New England Journal of Medicine Dec. 26, 2013に「Elder Self-Neglect―How Can a Physician Help?」と題する小論が
載った。
96歳の独居男性、重度の大動脈弁狭窄症と軽い認知障害と診断されている。息切れと憔悴で着衣に3時間もかかり、
部屋の中は腐った食べ物やネズミの糞便などで散らかり放題、しかし“stranger”が入って来るとして介護を拒否している。
Primary care physician(かかりつけ医)はそこで暮らし続ける(aging in place)という患者の意思を尊重したい、
しかし同時に何度も転んでいるこの患者の大腿骨骨折その他健康状態も懸念される。どうしたらよいのか。
偶然だが先週の「臨床余録」で僕が紹介したケースと似ている。そして、この世界的な医学雑誌の“perspective”欄に、
日本の横浜の下町の一角で今まさに僕たちが取り組んでいる事例と同様な問題が取り上げられていることに驚く。
アメリカではホームケアチームは患者に拒否されれば入ることはできない。老年専門ケアマネージャーは有益だが、
プライベートであり貧しい人は利用できず、MedicareやMedicaidも使えない。
そこで医師が取りうる4つの実際的アプローチが提案される。
①医師は患者への厳しすぎる安全策を和らげることができる
②医師は患者がじぶんの家で暮らし続けるため介護を導入するよう説得することができる
③医師は在宅診療によって患者のaging in placeというゴールを最も効果的に達成することができる
④医師は病状悪化時の対処法を予め患者およびその介護者と共有することができる
医師は在宅診療を通して患者の生きる目標についてよく理解し信頼関係を築くことができる、そのことでホームケアチームや
隣人、ボランテイアなどのinformal careの導入が図られる。唯一の答えはないが、こうしたアプローチにより医師はすぐれた
老人ケアに必要なcreativityとpragmatismの真髄を手にすることができるだろうとしている。
日本でも在宅医療の必要性が強調されているのは同様である。ただ日本ではこのような場合まず医療と介護の連携が問われ、
まず介護保険サービスの利用が考慮され、訪問看護師の導入が検討されるだろう。そこが大きな違いだ。その点超高齢社会に
向き合う日本の地域包括ケアシステムの概念はアメリカよりも一歩前を行くように思われるがどうであろうか。
90歳の独り暮らしの女性の訪問診療を頼まれた。いつからか閉じこもり、家の外に出なくなった。買い物にも銭湯にも
行けなくなった。うつ病の既往があるらしいがはっきりしない。屋内は床のあちこちに汚れた衣類や下着、ごみが散乱。
トイレは便で汚れ、冷蔵庫は賞味期限のとうに過ぎた食べ物が入ったままになっている。以前から月一回訪問していた
包括支援センターのSさんが最近は週一回訪問し、食べ物を買ってきていた。いくらすすめても介護を拒否されるので
困っていた。エアコンもない家で体力も落ち、熱中症で倒れる可能性があった。
任意後見人のOさん、包括のSさんに従うかたちでのはじめての訪問診療。昼間でも暗い小さな部屋の中、乱雑な物の間に
ふとんを敷いて彼女は寝ていた。横にすわり、からだの具合を聴きながら診察をする。耳が遠いこともあるが、会話は
うまくいかない。なかなか返事が返ってこない。生まれや仕事などを尋ねたが覚えていない。「こんなに長く生きるとは
思っていなかった」と言ったあと「何もかもいや。はやくいきたいです」とか細い声でしかしきっぱりと言う。洗濯や
掃除などの援助や清拭などのため介護の利用をすすめたが頑なに拒む。ゴミ屋敷のようだけれど本人の同意なく強引に
片づけることはやめようと僕たちは話し合った。
夏が過ぎ秋も深まってきた或る訪問日、この日も介護導入の同意は得られず諦めて帰ろうとしているとき、同行していた
包括支援センター社会福祉士のYさんがじっくり彼女と話をしてみたいと言い一人残った。そしてその日彼女は涙をみせ
ながらYさんに母親の思い出など色々な話をしたという。以後、YさんがSさんにかわり毎週訪問して話を聴き買い物をする
ことにした。好物の食べ物をきいたり、かつてヘルパーでいやな思いもしたといった話もきいた。そのうち看護師が
訪問してからだのケアをすることに同意してくれた。
ところが僕の指示書を受けて看護師のMさんが訪ねると拒否され家のなかに入れてもらえなかった。MさんはYさんの仕事を
引き継ぐ形で彼女に耳を傾け、毎週ほしいものを買ってくることだけをした。そしてやっと家のなかに入れるようになった頃
買ってきたものを料理する仲間(ヘルパーさん)にきてもらうことを提案し同意してもらえた。
そして初めて来たヘルパーのNさんに暖かいお粥をつくってもらうとおかわりしておいしそうに食べた。それからは
そのヘルパーNさんも定期的に入り食事の世話をするようになった。或る日、尿失禁したまま動けなくなっていた彼女をNさんが
抱きかかえて立たせ、おむつを替え、足湯をした。それに対して彼女ははじめて「ありがとう」と言った。
看護師Mさんは家のなかのごみをさりげなく話題にし、彼女と一緒に考えながら捨ててもよさそうということになれば捨てる
という風にして少しずつ整理していった。一緒に確認しつつ余りのごみの多さに思わずふたりで笑ってしまうこともあったという。
さて僕がこの患者さんのことを書いたのは、包括支援センターSさんのプロとしての責任感、Yさんの直観と熱意、訪問看護師
Mさんの粘り強いケア、ヘルパーNさんの暖かさなど一人ひとりの仕事ぶりに感心しただけではなく、その見事な連携プレーに
よって暗く頑ななIさんのこころが解きほぐされていくプロセスに一種の感動を覚えたためである。例えば、こういう場合の
介護や看護はこうすればよいといったマニュアル的やり方でいけば効率的で家のなかも早くきれいになったかもしれないが、
それでは彼女のこころは置き去りにされ、おそらくさらに頑ななこころの部屋の中に閉じこもってしまったであろう。人間的な
ケアとは時間のかかる非効率的なものなのだ。
もう一つ僕のこころに刻まれたことがある。先日の多職種ミーテイングで、訪問看護師、ヘルパーそして地域包括の二人に、
さらに地域ふれあい会のメンバ―が加わり、どうしたらIさんに会館にあるお風呂に入ってもらえるか、どんなおいしいものを
用意すれば喜んでもらえるかを相談している。この人たちには、医療だの介護だのインフォーマルケアだのといったお互いの
職種の壁はなく、ただIさんに生きている喜びをすこしでも取り戻してもらおうというさわやかな意志だけがある。
以上のケアの在り方を何故かperson-centered care (Tom Kitwood)の典型例として括る気にはならなかった。どうしてだろうか。
12月16日の「週刊医学界新聞」に“高齢者ケアメソッド「ユマニチュード」”という座談会が特集されている。ユマニチュード
とは、知覚・感情・言語に基づく包括的コミュニケーション法を軸とした高齢者ケア技術を指すことば。150を超える具体的
技術が、「ひと(human)とは何か」という哲学に基づいて体系化されているのが特徴。フランスで35年の歴史をもつこの
ケア法は現在欧州の医療介護施設で広く受け入れられ、認知症ケアに役立てられているという。その基本となる柱として、
①みつめること(まなざし)②話しかけること(ことば)③触れること(タッチ)④立つこと、の4つがある。そしてこれを
行うために4つのステップがある。(1)出会いの準備:ドアをノックする、ケアを行う許可を得る (2)ケアの準備:挨拶や
日常会話でよい関係を作る (3)知覚のループ作り:見る、話す、触れるを統合させたケアを実施する(4)感情の安定化:
とても良かったという記憶を残すこと
これらはとりたてて特別なこととは思わない。僕たちが普通にやっていることと大きな差はない。ただ印象的なのはこのケアの
提唱者のひとりジネスト先生の「“患者中心”なのではない。患者とケアするひとの“絆”が中心なのだ」ということばである。
“絆”のかわりに“関係”中心のケアといってもよいであろう。とくに認知症のひとではその周囲との関係性の質がそのQOLを
規定するといってもよいと思っていたので、絆中心のケアということばは僕にはぴったりくる。そして、Iさんの場合もうまく
いったのは彼女中心のケアというよりも彼女との関係を重視したケアのためという方が適切のように思う。
ひるがえって、患者中心のケアという言葉を考えると、患者中心という言葉に溺れて、知らずに患者を皆で取り囲み見下ろして
いるかたちになっていたのではないかと反省する。それに対して、ユマニチュードは1対1、ひと対ひとの関係の基本を重視する。
ちょうどYさんが1対1でIさんに向き合いそれが膠着した状況に変化を与えるきっかけになったように、認知症のひとにとって
ほんとうに必要なのはこのようなアプローチなのだろう。
12月12日の横浜市医療福祉事業部会で『かかりつけ医の在宅医療 超高齢社会―私たちのミッション』(日本医師会発行)
というやや分厚い冊子が配られた。
在宅医療は外来診療の延長線上にあり、地域のかかりつけ医が行ってきた「患者を最期まで責任を持って診る」という
代表的な診療形態の1つであるとイントロダクションで書かれている。
かかりつけ医の機能と基本理念、かかりつけ医に求められる在宅医療、在宅医療と地域包括ケアシステム、かかりつけ医と
多職種協働、といった内容が続く。
はじめの章を読むと、日本の医療が今世界でも極めて評価が高いレベルにあるとされ、その理由がいくつか述べられている。
僕の注意を引いたのは、「世界の医療の評価」という表(The Conference Board of Canada作成)。平均寿命、若年死亡率、
がんによる死亡率、循環器疾患による死亡率、糖尿病による死亡率、筋骨格疾患による死亡率、精神疾患による死亡率、
乳児死亡率、医療事故による死亡率といった評価項目があげられ、日本はそのすべてにおいて最高のAレベル。これは
西欧先進17か国(いわゆるdeveloped countries)の中でダントツにすぐれている。ところが健康状態の自己評価という
項目では日本は最低のDレベルとなっている。他国ではこの項目はAかBでDは勿論のこと、Cもない。例えば、平均寿命が
Dレベルのベルギーは健康状態の自己評価ではAレベルである。日本におけるこの健康状態の自己評価の極端な低さは何を
意味するのだろうか。日本人の多くは長生きしてもじぶんを健康(well-being)とは思っていないということだろうか。
もしそうだとしたら何故そうなるのだろうか。
この章の著者は英国やオランダのGPと比べて日本のかかりつけ医(専門医が開業するスタイルが殆どであるが)は劣って
いないというという点を強調した書き方をしており、健康状態の自己評価についての言及はない。しかし、僕にはこのことは
考えなければならない大事なポイントのような気がする。生きていることの質、まさにQOLの問題ではないのか。
The Conference Board of Canadaのホームページを見た。Self-reported health status(健康状態の自己評価)は、
15歳以上の人口で自分の健康を“良い”“とても良い”と報告した人数の割合でみている。やはりこのindicatorの日本に
おける低さを“interesting”な結果として取り上げ、それを日本は老年人口が多いからかもしれないとしている。
この評価は10年毎に行われ、2000年、1990年、1980年までさかのぼっても日本だけは健康状態の自己評価はいつもDなのである。
単に老齢化が進んだ国だからと考えてよいのだろうか。
今は亡き哲学者池田晶子氏は、人が何のために生きているのかを考えず、ただ生きているならそれでよいとして生きている
「生き延び原理」を鋭く批判した。科学技術は、有り余る物質的豊かさと利便性、あるいはひたすらなる延命やさまざまな
娯楽をもたらしたけれど、はたしてわれわれは幸福を感じているだろうか、と問いかけた。10年前のことである。この問いは
今なお問われなければならないと思う。
ところでもう師走半ばである。庭の唐かえでの葉が色づき、そして今はもうじぶんの役割を終えたかのようにしきりに
散っている。その潔さは眼にまぶしいほどだ。寒風に舞い上がり四囲に飛び散っていくものもあれば、静かにふるえながら
地上に落下するものもある。小さな池に落ちた葉は色とりどりに水面を飾る。水中の金魚たちはどう思っているだろう。
前の道路では足元の葉を幼い子が指に拾いじっと眺めている。枝々にある葉よりも散った葉はその落ちた場所にあって一層
うつくしい。色彩は淡くそして濃くなり、やがてかたちがくずれ土にかえっていく。
「昔は人は死というものをまるで果物が種子をつつんでいるように自分の体の中にもっていることを知っていたか、
でなければおそらくほのかにそう感じていたに違いない。子供たちは小さな死を、大人たちは大きな死を体の中にもっていた。
女たちは胎の中に孕んでいたし、男たちは胸の中に担っていた。とにかく死というものを、人はもっていたのだ。そして、
それが人に独自の威厳と、しずかな誇りを与えていたのだ。」
リルケ『マルテの手記』より
12月5日 横浜内科学会 特別講演会 「チャプレンとスピリチュアルケア ~終末期と向き合う~」と題する講演会があった。
宮城県で今年亡くなられた岡部医師とともにチャプレンとして在宅終末期ケアを実践してきた小西達也氏(現武蔵野大学
看護学部教授)による。
チャプレンとはスピリチュアルケアを提供する専門職と定義される。心理的ケアとは異なり、いかに生きるかを支える。
そこに宗教を持ち出すことはしない。宗教の力をかりずにケアする。告知の場面、決断のサポート、臨床倫理的役割、
家族のサポート、ケアスタッフ(特に上に立つ看護師長など)のサポート、スタッフの死生観、職場で互いにケアしあう
文化の醸成など。
東札幌病院での経験が語られた。 緩和ケア病棟で話を聴く試みに患者の9割はウェルカムであった。終末期のひとから
語られる病歴に耳を傾ける、そのことがそのひとを支えることになる。
じぶんはもうすぐ死ぬが残された時間をどう生きるか。この問いに一緒に向き合うこと、それがチャプレンとしての
仕事でもある。「死とどう向き合うか、これが人類の生きて来た有史以来の大問題」とかつて岡部健医師も述べていたという。
講演の後半で、伝統的宗教の死への向き合い方、および死の不可知・不確実性への方法論といった大きな二つの柱が紹介され、
特にマインドフルネス瞑想法や様々な死生観について述べられた。それらを十分理解できたかどうか自信がない。
さてスピリチュアルケアとは何かを問うなら、その前にスピリチュアルペインとは何かを問わねばならないと僕は思う。
スピリチュアルペインとは己の死に真向かうときに生ずるたましいの痛みであると考えてみる。ではたましいの痛みとは
何なのか。みずからのからだが病み衰え消滅するだけではなく自分という精神的存在、今物を考え、感じている自分、
その自分の存在が消える。存在が消えるとその意味も消える。生きている意味が消える。その痛み。
問題なのは死そのものではなく死に至るまでの生の在り方である。スピリチュアルとは死とともにあるのでもなく、
死後にあるのでもない。飽くまで生の側にある。死ぬ瞬間までひとは生きなければならない。健康な身体が消える、
歩いたり喋ったり笑ったり泣いたりする毎日が消える、風呂に入って汗を流したり冷えたからだを温めたりする夜の時間が
消える、窓を開けてさわやかな空気を吸い込む朝の時間が消える、遠くから帰ってきたひとを軽くハグするぬくもりが消える、
仕事の苦労や喜びが消える、社会との関わりが消える、友人たちが消える、家族が消える、明晰に考える頭脳が消える。
さいごは何もできずただそこに横たわるひとつのいのちが残る。そのひとの生を構成するすべてが失われたと思われたのちに
なおそのいのちに微かな炎のようにゆらいでいるもの。そのゆらぐ微かな炎に似た痛みがあるとしたらそれがスピリチュアル
ペイン。その炎を守るためにかざされるちいさな手のようなもの、そのようなものとして僕はスピリチュアルケアを考える。
11月18日、今年も「みなと認知症セミナー」を開くことができた。
第6回目の今回は「長谷川式認知症スケール」で有名な長谷川和夫先生をお呼びした。
世話人会で、このセミナーはずっと認知症とは何かという基本にこだわってきたという話をしたら、それなら基本の“き”の
長谷川和夫先生を今年はお呼びしてみたら、と東川島診療所の三村圭美先生から提案された。そんな高名な先生を呼ぶという
発想がなかったので僕は少し驚いたが、三村先生に連絡をお願いした。その結果、講演が実現したのである。
開会の辞で僕は、長谷川先生は認知症の治療とケアで今何が大事なのかという視点から、最も大事なことをお話しに
なられると思うと挨拶した。
その通りになった。
タイトルは「認知症診療とケアの作法―今とこれからー」
はじめのスライドにいきなりそれが出された。
〈認知症ケアの基本課題〉
1.認知症を知ること
2.Person-centered careについて知ること
3.認知症のひとが安心して暮らせる地域づくり
まさにこれにつきるではないか。
ついで、
〈認知症のひとをケアする環境〉
①ゆったりとした時間
②こぢんまり
③安心できる
④静か
という特徴をあげられた。
これを英語で書いてみる
①Slow
②Small
③Safe
④Silent
みなSではじまる、そして
僕ならこれにもうひとつ加える
⑤Simple
つまり、5Sである。
〈ケアの技法〉
(1)不安を和らげる(安心させる)
(2)聴くこと
(3)眼をみて話す
(4)明るく楽しい雰囲気
これらはどこかの本に書いてあることではなく、皆長谷川先生の長い臨床の歴史のなかから出て来た言葉なのである。
そこが貴重なところだ。経験の深い裏打ちのないひとに「作法」は語れない。
ところで世話人代表として僕は会場となったホテルに1時間前に到着した。驚いたことに既にそこには長谷川先生がいらして
ご自分のその日に話されるスライドを入念にチェックされていた。
それからもう一つ、その日の会場で購入した『認知症診療の作法』という小さな本のあとがきにご自分を「認知症診療という
富士山のふもとに立って少しずつ登り始めている段階にあります」と述べられている。日本の認知症診療の第一人者の
言葉として深くこころにしみるものがある。
Tom Kitwoodのperson-centered careのキーワードのひとつ、“personhood”は〈そのひとらしさ〉と訳されているが、
この日のセミナーはまさに長谷川和夫先生のpersonhoodにあふれていたと思う。
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