひとが何人もいる。

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